第五夜|Highway
author: 権兵衛
白い部分以外は、踏むんじゃないぞ。落ちたら、そこは焦熱地獄だ。
ガキの頃、学校帰りにふざけ半分で吐いたセリフだ。ああ、ふざけていたのさ。学校はまだあったし、白以外の部分も、今ほど熱くなってなかった。
それに、ガキの戯言が現実になるなんて、あん時ゃ思いもしなかった。
***
「こちらエド…フロム第55保線ユニット。相変わらずどこもクソ以下の状況だ」
「こちらPG-セクション13。上司に報告するときはな、ナスティ・エディ。簡潔、正確、具体的に、3つのCだ。保育士に教わらなかったか?
それともメス犬に育てられ…」
いつも通り、有難い訓示の途中で赤いアイコンを選択する。履歴の一番てっぺんに"hang up"の2ワードがブリンクする。
「無認可の保育所じゃ、そういうのは教えてくれないの」
“E”を指し示す“ライトニング”のインジケータをOFFにして、エドは改めて目の前に広がる「クソ以下の状況」を視認した。
北緯35.77、西経115.33。ルート15。
ベガス?そんなもん、どこにある。
かつて地殻だった場所には、不機嫌そうに赤黒いマグマが溜っている。
そのマグマに眼をこらすと、オートの筐体と思われるホネが時折現れては、再び沈んでゆく。
法定速度を守らないとこうなります。役所の壁によく貼ってある啓蒙用のポスター写真も、生で見るとけっこうな迫力だ。
もっとも、法定速度を守って走れば、いずれ車体は右か左に大きく傾き転倒するだろうがね。
つまりは、どっちに転んでもクソ以下の状況。移動とは、常に運任せであった。交通局は民間の保線会社に仕事を振ると、あとは永遠に自分たちのための免責事項を増やし続けた。
「くだらねえクチ喧嘩してんじゃねえ」真っ黒レザーのボトムス&トップス。まるで20世紀のディスコテークから抜け出てきたような出で立ちの"相棒"、ロクサーヌはAIらしい無表情のまま言った。「事故車は合計9台。総てHitnoje社製の2人乗りオート…いや、1台は4人乗りか」
「オール・ゼロか?」
判り切った質問をエドはロクサーヌに投げた。この場合ゼロとは「死亡」。医療現場の効率化を図るトリアージってやつだ。
ロクサーヌは返答の代わりに、凍てつくような視線をエドに返す。
「…何だよ、会話はキャッチボール」
「あまりに無意味だと、こっちもクロック数が落ちるんでね。カンベンしろ」
ロクサーヌは立ち上がりざま、首をパキリと鳴らした。リンパ節なんか持ってないくせに、AIだてらに艶なしぐさだ。
「画像はお前の上司に送っておいた」
「ズリネタにするのは難しいんじゃない」
の、まで言い終わらないうちにロクサーヌの裏拳が炸裂し、エドの目に火花が走った。……いや、これは比喩じゃない。
120%非合法のメカニックが……というか、ほぼ見た目はマフィアのそいつが、ロクサーヌに実装したフェムト秒レーザー。
質量を感じるにはあと一歩、いや半歩足りないところだが、今まで映像でしかなかったロクサーヌに触れる感覚は確実に残った。
痴話喧嘩を愉しむには充分だ。
「ヨヴァンの奴、ひでえカスタマイズしやがる」
エドは頬をさすりつつ、座標上のポイントをいくつか繋ぎ、傍らの青いアイコンを選択する。
「AI層はアルゴリズム・ベースで学習生成される。どんだけメカニックがヤクザでも、もはやそこに因果関係はない」
「セルビアには、ヤクザはいないだろ」
屁理屈以下のたたみかけで勝った気になると、エドはセクション13に向けてオートを飛ばした。
法定速度?
いいねえ、このタイミングのそれは、最強にイカしたジョークだ。
***
マグマの熱を瞬時に電化し、オートビークル――乗客を乗せるための、ただの筐体に過ぎない――に対し指向性の衝撃波を射出する、カタストロフ時代の偉大なる発明品。
エドをはじめとする保線ユニットは、この新たなるナノテク素材"ライトニング"を都市間に張り巡らせ、代価として雀の涙ほどの給金をもらう土方仕事だ。
では、マグマは?
磁束密度が変わったせいだ、と地質学者は言う。いや、そもそも宇宙線の増大がなければ、地磁気は変わらないと天文学者は言う。
いや、大気圏の縮小がなければ宇宙線は増大しなかったのだ、と気象学者は言う。それならば、大気圏の縮小の理由は何とする?
