都市グァネイダの骨董屋で
途中で馬を休ませたりしながら荷車は進み続け、夕暮れを過ぎた頃に、都市グァネイダに辿り着いた。この場所に来るのも二度目になる。
さすがにこの辺りで一番大きな都市だけあって、大通りは多くの人が行き交い、荷車や馬車も多く通行している。裏通りには行商人や露天商も道に溢れ、商店街を探して歩いていた俺は、うっかりと娼館の並ぶ通りに入り込んでしまい、道に佇む商売女たちに再三、声を掛けられる事になった。
残念ながら好みの娼婦を見かけなかったので、今日は表通りの宿屋に泊まる事になるだろう。だがその前に鍛冶屋を見つけると店の中に入り、職人に魔剣を手渡し、重厚な革で鞘を補強するよう言って、前金として銀貨を三枚手渡す。
だがその堅物の職人は、気前の良い客だからといって、自らの作業に変更を加えるような事はしなかった。
「今日は仕事は終わりだよ。明日の朝一番に始めるとして、時計塔の鐘が三度鳴る頃には、片付けておこう。革の種類を選んでおいてくれ」
職人の気質に共感した俺は大人しく彼の言葉に従い、黒に近い濃い灰色の鞣し革を選んで、これを張ってくれと頼んだ。
職人は重々しく頷きながら魔剣を受け取って、作業場の奥へ保管しに行く。
俺は鍛冶屋を出ると、宿屋を探しに大通りへと向かう。以前この都市に来た時は場末の小さな宿屋に泊まり、隣の部屋で性交に励む男女の呻き声や、喘ぎ声を聞かされて、よく眠れなかったのだ。──都市の通りの多くは明かりが灯されていて、目的の場所を探すのは容易だった。
宿屋は何軒かあったが、三階建ての、造りのしっかりとした宿屋に泊まる事にし、その日は部屋に入ると、裂き枝を使って歯を磨き。旅の疲れから、すぐに横になって眠りに就いた。
*****
朝の目覚めは実に心地好いものだった。オコロの町のような、隣に若い女が居る状況での眠りも別の意味で格別だったが、清潔で柔らかな寝台での睡眠は、野宿ばかりしていた、ここ数日間の疲れを拭い去ってくれた。
窓に取り付けられた木製の戸を開放すると、朝日が街に降り注ぎ、少し湿度の高い早朝の空気を暖かく浄化していく。
三階から下を見ると、通りを歩く人の姿が疎らだが目に入った。目覚めた時、遠くの方から聞こえてきた時計塔の鐘の音は、もう鳴り止んでいる。
街の多くの建物は、一階から二階建ての物ばかりで、この宿の三階から見る眺望はなかなかのものだ。街を囲む高い壁まではっきりと見渡せる。
その後、一階へ降り、小さな食堂で簡素な朝食と、この地域で特産となっている林檎で香り付けした紅茶を愉しみながら、ゆったりとした時間を過ごした。
しかし、魔剣の修繕が終わるのは、三度目の鐘が鳴った頃だと鍛冶は言っていた。それまでは少し、これからすべき事を整理しておこう。
まず最初は、魔神ツェルエルヴァールムの配下である「魔女王」を捜し出し。彼女から主の居場所を聞き出すのだ。主の居場所をまったく知らないとしたら厄介な事になるが……
それにしても「魔女王」とはどういう魔神族なのか。ラウヴァレアシュによると、ある種の魔物や、人間の魔女たちに崇められているらしい。かなり強大な魔力を持ち、人間らともやり取りをしながら魔導の研究をおこなっていた変わり者の魔神の眷属であると、あの魔神は言っていた。
魔神にも様々な存在が居るようである。
時計塔の鐘が鳴った。グワんゴーん、グワんゴーん、という重々しい鐘の音だ。近くに住んでいる者にとっては、災難だとしか言いようがない。
もちろん、時計塔の周囲には広場があって、その周辺には工場の様な建物が多く、極力住む人に影響が出ないよう気を配ってはいるが。
三度目の鐘が鳴る前に部屋に戻って、旅の支度をすると宿屋を出て──まずは、荷車や馬車を使って辺境の地に向かわなければならないので、馬車の行く先などを確認しておく。
途中でいくつかの街を経由して行く事になるが、日数的には三日から四日で行けそうだ。相当離れた場所にあると思い込んでいたが、実際にはそれほど離れた場所ではなかったのだ。
馬車の出発時刻を確認し、前金を払って座席を確保しておき、まだ三度目の鐘が鳴るには余裕があるので、魔神から貰った財宝の一部、金の腕輪をこの街で売るといくらになるか確認しようと考えた。もちろん買い取り額を高く設定していたら、そのまま売るつもりでいる。
道具屋、宝飾店、骨董屋と買い取ってくれそうな店はいくつかあるが、素直に骨董屋に入って店内を確認する事にした。
「いらっしゃいませ」
