不穏なる視線
第六章「つけ狙う幾つもの眼」開幕です。
❇ この章から「出来る」など漢字を使っていた言葉をひらがなで表記します。(以前の部分もそのうち修正する予定です)
専門用語が増えたので、(二つ目の)設定集を作ろうかと思ってます。
今後ともよろしくお願いします。
荷車に乗って進んだ先で、街道が南東へと向かって折れ曲がる。緩やかに弧を描く街道は幅が広く、踏み固められた道がしっかりと残っているが、荷車の行く南へ直進する道は──轍が残る道幅の狭い道。
馬は悪路を進みながら頭を上下に振って荷台を引く。枯れ草を踏みながら車輪がゴロゴロと音を立てて進む。どうやら道は少し坂道になっているみたいで、馬たちは懸命に荷車を牽引している様子だった。
しばらく進むと今度は下りになっているらしく、馬の歩みは軽やかになり、枯れ草と乾いた地面を踏みしめながら調子よく進んで行く。
相変わらずミッシュはアカゥ遺跡に一緒に行かないか、などと誘ってきたが──「行かない」と一言に切り捨てる。
ウーマ風穴での冒険をしてきた冒険者たちが次の冒険で求めている物は、犬頭悪鬼の首領である者の首と装備品にあるらしい。
そうした一匹しか居ない討伐対象から得られる物品の入手は、集団を組んでから数日の期間しかないような場合、たいてい奪い合いに発展するが──まあ、アウデリンのような気の弱そうな女には無縁な話かもしれないが。……その相棒のミッシュは我が強く、譲り合いになる可能性は低そうだ。
まあ彼女らも冒険者だ、それなりの折り合いをどこでつけるか、いい経験となるだろう。
俺は荷車に揺られながら目を閉じて、魔術の門を開いて作業を始める事にした。新しく手に入れた技術をどのように駆使するか、考えなくてはならない。
効率よく使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。
鉄鋼蜂を調査しつつ、この霊獣から他の半霊的存在についての考察を開始すると、おもしろい発見をした。
それは俺の無意識領域を守る「黒蜘蛛の守護者」と「鉄鋼蜂」を結び付け、影の領域から魔術の庭がある領域を守るのに、蜘蛛以外に蜂も使えるようになったのだ。
空を飛び周辺を監視する蜂と、建物の中で罠を張って侵入者を捕らえる二重の防御が取れる。
(早いところ鼠なども捕らえて、使役獣として利用したいが……)
その前に、あちらの「魔術異界」で魔法を使用可能にできる状態を作り出さないと話にならない。
蜂の霊的構成を通じて、現実界で使用している魔法と接続する方法を探り出すと、初級魔法から一つ一つ、向こうの領域に合わせた設定を構築する。──こちら側で使える物がすべて使える訳ではないようで、中級から上の魔法を設定するのはまだ無理だった。
あちら側の霊的干渉が霊体に制約をかけているらしく、向こう側での技術的な上達をしなければならないみたいだ。
(厄介な……昔の魔術師たちの企みか?)