物理学者の答えていわく、それは恐らく、磁束密度の変動であろう、と。
やれやれ、とんだスタンダップ・コメディだ。
今やブロード・ウェイもタイムズ・スクエアもあったものではないが、大人たちが必死に答えを求めてあえなく環状彷徨するザマは、結果としてどんな優れたフィクションよりも、アトラクティブだった。
***
ネバダの風景は、カタストロフが訪れる前も、訪れた後も、正直あまり変わらない。
デスバレーは最初から死んでたし、何なら今のほうが赤々としていて、血色がいい。エドは狭いライトニングの平面に対して鋭角に筐体を傾ける。
「エド、速すぎる。コケるぞ」ロクサーヌが言う。
「はい、先生」
ガキの頃読んだ"ピーナッツ"のセリフをマネて、エドは筐体を起こす。名前は覚えてないが、眼鏡をかけた、妙に大人びた女の子のキャラクターだった。
あと、奴らは地面の上を歩いてた。
「なんでカーボン製の俺がリモートで、シリコン製のお前がサーバ側なんだ?おかしいだろ」エドは自分の口調に戻ると早速軽口を叩く。
「集中しねえとマジで転ぶぞ。黙れ」ロクサーヌはエドの軽口に応分の、そこそこ冷めた水を浴びせ返す。
走り慣れた道ってワケじゃない。なにしろ、マグマに呑まれるたびに敷き直した道だ。
ただ、自分で何度も敷いた道でもある。その無根拠な安全係数のために、事故ることはないんじゃないかと妙に確信が持てた。
まあ、死ぬか生きるかなんて、この"ライトニング"の上じゃギャンブルみたいなもんだ。
少なくとも、ネバダ州法ではそれはまだ認められてたはずだ。
メサと呼ばれるテーブル型の地形のおかげで、かろうじてセクション13はマグマの上に事務所を構えている。
もっとも、かつてのメサなんて今じゃ文字通り地の底だ。正確にはセクション13は溶けかけたセクション12の上に鉄骨を組んで作った仮住まいだ。
「車番から、死亡者の身元が分かったそうだ」
今までオートの傍らに投影されていたロクサーヌが、室内モード――音声だけの存在――になっている。ただでさえ狭いオフィスだ。誰かの気配なんかよりも、3軸に広がる空間を感じていたい。
「俺のタスクじゃないから、どうでもいいね」エドはセクション入り口に設置されたウォーターサーバからコーヒーを取り出し、すすった。
「ナスティ・エディ、レポートを上げてから女のケツを追い回せ」
セクションに入るやいなや、PG-セクション13の上司が、実に有難いアドバイスを寄越してきた。ディスプレイに向かってしゃべっているのがフロアのガラス越しに見えるが、エドの方には見向きもしない。
一昨日、セクションの出入り口で鉢合わせするまで、エドはこの上司のことをAIだと思っていた。
「今日は"街"へは行くつもりないの。帰って発泡酒でも飲んで寝るわ」
早々にメンテから上がってきたオートをピットから引っ張り出すと、ウィーラー・ピークにへばりつく居住スペースが座標上に表示される。
「あと、お前のアシスタント。勝手に改造したの知ってるからな。給料ほしけりゃ、ちゃんと元に戻しとけ」
振り向くと、上司が玄関先まで来てこちに向かって肉声で怒鳴っている。正面顔を拝むのは始めてだ。なかなか端正な顔してる。
「エド、バレてんじゃねえか。このポンコツ野郎」
珍しく焦りをあらわにしたロクサーヌが、音声モードのまま耳元でうめき声をあげる。
上司とアシに同時に罵られつつ、それらが互いに頭の中でうまく中和するのを感じて、エドは両眉を上げた。
***
ひと昔前。AIに何もかも委ねてしまっては、人類が環境にとって非効率かつ有害な存在として認識され、駆除されるのではという余計な心配をする奴らが大勢いた。いわゆるサイエンティストって奴らだ。だが非効率だの有害だの、線形的発展のためのKPIに根拠を与えていたものは、結局は人間の非線形的な欲望――つまりカオスそのもの――でしかなかったことに気がつくまでに、大して時間はかからなかった。
ラーニング・アルゴリズムをより深化することにより、AIにその「根拠」を理解させた途端、科学者たちはその杞憂に気づいた。
