ウーマ風穴での戦闘──達人の戦闘感覚──
戦士ギルドに入って行くと、受付の前に向かう。──なにやら受付の向こう側が慌ただしい。
「なにかあったのか」
俺は受付の近くに立っていた受付嬢に声をかける。
彼女は「ええ、まあ」などと言葉を濁らせたが、すぐに受付嬢の顔になり、階級印章の呈示を求めてきた。
俺は首から下げた鉄の印章を取り出して見せ、なにがあったかと尋ねると受付嬢は一呼吸おいて話し始める。
「実はウーマ風穴で、未確認の魔物が現れたという報告がありまして……それでこれから調査隊を編成して、その魔物の調査、可能なら討伐に向かわせる人を集める予定です」
受付嬢の言葉からは、かなり時間がかかりそうな雰囲気だ。小声で彼女は「数名の死傷者が出たらしくて、現在はウーマ風穴への立ち入りを禁止する方向で話が進んでいます」と告げた。
「ウーマ風穴……その死者の中には、二人組の──低質石階級の女も居たか?」
「? ……いえ、死傷者は男性二名、女性一名と聞いていますが」
受付嬢は「全員が銅階級ですね」と言いながら帳面を確認する。
「……ああ、ここに記載がありますが、これでしょうか? ギルドに仲間の募集をしていた、二人組の女性冒険者の記録があります。──どうやらその後、男性二人、女性二人の一団と共に、ウーマ風穴に向かったようですね」
女性二人の名前は「ミッシュ」と「アウデリン」でしょうか? と言ってきたが、俺は彼女らの名前を聞いていないので確認のしようがない。
「そうか分かった。では俺が先行してウーマ風穴を調べて来よう。ギルドから馬は出せるか?」
ウーマ風穴の地図はあるか? と尋ねると、受付嬢は気迫に圧されたのか、すぐにウーマ風穴のだいたいの地図を取り出して見せる。
「一人では危険かもしれませんよ。ウーマ風穴への進入は銅階級以上が推奨となっていますが」
俺はウーマ風穴の地図を無意識領域に取り込むと、大丈夫だとだけ答え、道案内と馬の手配を頼む、と受付嬢を急かした。
意外にもギルドの対応は早かった。たぶん、調査隊に必要な人数を集めるのが難しいと判断していたのだろう。
道案内をするという狩人の男と二頭の馬をギルドは手配してくれた。依頼報酬を簡潔に提示してくれたが、俺はその言葉を軽く受け流すと馬の腹を蹴り、ウーマ風穴へと急ぐ。
別に荷車に同乗しただけの女冒険者を助けに行くなど、そんな格好の良い事を考えている訳ではない。新たに獲得した剣の技術を奮うのに、ちょうど良さそうな案件だと考えたまでだ。
それに気になる事もある。
「未確認の魔物」についてだ。
考え過ぎかもしれないが、俺がこの街へ来てすぐに謎の魔物が出現するなど、──そんな偶然があるものだろうか?
ここのところ腑に落ちない獣や亜人との接触を経験していた俺は、敢えて危険に飛び込んで相手の正体を探ってやろうと考えていた。……別に今回の風穴に出現した魔物が、それらの理不尽な現象を引き起こす張本人だと言うつもりはなく、不確定な要素が起こったので、敢えてこちらから牽制してやろうと思い立ったのだ。
「不運というやつと正面から戦って、ねじ伏せてやるのも悪くない」
もちろん細心の注意を払って行こう。
危険な仕事に赴く時に、油断してかかる間抜けは居まい。
案内人の狩人から、ウーマ風穴に出現する敵対生物や亜人、魔物などについて聞き出し、広大な範囲に広がる風穴の特徴的な地形などについても聞いておいた。
広大な風穴は大きな岩山が乱立する森の中にあり、岩山や森の地下にも迷路のごとく風穴が開いていると言う。中には人工的に開けられた道もあるらしいが、風穴の地層は岩盤と砂地でできており、足下の砂には水がどんどん吸収され、森の地下を通る風穴にもかかわらず、水が溜まる事はほとんどないらしい。
「小さな鼠から狐や鼬まで、色々な生き物が岩山や森の中を生息地にしていますね。風穴からは離れた場所にありますが、ビオナング山とは森で繋がっており、そこから亜人たちもやって来るので、風穴には魔物や魔獣なども含め、狩人や冒険者の狩り場として成り立っている感じです」
甲殻蜘蛛を狙って、鉄刃蟷螂が待ち構えているのだとか。──また、滅多に出現しないが魔獣の中には危険な奴も居て、それを相手にするのは鉄階級以上の実力を推奨しているらしい。
