異界化した町での戦闘、魔晶石の入手
赤く濁った空、どんよりと暗い空気に包まれる町。
町中を通る道の先で黒や紫の霧が集結していき、その中から黒い影が現れた。
ぶすぶすと煙りを立ち上らせる大きな影。
そいつは見るからに邪悪そのもの。
黒い炭のような皮膚を持つ、禍々しい姿。
人間と牛をかけ合わせて生まれたみたいな気味の悪い頭部、頭から生えた角は横に伸び、奇妙に捻れている。
肩幅が広く、太い腕と足を持ち、隆々とした筋肉に守られた腕や胸板。その外側を炭に似た殻で覆っていた。
顔には黄色く光る目が二つ不気味な光を放ち、身体のあちこちから噴煙を上げる火山のごとく、灰色の煙を立ち上らせている。
かなり危険な相手だろう。
その大きな化け物の膝元に、四体の人間に似た黒い人影が見える。そいつらは武装し、鎧や武器を身に着けているようだ。
こちらを異界に引きずり込んだ癖に、俺の正確な居場所までは把握できていないらしい。
大きな黒い魔物が手下の戦士を索敵に向かわせて来た。
四体が分かれて、こちらにゆっくりと向かって来る。
魔眼を使って黒い戦士の解析をおこなう。──人型の戦士はもしかすると、この町に居た兵士だった者たちかもしれない。あの黒い魔物が兵士らの霊体を取り込んで作り上げた、一種の召喚魔法によって呼び出された存在なのではないか。
少なくとも死霊の類ではない、近づかれたらむしろ死霊よりも厄介な相手となるだろう。
壁際に身を潜めながら魔法を使う。
手持ちの宝石に呪印を刻んでおいた物がある。それを影の中で魔法石へと作り変える。
簡単な魔法の力を封入し、一つの宝石に時間経過で魔法が解放されるように仕込んだ。近くにあった木箱の上にその宝石を置き、近づいて来ていた黒い戦士に火炎魔法の球を撃ち出す。
不意を突かれた戦士は直撃を喰らい、黒い煤を撒き散らして消え去った。こいつらの身体は固い炭に似た物で形成されているようで、その半物質の身体は魔法の攻撃に弱いらしい。
他の三体が剣を前に構えてこちらに迫って来る。一体の戦士が素早い動作で俺に迫り、鋭い攻撃を繰り出してきたが、後方に跳んで攻撃を避け、建物の角を曲がって魔剣を構える。
遅れて俺のあとを追って来た黒い戦士たちが木箱のすぐそばまで来た時、木箱に置かれた宝石が爆発し、周囲に激しい炎と衝撃を解き放つ。
民家の窓を粉砕し、室内にあった調度品を破壊し──入り口の扉を吹き飛ばして、炎が通りにまで吹き出していった。
強力な爆発に巻き込まれた二体の戦士が砕け散って煤となる。俺に迫っていた戦士も、背後で起きた爆発の衝撃で前に飛ばされ、地面に両手を突く格好になった。──それも俺の目の前で。
俺は手にしていた魔剣を振り下ろし、硬そうな黒い炭状の兜と鎧の隙間である首を狙い、一撃で戦士の首を刎ねた。
上手く四体の戦士を仕留めると、俺は十字路の中央に立ったまま動かない、黒い大きな魔物の前に姿を現す。不意を突いて攻撃しても良かったが、それで倒せる相手でもないだろう。
『大したものだな』
その黒い魔物は口を開いた。
鋭い黄色の眼光と口の中で燃える青い炎が、外皮の黒さとの対比で異様に目立つ。
『剣以外に魔法も使いこなすか』
「剣以外に」という言葉に引っかかった。どこで俺が剣を使うところを目撃していたというのか。
少し考え込むと──直感的に山を越える前の、不可解な豚悪鬼たちの行動を思い出す。
「あの豚悪鬼を操っていたのはあんたか」
その言葉に奴は身体からぶすぶすと煙りを吐き出して返答する。
『いかにも、と言いたいところだが──違う。豚悪鬼を操っていたのは我ではない。……お前の行動は目に余ると主が言うのだ、ここで死ね』
そう言い放つと、魔物は有無を言わさず襲いかかってきた。
口をかっと開き、青紫色の炎を吐き出してくる。
俺は横に飛び、素早く身を翻して建物の陰に隠れた。
炎が建物を焼くかと思ったが、その炎は火花を散らし、バチバチと激しい音を立てながら石の壁を融解させ、爆音と共に辺りを爆発で吹き飛ばした。
建物の周囲を駆け魔物の側面に回り込む。魔剣に魔素を集め、離れた位置から業魔斬を放つ。
斜めに振り下ろした刃から斬撃が飛び、魔物の腕に当たった。──だが、その攻撃は外殻に傷をつけただけで奴の損害にはなり得なかった。
俺は自分の能力を魔法で引き上げ、魔剣に「新月光の刃」を掛けて奴に迫った。
魔物の吐き出す炎は危険だが、それは対応策を考えてある。
『フゥンッ!』
大きな腕を振り回して攻撃してくる。その腕を躱しながら足を斬りつけ、腹部や二の腕を狙って大きな身体の横を駆け抜ける。
