美しき魔神からの贈り物と解毒薬の精製
「なに? それは最近たて続けに起きている、魔物や亜人の襲撃と関係があるのか?」
すると魔神ラウヴァレアシュの女性体は、いかにも取ってつけたみたいに女らしい仕草で口元を隠して笑う。
「注意するのだぞ? 奴らは格下とはいえ、力のある存在なのだから。お前が、あ奴ら如きにやられるとは思っていないがな」
これ以上は語らない。そんな意味だろうか、彼女は背を向けようとする。
死霊の王が付けていた黒曜石の仮面についても尋ねようかと考えていたが、たぶんこれについてははぐらかすだろうと思われた。
それにあれが異端の魔導師ブレラの前世であろうとなかろうと、「お前には関係のない事」だと言うに決まっている。
「ぉお、そうだった。せっかくこうして顔を合わせたのだ、贈り物をしてやろう」
魔神はそう言いながらこちらに向きなおり、首に下げた黄金と宝石の豪華絢爛な首飾りを外して、それを差し出した。
「これを金に換えて旅を続けるがいい」
なんともありがたい話だが──同時に、魔神のいい加減な金銭感覚について目眩がする気持ちになった。
「それはありがたいのだが、ラウヴァレアシュよ」
重い黄金の首飾りを受け取ると、この重い物がかけられていた細い首が心配になる。──相手が人間だった場合だが。
「これは古代の首飾りだろう? こんな物を換金したら、金貨の重さで動けなくなるぞ。土地付きの家を購入するか、大きな船を購入するのなら必要な金額だろうが、旅で持ち歩く金額ではない」
辟易とした感じで言った俺の言葉に、女の姿をした魔神は──ぞっとするような高笑いを響かせた。
「──さすがはレギスヴァーティ。私をここまで笑わせるとは、お前が金には頓着しないのは理解しているが、よもや金の重さで動けなくなる心配とは」
いや……まあ、本気で言っている訳ではないが。影の倉庫にしまっておけばいいだけの話だしな。
「まあくれるというなら、ありがたく頂戴しよう」
美女の姿をした魔神は背を向けながら「早めに天使に対抗する力を身に付けるのだ」と言い残し、去って行った。
異質な空間に残された俺だったが、しだいに霧が濃くなり周囲が白い闇で覆われ、視界が真っ白になると、俺の意識がゆっくりと上空へと引き上げられるみたいに浮遊し、覚醒へ向かっているのを悟る。
天使に対抗する力……ベルニエゥロからもらった「天使の遺物」を解析しろという事か。あれは並の術師の力では解析するのが困難なのだが──いや、そうだ。
新しく手に入れた知識は古代の魔術に縁が深いものが多いはず。グフレゥの魔術言語から、さらに古代魔術に関する術法を知る術を手に入れられれば、あの結晶に封印された遺物を解析できるようになるのではないか?
天使の霊質が解析魔法の力を退けるのなら、古代の魔術を取り入れた力でなら──解析をする事が可能になるかもしれない。
*****
俺は気がつくと地面に倒れ込んでいた。
地面に顔をつけ、坂道を上がった先にある平坦な道の上に倒れ込んでいたのだ。
気を失っていたが、身体に痛みなどはない。ラウヴァレアシュが雷の衝撃を押さえ込み、俺を守っていたのは確かなようだ。
手には豪奢な黄金の首飾りを握りしめていた。
黄金に宝石がちりばめられた首飾りを影の中にしまい込むと、周囲を警戒する。
左右を山の斜面に挟まれた、山脈の間にある「普天の山間道」と呼ばれる道。そこには大きな岩から削り出した、小さな祠が建てられていた。
古代の儀式で犠牲になった者たちの霊魂を鎮める祠かと思いきや、それはこの街道を造った者たちの慰霊碑のようだ。──道を開拓する作業の中で多くの死者が出たらしい。
それが事故だったのか、魔物による襲撃を受けた為かは分からない。それらはもしかすると、あの悪霊の群霊と化した霊樹の影響だったかもしれないが。
直接、力の行使はしなくとも、ああした怨念の集合体が周囲に、なんらかの不運を撒き散らす事はあり得る。邪悪な意思が周囲に働きかける力とは、目に見えるものだけではないのである。
その存在自体が危険であり、否定されるべき悪意そのものだ。
「怨念で亡霊と化した人間の魂とは、まったく救いようのない邪悪そのものだからな」
俺は立ち上がりながら、身体や衣服に付いた汚れを払い落とし、祠の前から立ち去って道の先にある坂道を下って行く。