それは大山椒魚に似た気味の悪い魔獣「ゴルマの魔獣」で、こいつが鉄の鎌を持った大蟷螂を狙い、風穴の中を彷徨うらしい。巨大な口から粘着力のある舌を伸ばし、蟷螂も蜘蛛も捕食してしまう。
「外見の気持ち悪さから冒険者にも忌み嫌われていますね。なんと言うか……焦げ茶色や灰色の体をした腐った蟇蛙、とでも言えば良いのでしょうか。頭の左右にある大きな眼といい、口の形といい……本当に気味が悪い。動きは遅いですが、舌には気をつけないといけません」
まあ、風穴の中は狭い場所が多く、ゴルマの魔獣が入れる場所は限定されますが、と説明する狩人。大山椒魚なのか蟇蛙なのか、なんとも想像しづらい魔獣である。
そんな狩人の忠告を耳にしながら馬を走らせ、道の先に森が広がるのが見えてきた。いくつかの岩山が立ち並び、その下に緑色の葉を持つ木々に、葉を落とし尽くした枝ばかりの樹木なども確認できた。
「葉が枯れて落ち葉となっている訳ではありません」と、一部の樹木が枝を剥き出しにしている点を尋ねると狩人は言う。
「あの森の樹木のほとんどは常緑樹ですから。葉がなくなっている木は、栗鼠や猿に食われているのですよ。なんでかは知りませんが、冬前になると葉っぱが甘く柔らかくなって、それを生き物たちが食べてしまうんですね」
珍しい形態の樹木だ。狩人の説明を聞きながら、その樹木が冬前に葉っぱを甘くする理由を考えてみた。
雪の重みを減らす為だろうか。自力で葉を落とせないので、葉っぱを柔らかく、獣たちが食べやすいように変えて、甘味も付け足しているのでは?
あるいは葉っぱを餌にして、獣たちを寄せ集める理由があるのだろうか? ……少し考えてみたが、納得のいく答えは見つけられなかった。種を運ばせる為に果実を鳥に食わせ、糞として種を蒔くのは知っているが、それと同じ手段を取っているのだろうか。
そんな事を考えているうちに森の手前にある石造りの建物までやって来た。物見櫓のある小さな砦だ。シンの兵隊が詰めているのかと思ったが、そこに居るのは冒険者数名だった。
話を聞くと怪我をした冒険者が、その砦で治療を受けているのだと言う。──冒険者に会ってみると、まだ若い男の冒険者だった。
「黒い影が現れて……風穴の薄暗い地面に、真っ黒い影が広がって、その中から見た事のない化け物が……」
冒険者はだいぶ混乱している様子だ。他にも仲間が居たが、影から逃げているうちにはぐれてしまったらしい。
「そいつらはミッシュ、あるいはアウデリンという名前か?」
俺の問いに冒険者は首を横に振る。
「いいや、ロガーとガゥスペリン、シェイマの三人だ」
俺は頷いたが内心「違ったか」と、安心したような、落胆したような気持ちになる。
ミッシュとアウデリンがあいつらとは限らないが、仲間を募集した日にちなどから考えても、あの二人で間違いないだろう。
俺は狩人に礼を言い、厩舎に馬を預けると狩人には帰ってもらう。──探索には一人で行った方が都合が良い。
森の入り口まで来ると、無意識に取り込んだ大まかな地図を広げながら、探索を開始する。
風穴の前に、まずは森の中を通らなければならない。穴の開いた場所などを探し求める。地図によると離れた場所に三ヵ所ほどあるのが分かった。
「森の中にも甲殻蜘蛛は出るだろうし、あいつらは風穴に入ったのだろうか」
地中を貫き通して生命探知をおこなうのは、近い場所だけなら楽だが、これだけ広大な場所を探るとなると、魔眼を使ったとしても厳しい。
まずは風穴に入り、そこから通路状に伸びた地点から探りを入れていこうと考えた。
地面が盛り上がり、地下に向かって口を開ける穴の近くに来た時に、森の中も生命探知を掛けて見回してみたが、鼠や兎、猿などの小動物の青い影が見えただけだ。人間らしい姿は見当たらない。
──そして大きな化け物や魔獣の姿も。だが森の奥に大きな影が一つ見えていた、かなり大きな体を持つ獣らしく、四つ足でのろのろと歩いている。
大きな角や牙を持つ、猪に似た姿の生物だろうか。遠くて細部までは確認できなかったが、見た事がない生き物だ。
「もしかして魔獣か?」
