第十一夜|祁州無宿
author: 権兵衛
この度の開化ですっかり世の中も様変わりしちまって、一人だけ皆から置いてけぼりを食らったような気分もしたもんだが、最近では何の冥加によるものか人様に剣術を教える仕事を官軍方から……あいや、政府というのか、あやまった。仕事ももらって、ようやくこうして、人並みに腰を落ち着けることができた。
無論たやすい仕事じゃないが、こうして時には、忙中閑あり、特に越年、越盆の折、課業の合間には通うものもなく、無聊の慰めに昔語りなどする暇もある。どれ、今日は特に座学も実地もなし、折よく当主の目もない、夕餉にはまだ一とき半もあるようだし、暇に飽かせて俺の遍歴時代の出来事について話そうか。
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生立ちについては、つまらねえからよしておこう。俺は十四のときに母親が、十六の時に父親が往生したから、若いうちから無宿となった。聴きでがあるのはここからよ。
さは言え、刃傷沙汰や鞘当てに徹した来歴をこれ見よがしに語るつもりもない。人によっちゃ、講釈のネタにしたいから是非に話してくれとせがまれるからひでえ話よ。せがまれると、いよいよもって話したくない。俺は生来どうも天邪鬼なんで。
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その、無宿となった翌年のことよ。そこに至る刃傷沙汰については、言った通りつまらねえから話す気はないが。俺は奉行方の侍に追われていてな、こういう時にうかつに旅籠なんぞに泊まったりしちゃ、その土地の元締の面子もある、旅籠のあるじが俺の人相書に心当たりがないとも限らねえ、面倒事は御免、俺は祁州のとある街道を脇へ入ったところにある山人の祠堂に這入ったのよ。
山人ってのは、知っての通り里のものとは法度が違う、向こうからしたら渡世人も堅気もない、十把一絡げに里人よ、これより先には、入ってくれるなとて、あちらの縄張りと、こちらの縄張りの境にわかるように祠堂を建ててある。
その祠堂が何を目当てとしたものか、さあ、今となってはわからねえな。なんせ此度の戦で、里人は言うも愚か、山人も官賊両軍に分かれ、ともに途方もない数の戦死を出したんだ。昔を知る年寄りも少ないだろう。まいて開化の世となって久しく、村の端に祠堂を見出すこともなし、向こうもそんな仕来たりがあったことなど忘れたようだ、今や泰西の風物に身を浸している、俺らと同じよ。
とまれ、往時の俺にはそんなことはどうでも良い、ただ奉行方の取締出役と、その配下の侍から逃れることだけ考えて、祠堂に這入った。そもそも、山人は祠堂を建てはするが、自身でそれに這入って住まいとしたり、祭礼を行ったりする様子もない。往時の俺たち渡世人は気楽なもので、先に話した通りのしがらみを避け、これらの祠堂をお誂えとて、宿にすることが、よくあったんだ。いや無論、堅気の者がどう思っていたかは知らないが。
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前置きが長くなったな、起こったことだけ話そうか。山人の祠堂は、まずもって入口から体裁が違う。里で言うと、枢戸とでも言うのか、並んだ戸板があたかも縦の閂のように、一文字に臍穴を揃えて、そこに横の閂を通してようやく啓く。それも、枢木の軸に、木蔦というのか、あの細い蔓がびっしりと巻き付いていやがるから始末が悪い。這入るのに相当骨を折ったよ。
おそらくは、組み木細工のような閂を解くあいだに、木蔦の毒気にあてられるのだろう。這入ったあとに祠堂より、一回りも二回りも巨きい数寄屋造りの屋敷がその中に、建っていたなんてこともあった。あとはそうさな、どこからどうやって入ったものやら、大きな角をもたげて箆鹿が一頭、こちらを昵と見ていることもあった。
その時は、中に這入っても特に造作に変わりはない、中に象や麒麟がいたわけでもない。日中歩き通しで、精も根もないほど草臥れていた俺は、さっそく脚絆を解いて行李をほどき、夜具がわりに毛縁の裲襠にくるまり、板間に横になった。
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寝入り端、だったか確とは覚えていない。如何せん夜更けだ。横になって、どれくらい時を経たかもわからねえ、ただ板間の下から声がするんだな。
