第十五夜|崇徳院・改
author:権兵衛
河内国の高津宮と申しますと、難波上町の高台を上りきったところにある、大そう霊験あらたかなお宮さんでございましてな。何でもその昔仁徳天皇がその高台に登って、道頓堀のあたりをずーっと……いや、その時分そんなもんおませんがな。こう、難波のあたりを見渡したときに、家々から炊事の煙が立っておらなんだ。これはどうしたことかと周りに尋ねてみるに、民衆は重税に苦しんでおり、明日まく種籾はおろか、今日の飯にも事欠く有り様。それでは国がたち行かぬ、民は国の礎である、彼らを飢えて死なすようでは主君の名折れじゃ、ただちに今より三年間、税を免除せよ、とのお触れを出した。
爾来、民のかまどに徐々に五穀が行き渡るようになり、三年ののち同じ高台に登った仁徳天皇、家々から煮炊きの煙が昇るのをご覧になり「民のかまどは賑わいにけり」と喜びの御詠をものされたという、まあ、それくらい由緒深いお宮さん。
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時代は下って、開化の世だ。船場あたりの商家に作次郎という若旦はんがおましてな。線のほそい、まあ役者で言うたら若女形や。読み書きそろばんは言うに及ばず、芸事もきっちりこなす、今様に言うなら仕事も遊びも、ちゅうんですかな。それは達者なお人やった。ただ線の細さが禍いして、お三味より重いもん、毎年の店卸帳より重いもんは持ったことがない、ちゅう話やからえらいことで。これではどうもならんちゅうことになりまして大旦はん、熊五郎という図体のでかい手代の男を常に倅の作次郎の供につけてやった。一方で頭が回るが身体があかん、一方で頭は回らんが身体は殺しても死なんような、そんな二人連れや。どこへ行くにも気遣いなかろうとて、大旦はんも一安心や。
そんな若旦はんと手代の男が、先に申した高津のお宮さんにお参りをしたときのこと。
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「若旦はん、今日は何の御用で高津さんへ」
「神さんにお詣りするのに、御用もなんもあらせんがな。折々にご挨拶せんならんのはお客と同んなしや」
「……へえ」
「そら、何ぞお願いごとがあるときにお詣りするのもええ、しかし神さんが見るのは平生からの心掛けや。なんもない時は洟もかけへん……困ったときだけ神頼みなんちゅうのは……あかんで」
「若旦はん、息上がってはりまっせ」
「な、なんの……これしきの坂……」
作次郎の申すように、高津さんの参道ちゅうたら、何のことはない、ほんの高台や。そこへ来て顔は蒼白く息も絶え絶え、そらあもう凄まじい形相で登りよるもんやから、さしもの熊はんも外聞が悪くなってくる。
「若旦はん、同んなし神さんやったら、生魂さんに参りやったらよろしいのに。あっこの方がなんぼか平たおまっせ」
「あほ、高津さんと生魂さんがなんで同んなしことがある。どこの神さんも一緒やったら、なんでわざわざ、こないな丘の上にお宮さん建てる義理がある。しょうもないこと言うとらんと、あんじょう登れ」
どっちが発破かけられよるのか判りませんでな。
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無事にご参詣も済まして、二人は絵馬堂の茶店で一息ついた。そこへ入っといなはったんが、お供を四、五人連れて年の頃なら十七、八、それはそれは美しい水も垂れるような綺麗なお方や。
若旦はん、「世にはうつやかなお方もあるもんやなあ」と思いなはって、ポ~っと先さんを見やる。
「若旦はん……若旦はん。何してまんの」
「う、うるさいなあ……ちょっ、黙っとけて」
「怪体なもんやな……向こうさんもこっちのことジーッと見てやる。あ、笑いよった」
「黙ってえ、ちゅうのに。何やのや、さっきから」
「若旦はん、あんたはんの勝ちやで」
「あほ、睨み合いと違うのんや」
この熊はんにかかったら色も花もない、とんだ無骨者でございましてな。まあ、丁稚、手代などというものはご本家さんへの奉公が本分、晴れて番頭に格上げになるまでは妻帯もご法度。これくらいの無骨者の方が、かえって数寄者のお供にはお誂えかもしれませんでな。
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そうこうするうちにその別嬪さん、すっと立ち上がって茶店の奥の方へ何か二、三注文を付ける。店の者は手には紙と硯、筆を持ってすっと先さんへ渡す。サラサラッと何やら書いて、それを作次郎の手に渡すと、逃げるようにして出て行きなはった。
手に取って見ると達者な筆跡で「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」とある。
なんとまあ、風流なことをするお方やないか。作次郎がそう感じ入っておると、
「若旦はん…何だんね、それ。油虫のまじないだっか」
「な、なにを不細工なことを。おまはん知ろまいが、これは百人一首にもある崇徳院さんのお歌やないかいな。下の句が『われても末に逢わんとぞ思う』その下の句がわざと書いてへんのや」
書いてないところをみると「今日は本意ないお別れをいたしますが、いずれのちには嬉しゅうお目にかかれますように」という、先さんのお心が垣間見える。
そう思うたら作次郎、ファ~ッとなってしまいよってな。家へ帰っても、そのまま頭も上がらんようなってしまいよった。
