第十六夜|渇愛(タン・ハー)
author:時輪坊
キウイフルーツと太陽の匂いだけを残して、単線を南方向に向かう列車に飛び乗り、TKPは行ってしまった。
あぁ神様、月曜の朝にこれはキツイよ。今夜の一人寝は二倍増しで辛くなるだろうな。
ハンドルを職場の方へ切ると、頭蓋の中で脳みそがフォンフォンと唸りだした。
ふと彼の去った南方の空を見ると、王冠の形をした都市が浮いているのが見えた。
その都市には白い御影石でできたようなビル群が立ち並び、下方向にもまたビルが延びている。
「まさか、ね。あいつ、あそこから来たのか?」
ピーチムーン、ストロベリームーンと呼ばれる、本当に今年はピンク色になった満月を二度みたあと、「県外への不要、不急の外出を控えるお願い」が発令され、ステイホームが始まった。
その後、NASAは公式発表として、あの空中都市の小さなシルエットの写真を発表した。
******
「ねぇ」
「うん?」
「こっちに来てから、なんかいい事あった?」
そう太くもない腕のくせに、年上の見栄ってやつで俺は彼の頭の重みを楽しんでいたのだが、その坊主頭が何ともなしに訊いてきた。
「誕生日にこうして君と愛し合っている事。」
「ほんとですか!誕生日だったんだ」
橙色の豆電球の薄明りの中で、坊主頭の青年の瞳はよく光る。
「他には。そうだなあ。なぁんにもないな、なぁんにも。あ、そうそう、幽霊を見たんだよ」
「幽霊?!」
******
君は、そんな風なものを見たことがあるだろうか?
狭い宵闇に沈む住宅街の中。電柱の街灯の下に、キラキラと美しく輝く鳥を見た。
俺は都会で大病を患い、それまでの職を辞めて九州の端っこで一人暮らしだ。
今はもう両親の荷物置き場になっている2×4の平屋で一人暮らすことになり、職業安定所を通して運送会社の事務職にありついた。
勤め始めて最初の5年間は、マイカーで15分くらいのところをバスと徒歩で一時間くらいかけて通勤していた。その帰り道でそれを見てしまったのである。
海側の埋立地にある運送会社から、基幹バス路線終点の動物公園入り口バス停のある旧街道に出る為には海抜50メートル程の高台まで上っていかなくてはならない。
まきば、という地名が残されてはいるものの、家畜たちの気配は一切しない。
しかし、あの牛小屋特融の牛糞の甘ぐさい臭気が宵闇に静かに沈んでいるので、ひょっとするとここから1㎞程離れたこの地方で一番大きな動物園の獣舎の匂いか、 或いは軽自動車一台が通れるほどに離合困難なこの道周辺の民家が園芸に肥料として牛糞を使っているのかもしれなかった。
……オナガドリだろうか?
近づいてみると、鳥はその長い尾羽を保護する為に高く作られた丁字型の止まり木を掴んで……ない。
留まり木が無い。掴むようなふりをして、空中に浮いている。
頭は後方へ向けて、翼の下に隠して眠っているので頭がまるで無いようにみえる形になっている。
だから実際にどんな顔なのは確認できていない。
いや、寝てさえいない。冷たく微動だにしていない。
美しく輝くその尾羽さえキラキラとも瞬かず停止している。それは幽霊と呼ぶよりも、立体映像と言った方が的を得ていた。
あ、これはいかんかも。
その鳥が、よりにもよって自分の脳と眼球から映写されている立体写真のようなもので、今集中が途絶えると消えてしまう事にも、その時気が付いた。
何かの理由があって、見せてくださっているのだろうな。
世界のどこかに、これの実物がある、もしくはかつてあったのだろうか。金や赤、緑にに輝く尾羽の観察を終えた、と自分で自分を納得させたら、ポツリ、ポツリと大粒の水滴が落ちたような灰色の文様が視界に入った。
――ああ、終わるのだ――
軽い眩暈と吐き気がして、俺はその場にしゃがみこんだ。
脳みそが頭蓋の中でフォンフォンと唸りだした。瞑った瞼の裏側では、レインボーカラーのマーブリングがゆっくりと蠢いていた。
******
「へぇー。何だったんだろうね、それって」
「うん。余りにも冷たい感じがして、それそのものからは全く意味を感じなかったんだ。寧ろ――」
「寧ろ?」
「テレビの野生動物追跡番組で、ジャングルの数か所に定点カメラ置いたりするだろ?その時の俺の行動それ自体が、ジャングルの生き物みたいだった」
俺は、あの現象を体の中の仕組みの上での出来事であったのと同時に、あの時あの場所というものに何かがあったのだという両立の拘りも捨てきれないでそのまんま説明を続ける。
我ながら奇妙なことだ。その全くもって論理的でない点に関して平気で話を続けている。
「行動観察か、インタビューマイクみたいなものなのかなぁ」
「まぁ、牛糞の匂いの中に、ヒカゲシビレタケの胞子が入っていたのかもしれない」
「何それ、マジックマッシュルームが日本にもあるの?」
「南方熊楠の話だったかなぁ。京都あたりでオバハンがマッパで三味線弾いた事件があったとか」
「で、定点カメラだったとして」