理由は判然としないが、彼ら古き魔術師にはなんらかの思惑があったのだろう。
そんな風に識閾下での作業に取り組みながらも、現実世界での会話に耳を傾けていると──どうやら戦士ギルドでは、昨日の功績で俺の名前が一夜にして広まったらしい。
「風穴に現れた未知の魔物を、たった一人で討伐した凄腕の冒険者」などと語られているとか。ありがた迷惑な話だが──おそらく、そうした話題もすぐに消えてなくなるだろう。未確認の魔物の正体も分からないまま、そんな浮ついた噂話が広まり続けるとは思えなかった。
「遺跡の探索に、凄腕の冒険者手を借りたかったのですが」などと、統率者らしい男の冒険者まで口にする。
俺は再び首を横に振り犬頭悪鬼くらいなら、この構成員で問題はないはずだと告げ、道の先に目を向ける。──まだ遠くに見える二つの岩山。その中腹から下に向かって緑色のスカートが広がっているのが見え、低木や細々と生える草地の間を抜けて荷車は南下を続けるのだった。
何事もなく遺跡近くの小屋まで辿り着いた荷車から荷物を降ろし、冒険者は小屋へと向かう。小屋はかなり傷んでおり、石壁の一部に木の板が打ち付けられていたり、屋根の一部が木ではなく、土を塗り固めた物で埋め合わせてあるのを見ながら、荷馬の首を撫でてやる。
「世話になったな」俺は御者に銅貨の入った小さな皮袋を手渡し、山の方を向く。距離はまだまだありそうだ。
「お別れですね」
アウデリンやミッシュと言葉を交わすと、俺は何度も修繕した跡のある小屋から離れ、歩いて山間へと続く、わずかな轍を辿って南へと歩いて行く。
乾燥した空気、冷たい北風、それが山間に向かって吹き込んでいるようだ。道なき道を歩きつつ、周囲に警戒の目を張る。生命反応は少ししかない。
遠くに居る牛か山羊に似た生き物と、鳥の姿しか見当たらなかった。寒さに強い草や灌木に生えた葉っぱを食べている四つ足の獣の近くに、身を屈めた猛獣の姿が見えたが、ここからは離れているから──襲ってくる事はないだろう。
一応、付近の猛獣に警戒しながら、山の麓に向かって歩き続ける。
無意識領域の地図を確認すると、湿地帯の手前にエッジャの町があり、人々の足が及ばない二つの不確定領域(正確な地図が作られていない)の湿地や荒野は東西に広く、ここを徒歩で抜けられれば、かなり時間を短縮できそうだ。
ふと後方から嫌な気配を感じて振り返ったが、別になにも居ない。生命探知にもなにも引っかからなかった。
「? 気の所為か……」
獲物を狙う獣の視線に似た違和を感じたのだが……いや待て、その感覚はどちらかというと無意識領域側の、死の予兆を感じ取る「聴死」感覚の警告だった。
俺は歩くのを止めて魔剣に手をかけ、後方を用心深く索敵してみたが──やはりなにもない。
「危険に対する警告だと思ったのだが、調整に不備があったか?」
北側の空がわずかに黒みがかった雲に覆われ、遠くの空で雷光が天を駆ける。
「あの雷雲の所為かな」
俺は魔剣の柄から手を放すと、再び南下を始め──黒い雲の事などすっかり忘れて、山間部へと続く固い地面を踏みしめて歩く。
周囲には細々と草が生え、黄緑色の弱々しい葉っぱが風に揺られるさまを見たり、乾燥した黄土色の地面に空いた獣の住処らしい、小さな穴などを見つけたりしながら、街道とは言えない道をたった一人で進んでいる。
久し振りに街を離れての活動だ。シグンとの訓練で剣士としての技量を格段に身に付けたとはいえ、油断をしてはいけない。危険な相手だって存在するのだ。
──湿地帯には蜥蜴亜人の集落があると聞いている。固い鱗や膂力が脅威となる存在だが、知性はそれほど高くはない。
しかし妖人アガン・ハーグなどに統率されている奴は危険だ。妖人の護衛として使役されている蜥蜴亜人は武装し、戦士としての戦闘訓練を積んでいる個体も現れるようになる。これはなにも蜥蜴亜人に限った話じゃないが。
力を付けた妖人は己の身を守る為に、小鬼や死霊などを従えている場合もある。犬頭悪鬼と妖人アガン・ハーグは仲が悪く、互いを敵視しているらしいが、その理由は誰にも分からないだろう。
「臭いが気に入らないとか、そんな理由かもしれないな」
妖人が魔神ベルニエゥロの配下だとしても、奴らの行動原理は一貫している訳でもなさそうだ。魔神の魔術に関する知識を与えられて、あとは好き勝手にやっている印象だ。犬頭悪鬼と敵対関係になる理由を作った奴でも居たのだろうか。
