第十三夜|Radio Days
author:権兵衛
「……まあ、いい経験になったんじゃない?」
永い沈黙を破って、加藤は隣にすわる後輩に声をかけた。
「ありがとう、ございます」
カウンターに突っ伏した姿勢のまま、稲垣は答えた。顎をテーブルに押しつけたままの彼の頭が、音節ごとに上下に揺れる。
「気持ちがこもってない」
あんまりな慰め方だったかな。加藤はごまかすように笑って、ハイボールのジョッキを傾けた。
二人だけの牛丼屋のホールに、氷の音が響く。
「起きなよ」口調を変えず加藤は言った。「睡眠NG。店員さん、さっき見てたよ」
「ちょっとくらい許してほしいわ」だるそうに稲垣は顔を挙げた。「ああ、牛丼屋しか開いてないなんて」
それでも素直に従うのは、自分の仕事のミスの後始末に、半日間も付き合ってくれた先輩への感謝の現れかもしれなかった。
***
駅までの短い道のりを行く間、プラットフォームの白色灯を見ながら、加藤は違和感の正体に気づきつつあった。
──いい勉強になった、ってよく言うけど、たいていただの言い訳だよね。
それは、入社したての稲垣との会話だった。何気ない一言だったが、何年もの実務を経ての言葉には、我ながら妙な説得力があった。
当然、稲垣もそれを覚えているだろう。今日とは全く逆のことを、一年前の自分が言っていたことを。
これか、不自然な会話の原因は。加藤は稲垣に気づかれぬよう、そっとため息をついた。
結局、二人はコンコースで別れの挨拶を交わすまで、ほとんど言葉を交わさなかった。
「今日は、ありがとうございました」
「そんじゃ、明日ね」
「はい」
稲垣は、動作にいつもより負荷を感じていた。今じゃ、挙げた手を下ろすのにも、ちょっとした意志が必要だ。
「──はあ」
独りになった瞬間の吐息。この日一番の気持ちのこもったセリフだ。
稲垣は何となくそれが可笑しく思えて、ホームでひとり苦笑した。
***
「──あれ」
気を紛らわそうと取り出した端末は、通販サイトからの着信を知らせていた。
「やった、来てる」
米国製のゾイド。日本ではプレミアつきだが、たまに海外業者からの出品があった。言ってみれば、掘り出し物だ。
機会を逃すまいとせわしなくページを繰る指が、ふと画面の上で止まる。
午前中。14時まで。16時まで。18時まで。20時まで。それらの文字と、ラジオボタンが薄くグレイアウトしており、押すことができなくなっている。
「……」
稲垣は心の中でため息をついて、サイトの検索窓を親指で引っ張り出す。ラジオボタン、選べない……えーと、時間帯。
業者の委託による場合は、配達時間を選べません。事務的な、同じような文面が検索結果にずらりと並んだ。
またぞろ、負の感情が頭をもたげてくるのを感じる。稲垣は慌てて画面から顔を上げた。
「……それにしても、なんでラジオなんだろ」
不意に逸らされた思考は他愛ない独り言となり、それはすぐに入ってきた列車の騒音にかき消された。
***
深夜の自室。
無意識に冷蔵庫のノブに伸びた手に気づき、稲垣はひとり苦笑した。
「……いや、食ったじゃん、俺」
それからは、いつも通りのルーチン。うがい薬。歯間ブラシ。ワイシャツを脱ぐ。袖と、襟の汚れを室内灯の近くでチェック。洗濯機か、クリーニングか。朝のゴミ出しチェック……いや、明日は回収ナシだ。
足は自分のPCデスクに向き、再びルーチンをたどりはじめる。現地工場からの、先輩からのメールをチェック。こればかりは大目玉を食らったあとだけに、欠かさない。──欠かすわけない。
三たび湧き起こる負の感情に慌ててフタをしつつ、稲垣はメールのウィンドウを閉じた。その流れでネットブラウザを開く。そこで、ルーチン終わり。が、稲垣の指はマウスの上で、なおも動いた。
ラジオ。
……ラジオ?
