風穴内での探索と追跡
鉄刃蟷螂の鎌を取り外して持って行く。影の中に四枚の鎌を入れ、灯明の魔法で照らしながら風穴を進む事にする。
地面の足跡を辿り右側の道を進むと、道の先に甲殻蜘蛛の死骸を見つけた。
甲殻が剥がされているところを見ると、やはり冒険者によって倒されたのだろう。死骸に付けられた跡から察するに、あまり解体作業に慣れていない連中である様子だ。
「あの二人かもしれないな」
甲殻蜘蛛の甲殻から「硬化炭」を作り出して、それを防具に塗り付けると、防具が硬く保護されるのだと言っていた。最近になって錬金術によって開発された技術であるらしい。
シンで開発された技術ではなく、ルシュタールかウルドの方で開発された技術が、冒険者を通じて広められたみたいだと、そんな事を話していた。
画期的な技術だとは思うが、大蜘蛛の甲殻を剥ぎ取り、その甲殻を分解して抽出した物を鎧などに塗り付けるのか。……蜘蛛嫌いな冒険者が聞いたら、卒倒してしまうかもしれないな。
「そんな軟弱な心で冒険者など、やってられないが」
蜘蛛が苦手だという女冒険者と組んで冒険に出た事があったが、小さな蜘蛛を見つけただけで馬鹿みたいにぎゃあぎゃあと喚くのだ。邪魔でしかない。
その叫び声で亜人が集まって来て襲撃を受けた時は、本気で殺意が沸いた。
理性の無い獣と同じだ、感情からすぐに泣き喚く奴は。
大きな蜘蛛の死骸がその道の先にもいくつか転がっていた。──面白いのは、段々と死骸の痛み具合が少なくなっていくところだ。甲殻を剥ぎ取る時に、刃物で無駄に傷つける事が少なくなったのだろう。
もしかすると、共に行動している先輩冒険者からやり方を教わりながら、解体作業を行っているのかもしれない。
風穴の奥から風が緩やかに吹いて来る。
見ると先にある天井部から光が射し込んでいる場所がある。どうやら地面が崩落し、穴が開いているようだ。
その近くに来ると高い位置に穴が開き、下に岩や土が落ち込んでいた。岩盤の間にある地面から気の根っこが出ていて、ぐるりと下に向いた根が再び、土壁に潜り込んでいる。
岩盤から粘土質の壁に変わる場所もあり、横穴が開いた場所にやって来た。地図を確認すると、右の穴の方が広い空間になっているらしい。
俺は生命探知を使って穴の向こうを覗き込む。
すると道の先に何か反応があった。
でこぼことした岩や土壁の陰で、大きな蟷螂の死骸を食べているのは鰐蜥蜴だ。細長い胴体と尻尾を持ち、鋸状の歯を持つ長い口でむしゃむしゃと、蟷螂の胴体を食っている。
灯明の光を受け、黄色い眼がこちらを見ると食事を止め、べたべたと足を動かして向かって来る。二メートルに満たない体の蜥蜴だが、鋭い牙が並んだ口は危険だ。
「ゴスッ」そんな音がした。
近寄って来た蜥蜴の頭に魔剣を振り下ろし、地面に叩きつけたのだ。
「まぬけ」
蜥蜴の尻尾を切り落とすと、それを皮袋に入れて影の中へしまい込む。鰐蜥蜴は雑食だが、果物なども食べている所為か肉は淡泊で旨い。特に尻尾は適度な筋肉もあり美味とされている。
その後も風穴の中を探索し、奥へ向かって進んで行く。先に進んでいる冒険者達が倒した死骸を追いながら進み続けると、暗がりの先に明かりが見えてきた。
外へと通じる明かりではない、角灯の明かりだ。
俺は灯明で照らしながら明かりの方へと近づいて行くと、そこには数名の冒険者が集まって、座り込んでいる一人の冒険者を取り囲んでいた。
「誰だ?」
こちらに気づいた男が警戒し、そう声を掛けてきた。
「あんたと同じ冒険者だよ、それよりも──」
壁に背を預けて座り込んでいる男は、呼吸が苦しそうだ。肩から出血した跡があり、回復魔法で傷を塞いだところであるらしい。
「あ、昨日の……」
六人組の一団の中に、昨日の女冒険者達の姿があった。荷袋を足下に置き、角灯を手にしてこちらに近づいて来る。
「お前達はミッシュとアウデリンと言うのか?」