歩きながら俺の意識は二つの領域を行ったり来たりする。──それは魔術の庭でおこなっている、無意識領域に任せている魔術の研究と、書斎にある「異端の魔導師ブレラ」の館で得た書物の複製を読む作業だ。
錬金術に関する本の中に、そこそこ難易度の低い内容のものを見つけたのだ。錬金術の書物に書かれた象徴や隠語を駆使した作業の内容は、素人程度の俺には解読するのが大変だった。
その書物の中にある象徴や隠語などを読み解く力を付けてくると、少しずつだが読めるようになってきた。──それでブレラの持っていた本の中でも、実践できそうなものから錬金術の技術を得ようと取り組んでいる。
影の魔術に関する力は時間をかけなければならないだろう。まだまだこちらも基礎を得た段階に過ぎないのだ、実験的に影の中に短刀を数本しこみ、それを影の中から撃ち出すのをやってみたが──失敗した。
ぽ──ん、と短刀が飛び跳ねただけだ。これでは威力もたかが知れているだろう。どうやら影の中から突き出す力は、魔力や筋力とは違うみたいだ。
影の中に広がる空間の総量がそうした力の影響に関係しているらしい。つまり……「影の倉庫」や「影の檻域」といった影の中で使える力の総量が大きいほど、外部に放出する力も強くなるのである。──ただしそれは、今の俺にはそれくらいの方法論しか見出せないだけ、という方が正しいかもしれない。
きっと影の領域を上手く使えるようになれば、外部への攻撃手段として強力な武器になるはずだ。今のところ、一メートルくらいの長さしかない影の槍を突き出すくらいしかできないが。
「だが、影を足元から延ばし、そこから槍を突き出せば……」
それでも射程はせいぜい数メートルしかない。
ウーマ風穴で遭遇した未確認の魔物──邪神の力によって魔物と化した魔女だったが──は、もっと離れた位置を攻撃できていた。
「まああれは、影の中に入っていた体の一部である触手を使っていたが」
影の中に出たり入ったりしながら活動するとは、邪神の妖卵の力というよりは、魔女アーシェンの持っていた力と考えるべきだろうか。あれほど自在に影を使いこなせるようになりたいものだ。
そしてなにより「死導者の霊核」と「天使の遺物」、この二つの解析を進めたいが……後者はまだまだ解決の糸口すら見つからない。
死導者の霊核はそれなりに解析が進み、そこから引き出せる知識や力が判明してきたのだが……未だに多くの、未知の領域がある。
死導者の力の根源について調べていると、またしてもなにか得体の知れない感覚に対し、警告が発せられる。──この感覚は……死の危険を訴える無意識の警告か?
これから向かおうとする山間部の麓に切り開かれた、まっすぐに延びる道を前にもう一度ふり返って後方を見る。──この感覚は後方ではなく……空か?
なにかが空からこちらを監視しているような、そんな感覚を感じる。
頭上には青空が広がり、大きな翼を広げた猛禽類が横切って行ったが、こちらを見ている様子は微塵もない。
にもかかわらず、何者かが見つめている気配が強くなってきた。
「いったいなんだ、この感じは……」
遠くの空にあった黒い雷雲が近づいて来ている。不穏な気配を引っ提げて遠雷が響いてきた。そんな気がしたが──それは錯覚だろう。
まだまだ遠い位置にある雷雲だ、音がここまで届くとは思えない。だが……心の中に広がり続ける不安。それはまるで、深い海の底に引きずり込まれるような感覚を心に植え付けてくる。
錯覚などではあり得ない、はっきりとした危険な視線。何者かが俺を見ている──それは、この世界に棲む獣や、人間の類ではなさそうだ。
上位存在──そう考えるのが妥当だろう、この異質な緊張感。死導者の力がなければ気づかなかった、微弱な違和感に過ぎないものだが、この気配は魔神などの前に立った時の事を思い出させる。
不愉快な、死を連想させる視線。
力の及ばない、異質なる存在の気配。
そうした者の視線だ。
一度気になり始めると──それが瞬く間に、実行的な支配力を持ったみたいに感じられる。視線に気づかなければ、おそらく気にもならなかっただろう。……そうだ今までだって、それが存在していたかもしれないのに、まったく気づかなかったではないか。
俺は山の方へ向き直ると、足早に歩を進める。
嫌な予感を孕んだ暗雲から逃げるように、俺の足は少し駆け足になって山の麓に広がる、しんと静まり返った森の近くまでやって来たのである。
サブタイトルでは「幾つ」となっていますが、本文の中では「いくつ」と(通常は)ひらがなで書きますのでご理解ください。