空にあった暗雲は消え去り、晴れた空が覆っているが、後ろを振り返ると、遠くの空には灰色の雨雲が広がっており、それがこちらに向かって来ているように見える。
「おいおい、今度は雨雲か」
不吉な予感を孕んだ薄暗い雲が遠くの空を覆い尽くす。それは青い空を汚していく不気味な虫の群れのようだ。
俺は山間を通り抜け、山の向こう側に広がる広大な自然に目を向けた。
右側の遠くに見えるのは湿地帯だろうか──黒っぽい大岩や、所々に生える樹木が見える。地面の一部は黒や灰色が広がっていて、草が生えずに土か砂利に覆われている様子だ。歩きづらい場所が多いかもしれない。
──だが湿地帯に行く前に、次の町エッジャに向かうのだ。湿地帯の手前にあるこの町は、坂道を下った西──つまり右側に向かって移動を続けた先にあるはずだ。ここからは見えないが、山裾にある森の陰になっているのかもしれない。
「町について一休みしよう」
魔物の襲撃などを警戒しながら、俺は無意識領域で古代魔術言語の学習をおこない、それがある程度すすんだら──もう一度、封印された天使の遺物の解析に取りかかるよう設定する。
それが済むと、ただちに現実の肉体に戻り、旅を続けた。──今はラウヴァレアシュが言っていた「俺の周辺を嗅ぎ回る者」についての対策を考えるべきだと思ったのだ。
それは神の使者たる存在以外のものであるらしい。
魔神か、邪神か──魔神であるなら、魔神の中でも高位であるはずのラウヴァレアシュが、「手出しするのを止めろ」と言えば済みそうだが……
まああの魔神も、俺を死なない程度に生かしておいて、多少の危険は「俺を成長させるだろう」くらいに思っているのではないか、そんな考えでいるようにも見受けられる。
低位の魔神であるなら、俺の魔導の力で対処可能だと踏んでいるのだろうか。魔神を倒すのは無理であっても、退けるくらいならできるだろうと……
邪神でも人間にとっては危険な上位存在だ。上位存在の中でも低位に位置する存在だろうが、一応「神」の名を冠する存在であるのは間違いない。
邪神も魔神と同じで謎に包まれているが、魔神と比べて人間に関わる機会が多い存在だと言われている。
いつの時代かは分からないが、この二つの危険な神が現れるようになった。──少なくとも古代には「邪神」も「魔神」という存在についても、それが存在していたという事実は確認されていない。──もっとも、古代の資料などは断片的で、魔術に関する知識もほとんど失われているので確かな事は言えないが。
──まあ、そうだ。確かに神の国から追放された存在が、魔神として存在する事になった。そう考えていい──
そう魔神ラウヴァレアシュは言っていた。
あの魔神がそうした事柄で嘘をつくとは思えない、言いたくなければなにも語らなかっただろう。
「それにしても美人だった」
美女の姿を取れるのなら、これからはその姿で現れてほしいものだ。神々に性別などないだろうが、姿形を変えられるなら恐怖を感じる巨大な姿よりも、目の保養になる美しい姿である方がありがたい。
坂道を下りながら右側、左側と視線を向ける。左側には草原が広がり、ずっと西へ向けて道が続いているのが見える。かなり細く頼りない感じの道だが、広々とした草原の近くを通ってずっと先まで続いているようだ。
山脈の間を抜けた先は広大な自然が広がっている。
枯れ草色も目立つ草原には、草食動物らしい生き物の姿もちらほらと確認でき、少数の群れを形成しているのが見て取れた。
坂道を下る。緩やかな坂道とは言いがたい──少し角度が厳しい坂が少し先まで延びている。馬車などが通る数が少ないはずだ、四頭引きの馬車でないと上がるのは難しいだろう。
その難所を過ぎれば緩やかな下り坂が続く。
だいぶ下にまで降りて来た。
坂道のそばに樹木があり、その枝から小さな朱色の果実が生っていた。
鳥も食べないその実は「ガンナガンナ」という毒を持った果実で、即効性はないが、この毒を摂取し続けると段々と衰弱し、最終的には意識を失って何ヶ月も寝込んで死んでしまう。
ところがこの果実を食べても平気な生き物が居る。「緋色栗鼠」という名の通り、目立つ赤色の毛を持った小さな栗鼠で、こいつの血から解毒薬を作る事ができるのだ。意識を失うほど毒を摂取し続けたあとでも、この解毒薬で回復した事例がある。──まあ、衰弱した苦しい状態は続くだろうが。
