第八夜|無題
author: もっ
見たことも無いほど高い天井。綺羅びやかなシャンデリア吊り下げながら、それはどこまでも広がっている。
足元を見下ろせば、つやつやとした大理石の床。豪華なタキシードとドレスを着て、鮮やかな羽飾りのあしらわれた仮面をつけた男女たちが、美しい布地をひらめかせながら踊り続けている。
上品なクラシック音楽がホールの中に響いているけれど、それを演奏する楽団どころか音楽を流すスピーカーすらどこにも見当たらない。
どこまで行っても壁なんてなくて、ただただ無限に広がる豪華だが古めかしいダンスホールの中、見る目麗しい男女たちが踊り続けていた。
「ねぇ、ここはどこ……?」
問いかけても、こちらへと振り向いてくれる相手はいない。男女たちは汗一つも欠かず、人形みたいに踊り続けていた。
息遣いも、喋り声もなく、クラシックの音色に拍子を打つかのように革靴やハイヒールがコツコツと床を鳴らす音と、タキシードやドレスの衣擦れの音がわずかに聞こえるのみ。
寝間着に使っている安物のショーツとランニングを着ただけの姿でぽつんとそこに立っている私は、完全にこの空間に対しての異物だった。
「わ、わ……っ」
そう、誰も私の姿を認識すらしていない。マスゲームみたいに規則正しく踊り続ける男女たちが互いにぶつかり合うことはなくても、私を避けようとすることもなかった。
素足をハイヒールで踏まれてはたまらない。近寄ってきた男女から慌てて距離を取り、他にやることもなしにと私は歩き出した。
男女らはそれぞれのペアがダンスの邪魔にならぬ程度の等間隔を維持しながら、規則正しく踊り続けており、私はすべすべとした石床のひやりとした感触を足の裏に感じながら、歩みを進めていく。
一体これは何なのだろう。答えてくれる相手が居ないのだから自問するしか無いが、自問したところで気付いたらここに居たという事実があるだけだった。
どれだけ目を凝らしてもホールの壁は見えなくて、鮮やかな色が規則正しく揺れ動く姿が地平線の果まで広がっている。
多少なりとも歩けば壁が見えたりもするかなと思ったが、そうもいかないらしい。
はぁ、と小さく溜め息を漏らしながら、私は再び天井を見上げる。等間隔で設置されたシャンデリアの何個分かは進んだと思うが、あまりにも景色が代り映えしないので、それすらもあまり自信が持てない。
男女ら目元を隠すためにつける仮面はどれも同じようなものだし、普通に見えている口元は正直どれも同じにしか見えない。いくら見回してもタキシードは一種類、ドレスは数種類しかパターンがなくて、こんなにきれいに踊って見せているのに個性と言うものがまるっきり感じられなかった。
綺羅びやかな衣装に身を包む男女らが美しく舞い踊る姿は非日常的だけれど、こうも代わり映えしないのでは、最初に感じた幻想的な雰囲気も詐欺のように感じてしまう。
「あっほくさ……」
そうなると今度はちょっとした苛立ちのようなものが頭をもたげてきて吐き捨てるようにそんな言葉を漏らしてしまう。
なんだか歩き続ける意味も感じなくなってきた。石床の上を素足で歩き続けるのも正直嫌だ。状況に慣れてしまったせいで、雰囲気に呑まれ忘れていた不平不満が溢れて止まらない。
「……」
せめて何か、このつまらない空間への反逆じみたものをやりたくなってきた。思えば小さい頃から退屈というものが苦手で、学校の朝礼なんかでは、おもむろに走り出してつまらない話を続ける校長先生にドロップキックなんぞしたらどうなるだろうか、なんて破滅的な事を想像したりしていたものだ。
懐かしい記憶を思い出すと、なんだかこの仮面舞踏会は、そういった思ってもやらない事を実際に試してみるための場所なんじゃなかろうかと、そんな考えが浮かんでくる。
……そんな、魔が差した瞬間に近くを通りかかったペアが、最初の被害者だ。
「ん、……っ」
日本人の平均的な身長しかない私は、つま先立ちになって背伸びしながら、女性のブロンドヘアに被さる大きな帽子へと手をのばす。