出会い系アプリで知り合った――表示名ではTKPとなっていた青年は、よくこのおじさんの戯言に付き合ってくれるものだ。もしかしてこの名前はタカPと読むの?と訊いたらそうだと青年は言う。
「この親父さんの何が見たかったのかなぁ。観察者さんは」
「さあなぁ」
胸筋をいやらしく鍛えた坊主頭の兄ちゃんは、俺の甚兵衛の袖の腕枕のに横たえた首をこちらへ向けた。
「案外向こうがわにも、この道のやつがおるのかもわからんね」
こちらへ引っ越してきてすぐ、地元の床屋と喧嘩した。それ以来、自分でバリカンを使って短髪にととのえているのだが、タカPに前髪を触られた途端に「狂」一文字のスイッチが入った。
自分でもびっくりするくらい極々自然にスーッと彼に手を伸ばし、ビシッと凛々しく丸刈りにした彼の頭を胸に抱え込むように抱いてみる。
最近ウチで買い揃えた頭、顔、体全てに対応のオールインワンボディソープの、キウイフルーツに似た香りに加え、後頭部の毛の生え際から微かに匂う、炎天下の野球場の土埃に似た匂いを肺に満たして状況に浸った。
若い彼の持つ太陽のような生命力が欲しくてその口をがっついて求め、大きく口を開き丸ごと頬張るように貪りついて命の味を楽しんだ。
「ちょっと待ってなよ」
ひとしきり口づけを楽しむと、戸棚の奥から、社員旅行で行ったグァムで記念に買った、未使用の手の込んだ彫刻付きののアロマ・キャンドルを持ってきた。イラン・イランという南国の花のエッセンシャルオイルがふんだんに入っているのだ。
南国のホテルに泊まると、ときとしてこの白い花がベッドに散らされていることがある。
口の悪い輩は、それを昭和のおっさんのポマードの匂い、と表現するかもしれない。
それと、ここからもっと山奥にある、かつて金を採掘していた洞窟をそのまま酒蔵として使っている酒造会社の最高級亀焼酎を、ロックで提供した。
芋くさい安物の焼酎しか知らないで偏見をもって口をつけると、この人間の手により作られた西王母の桃の汁は大変な媚薬であることに驚くはずだ。
生きているナマモノの炎というのは、本当に官能的だ。普段テレビみている時間が何とも価値の無いものに格下げされる。
もしも外から、カーテン越しに蠢く二人の陰を見るものがいるとしたら、そこにちょっとばかり乙な見世物を見ることになっているはずだ。
やがて片方の影が、もう片方の陰の頭を両手で抑え込み、腰の位置まで上から抑え込んでいった。
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翌朝。
俺の出勤のついでに最寄り駅へ送って欲しいとのことだったので、指宿枕崎線の坂之上駅まで送っていくことにした。
このあたりの地名って、なんてそのものずばりが多いのだろう。谷山、とか、山川、とか、ここ、坂之上。
昔は水汲みだけで寿命が縮むから、このあたりには嫁にやるなという話があったそうだ。その証拠に、大層な自然石でできた水道開通記念碑がおったっている。
少々形が崩れたが、YouTubeで覚えて昨夜から仕込んでおいた、モンティクリストと呼ばれるハムとチーズを仕込んだフレンチトーストを二人して急ぎ気味に口に詰め込む。
もう最近は、圧倒的に多い軽自動車、N-Boxワゴンの後部座席にタカPには荷物ごとドサッと乗り込んでもらう。
「これからどうするんだい?」
「まず指宿に行って、玉手箱温泉に浸かったら、日豊本線で宮崎まで行って、志布志まで。そこからまた鹿児島中央駅まで行って、サウナ泊まり。次の日は薩摩川内市から肥薩オレンジ鉄道に乗りにいくんだ。」
「何そのハードなプログラム。この辺りは列車がなかなか来ないから、原則旅行者もレンタカー移動するんだけどな。仕事じゃなければ、是非車で案内するんだけれどね。」
「実は俺鉄っちゃんだから、乗ったことのない路線に乗るのが目的なんですよ。それじゃ!」
キウイフルーツと太陽の匂いだけを残して、単線を南方向に向かう列車に飛び乗り、TKPは行ってしまった。
あぁ神様、月曜の朝にこれはキツイよ。今夜の一人寝は二倍増しで辛くなるだろうな。
ハンドルを職場の方へ切ると、頭蓋の中で再び脳みそが唸りだした。
彼の去った南の空を見ると、空中に王冠の形をした都市が浮いているのが見えた。
その都市には白い御影石でできたようなビル群が立ち並び、下方向にもまたビルが延びている。
「まさか、ね。あいつ、あそこから来たのか?それより、なんで他の連中は気付いていないのだろう?」
ピーチムーン、ストロベリームーンと呼ばれる、本当に今年はピンク色になった満月を二度みたあと、「県外への不要、不急の外出を控えるお願い」が発令され、ステイホームが始まった。
その後、NASAは公式発表として、あの空中都市の小さなシルエットの写真を公式に発表した。
何の感慨もないけれど、もう、時間経過にまつわる悩み諸々。老いていく、とか、消費しなければならない、とか、そういった悩みからは当分の間解き放たれそうな予感がする。
終