ブラウザはネット配信のポータルサイトを表示していた。
理由はわかってる。さっきの、ホーム上での一言だ。どうってことのない、ただの言葉の連想ゲーム。
反面、ルーチンの先の意外な行動がどこまで続くのか、自分でも興味はあった。稲垣は流れに任せて「配信者アカウント」と書かれたタブをクリックした。
名前、メールアドレス、生年月日、パスワード解除のためのキーワード。目指すものにたどり着くまでには無数のフォームを埋める必要があったが、作業を進める手のスピードは落ちない。
ともすると塞ぎがちになる気持ちから、なんとかして抜け出したい。そんな淡い無意識が、ルーチンに刺激されて身体を動かし続けるのだろうか。
稲垣は頭の片隅で、そんなオカルトめいたことを考えていた。
***
こんばんわ。そして初めまして。カツヤです。
……今まで、配信なんて、あまり興味なかったけど、今日、ふとしたきっかけで、こうして配信しています。
特に、何かをお伝えしたいわけでも、ありません。思いつくままに、日記代わりに話していきたいと思います。
そんな内容なので、BGM代わりに聞いてもらってもいいし、寝ながら聞いてもらっても、いいかもしれません。
気づくと、稲垣は会社から支給されたテレビ会議用のマイクに向けて、一言ずつ、言葉を紡ぎ出していた。
まず、簡単な自己紹介。もちろん、下の名前だけ。
仕事もほどよくぼかして伝えれば、場所も特定されないだろう。
新卒で、ある製品の納品日程を管理する仕事をはじめて、だいたい一年。先週、海外の工場が災害で停止してしまって、今まで仕事を見ていてくれた先輩は、あっという間にその工場に飛んで行った。
その「あっ」という間に、仕入れ値と輸入費、通関費用と国内配送費の計算、それと顧客への売値を決めるための、営業部門と無限に続く連絡業務……つまり、一切合切を引き継いだ。
引き継いだ、なんて、一言でいえばたやすいけれど、現実がその言葉に追いつくまでには、まだまだ時間がかかりそう。今日だって……。
少し、喉が渇いたな。そう思った稲垣が言葉を切り、ミネラルウォータのボトルに手を伸ばすと、その向こうでアラームがAM3:02と表示するのが見えた。
***
「寝れた?ゆうべ」
デスクについた稲垣の背後から、見知った声がかかった。
「この流れで熟睡できてたら、僕も大物っすね」
稲垣は加藤を振り返って笑う。実際、彼の目にはクマができていた。
「ちょっと、倒れたりしないでよ」加藤は稲垣の返答にほっとしたように、笑顔を見せた。
「倒れたら、起こしてくださいよ」
「昨日、起こすの手伝ったでしょ。もう、しばらくはゴメンだわ」
「あ、そうだ」
「なに?」
「業務分担のこと、室長に相談しようと思うんです。加藤さん、あとで一緒に来てくれますか」
少し真面目な顔になって、稲垣は先輩の顔を見上げた。
***
こんばんわ。カツヤです。
もう、配信を始めて一週間になるんですね。最初のうちは、話すうちにネタもなくなって、辞めてしまうだろうと思ってましたが、実際はその逆で。
不思議なもので、あることについて話そうとすると、それをより正確に、わかりやすく伝えるために、無意識にいろんな表現を使おうとするんです。すると、それがまた何か、新しいものへの興味につながって。
気づくと、どんどん話したいことが、増えているんです。これはこの一週間、一番大きな発見でしたね。
さて、と。昨日はゾイドについて、かなり熱く語っちゃったので、ついて来れなかった人にはすみません。
気がついたらまた3時になっていたので、ジングルのあとで手短に昨日の続きを。
ちゃんと終わりまで話しちゃわないと何となくスッキリしないので、興味ない方にはすみませんが、もう少しだけお付き合いください。
それから、今日はちょっと個人的な話をしたいですね。……いやまあ、そもそも全部個人的なお話なんですけど、特にその中でも個人的すぎて、今まで話しにくかったこと。
一週間経って、だいぶ舌も滑らかに動くようになってきたんで、肝心な部分は誤魔化しつつ、うまくニュアンスだけ伝えられそうな気がするんです。
まあ、恋バナ、と言っちゃえば、それまでなんですけど。
さて、今晩もお聞きいただき、ありがとうございます。
BGM代わりに、あるいは寝ながら聞いてもらっても構いません。しばらくの間カツヤのトークにお付き合いください。
終