危険で厄介な相手に出くわすより先に二人の女冒険者を探し出し、森の入り口にある砦まで連れ戻すべきだ。……未確認の影から現れる存在についても調べたいが、話を聞いた限りだと妖魔や、魔物である可能性が高い。
影の魔術を操る魔女や、妖人である可能性もある。
どちらにしても危険な相手になりそうだ。交戦するにしても、相手の情報を集めて対策を練った方がいい。もし探索の途中で負傷した冒険者が語っていたような影に出会したら……魔法で応戦しつつ、できる限り敵の分析をして──逃げても構わないだろう。
討伐が目的ではない。
影の中から現れるというと、ラウヴァレアシュの配下であるエンファマーユを思い出す。
影の魔術については俺も、物質を影の倉庫に入れる魔術なら習得したが、生命ある者を影の中に、自分自身を影の中にすっぽりと入れて影を移動させる事はできない
生命──いや、精神体を持つ者を時間の停止する影の中に入れるのは不可能なようなのだ。
しかしエンファマーユは影の中に入って、その影を移動させて行動していた。つまり、影の倉庫とは違った魔術という事になる。
暗い風穴の中を歩く時は携帯灯を使って、辺りを警戒しながら進む。開いた地下へと続く穴に入りながら、緩やかな砂地の斜面を下って行く。穴の奥から風が──冷たい風が吹いてきて、顔を撫でていった。
冷たい風が運んで来たのは微かな獣の臭いと、血の匂い。
見ると斜面を下りた先に獣の死骸が転がっている。
三頭の野犬の死骸だ。それらは腹を引き裂かれて内臓を食われている、他の獣か魔物の仕業だ。
俺は左手に携帯灯を、右手に魔剣を携え、真っ直ぐに伸びる風穴の奥に向かって歩いて行く。
道幅は一定ではない、所々が広くなったり狭くなったりしているので、見通しは良くない。固い岩盤から突き出た岩などが道幅を極端に狭めている場所もある。
そうした場所を通過する時も用心しながら進んでいると、分かれ道に差しかかる。
「足跡が」
右側に伸びる方に数名が通った足跡が残されている。砂の地面に残された跡は、五人か六人ほどの集団だろう。
「あいつらか?」
左と右の道の先に向かって生命反応を探るが、人は居ない。……その代わり、鉄刃蟷螂がこちらに向かって近づいて来ている。
「やれやれ……」
ツイてない。
いきなり大きな蟷螂の登場だ、しかも二体。
携帯灯の光に引き寄せられたのか、足音もなくこちらに近づいて来る。
「いいだろう。剣だけで相手をしてやる」
俺はそう宣言すると携帯灯の代わりに、灯明の魔法を使って周囲を照らす。明かりの中に人間が立っているのを確認すると、二匹の蟷螂は「ギチギチギチッ」と嫌な音を立てて両腕の鎌を持ち上げる。
天井はそれほど高くないので、剣を振り上げるには不向きだ。ならば……
俺は奴らの前に駆け寄ると、横薙ぎにされた鎌の一撃をしゃがんで躱し、胴体を斬りつけた。ただ斬ったのではない、踏み込んで薙ぎ払う、力の乗った一撃。
蟷螂の白い胴体は伸び縮みする皮膚に似た物だった。茶色い外皮は固いが、甲殻蜘蛛ほど固くはない。一撃で胴体を叩き斬ると、二体目が突進しながら鎌を振り下ろしてきた。
砂地に鎌の先端が突き刺さり、そこへ小さく振り下ろす攻撃で腕を切断。流れるようにして腹部を斬りつけて二体目も難なく倒す。
「いい感じだ」
なんだろう、二日前の俺からは想像できないくらい軽やかに動き、戦える感じだ。相手の攻撃で傷つく想像ができないほどに、相手の攻撃が予測できて、回避から攻撃に移る動作も初めから決まっていたかのように感じだほどだ。
戦いに赴く不安や恐怖を引っ込めるまでもなく、強固な闘志を以って戦いに臨める。
相手の実力が判断できて、どうすれば勝てるのかを知っている達人とは、こんな感覚になるのだろう。まるで不安も逡巡もなく、油断もせず確実に敵を倒す為に行動する、一定の規則性をもった動き。
戦いの中で勝利を確信しながら、その確信を現実の物とする為に行動する戦い。そんな風に表現できるだろうか。
卓越した戦士の感覚というものが、俺にもはっきりと分かった。
「これなら一人でも十二分に戦えるな」
今までも一人で旅をし、冒険をおこなっていた俺だが、今まで以上に安心して旅をおこなえる。そんな力を手に入れたのだ。




