第五十一夜|傀儡子
author:権兵衛
二百二十束。
「なんだ、これっぱかりか」
運びこまれた田租のすくなさに、愛宕は眼をうたがった。
愛宕の問いを黙殺して去ろうとした越智に、ぬぎたての沓を振りかぶって思いきり投げつけた。沓は直線にちかい弧をえがいて、越智のあたまに当たった。
「これっぱかりでございますが」
越智が頭をさすりながら、くるる戸のほうをちらちら見やっては、逃げだす間合いをさぐっている。
「ならん、ならん。この度朔の邦に住む以上、なんぴとたりとも租税を逃れることはできぬ。税吏を呼んで参れ」
税吏の牛頭が登場。
「いま、めしを食っていたところでございますが」
「口になにかを含みながら参上するとは、なんという無礼な男であろう。わしは一介の郡代にすぎぬが、帝にかわって政を執る身であるぞ。わしの云うことにさからうとは、おそれ多くも帝のご意思に……」
「わかった、わかりましたよ。で何のご用です」
「田租が寡なすぎるのである」
「これくらいあれば、ひと月は腹いっぱい食えるでしょ」
「牛頭、おまえは莫迦だな。わしひとりで食うと思ったか。この隞のみやこには、わし以外に何人の王族がいると思う。それに、おまえのような盆暗をはじめとする諸官諸侯が、何百人いると思う。それ、そのおまえの食っている肴菜とて、ただではないのだぞ」
「御意にございます、郡代閣下。やれやれ、とんだ大口舌」
「なにか、言ったか」
「いいえ、何も」
「あれ、さっきまで此処にいた珍竹林はどこに行った」
「愛宕さま、わたしは此処でございます」
「越智よ。お前はあたまを下げると、とたんに見えなくなるな。あやまって踏んでしまわぬとも限らない。それ、そうやって、いつも背骨をしゃんとして立っておれ」
「しかしそれでは、さすがに礼法に悖ります」
「扨ても扨ても、しょうもない処で律儀なやつだ。ねがわくばその実直を、徴税のおりふしに揮ってもらいたいものだ。どれこのわしが出向いて、手本をみせて進ぜよう」
「え、愛宕さまじきじきにで、ございますか」
「当然じゃ。実地にことにも当たれぬものが、いかで諸官に長たるべき。おまえたち、百姓どもを前にしても、決してわしの身分を明かすでないぞ。郡代の身分を笠に着たなどを思われては癪に障る」
かような経緯があったればこそ、いばりんぼうの郡代が丞相と税吏を引き連れ壟畝へとやって来た次第である。
道々牛頭の云うには、長雨のあとの旱天で、稲が思うように育たなかったのだという。
「しかしわが邦には幾万もの民がいるのだぞ。お前たち税吏がかけずり回って、ひっかき聚めて、ほんの二百束そこらにしかならぬ為体」
牛頭も越智も、愛宕のいやごとを耳にしつつも、なにかもの云いたげな顔をしたまま黙って駒をすすめるばかり。
「まったく、つごうのわるい時にこそ聾か、唖になりおるのだから」
「愛宕さま」
仏頂面を提げたまま、越智は征く手の崖に穴居する漂泊民の集落を指さした。
***
「おや、ここにこんな邑があったとは」
呑気にかまえる愛宕に、つまらなそうな貌のまま、越智が注進した。
「愛宕さま、こいつらは漂泊民でございます。今日ここにこうして在っても、もう明日にはどこへともなく流れゆくような、そんな当てにならない連中でございますよ」
「なんとなんと。そんな気ままな連中が、わが度朔の邦にいようとは」
「また、あんなことを云って。先にも何回かご注進申しあげましたはずですがね」
「して、何ゆえわしを此処へ連れてきたのだね。田租ならば百姓の……」
越智はもうそれには応えず、黙ってどんどん階梯をのぼってしまった。
愛宕のうしろで税吏の牛頭がため息をつく。
「まあ、行ってやつらの話をきいてごらんなさい。少しはわしらの気苦労が知れるでしょうから」
相変わらず無礼なやつめと、愛宕はうしろをゆく牛頭を頭ごなしに叱りつけ、やはり階梯をのぼってゆく。
すでに述べた通り、漂泊民の集落は断崖をうがち、風雨を避けるばかりの簡素きわまりない造り。そこへ階梯とは名ばかりのなわばしごをかけ昇り降りするようすは、あたかも芋虫が猛禽をさけ、糸を吐き吐き、枝からつたい降りるような、そんな滑稽なふぜいであった。
ひときわ大きな窖の入り口までたどり着くと、牛頭は愛宕をうながして、即席の地面へと降り立った。
「なんだ、また新しいのを連れてきやがったな」
窖の奥から鈍重な、それでも押し出しのきいた声がした、その返す刀に牛頭が身をのりだし、拳をかためて暗闇に向かってすごんで見せた。
「いいから出てこい、この盆暗め」
そのあまりにも身も蓋もない示威行為に、愛宕は笑いだすことすら忘れて、ただきょとんとした貌のまま窖の奥に目をやった。