やはり私のことは認識の外らしくて、仕立ての良い帽子を私の手に残したまま二人はするりと通り過ぎていって、美しいブロンドを閃かせながら踊り続けていたが、やがて女性側が足を止めてこちらへと視線を向ける。
「お……?」
やっとこちらに気付いたかと思ったが、その視線は私へ向けられているのではなく、私の手の中にある帽子を見ているのだと気づくのに時間はかからなかった。
男性は足を止めたままで、女性だけがハイヒールをカツカツ鳴らしながらこちらへと歩いてくる。拍子を打つように一定のリズムで響く靴音に交じる不協和音。場を包んでいた調和を乱す感覚に、なんだか妙な高揚感を覚えた。
私は帽子に取り付けられた羽飾りを引きちぎって打ち捨てる。女性は床に落ちた羽飾りには見向きもせず、帽子本体へと向けて歩いてくるのみだ。
今度は、その帽子本体の方を、フリスビーのように投げると、くるくる回転しながら飛んでゆくそれを女性が目で追う。帽子はやがて傾きながら落下していって、別のペアの進路上の床に落ちると、ぐしゃりとハイヒールで踏み潰されてしまうが、持ち主の女性は慌てた様子もなくそこへと歩いていくのみだ。
他のペアを認識しているわけでも無いらしく、道中で他の男女とぶつかって互いに尻餅をつく。転んだペアは立ち上がるとすぐにまた踊り始めるが他の男女らと同期していたリズムはずれ、たびたび互いのコースが重なってドレスがが擦れ合うようになっていた。
帽子を取りに歩き続ける女性はそんな接触事故を幾度も引き起こしながら目的地を目指す。なんだか、波一つ絶たない水面に石を投げ込んで、とこまでも広がってゆく波紋を見つめているような気分だ。
「っ、はは……」
正直、面白い。
女性は踏み潰されてクシャクシャになった帽子を再びかぶると、フリーズしたように直立したままになった男性の方へと踵を返す。
それを見ていると、また邪な考えが浮かんできてしまう。
「よいしょ、っと……」
今度は男性の頭に乗せられたシルクハットへと手をのばす。女性の帽子と違い余計な装飾のないそれを、今度は間髪入れずに投げてやると、男性はそれを追って歩きはじめ、女性の方は男性を追って進路を変えてゆく。
二人の男女はその道中でも繰り返し接触事故を起こして、クラシックの一部と感じられるくらいに規則正しく響いていた靴音が乱れていく。
まるでドミノ倒しのようだ。完璧に調和の取れた舞踏会が崩れていく。転んだ女性のドレスを別のペアの男性が踏みつけ、その状態で立ち上がろうとしたせいで、豪華なドレスがビリビリ音を立てて破れるのが見えた。布地を踏みつけた男性が滑って転び、そのペアである女性もつられて転びながら他のペアにぶつかってしまう。
波紋が、連鎖が、目に見える範囲の全てに広がっていく。その中心でくしゃくしゃの帽子を被った男女が落ち合って、最初に居た場所から遠く離れた場所で踊りだす。
他のペアと重なるコース取りだから、いくつものペアがぶつかり合って転んでは立ち上がって踊りだし、すぐにまたぶつかり合ってを繰り返していた。
私のちょっとしたいたずらを起点にして、世界から調和が失われていく。決まりきった物事が起きるだけのつまらない世界が、一瞬たりとも目を離せない混沌の中に堕ちていく。
「やっば……」
私は笑みを浮かべながら呟いて、別のペアへと目をつける。ひらめくスカートをむんずと掴んでも意に介さないまま踊り続け、綱引きでもするように引っ張り続けるとやがて音を立てて布地が避ける。
ペアはそのままよたよたとバランスを崩しながら別のペアへと突っ込んで、4人が絡み合うような巻き込み事故の様相を呈しながらずっこける。
私はすかさずそこにかけよって、男性の履く革靴を奪い取った。帽子のときと違って靴に執着は無いらしく、男性は白い靴下で床を踏みしめながら立ち上がり、最初とはずれた場所で再び踊り始める。
「んー……」
