冥府の街ソルムスでの再会と、白子の侍女
そんな具合に苦労して解析する事に成功した天使の遺物から、天使を攻撃する為の手段の構築について考えを巡らせる。
物理攻撃にしても魔法攻撃にしても強力な防御力を持つ、「天上の防壁」とでも言うべきものを突破するくらいに強力な、圧倒的な力を行使できなければ、天使の守りを超えて損害を与える事はできないだろう。
だがこの防壁を弱体化、無力化する事ができれば……
単純に考えればこちらの次元へと引きずり込む事だが、それは難しい。上位存在を──位階の低い相手であっても──低次元領域に閉じ込めるなど、そう簡単ではない。
結界を張ってそこに封じ込められれば、精霊魔法などでも損害を与えられるだろうが。それほど大きな結界を張るのは難しい、相手によっては結界を破られる場合もあるだろう。
天使の防壁を効率的に無力化するのは、防壁の反発する効力を中和すれば可能だと思われた。
外部からの力に反発し抵抗する力を失わせる。防壁を張らせたまま、その防壁に阻まれない力で攻撃する。
天使の羽根を調べて分かった事だが、光輝の上位存在も、暗黒の上位存在も、性質的には対立する関係であっても、その二つは同じものだとも言えるのだ。
ただ上部にあった光の波(波動)が下降し、闇の側に波が低下すると、闇の存在になるみたいに。
それらは元は同じ存在であり得る。
この波長が一度狂うと──元には戻らないだろうが。
「大した発見をしてしまった」
つまり、反発する闇の力を持つ魔法であっても、相手の張っている「天上の防壁」と同じ波長の攻撃を放てば、防壁に防がれる事なく攻撃できるのだ。
問題は相手の防壁を解析し、それに合わせた攻撃を繰り出すという、繊細な作業が必要になる部分だ。
闇魔法の矢を放つ攻撃魔法を、いつでも波長を変更して放てるよう設定する為、訓練をする事にした。
何度も同じ訓練を重ね、しだいにコツが掴めてきたと感じた時に、どこかから──小さな鈴の音が聞こえてきた。
まっさきに黒蜘蛛の守護者が反応し、それは「境界の間」から聞こえてくるものだと分かった。つまりこの音は、水鏡のドアから聞こえてくるものだろう。
境界の間のドアを開けて部屋の中に入ると、鈴の音は止んだ。
水鏡を見ると水面が波紋を打っていて、そこから音が聞こえていたのは確かなようだ。
しばらくして鏡の波紋がなくなると、向こう側が映し出された。
そこには黒い侍女服を纏った女が目を瞑ったまま立っていて、青白い表情をして片手に鈴を持って立ち尽くしている。血の気がない彼女の暗い表情は、美人ではあるが──どちらかというと不気味で、事情を知らない者がこの鏡の前に立っていたなら、おそらく幽霊を見たと勘違いして逃げ出しただろう。
「レギスヴァーティ様、この鈴をそちらの鏡にかけてください」
彼女は鏡の向こう側からそう言って手にした鈴を差し出す。
それは金具が取り付けられた銀の鈴。
呼び鈴を鏡に取り付けろ、という事らしい。
俺は水鏡の中に手を入れて、侍女から鈴を受け取ると──それを鏡の上部に嵌め、捻子で(精神領域なので、工具が必要な訳でもない)留めた。
「それでは、お二人があなたに話があると言うので……こちらへどうぞ」
続けて侍女が口にする。
魔法の訓練を続けたい気持ちもあるが、彼女らがわざわざ俺を呼ぶ理由の方が気になった。
俺は水鏡の入り口を通過して、幻霊都市ソルムスにある館の中に足を踏み入れる。
目を閉じたままの白子の侍女は小さく頷き、「こちらへ」と先導する。
彼女は以前と変わらず事務的で、通路を歩いてすぐ先のドアの前で止まり、そのドアを叩く。
「お連れしました」
侍女の言葉に中から声がかかり、彼女はドアを開けて中へ入るよう無言で促す。
いつかこの無表情な侍女を驚かす為に、鼻でもつまんでやろうかと考えているが、それはいまじゃない。
部屋の中に入ると双子以外にももう一人、女が席に着いていた。
長椅子に座った女がこちらを見て、なにやら親しげな笑みを浮かべてきたが、何者だろうと思いながらも頷いて応える。