移動しながらの攻撃だが、鋭い刃に新月光の刃の効力が加わり、奴の外皮を引き裂いて青黒い血液をほとばしらせる事に成功した。
『ベゲゥ、アルアヴァェ、バルザゥガヌ……』
魔物が奇妙な呪文を口にして魔法を撃ち出してくる。
三本の剣、または槍の形をした青紫色の力が具象化し、それが一斉に飛びかかってきた。
その攻撃魔法を展開した反射魔法で跳ね返し、三本のうち二本が魔物の身体を捉え、固い殻を貫いて深手を負わせた。
『グウォオォォッ⁉』
俺はそれで片がつくなど思っていない。一気に奴の懐に肉迫すると、シグン仕込みの連続攻撃を繰り出す。
足を止め、一瞬で五回の斬撃を放ち、奴の左腕を斬り落とした。傷口から青い炎がめらめらと燃え、そこから灰色の煙りが立ち上る。
『お、おのれぇえェぇ……!』
俺は身構えた。奴が攻撃してくる瞬間に合わせ、隠し持っていた宝石を口元に投げつける。
『ゴふァアぁッ⁉』
口から吐き出した青紫の炎と誘爆し、宝石に封入された魔法が解き放たれる。
赤色の爆発と青紫色の凄まじい爆発が魔物の口元で炸裂する。
黒い魔物ががっくりと膝を突き、頭を失った大きな身体を前のめりにして地面に倒れ込むと、黒い身体をぼろぼろと崩して灰となって消え去った。
その魔物の中から、赤紫色の大きな結晶(魔晶石)が現れたので、解析に掛けたあと、影の倉庫の中に取り込んだ。
魔物を倒した事で異界化が解けるようだ。周囲の異様な空間がみしみしと音を立てて変化し、もと居た町並みの中に戻ってきていた。
危険な相手だったが、割と簡単に倒せてしまった。おそらく相手が人間だと舐めてかかっていたのだろう。あの魔物が落とした結晶を調べてみたが、奴は魔神の手下だったらしい。
魔物が言っていた「主」が何者かは分からなかったが、中級以下の魔神であると思われた。──現世での戦いを知らない、そんな魔神なのではないだろうか。
豚悪鬼を操っていたのは魔神ではないらしいが、他の勢力で亜人を操るといえば……邪神か、その配下の者に違いない。
「それにしても魔神や邪神にも狙われているのか、これはまずいな……」
推測でしかないが、俺が魔神ラウヴァレアシュやベルニエゥロなどの強大な力を持つ魔神と接触し、力を手に入れたのを妬む格下の魔神が居たのではないか。
「だとすると、力に執着する配下が多そうな魔神ベルニエゥロの下に居る奴だと思うが」
ふと、あの魔神が居た「虚ろの塔」で見かけた、妖人アガン・ハーグの女王らしき、美しい上半身に禍々しい無数の蛇の下半身を持つ存在を思い出した。
危険な力を有しているあの魔神の配下が、人間の男を狙って刺客を送ってくるとは思えないが……
なんとなくだが、あの美人な妖人の女王にならまた会ってみたいという気持ちもある。
「ま、あの女王の手下ではないだろうが」
いずれであっても、危険な魔神から狙われているのは間違いない。気を引きしめていかないと危険だろう。
倒した魔物の結晶から新たな力を入手する事も可能なはず。
この町を襲った軍勢は近くに潜んでいる事も考えられる、慎重に南下して行こう。
俺はエッジャの町を出ると、南に向かって道なき広原を抜け、湿地帯を目指す旅を続ける。ここから先は人の踏み込む事のほとんどない領域だ、目的の魔獣や魔物を狙った冒険者が足を踏み入れるくらいだろう。
湿地帯や荒れ地への探索は危険だとギルドでも警告を受けた。
危険を恐れて魔神を探し求める冒険など続けてはいられない、覚悟がなければやっていられない。そういうものだ。
そしてそれは現実に起き始めた。ついに魔神に目をつけられ、刺客を送り込まれるまでに至ったのである。
魔神ラウヴァレアシュは「天蓋の使い」の他にも、魔神かなにかの存在が俺をつけ狙っていると警告していた。
それが先ほどの黒い魔物だったのだろう。
奴を送り込んできた魔神は、自身の手札が人間に奪われた事に気づき、どうするだろうか。──次の手を打ってくる考えるべきだろう。異界化をしてまで俺を片づけようとしたのには、なにか別の理由──妬み以外──もあるかもしれないが、いずれにしろ黙って殺される訳にはいかない。
上位存在の魔神が物質界に顕現するのだから、そうそう襲ってくるだけの力を使う事はないはず。異界化をして実体化するのにどれだけの潜在的な力を使うかは知らないが、そう簡単に攻撃してはこれないだろう。
その時間がどれだけあるか分からないが、次の手札が切られる前に、新たな力を獲得しておく方が賢明か。
現在の俺が持つ力は、並の魔法使いや魔術師が達し得ないほど強力なものだと思うが、それを奮うにも魔力が必要なのだ。
