危険な刺客、五体の虚兵
乾いた風が吹く、湿地帯のある北側から風が吹いているのにもかかわらず、その風には湿り気がほとんどないようだ。湿地帯と荒れ地の間にあった岩山などの障害物が、荒野に吹き込む風から水分を奪いでもしているみたいに。
日差しが強くなってきた。
荒れ地の上空だけは常に晴れているとでもいうのだろうか、空を見上げると雲一つない快晴。
いままで土砂降りの雨を降らせていた雲はどこへ消えたのか。湿地帯の上空でそれは、忽然と消え去ってしまったみたいだ。
「あの忌々しい『陽炎の翼もつ眼』とかいう天使が用意した雨雲だったのか?」
あるいはこの赤土の地面がある場所には、空気に含まれる水分をどうにかする力でもあるのかもしれない。
涼しい風と強い日差し。
旅をするには快適な天候だったが、南へと向かうだけで、風景に代わり映えのしない場所を歩くのは退屈になってくる。
俺は魔術の門を開いてしばらくそこで作業をしていたが──
突然、体の方が危険を訴えてきた。
何事かと調べてみると、何者かの視線を感じている様子だ。
(天使の視線か──⁉)
そう思ったが聴死の反応はない。
天使が見ているのではない感じだ。
(では──魔神か?)
その可能性が高いように思われた。
もの凄く微かで、相当に警戒していなければ気づかないほどの異質な視線。それは異なる次元から注がれる敵対的な視線だ。
(まずいな、まさかまた──)
異界化して閉じ込める気ではないだろうか。そう考えた瞬間、それは起き始めた。
視界が揺らぎ、時が止まった感覚になる。
見えていた物の色が灰色や赤色に変色し、上空で獲物を探していた鳥が停止したまま動かない。
「おいおい、またかよ」
聴死の感覚が遅れて警告を発してきた。
いったいこの相手はどこから仕掛けてきているのか、配下を送り込む為に幽世から見ているなら、幽世に赴いて叩かなければならない。
この異界化を引き起こしている魔神に敵うとも思えないが、いつまでも異界に取り込まれて、一方的に攻撃される事に腹が立ってきた。
かなりの危険を訴えているのだろう、心の中がざわつくのを感じる。
ずるずると音を立てて、なにかが赤黒い光の中から現れた、──全部で五体。
「やべぇぞ、こいつは……!」
俺はそいつらの出現した場所から離れつつ、相手の解析をおこなう。
どうやら魔法を使う者、魔法による攻撃を受け付けない者など、それぞれの個体によって違った性質を持っているらしい。
かなり危険な力を持つ、全身鎧を纏った虚兵五体がゆっくりと剣や槍を構える。
聴死の感覚が、こいつらと正面からぶつかれば、俺は間違いなく死ぬと警告している。俺自身の持つ戦士の感覚も、こいつらとまともにやり合ってはいけないと訴えていた。
前衛で剣を構える三体の虚兵が同時に、手にした武器に物騒な付呪をおこなうのが見えた。剣の刃に手を翳し、暗い色の発光に似たものを纏わせる。
見た事のない魔法だが、おそらく魔法による防御などを無力化する力を宿したのだろう。あるいは霊的な破壊をおこなう力を付与したと思われた。
(最悪だ……!)