どこかで会った気もするのだが……ぱっと思いつかない。
「誰だこいつ、そんなふうに考えてますね?」
その女はそう口にして笑う。
「ああ、誰だったかな。──どこかで見たような気もするのだが」
「彼女はアーシェンという魔女よ」
アーシェン、そうか。どこかで会ったような気がしていたが、邪神の妖卵で魔物に変えられ、魔物の体内に居た──あの女か。
「ああそうか、こちらに来る事になったのか」
さすがは冥府、この都市には魔術師や魔女などが集まっていると聞いてはいたが、現実世界で死んだ者に出会うと──人は、こんな風に感じるものなのだな。
だいたい死に際にちょろっと会った相手の事など覚えていない。まして死ぬ寸前の表情は通常の顔つきである訳がない、変化していて当然だ。
アーシェンがなにか言おうと口を開きかけた。
「座りなさい、レギスヴァーティ」
しかしグラーシャが厳しい口調で呼びかけた為、魔女の言葉は聞けなかった。
それにしてもなにか彼女の不興を買う事をしただろうか。
ラポラースの方は紅茶を白磁の器に注ぎ入れながら、手招きして椅子に座るよう指示する。
「レギ──あなた、危険な状態になった自覚はあるのでしょうね?」
唐突に彼女──黒い髪のグラーシャが言った。
俺はどの件の事かと逆に尋ねる事態になった。危険な状態など、ここ最近いくども経験している。もはやどれの事を指しているのか分からないのだ。
「彼女が言っているのは、生贄の儀式で生まれた郡霊の事よ」
ラポラースが紅茶の入った器を差し出しながら説明した。
「ああ、あれか。もちろん危険は知っていた。だが──それでも新たな力を手に入れる為に必要だと考えたのだ」
そう応えるとグラーシャは「ふぅ」と溜め息を吐く。
「それでもね、あれだけの亡霊の集まりがどれだけ危険か……あの場に居た魔術師の霊たちが、あなたの守りを引き受けていたからいいものの……郡霊が襲ってきたら、あなたの霊体は引き裂かれていたかもしれない」
まあまあ、とラポラースが擁護に入る。
「レギだって、亡霊が襲いかかって来たら反撃する準備くらいしていたでしょう。もちろん霊的な破壊を受けてレギの魂が失われるなんて、そんなこと考えたくもないけれど」
にこやかに語った少女ではあったが、そのあとにこんな言葉を呟く。
「まあ、危険が及びそうだと感じたら、こちらから兵隊を送り込んでいたけどね」
彼女らの言う「兵隊」という存在が、どういった姿形をしているかあまり考えたくはない。
あの霊樹があった領域は「幽鬼の領域」に近い場所だったのだろう、彼女らが手を貸せる場所としたら冥界に近い領域のはずだ。むろん、そうした規範を破る事も、彼女らのような強大な力を持つ者なら可能だろうが……
「それよりもグラーシャ、アーシェンが言いたい事があるような顔をしているでしょう。少しは気を利かせなさい」
あなただって心配していたでしょう、と言いながら二人は仲良く紅茶を口にする。
俺はアーシェンの隣に座ると、彼女と向き合った。
「まずは迷惑をかけてごめんなさい。あの魔物の力の一部は私のもの、面倒をかけたわ。そして、魔女王に私の遺したものを届けてくれてありがとう」
彼女の言葉に「ああ」とだけ応えた。
死んだ者に礼を言われるとは……つくづく冥府は不可思議な場所である。
その後はなごやかに会話をしていた俺たち、エンシア国の魔女であったアーシェンから、その国特有の魔女の呪術や技法について話を聞いたりしていた。
興味深かったのはエンシアにも邪神に近い存在から魔術を教わっていた、という歴史があるらしい──という事だった。彼女ら魔女の中にも、古くは魔神や邪神との交流を持つ者も多かったらしい。
魔女王ディナカペラの登場から、邪神に繋がりを持つ魔女は少なくなり、魔神ベルニエゥロとの繋がりを持とうとする魔女も減ったようだ。太古の昔から受け継がれる呪術や巫術の継承も、最近は魔神ツェルエルヴァールムの下で安定的におこなわれているのだとか。