樹木の根本に派手な色をした栗鼠が居た。──そういえばちょうどイアジェイロの街で、その解毒薬を作るのに必要な素材を買っていた。なにかの役に立つだろうと買っておいたのだが、せっかくなので解毒薬を作っておくか。
俺は栗鼠が木の上に登ったのを確認すると風上に回り込み、麻痺毒の瓦斯を放つ魔法を使って栗鼠を捕まえる事にした。
「ピグラ、ガゥゼィ、エニエト、イドゥム、朝日に隠れ、月光を窺え、影に潜むは、真なる闇の化生なり『灰の猟毒』」
もくもくと灰色の煙が立ち上り、風に乗って前方──風下へと流れていく。
煙が流れていく先にガンナガンナの木がある。
木の枝を移動していた緋色栗鼠が煙を吸い込み、ぽとりと地面に落下した。──死んではいない、麻痺しただけだ。
煙が流れていくのを見送ると、落下した栗鼠を拾って小さな体に針を刺す。そうやって小瓶に栗鼠の血を少しだけ拝借した。
解毒薬を作るのにそれほど大量の血液は必要ない。
拙い回復魔法で傷口を癒してやると、栗鼠を木の根本に寝かせてやる。少しすれば麻痺が解け、果実を食べにまた木を登るだろう。
影の中から乳鉢や薬草などを取り出し、小さな乳鉢ですり潰した数々の薬草と「コイロンの葉」を一枚加えてすり潰したところに、新鮮な緋色栗鼠の血液を混ぜ合わせる。
甘草や魚の浮き袋を乾燥させた物を入れる薬師も居るようだが、一番単純な解毒薬はこの作り方だと思われる。──しばらく混ぜ合わせていると、それはあっと言う間に赤茶色の粉末へと変わった。
「これでよし」
そうして作られた粉薬を一回分として紙片で包み、小さな薬箱にしまっておく。
道端にあった大きな石に腰かけてそうした作業をおこなっていると、緋色栗鼠が起き上がり、木の上へ慌てて逃亡して行った。
あの栗鼠からすれば、いきなり麻痺させられた挙げ句に血を抜き取られたのだ。人間を恐れるようになるかもしれない。まあ殺されなかっただけマシだったと思っていただこう。
「じゃあな」
栗鼠に声をかけると、小さな赤い栗鼠は「キキキッ、キキキッ」と返事をしてくる。その鳴き声の意味はなんだったのだろうかと考える。
「もう来んなよ!」なのか。
「バ──カ、バ──カ!」なのか。
ただ、怒っている感じはしない。生命探知で調べるまでもなく小動物は困惑しているか、命拾いした事に安堵しているのだと感じる。
「ニンゲンこわい」こんな風に思っているのだろうか。
ガンナガンナの実を使って毒を作ってもいいが、即効性のない毒薬は冒険では役に立たない。剣の刃に塗り付けて使う毒は、甲殻蜘蛛などの生き物から得られる毒を使うのが手っ取り早い。
それほど効果が高い訳ではないが、人間が相手の場合は蜘蛛毒や蠍毒は充分に有効だ。
毒蛇の中でも猛毒で知られる「赤青斑蛇」の毒は、噛まれて数秒で倒れて動けなくなるらしい。
大陸の東側に多い蛇らしいが見た事がない、ブラウギールでも危険な毒として高値で売られていた。──表向きは売買禁止になっている品だ──解毒薬の方も高い値が付き、作り方も秘匿されていたのだ。
そのうちそうした毒を解析し、解毒薬の調合表を作ってやろうかと思案する。──ま、そんな事は老後の愉しみにでも取っておくとしよう。
坂道を下り、山裾から平坦な道へと降り立った。普天の山間道を抜けて山の南側へ来た俺は、轍の残る道を進み続けて分かれ道までやって来た。西と東へ向かう分かれ道。
道の脇に立て看板があり、右を指す板に「エッジャ」と文字が書かれ、反対方向を指す看板には「シュザ」と書かれていた。
地図を頭の中に広げると──山の向こう、カマゥド山の東にある都市ゾアレダから繋がる道の先にシュザがあるようだ。
この看板だけでは分からないが、ここからシュザに向かうとしても、丸一日歩き続けても辿り着くかどうか分からないくらい離れている。
それに比べエッジャなら半日も歩かずに辿り着く距離にあるのだ。
俺は右に曲がる道を選ぶと、踏み固めの弱い道を進んでエッジャの町へ向かうのだった。
山間の方を振り向くと、坂道の向こう側に少しだけ灰色の雲が見えている。その雲は南に向かってゆっくりと流れて来ていた。段々と近づいて来るそれは、エッジャへと向かう俺に不吉な予感を抱かせる、青空を汚す気味の悪い化け物の手のように感じ、俺は急ぎ足で次の町へと逃げ込む事にしたのである。
次話ではかなりショッキングな描写が書かれています。そこにある現実味を出せるよう書きました。(うまく書けてるかは分かりません)