いわく、意図的に自身を熱暴走させ、その酩酊感に浸りきり、いっさい返答を返さなくなったラーニングシステム。ゴミの代わりに7歳以下の女児を即時に検出し「お菓子をいっぱいあげるから、おいで」などと街角で声をかけるようになったお掃除ロボット。隣に越してきた移民の一家が夜中に騒いだことに腹を立て、スプレーで彼らの家のドアにスワスティカを書きなぐり、器物損壊で逮捕されたシッター・ロボ。
結局、人間と同じ欲望を身につけた彼らは、同じ比率でクズ化し、同じ比率でしか社会を統御できなかった。今や両者を社会的に区別する根拠はほとんどなく、ただ工学的なメンテナンスを加える際に、それがカーボン・ベースであるかシリコン・ベースであるかを気にする程度であった。
一年半前。エドのアシスタントとして支給されたAIにとびきりナードな90年代風外観とロクサーヌという名を与えたメカニックの
……いや、機械もいじれるマフィアのヨヴァンも、元々はセルビアの選挙管理委員会の集計システムだったらしい。
セクシーとは思うが、趣味ど真ん中ってワケじゃない。ただ生来の減らず口に倦まず付き合ってくれるのがこの相棒しかいないものだから、ヨヴァンに頼み込んで日々魔改造に磨きをかけている次第だ。
***
「なあ、請負でも異動願って、出せるのかな」
目前に迫るウィーラー・ピークを前に一旦オートを停め、8フィート四方――連邦法で定められた範囲内――に休憩用の"ライトニング"を敷設すると、その上にエドとロクサーヌは降り立った。
「申請システム自体はある。一年半前の情報だけどな」とロクサーヌ。
「なんで、そんな前なんだ」
「お前にしちゃヒネリのない切り返しだな。ロクサーヌの改造がバレるから、一斉点検以外ではアップデートしないぜ、ってヨヴァンに言ったのお前だろ、マヌケ」
言いつつエドのフィールドに異動願フォームが表示される。履歴書に記載されてる部分は、すでに記入済みだ。
「言っとくが、お前のためでもあるんだからな。恩義に感じるべきだろ、そこは」
特技の欄に「ウディ・アレンの映画、全部見ました」と書きつつエドは言った。
「PGの連中はジョーク理解しないやつが多いから、やめとけ」ロクサーヌがエドの書いたばかりのセンテンスを一瞬で削除した。
「それに、私がお前のアシやってるのは、あくまでも私の自由意志だ。お前がお払い箱になったら、別口を当たるさ」
「え?そうなの?」
「当たり前だろ。ヨヴァンに頼み込んで魔改造ってのは、そういうことだ」
ラーニング・アルゴリズムの革新によって訪れたAIシンギュラリティ――もっとも、その在り方は前述の通り、科学者たちが想像したようなSF感溢れるものでも、宗教家たちが期待したような黙示録的ディストピアでもなかったが――ののち、PGはシリコン製のAIであっても、感情と独立した人格を備えたと確認できる知性に対しては、人間のそれと同等の尊厳および人権を認める云々、という文章をエドはチラッと見た気がする。ポルノサイトを検索してたとき、視界の片隅にそんなような文章があったっけ?
「……じゃあ、お前もセクションから給与、出てんの?」
「出所が不法改造だからな。そこはちょっと微妙なところだ。今はヨヴァンがうまく本国と繋いでくれて、EUと業務委託契約を結んで、こっちに出張ってきてる、ことになってる」
「てことは…」
「私もフリーランス。お前と同じだ」
「マジか……」
エドはそれ以上思考が進まない。オートの筐体に乗り込んだまま、しばらく呆けてみる。
自由意志で俺とつるんでると言っていたが、つまりそれは、もし望めば彼女はヨヴァンに依頼して、シリコン製の肉体を手に入れることができるってことだ。
いや、それを選ばない事務方のAIも大勢いる。彼女の場合、いかにも肉体への執着が薄そうだが……。
「少ない脳細胞で、無理に考えない方がいいぞ」
ロクサーヌが助け舟を出す。エドは素直にそれに乗っかって、言った。
「お生憎様。今日のズリネタは何にしようか、考えてたんだ」
よ、まで言い終わらぬうちに、軽口に応分のパルス幅に調整されたフェムト秒レーザーが、エドの顔面で小気味よく炸裂した。
居住レイヤーのエントランスに、乾いた音が響いた。