その人のことばかり思い詰めて寝てると、そのうち天井へその娘はんの顔が浮かんでくる。そう思うたら欄間の天人の顔がその人に見える、しまいには手代の熊はんの顔までがその人の顔に見えてくる。
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「若旦はん、若旦はんて」
「ああ……せめて、お名前を」
「ちょ、何だんね。わてのことお忘れか?熊五郎です、ちゅうのに」
「くま……うわっ。な、何やいな熊はん。そないネキ寄ってきないなや」
「寄ってきないな、て……あんたはんから、近寄って来やったのやおまへんか」
「そ、そんなあほなことがあるかいな」
これでは埒が明かん。患うたように寝ては起き、起きては伏しを繰り返していてはやがて大旦はんにも露見してしまう。まさかお宮さんで行き逢うた、名も知れぬ別嬪さんを想うての恋煩いと知れた日には、ああ恥ずかしい、なんじょう生きていかれようか。
思いあぐねた若旦はん、苦し紛れに一計を案じ、手代の熊はんを呼び出した。
「若旦はん、あんた患うてはんねんてなあー」
「う、うるさい。声を落とさんか、声を。家のもんに聞かれたら一巻の終わり」
「何だんね、大げさな……何のご用向きでおまっしゃろ」
「おまっしゃろ、違うがな。声を落とせ、ちゅうのに。あんな……」
えらいもんで若旦はん、こういうときには色恋に疎い熊はんみたいなもんを遣いにやったが、かえってあんじょう事が運ぶと見越しての頼み事。
熊はんは熊はんで、若旦はんのたっての頼み、何が目当てかわからんが、ここでわての良えとこ見せて一層のお引き立てをと、作次郎に言われた通りの道具をそろえて、鉢巻き捩じって出て行った。
***
高津のお宮さんというのは、どういう由緒か、昔からお祭りごとには大層にぎやかな鳴り物を入れて盛り立てなさいましてな。お祭りごとがないにしても、平生から境内にはさまざまの芸人役者が集うては、声音を披露する、小唄をうなる、そらあ、にぎやかなもんで。
そこへやってきた熊五郎、桐立箱から後生大事に三味線を取り出し、境内の一隅に陣取って、作次郎に教わった通りに撥を取る。
瀬をはやみ~ 岩に~せかるる滝川の~~
われても末に~~逢わん~とぞ思~~う~~
これを何べんも何べんも、低い声で唸る。もともとが厳つい身体つきや、そこへ芸達者な作次郎が見栄え、聴きばえするように、巧い具合に稽古をつけてやったもんじゃから、押し出しの効いた、なかなかの声音。
足を止め、熊はんの歌に耳を傾けるものが、初日は十人がとこ、それが日を追うごとに増えていき、一と月も経ってお宮さんの例祭の出店が立ち並ぶころには、それはもう黒山の人だかりができるほどやったちうて。
「あんたさん。なかなか良え声してはんのに、そんな崇徳院さんの歌ばっかり何遍も何遍も歌うて。さ、ここに歌本があるさかいにな、どれも三十一文字、節回しも同んなしでええから、いろんなの歌うたって」
とか何とか、熊はんにしても普段はそないして褒められるなど思いもよらん奉公の身。おだてられて、ひょっと詠み人を変える、詠み人に合わせて、ちょっと声音を変える。それだけでもう、境内じゅうの人垣からは喝采の渦。
気をよくした熊はん、一ぺんは崇徳院さんに義理立てて瀬をはやみ、それから小野小町、蝉丸、僧正遍昭に在原業平、十首、ニ十首唸っては、律儀にまた崇徳院の歌に立ち戻る。
それがまた乙なもんやと噂が噂を呼び、この日も熊はん、参詣客の注文を受けてはあっちゃこっちゃの歌集から三十一文字を引っ張り出しては、唸り声をあげておった。
「もし、崇徳院さんの歌を……」
一通り注文を聞き終わったあとで、人垣の向こうからそんなか細い声。ちょっと気の利いた男やったら、ああ、これこそ若旦はんの意中のお人、細かい話はあとや。ささ、とにかくご本家さんへ、となろうものを。
まあ、そんなワケがおませんでな。参詣客の注文をひとくさりやって、それが終わって晴れてもとの崇徳院の歌が入るのがこの出し物の見どころやないか、その伊達酔狂もわからんと、何を、崇徳院さんの歌を歌うてください?そない不細工なこと抜かっしょんのはどこのどいつやと、熊はんものすごい形相で先さんをギッと睨み据えた。
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なんぼ朴念仁と申しましてもな、二た月前に絵馬堂の茶屋で行き逢うた別嬪さんの顔を見て、熊はんさすがに元々の用向きを思い出した。
驚いたんは先さんや。あの日行き逢うた旦さんに会えると思うて声かけたところが、何の因果か旦さんは居てない、そのかわり鬼瓦みた様な厳つい男が、手にした鉢巻きをかなぐり捨てて、今しもこちらに向かって飛び掛かってくる。
周囲を囲む人垣も、この急転直下の出来事について行かれなんだ、只今三味を弾いて唸っていた大男がやおら立ち上がり、敷いていた蓆で女をひとり、ぐるぐる巻きにして息せき坂を駆け降りて行くのを、ただ茫然と眺めるより為す術もない。
当然、理由を知った作次郎はもとより、大旦はんにも大目玉を食らった熊五郎、それでも蓋を開ければ両家とも名の知れた商家の跡取り息子に、別嬪で知れたいとはんの組み合わせや。慶事に免じて、一切を水に流してもろうたそうで。のみならず、晴れて番頭はんに格上げの上、裏手の長屋五棟、店子ごと大旦はんから譲り受けたちゅうから、まあ立身出世にもほどがある。しばらくは船場界隈も、熊はんの取り持った妙縁奇縁について持ち切りじゃったそうな。
崇徳院という、おめでたい一席でございます。