近くの岩の陰に待避する。……いや、ここに隠れていても仕方がないのは分かっている。反撃の手立てを考えなくては──
まずは己に魔法による強化を施す。戦うにしても逃げるにしても、多少の筋力は要るものだからな。
続けて影の中から青い宝石を取り出す。
宝石の力を使い、光の精霊と呼ばれる守護者を呼び出し、自分の身を守らせる事にした。
送り込まれて来た虚兵を退けるには、各個撃破するしかない。五体まとめて相手にするなど自殺行為だ。
がちゃがちゃと鎧の音が近づいて来る。
俺は魔剣を抜くと覚悟を決めた。
相手の一体が炎の魔法を撃ち出した。弧を描いて落下してくる炎の球を無視し、岩陰から飛び出すと、光の精霊を魔法を撃ち出した奴に向かわせ、俺はその近くで剣を構えている奴に接近する。
振り下ろされる暗い光を纏った剣。それを躱して腕の関節を狙って切り裂く。
正確で素早い一撃を繰り出したが、それを腕を振り上げながら体を反らす格好で躱された。
隣の虚兵が大きく踏み込んで剣を薙ぎ払う。
その剣先をひらりと躱して後方へと退避した。
光の精霊は虚兵を攻撃したが、鎧をへこませただけに終わったようだ。
精霊は暗い光を帯びた剣の攻撃を受け、かなりの損害を負ったらしい。金属の体に傷が付いている。やはり防御魔法を弱まらせる付呪を剣に掛けたらしい。
光の精霊は腕を広げ、正面に居る三体の虚兵に向かって衝撃波を撃ち出した。それは光の針のような閃光。
細い針状の光が虚兵の鎧に何本も、何十本も突き刺さり、精霊が「バシンッ」と手を叩くと、その針が爆発を起こす。
「ォオオッ!」
俺は大きくよろめいた虚兵に素早く接近すると、首を薙ぎ、体を回転させてさらに胴体を渾身の力で斬り裂いた。
耳障りな金属音が鳴り響き、斬り裂かれた部分から青紫色の光が噴き出し、一体の虚兵が倒れ込んで動かなくなる。
「うぉっ⁉」
そこに別の虚兵が襲いかかる。
鋭い振り下ろしからの突き。
その鋭い突きを受け流しながら、相当な手練れを相手にしているのだとあらためて認識する。
「こいつらも、元は人間の戦士だったのかもな」
あの黒い魔物が操っていた戦士とは比べものにならないくらい、相当な訓練を受けた戦士だと感じる。その魂を組み込んだ虚兵なのではないだろうか。
倒した虚兵の鎧が影の中に飲み込まれて消えた、送り込んできた奴の元に戻されたのだろう。
残り四体。
まだ奴らは連携を取れていない様子を見せる、付け入るならそこだろう。後方に居た槍を持つ虚兵が前に出て来て突きを繰り出す。
俺と光の精霊はそれを同時に躱し、反撃した。
残っていた魔法石を投げつけ、剣を手にする虚兵の出鼻を挫く。
爆炎の炎と衝撃を受けて二歩後退させると、その間に呪文の詠唱に入る。
「アゥディルム、ガディス、力と暴虐、礎となる破壊、打ち付けよ『巨人の腕』!」
槍を持った虚兵が突っ込んで来て、突きを放とうとしたが、突如あらわれた巨大な手に掴まれた。地面から生えたみたいに巨大な腕が伸び、捕まえた虚兵をぎりぎりと押し潰しながら、近くに居た剣士の虚兵を殴りつける。
ところが剣士の虚兵は身を翻すと、くるりと側転し、胴体を中心にしての遠心力を利用して攻撃を回避する。全身鎧を身に着けているのにもかかわらず、鎧の重さを利用した異質な回避行動で巨人の拳を躱したのだ。
地面に叩きつけられたのは握り潰された槍の虚兵。
巨人の腕が消え去ると、地面には虚兵の鎧だけが残された。
隣で二体の虚兵を抑えていた光の精霊だったが、槍と剣の攻撃を受けてこの空間より退避する。
残り三体。
しかし剣士の虚兵の一体は、特に戦闘経験が多い者のようだ。危険を敏感に感じ取り、こちらを警戒して間合いを計り始める。
他の二体も用心し間合いを取りながらも、じりじりと間合いを詰めてくる。
これほどの手練れを三体も同時に相手をしなければならないとは、俺の背中には冷たいものが走り続ける。それでもやらねば──負ける訳にはいかない。
先に動いたのは最も手練れの剣士。体を左右に振り、間合いを詰めて来る。
「びゅぅんっ」と顔の前を剣先が通過する、間合いを詰められた瞬間に、俺は体を半歩後退していたのだ、それがなければやられていた。
「ガチィィィン」
音が重なって一つの長い響きのように聞こえる。
前衛二体の同時攻撃を剣で捌き、なんとか後ろへ下がって回避する。左手を突き出し、呪文を省いた簡易魔法を放つ。単純な爆発を起こす魔法で攻撃範囲も狭いが、簡易魔法に設定しても威力はそこそこある。
「『業炎』!」