先の戦いで失った魔力もばかにならない。
最小限度の魔力消費に抑えられたとは思うが、そもそも俺の魔力保有量は多くはない。それを改善しなければ。──そういえば、ディナカペラの配下の魔女シェルアレイが言っていた。
魔女の房中術を使うと、相手の魔力を増大させ循環した自分の魔力も増大すると。それは魔力の保有総量にも影響するのでは? 上手くいけば性交渉のついでに魔力の保有総量を増大させる事ができるかもしれない。
……とはいえ、それはすぐに効果を期待できるものではない。まずは強力な力を手に入れ、制御する方が先だ。
冷たい風の吹く広原を歩きながら魔術の庭に入って、無意識領域での作業を開始する。
もちろん外界の危機にも対応しつつ、南の湿地帯に向かって移動をしながらだ。まずは手に入れたばかりの魔物が残した結晶を調べてみよう。
黒蜘蛛の守護者が警戒に当たっているのを感じる。魔術の庭周辺に警戒線を設けているらしい。──庭の外は真っ暗なので蜘蛛の姿も見えないが。
庭に降り立つと建物の中へと入って、研究室でさっそく結晶の解析を詳しくおこなう。
魔神の配下──こいつも「魔神」に該当する存在と言えるが、厳密には違うだろう。
神から魔神に堕ちた存在と、人間や魔物などから「格上げ」した存在は同じとは言えまい。魔物自体が不明瞭な存在だが、幽世などの異界から発生しているか、魔神などの存在が作り出していると考えられている。
幽世の魔素に満ちた領域が、幽世の狭間としてだけあるのだとはとても思えない。
いや、魔物の出現についてはどうでもいい。それよりもあの黒い魔物から得た結晶だ。それに、天使の欠片についても調べなければ。
やるべき事はまだまだたくさんあるのだ、古代魔術言語はかなり解析が進んでいる。自分のものとするのもすぐだろう。
魔物の結晶は安全に取り込む事ができそうだ。
この結晶の中にある力を取り出し、魔力の器としても利用可能だ。自身の魔力の総量を超えて増加する魔力を結晶に移し替えて保管できる。
多くの魔物から得られる結晶は魔力の器として使う事はできないが、今回の魔物が落とした魔晶石はかなり特殊な物だった。
物質界に顕現するに当たってこうした核となる物が必要で、魔物などが倒れるとこうした物が残される場合がある。
もちろん魔力の器として使用するなら、自分の霊体や魔力と調和するよう改良しなければならないが。
その作業は上手くいった。魔晶石の中にあった魔物の力についても一つ、面白い技術が手に入った。あの煤から作られたような黒い戦士、あれを作り出せる能力だ。
「灰岩戦士」召喚魔法とでも命名しよう。
これは地属性の力に関わるもので、死者の魂を戦士として使役する力だ。
地に関係する石や土──煤や灰などでも可能(この魔法を改良すれば金属にも応用できそうだ)──に魔力を注ぎ、戦わせる力だ。死者の魂といっても、生きていた頃の記憶がある訳じゃない。戦う意志などを持たせた擬似的な霊体を半物質化した身体に封じ、戦わせるのである。
死んで亡霊化した霊体がある場所か、戦士が死んだあとに残る魂の残滓などがあると作れるらしい。この変則的な魔法を持っていたあの黒い魔物は、魔神ベルニエゥロの配下であると推測するには充分な情報だった。
古い魔術を駆使する魔神ベルニエゥロが与えた技術の一部ではないだろうか。
あの魔神の配下である妖人アガン・ハーグは、こうした謎めいた力を操る古代魔術の術式を駆使しているのだ。もちろん強大な魔力を持つ個体に限定されるだろうが。
魔晶石を純化する作業──これには錬金術の知識があった方が成功しやすいはずだが、魔術の門でなら問題はない。……ここでなら成功率を上げる事ができるのだ。
魔晶石を純化し、魔力の器へと加工する。
「よぉしっ、上手くいった」
魔法陣の中央に置いた赤紫色の魔晶石が、透明な結晶体に変わっていく。
それを霊体に接続し、魔力を蓄える器として設定する。魔力保有総量を超えた分が、こちらの魔力の器に流れ込むのだ。この魔力の器も新たな魔晶石を手に入れたら、徐々に大きな物へと作り変える事も可能だ。
魔神との戦いに備え、一つの手札を用意する事はできた。
次は天使の欠片を──そう考えたが、まずは古代魔術言語の習得を優先しようと考えた。この言語を自分のものとし、古代魔術に関わる技術を持った死者たちの記憶から、その技能を読み取るのだ。
魔神の配下を討伐し、新たな力を手に入れる。
簡単に力を手に入れられる訳じゃないのはリアルと同じ。