そう声を掛けると、彼女らは驚いた表情を見せる。赤茶けた短い髪の女がミッシュ、長い紺色の髪の方がアウデリンだと言った。
「俺はレギ。ギルドの方でお前らの名前を聞いた。──この風穴に未確認の魔物が出現したらしい、ギルドからも調査隊が投入される予定だ。探索に来ている冒険者には危険だから街へ戻るよう指示が出ている」
地べたに座り込んでいる奴は、別の一団で風穴を探索していた冒険者だという。たった今、その男から「黒い影」について聞いていたところだ、と統率者格の男が言った。
「この人によれば、他に五人の冒険者と行動していたらしいです。一人は──その影に倒されて、残りの三人は逃げ出したらしいですが……」
なんとか逃げ切ったみたいだが、肩を貫かれた傷から出血し、動けなくなっていた訳か。
「ロガー、ガゥスペリン、シェイマの誰かか?」
倒れている男に声を掛けると、力無く「俺はロガーだ」と口にする。
「森の出口にある砦に居た男から、その三人の名前を聞いた。怪我をしているが生きている。……お前達はロガーを連れて地上に戻ってくれるか」
銅階級くらいの冒険者達だろう。
灯明の明かりを受け、ぼんやりと青紫色の光を反射する不気味な剣を見て、冒険者達は黙って俺の指示に従った。
「あなたはどうするの?」
「俺はギルドから依頼されて調査に来ている。未確認の魔物を探してみるさ」
ロガーに大体どの辺りで黒い影に遭遇したか分かるか? と尋ねると、側に居た冒険者が羊皮紙に描かれた地図を取り出した。
「たぶん……この辺りだと、思う。奥の……この辺りから東側に向かっていたから」
黒い影についていくつかロガーから聞き出すと俺は男に礼を言い、冒険者の一団に彼の護送を任せ、東へ向かう道を探す。
「気をつけて」
アウデリンの言葉を受け、俺は軽く手を振って応える。頭の中で地図を展開しながら、最短経路で影との遭遇地点に向かう道を決定する。
黒い影は触手を使って攻撃してきたらしい。魔法による攻撃もしてきて、氷の槍を受け肩に傷を負ったと言っていた。
魔法反射を利用する事も考え、この暗闇の多い風穴の奥に居る、未知の化け物に対峙する心構えを持って進む。
土の匂いが満ちた洞穴の奥から緩い風が吹いてくる。その匂いの中に、血の匂いが混じっているのに気づくと、警戒しながら先へと進む。この周辺は大きな風穴に続く細い通路状の道が入り乱れている、まるで地中を掘り進む蚯蚓が掘った跡の様だ。
匂いの元に向かって感覚を研ぎ澄まし、風が運んでくるその匂いに向かって行くと、道の先に誰かが倒れ込んでいるのを見つけた。地図に人が倒れていた事を印しながら、その女の側に行き状態を確認したが──死んでいる。
俯せに倒れた女の背中に氷の槍が突き刺さっており、その大きな氷から白い靄がうっすらと漏れ出ていた。女の首から下げられた階級印章を探ろうとした時に、女の脇腹にも大きな穴が空き、そこから大量の血が流れているのを知った。
印章には「シェイマ」と彫られている。
彼女の遺体をそのままにし、道の奥に向かって進む事にした。後でギルドの調査隊が遺体を回収するだろう。
暗い道の先は左右に分かれ、灯明の光が照らす道の先に向かって生命探知や魔力探知を行う。
道の先には何の反応も無かったので、細い通路の先から吹いてくる風に逆らう形で歩みを進める。
その辺りはひんやりした空気が一層強くなってきた。剥き出した地面から岩が顔を覗かせた場所や、虫が棲み着いていると思われる穴が、ぼこぼこと開いた土壁があった。
それらを通り過ぎた先に再び分かれ道が現れ、目的地へ繋がる最短経路を辿る事を選択しつつ道の先を調べる──すると冷たい風の中に、獣臭さが感じられた。だが、それは何か、違和を感じさせる臭い。
思わず鼻を押さえ、その生臭さを感じる臭いについて記憶を辿りながら、道の先へと向かって行く。