それを戦士たちの出鼻に向かって撃ち出したが、一体の魔法を弾く者が前へ出て、反撃をしてきた。
続けて槍が、剣が、しまいには風の衝撃波を撃ち出す魔法まで使われて、俺は後方へと押し戻されてしまう。
三体の連携を止めなければ……じりじりと後退しながら、魔法や剣技を効率的に使って相手を撃破する方法を模索する──いや、迷走する。
俺の思考はこれだという解決策を見出だせない。
焦りを押さえ込んで考えても、手練れの剣士がそれをさせない。素早く間合いを詰めると、凄まじい連撃で俺を追い詰める。激しい攻撃を凌いで後退に後退を重ねながら、なんとか踏み止まった。
もう一体の剣を持つ虚兵が攻撃してきた時に、奴の横に回り込みながらその脇腹に蹴りを入れ、手練れの剣士の体に重なるよう仕向けた。やはり甲冑を蹴った感じでは中身は空だろう。──さらによろめいたところに魔剣を振り下ろして損害を与える。
止めは刺せなかったが、武器を持っていた右腕を切断する事ができたのだ。
「ぐあっ⁉」
しかし一瞬の隙を突かれ、俺の腹部に槍が突き刺さる。
突きがくると察知した瞬間に、影の槍を打ち出し反撃をしたが──遅かった。槍の穂先が俺の腹部に刺さり、えぐったのだ。
影の槍を受けた戦士は腹部を激しく打ちつけられ、後方に飛ばされたが、装甲を破るまではいかなかったようだ。
痛みに堪えながら数歩下がりつつ剣を構える。
即座に腹部の傷を治癒したが、痛みが消えない。傷を修復した箇所が熱を帯びる。
痛みを無視しても、目の前の現状は変わらない。
圧倒的不利。
腕を斬り落とされた戦士は左手に剣を持ち替えると、もう一人の剣士と位置を変えて襲いかかってきた。
合間に槍の突きが繰り出される三体同時の攻撃、こちらは回避と防御をおこなうので精一杯で、反撃をする間もない。
剣を弾いたところに、剣士が魔法を撃ってきた。片手を腰まで引き、下から打ち込んでくる一撃。
突き出された掌から数発の魔法の矢が飛び、俺の体に打ちつけられる。魔法障壁によってある程度は威力が軽減されたが、後ろに飛ばされて岩にぶつかり、呼吸が一瞬とまる。
そこに剣士の暗く光る刃が突き込まれ、回避しようとした俺の肩を貫いた。
「ぐぅぁぁっ!」
剣士の腹部を蹴りつけ、相手を後ろへ押し戻す。
「‼」
この手練れの剣士は……中身がある。虚兵だと思っていたが──他の虚兵とは違い、中に肉体を持っているようだ。
痛みを堪えながら、背後の岩から離れて横に移動する。
傷を癒したが左手がうまく動かせない。
(こうなったら……魔眼を使って、一か八か──手強い剣士を倒すしかない)
俺は岩場を左手に迎え、奴らの動きを誘導し、ゆっくりと下がりながら戦士を迎え撃つ。相手が攻撃にきたが、剣で弾き受け流す。槍を持った戦士がしゃがんで鋭い突きを打ってきたのを、間一髪のところでそれを躱す。
そこへ剣士が間合いを詰め、剣を振り下ろしてきた。
「喰らえっ!」
左目の魔眼に魔力を集中させ、下から正面に向かって薙ぎ払うように赤紫色の閃光を撃ち出す。
ぎょろりと剥き出した眼球から放たれた力が、剣士とその後方に居た槍を持つ戦士を巻き込んで弾け飛ぶ。
空気を裂く音が響き、戦士たちの間に静寂が通過する。
なんと、魔眼から撃ち出された閃光を、突進して来た剣士はすんでのところで躱し、その後方に居た槍使いだけが腹部や胸を切り裂かれて崩れ落ちたのだ。
「ぐぎぃいぁあ……!」
左目を押さえ、後退する俺。
集積した魔力を魔眼から直接撃ち出すと、これほどの反動がくるとは……痛みで左目が開けられない。
だが、威力は折り紙付きだ。撃ち出される速度も速い、だが──
「それを躱すとはな……」
ぶすぶすと音を立てて煙りを上げているのは、槍を持っていた戦士の切り裂かれた鎧。そして剣士の持っていた剣だ。
剣は下半分を残し、魔眼から放たれた力によって、焼き切られたみたいに煙りを上げている。
しかし、これで──
「残り二体」
絶体絶命の窮地には違いないが、まだ俺は倒れていない。
魔眼に溜められた魔力を解放した事で、魔眼から繋がる魔力の経路が損傷を受けたらしい。それが痛みとなって神経を伝わる。
次の手を考えなくては……後ろに下がりながら剣を構えていると、周辺の様子に変化が現れた。
異界と化した荒野の中に、突如として石の柱が現れたのだ。
地響きと共にあらゆる場所から石の柱や壁が生え出てくる。灰色にくすんだ、古い建造物が現れ出て、異界の中に別の異界が侵食し始めたようだ。
危険な敵に立ち向かい善戦するレギ。
しかし追い詰められていく──そこに、なにかが起きはじめ……