魔術に関する知識は、多くは個人から個人へと受け継がれるものなのだが、一部の組織的な魔術師の台頭が、今後の魔導のあり方を変えるかもしれない。
──小難しい話はこの辺にして、アーシェンのここソルムスでの生活について聞く事にした。
「都市に住む魔術師や魔女は永遠にここに留まる訳じゃないわ。ここでの生活に飽きた者は、自らの魂を昇華して輪廻に戻る者も居れば、転生の秘法を使って現世に戻ろうとする者も居るから」
「まあ多くは失敗し、一部の記憶が断片的に継承されるだけに終わるみたいだけれどね」
さらにこんな話もするグラーシャ。
「この街の上空には雲が張っているけれど、たまにその雲の隙間から冥界の大地が見える事がある、そうした時は注意するのよ。冥界の大地に引き込まれ、この都市から落下して冥府の底に落ちれば──戻って来る事はできないから」
このソルムスは反転した状態で冥府の上空に浮いているのだ。つまり落下するとは、街の上空に浮かび上がって、空に見えた冥界の地に引きずり込まれる訳か。
街の通りに人が少ないのには、そうした理由があったのだ。通りをうろうろしていて冥界に引きずり込まれたくはないだろう。
「アーシェンの住む家は、自分からここを出て行った魔女が住んでいた場所。中には飽きて、ただ霊魂の安息を求める者も居るから」
あの郡霊のように混沌とした魂の霊獄に捕われずとも、己の定めを悟って消滅を希望する者も居るのだ、と双子は言う。
長い時間を生き続ける双子にとっては、そうした魔術師などについて話す時、呆れ混じりの、軽蔑に近い感情を抱いているようにも見えた。
基本的にここに住む者たちにも無関心な彼女らだが、最近のお気に入りが俺だと言う。
「「だって、おもしろいじゃない?」」
俺は肩を竦めつつ、危険を退ける為の魔法を獲得する作業に戻ると宣言し、立ち上がる。
「そう──それではまた。いつでもこちらに来て、なにかあったなら報告してね」
「呼び鈴が鳴らなくても、勝手にこちらへ入って来て構わないから」と話す双子、えらく気に入られているのは間違いなさそうだ。
「ありがとう、レギ。よかったら、私のいる家にも会いに来てね」
アーシェンの言葉に曖昧に頷きつつ、俺は部屋の外へ向かう。
部屋を出るとドアの横に、白い肌の侍女が幽霊みたいに立ち尽くしていた。
「おわっ、……脅かすな」
黒い衣服に身を包む侍女は、やはり目を閉じたまま会釈すると、水鏡のある部屋へと歩き出す。
黒い侍女服を身に着けた彼女は身長が高めで、美しい体の線をした女性だ。その凛々しい後ろ姿を見ていると半物質の体だというのに、なにやら情欲が湧き出してきてしまう。
彼女の持つ胸の豊かな膨らみや、くびれた腰の下にある臀部の丸みがそうさせるのだ。
水鏡のある部屋に入ると俺は彼女の冷たい手を取り、部屋の片隅に置かれた上等な革張りの長椅子へと導き、そこへ優しく押し倒す。
「なんで──しょうか」
表情は変わらなかったが、声に少しだけ焦りに似たものが感じられた。
「うん、帰る前に、綺麗な侍女と思い出づくりをしようと思って」
そう言いつつ彼女の大きな胸の膨らみに手をかけ、柔かな胸の感触を愉しむ。
白子の侍女はまったく抵抗しない。自在に形を変える胸を服の上から堪能していると、段々とある場所に血が集まるのを感じる。
彼女はうっすらと目を開き、水色の神秘的な瞳でこちらを見つめてきた。
無表情で感情もない死人の女。
長い真っ白な髪から黒い髪飾りを取り、続けて彼女の上着の釦を一つ一つ外していく。
彼女は抵抗しない。
じっとこちらの方を見ながら、なにかを言おうと口を開き──しかし、言葉は出なかった。
すべての釦を外すと、彼女の上着をやや乱暴に脱がせた時、彼女はやっと言葉を発した。
「わたしは……その──この体になってから、そういった事をしてこなかったのですが……」
俺は彼女の瞳を覗き込みながら、そっと顔を近づけ、柔らかい唇に口づけをした。
「大丈夫、そういう意味では俺も初めてだから」
俺は真っ白な彼女の乳房と、その先端にある冷たい色をした突起に指を伸ばし、その感触を思う存分たのしむ事にした。