「……村の馬方の夫婦には子がいなかった。そこで庄屋と詮議をしてな……」俺は、さすがにぎょっとして飛び起きた。あたかも、床下に桟敷でもあるかのように、燻し銀の、それでも四面によく通る声音。
「な……」俺はわけがわからず、出てくるのはただ不甲斐のねえ呻き声。俺が飛び起きたところで、声音ははいっこうに鳴り止まない。こう続いた。
「……養子をとることにしたんだが、馬方夫婦のもとへ連れてきた赤子の名こそ、世に隠れなき迦多演那」
語り口はさながら、当節はやりの任侠ものの謡曲よ。ご丁寧に三味の合いの手まで入っていやがる。しかし語りの筋書きには全く馴染みがない。往時から旅の道連れに傀儡子、盲僧、声聞師どもと宿を同じくすることがあったが、渠等の語るどの筋書きとも似つかない。
俺はしばらく、茫然となってその床下の声音を聞き流していたが、語りはいよいよ山場を迎え、母子の別れとおぼしき件り。「……かばいきれぬと愛想をつかし、夕餉も終わる頃合い、改めて心を鬼にした母親の、檀膩加は倅にこう切り出した」
奇態な名前は幼少のみぎり、亡父が寝物語に語ってみせた沙門の物語を思い出させた。どれも子供らへの戒めの、説教じみたつまらぬ噺で。そう、迦多演那だの檀膩加というのはその中で聞いた天竺の比丘や、比丘尼の名前よ。噺の筋よりも、幼心にその名前が可笑しくてな、その歳になるまで、偶々頭の片隅に覚えていた。
しかし、噺の中身は聞き飽きた説教節とは似ても似つかぬ、言った通りの当節流行りの任侠もの。
いわれなき咎で実の親に放逐された迦多演那、遍歴のうちに神算鬼謀の知己を得て、やがてそれは徒党をなし、奸佞邪心の悪代官を打ち負かす。
いざ仇討ちの段に入るや、謡曲師の噺は真に迫って、軍馬の蹄音は戛々たり、あたかも剣の風を切る音までが、耳を掠めて聞こえるよう。──手前味噌だが、俺とて数多の修羅場を潜り抜け、こと刃傷沙汰にかけては百戦錬磨の自負があった。だが謡を聴くだに、そこに将たる迦多演那の、自ら干戈を取ってなお大局を失わぬ戦上手に、舌を巻いては聞き入るばかり。
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さて、旅の疲れには勝てぬもの。見事悪漢を討ち取った迦多演那の戦捷の段から、故郷の人々がそれを随喜して迎えるに至り、俺は少しばかり眠くなった。途切れ途切れに、その名聞を妬むものの囁き声が耳に届く。俺は眉を顰めてもといた裲襠の上にごろんと転がり、いつしかすっかり寝入ってしまった。
目覚めても、そこは夢の中だった。なぜわかるか。哀れ迦多演那は凱旋のどさくさ、無二の盟友と恃んだ義兄の手にかかって殺されてしまう、まさにその場に俺がいたからよ。
あなやと思う心とは裏腹に、どうしたことか指一本動かすこともままならぬ。
「何の因果で怪異の続きを夢に見て、かかる苦難を目の当たりにせねばならぬのか」相変わらず声音だけの謡曲も、今となっては俺の耳元で鳴り響く。
その声音は明らかに俺のことを謡うのに、ことさら奇態にも思わないのは、夢ならばこそよ。
「これをただの夢と思うな、紛れもなきこの現し世で起きたことよ。ゆめ忘るまいぞ」
目覚めても、最後の言葉はやけに耳に残ってな、俺は朝陽が差し始めた枢戸の隙をぼんやりと眺めるばかり。
祠堂を出るとすっかり明け切って、昨夜と変わらず、俺の他に誰も居らない、また居った形跡もない。どうもうまく奉行方をまいた様子だ。
俺は山人の住まうと思しき北方の山塊を向いて――ここで奉行方に見つかっちゃ、笑い話にもならねえ――誰の耳にも入らぬよう、小さな声で言ったのよ。
「縁故なれば助力仕る。此方も腕に覚えある身」
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それからしばらくの間、俺は祁州には戻らず、塞州のさらに山奥のなにがしという沙門のところに蟄居した。奉行方のほとぼりが冷めるまでの間は。
その沙門、開化前は藩校に永年勤めた噂に高い学者でな、無聊のすさびにこの話をしたところ、そんなら少し心当たりが、と不意に立ち上がって、やがて四つ目綴じのえらく古びた書物を持ってきた。
古籍に疎い俺が切れ切れに目を走らせる、渠の祖父が書き留めたという山人の口伝のなかに、明らかにそれと思しき段を俺は見つけた、無論その名は迦多演那ではなく、謡曲めいた脚色もないが。
「追い払うはずが、御身の同情を買うとは、彼奴らも面の皮よの」一言もなく書物に目を落としたままの俺をよそに、沙門は碩学らしからぬ、下卑た声をたてて笑い出した。
終