その臭いを放つ物の記憶に辿り着いた時、風穴の東側にある直線に伸びた、大きな通路になった場所に出た。
「この臭いは……海か?」
まさか、ここは森の地下にある風穴だぞ。しかも内陸側に位置し、海からは遠く離れている。そんな当然の疑問が沸き起こる。しかし、その臭いは──獣臭い中に、海の近くで感じる潮の匂いに似た磯臭さ、あるいは水草で埋め尽くされた池の側、魚達が死滅した池や沼の近くで嗅いだ事のある異臭を思い出させる。
「なんだ、この違和感は……」
臭いの異様さもあるが、その通路に入った辺りから、肌に感じる異様な空気を感じ始めた。周囲の環境を探査魔法で確認すると、こうした洞穴や迷宮などで確認できる量を遥かに上回る濃度の「魔素」が充満している事が分かった。
やはり異様だ、そう考えながら障壁魔法を展開する。
不意の魔法による攻撃を受けたり、魔素の影響を受け続けるのを防ぐ為だ。微弱な物であれば問題ないが、魔素を制御できないほど取り込んでしまうと、自身の魔法を制御する霊的体にも悪影響を及ぼす。
魔法を扱う者なら常人よりも魔素に対する耐性は高いが、油断はできない。
「それにしても……何でこんなにも魔素が濃いんだ、ここは……」
嫌な予感が消えない。
不死者の魔神ヴァルギルディムトや、死霊の王と戦った時を思い出す。あの場所は高い天井があったが、死霊の王を存在させる為に用意された異界であった。──ここは現実の空間であり風穴の中だ、特別魔素が多い環境でもないはずだ。
濃い魔素は風穴の奥から不愉快な臭いと共に流れてきている。
「この臭いは堪らないな」
段々と気分が悪くなってきた。さすがにゲロを吐くまではいかないが、魔素の影響を防がずにこの風穴の奥まで向かっていたら、通常の人間なら吐く前に来た道を引き返しているだろう。
用心深く風が流れてくる広々とした道の先に目を凝らす。……何かが見えてきた。
それは大きな体の両生類の様だった。
「これがゴルマの魔獣か」
それは灰色と茶色の斑模様をした不気味な生き物の死骸だ。壁際に叩きつけられたみたいに横向きの格好で死んでいる。
開いた大きな口からは、まるで人間の歯みたいな形の大きな歯が並んでおり、粘液にまみれた巨大な赤茶色の舌が、だらりと地面に横たわっていた。
「臭いの大本はこいつか……?」
冒険者に倒された物ではなさそうだ。腹部を見ると内臓が完全に無くなっており、ぐずぐずに崩れた肉に群がる鼠や鼬、大きな虫などと並んで「死肉喰らい」が一体いた。
「夜に徘徊する者」に似た怪物で、こちらも人の姿に似てはいるが、頭は犬の様な形で鼻先が伸び、四つ足で行動する。「夜に徘徊する者」がそこそこの知性を持つのに対し、こいつは死体を漁るだけで、知性も戦う力も大した事は無い存在だ。
それにしても鼠や鼬が同じ獲物を食っているとは意外な光景だ。小さな獲物では無いから、互いに奪い合ったりせずに済むからだろうが──にしても、異様な光景だ。
離れた場所から見ると、巨大な大山椒魚の腹に虫や動物と共に、人が混じって死骸を喰らっている様にも見える。俺はこちらに気づいた死肉喰らいが行動を起こす前に一瞬で近づき、その腕と首を次々に切断して打ち倒す。
鼠や鼬が音にびっくりして逃げ出すが、こちらが襲う気が無いと知ると、警戒しつつ食事に戻って行く。
巨大な魔獣の死骸を詳しく調べてみると、肋骨まで無くなっている場所がある。──そんな事があり得るだろうか? 堅い骨を喰らう生き物など居ないだろう。このゴルマの魔獣を倒した奴は、もしかすると……
そう考えた頭の片隅で、ある感覚が危険を察知した。死の接近を知らせる無意識の警告。
俺は素早く身を翻すと、壁の窪みに隠れるみたいに体を壁に押しつけた。
一瞬、風穴の中が明るくなった。
通路の奥から炎が噴き出してきて、魔獣に群がっていた生き物達を焼き尽くす。
危なかった。魔獣の死骸を前にしてぼさっと突っ立っていたら、丸焦げになっていたところだ。