***
「けっきょく、こいつら租税の何たるかを」少しずつ機嫌を戻しつつある越智が、愛宕のかわりになぜか上座に居すわって、ぷかりと煙管をくゆらせた。「判っとらんのです」
その隣には、上座を越智に明け渡した首長の羽黒が、不本意そのものの表情を浮かべたまま、窖にようやくおさまり切るほどの巨躯を丸めている。
「お前らが――」
不機嫌そうに羽黒が口火をきったその刹那、返すがたなで差しむかいに腰をおろした牛頭が大音声を轟かせた。
「黙っていろ、この唐変木め」
当の牛頭本人をして驚かしむる音量である。他の面々の恐慌においては推して知るべし。
牛頭君も太初からこんな権柄ずくであったわけでない、たしかに最初のうちは右どなりにすわる越智か、あるいは左どなりにすわる愛宕と同様、なんとか平和裡に渠等と打ちとけ、四季折々に山海の美味佳肴を主君のため、国家のために貢納せしめん、そう腐心した若々しい時代もあったかもしれない。しかしながら、その血のにじむような積みかさねをことごとく裏切られ五年もたてば、たださえ短気な渠の堪忍袋が今さらぷつぷつと切れはじめるのも無理からぬことであった。
「では、お手本を」
一息ついて牛頭が傍らの上官殿に水をむけた。併しながら予め思いえがいた職掌とは大に隔たりを感じていた愛宕、それに応えず、かわりにぼそりと苦言を呈した。
「さは云え、わしは百姓に田租をだな――」
「愛宕さまのおっしゃる幾万の民草、こいつらも入っているのでございますよ」言下に牛頭が、愛宕のちょうど耳もとで声を殺した。その傍らで越智が云う。
「この度朔の邦に住む以上、なんぴとたりとも租税を逃れることはできぬ。先刻愛宕さまはそうおっしゃいました」
「う……」
生まれながらの漂泊の徒に、田夫とおなじき因習を教えこもうには、それこそ何年あっても――。
言いかけた弱音は、目の前にに居直る麾下のものの視線と、出かけるまえに自らが云いつのった大言壮語のために、喉を出るまえにしおしおと萎え、腹におりて行くのを愛宕は感じていた。
羽黒は羽黒で要領をえぬまま、あくまでも性質のわるい賊に目をつけられた体。しばらく回らぬ頭を無理にかき回しては、途方にくれたような顔つきで天を仰いだ。
「清滝」
覚悟をきめた様子で羽黒、奥の間の暗闇にうすぼんやりと浮かびあがる木戸にむかって正妻の名を呼んだ。
***
出てきた女子は合わせて六人、いや七人いただろうか、入れ替わりに酌をするやら傍らに寄りそい品をつくるやら、どれが本物の清滝で残りが渠の妾やら、皆目見当がつかない。
つまるところ、首長たる羽黒のついに悪逆非道なる山賊の軍門にくだり、妻を、身内を犠牲に一世一代の色じかけに出た――租税どころか国家すらも埒外の渠にとってはおおかた、そんな筋書きであるにちがいなかった。
もとより越智と牛頭、まといつく女子衆を歯牙にもかけるようすがない。身ひとつ来ようものならまだ話はべつであるが、いまは目のまえに上官どのが鎮座ましましているのであったから、どんなに色目をつかわれても、とにかく眼をかたく瞑りやりすごすしか術はないのである。
そんな兇悪なる賊衆のそぶりを看てとったか、あるいは天性の勘というべきか、女子衆は渠等三人のうちいずれが頭目であるのか知りつつあった。
すなわち牛頭と、越智のもとからあたかも潮がひくように女子衆がはなれてゆき、そのねらいを頭目たる愛宕にさだめたのであった。
名誉ある郡代閣下とても、ひと皮むいてしまえばひとりの男子である、加えて愛宕は男子のなかでも特に腎張なほうであった。愛宕は内心歓喜にむせびつつも、やはりそこは部下のてまえ、太腿にぐっと爪をたてて我慢する。耐えて耐えてそのあげく、ついに理性の緒が絶えてしまうかに見えた、その刹那。
「もうよい、お前たちは、後ろに下がっておいで」
見ればなにやら思いつめたような表情で羽黒が直々、愛宕のもとにいざりより、否も応もない、ぐっと握った手を力まかせに手前に引いた。
「おい、やめろ」
かわすいとまも、あらばこそ。越智も牛頭も、郡代閣下が自分らの名をよぶために絞った咽喉が、何かほかのもので奥までふさがれたように聞こえた。
「なにをいまさら。御身の本懐は、これであろう」
「ちがう、ちがう」
気をきかせた清滝が――否、妾のひとりかもしれないが、奥の間のあかりをすべて落としたために、ふたりの声だけとなったそれは、ふしぎなことに趣深くさえ感ぜられてくるのであった。
主人が本懐をとげたいま、いかで配下のわれわれが拱手傍観できようか。越智と牛頭は、それぞれ傍らにいた妾のひとりと――否、もしかしたら清滝かもしれないが、手をとりあって別の穴居へと消えていった。
終