そう声を掛けてきた初老の店主だが、歓迎している気持ちは微塵もない。むしろ「こんな客に金が払えるのか」とでも言いたげな声色である。
店内の硝子を使った陳列棚は、いかにも高級な物が入れられている──、そんな予感を感じさせる意匠が施され、この店を訪れる客層が、確かに富裕層である事を窺わせる物だった。
陳列棚の中には、かなり古い時代の首飾りや、宝石を使った胸飾り(ブローチ)などが、赤い絹が敷かれた場所に整然と並べられている。
ふと壁に架けられた額縁に目が行き、その中に入れられた見覚えのある物を見つけた。それは魔神があの館──黒曜館。とでも名付けるべきか──の地下にあるという、隠し財宝から取り出した金貨と同じ物だった。
「すみませんが、その壁の金貨。それがいつの時代の物か、教えて頂けませんか」
俺が声を掛けると店主は、ちらりと横を向いて額縁の中で輝く金貨を見やる、店主は勿体振った感じで咳払いすると、それは古代のベルクマウル金貨で、今から九百年から千年近く前の、古代帝国で使われていた金貨だと説明する。
「一枚七千八百ピラルだよ」
と、頼んでもいない価格の事まで喋ってくれた。
「では、それくらいの時代の金の腕輪だと、どれくらいの価値になりますか」
この問いは店主の癇に障ったようだ。
初老の店主は目を細めると呆れた様子で肩を竦め、「それは物の状態にもよるが、うちで買い取るなら、二万出してでも買い取るでしょうな」と告げた。
俺は極力穏やかに微笑んで見せ、旅鞄の中から布に包んだ金の腕輪を二つ取り出し、店主の前に差し出した。
「では鑑定をお願いします」
店を出る時に三度目の鐘が鳴り始めた。俺は七万五千ピラルの入った重い硬貨袋の一つを荷袋に、もう一つを旅鞄にしまい込み、揚々と店の前から立ち去る。
宝石がいくつも付いた金の腕輪を見た店主は、先程までの態度を一変させて買い取り交渉に入ったのだ。特に値段を吊り上げなくても店主は正直に、適正な値段を払う気構えでいた。もちろんこちらの言い値で買わせる事も出来たかもしれないが、ここは(良い意味でも、悪い意味でも)正直者な店主の顔を立てて、金の腕輪一つを三万七千五百ピラルで売る事にしたのである。
旅の間中、この重い荷物を背負い続けるかと思うと、腕輪一つを買い取らせるべきだったかと、少し後悔する。金の腕輪は指輪四つより嵩張ると判断して、先に手放す事にしたのだが。考えてみれば、そのあとの硬貨の量が半端ない量になって返ってくるのを失念していた。
重さにすると、金の腕輪二個分の百倍以上ではないだろうか。
金には困らなくなったが重さで潰れてしまう。
そんな思いつきに我ながら笑ってしまった。まあ、この程度の重さなら、背負って歩き続けるくらいは可能だ。冒険には不向きな重さだが、街を転々と移動する間に、少し減らしておこうと考える。
次の街では、それなりの愉しみが待っているのを期待して、鍛冶屋へ向かう。
「できてるよ」
鍛冶場に足を踏み入れると、額に汗を浮かべて二人の弟子と共に剣を打っていた鍛冶が言って、壁際の棚に置かれた魔剣を顎で指し示す。
そこには、黒っぽい重厚な革張りをされて修繕された、魔剣が置かれていた。それを手に取り鞘から剣を抜くと、美しく輝く刀身が現れる。
「まったく大した業物だよ。こんな物を持ってるなんて、相当の剣士だね? あんた」
弟子に剣の仕上げを任せた鍛冶が、近づいて来てそう言った。俺はそんなに良い物かと尋ねてみる。
彼は汗を拭きながら、刃を研ぐまでも無く曇り一つ無い刀身には魔法の呪文が浮かび、古さを感じさせる鍔や柄も痛んではおらず、そのまま使う事にして。新しくしたのは鞘周りの革張りと、柄に巻いた滑り止めの布くらいだと話す。
「上等な魔法の掛かった剣だ、大切に扱うべき物だな」
俺は礼を言いながら懐に入れた革財布(硬貨を一枚一枚容れられるように作ってある)を取り出して。鍛冶に金貨を一枚手渡した。
「おいおい、いくら何でも払い過ぎだよ」
鍛冶のおっさんは冗談だと思ったのだろう、それを返そうとする。
「いや、取っておいてくれ。鞘と柄の仕事は見事だった。望み通りの仕事に満足している」
俺は鍛冶に礼を言って店を出る。
そろそろ次の街へ向けて馬車が出る頃だ、金は先に払ってある。護衛に守られながら馬車で一時(約二時間)ほどで着くらしい。
都市の賑わいはないが御者の言う分には、この辺りでは有数の歓楽街があり、連日の様に足を運ぶ者も多いのだとか。
それは素敵な情報だ。
大金も手に入ったし、そこでちょっとした遊びをして時間を潰してもいいだろう。俺は、はやる気持ちを抑えながら馬車に乗り込んだ。