私は革靴をしげしげと眺める。そのまま履くには少々ぶかぶかだが、隙間を詰める緩衝材には当てがあった。
さっきと同様に他のペアのスカート破り取って布地を拝借すると靴の中に詰めて足を通す。あまり良い履き心地とは言えないが、素足よりはマシだ。
複数のペアを無理矢理動かしようやく確保できたパーソナルスペースの中で、私はとんとんとつま先で床を小突いて靴を足に馴染ませると、にんまりと笑いながら前方を見つめる。
「よーい……」
体育の授業で徒競走をしたときのようにポーズを取りながら呟く。あの頃思い浮かべるだけだった事を、今度は本当にやるチャンスだ。
「どん!」
革靴を鳴らしながら駆け出す。全力疾走をしたのなんて高校以来だが、それでも体は妙に軽く考えた通りに動いてくれる。
体育の授業で運動を強要されるのは好きではなかったが、こうして自発的に体を動かすのは案外と楽しい。
新たな発見を感じ笑みを作りながら私は大きく踏み込んでジャンプをして、空中で体制を変える。
私のことなんて眼中にも無いまま踊り続ける新たな被害者へと硬い靴底を向けての、ドロップキック。
「すっごー!」
鈍い衝撃が伝わってくるのを感じながら、私は大口を開けて叫んでいた。硬い石床に尻餅をついてしまうが、高揚感のせいか不思議と痛みはない。
背中に衝撃を受けた男性が、ペアの女性を押し倒すみたいな下品な姿勢で倒れ込んでいる。
……それを見ていたら、こちらまで下品ないたずらを考えついてしまった。
すぐさま立ち上がると男性のズボンに手を伸ばし、立ち上がらない内に思い切り力を込めて引きずり下ろす。
白くてぶかぶかのスパッツみたいな下着が顕になるが、やはり男性はそれを気にした様子もなく立ち上がって踊り続けようとしていた。
しかし膝下までずり降ろされたズボンに邪魔されて、先程までのようななめらかな足運びは封じられ、女性側とズレを生じさせながら無様なダンスを続けている。
私はそれを指差しながら、腹を抱えてけらけら笑う。こんなに面白いのはいつぶりかというような気分だった。
気付けばもう、周囲に広がる靴音はクラシックの音色をかき消すような不協和音になっていて、そこかしこではダンスペアがずっこける音まで聞こえてくる。
一度出来上がった波は、より大きくなりながらこの無限に続くダンスホールの中で広がっていく。それを想像するだけで笑いを堪えることができなかった。
当初はこの空間の中で自分を異物にしか感じられなかったけれど、今はもう違う。いたずらをきっかけに出来上がった混沌の中心に私がいる。それが面白くて笑いが止まらなかった。
「はっ、あひゃ、ひひ……ッ」
人前では決して見せないような品性の欠いた笑い声をもらしながら、私は考える。
さて今度は何をしてやろう。想像したことのあるようなありきたりないたずらをやり尽くしたら、今度は考えたこともないような過激なことをやるのもいい。
――それこそ、ここでは何をしたって許される。
なぜだか分からないが、そんな確信があった。
「んー……」
目を覚ました私は、酷い呻き声を上げながら背筋を伸ばした。ソファの上で体を丸めて寝ていたものだから、なんだか体中がギシギシと痛む。
目をこすりながら緩慢に体を起こすと、喉に違和感を覚えて背中を曲げながら咳き込んでしまった。
「んっ、けほ……っ」
喉の奥に絡まる異物を手のひらの上に吐き出す。可愛いキャラクターの顔がプリントされた小さな紙切れが唾液で湿ってふやけていた。
ソファー前のダイニングテーブルに乗った水パイプのよこにそれを捨てると、私は大きく背伸びをしながら立ち上がる。
閉じられた遮光カーテンの隙間から光が差し込んでいるのが見える。なんだか無性に光を浴びたい気分になって、私はベランダの方へ歩いた。
しゃーっと音を立ててカーテンを引くと心地よい朝日が体を包む。ぽかぽかとした温かい光を全身で感じながら、ストレッチを兼ねて再び大きく背伸びをした。
「たーのしかったぁー……っ」
終




