シグンとの別れと、大陸南方の宗教観
大陸南方にある信仰についてのウンチク。
宗教学とか知っている人むけかな?(笑)ここでは精霊信仰と自然信仰をあまり区別しない感じで書いてますかね。アニミズムはあらゆる自然物に霊的存在が宿っている、という考え方? 日本では「付喪神」という似た信仰がありますね。
「戦神が非理性的な信仰を統治する」という部分が、このウンチク回の見せ場かな(笑)
最後の巫術師から匂う柑橘系の匂いとは、冒険前に行っていた儀式で付いた匂い。木の枝や葉を燻蒸して、その匂いが移った──って、どうでもいいですか。
鐘が二度鳴った。
闘技場に訪れる客は一人も居なかった。あとで気づいたが、受付の男が入り口に立て看板をして人払いをしていたのだ。
受付の機転のお陰で俺とシグンは、心置きなく実戦訓練をおこなう事ができたのである。
今度の訓練は、より剣闘士らしい闘いになった。足運びや剣の構えを変えながら、間合いに注意して攻撃をし、回避や捌きに注力する闘い方。
相手の攻撃を見切り、躱し、反撃する。
その一連の動作をこの戦闘中に練り直しながら、俺は一撃一撃の剣戟を交わす度に強く、洗練された動きになるよう心がけて闘った。
訓練終了を意味する鐘が鳴ると、俺たちは息を整えながら黙って頷き合う。
「今のレギならば、ここイアジェイロの闘技に剣闘士として出ても、かなりの活躍を期待できるだろう」
シグンはそう言うと、肩を竦めて溜め息を吐く。
「実に末恐ろしい話だ。一日前までは多少腕の立つ戦士くらいの腕前だった男がたったの一日で、剣闘士としても戦えるほどの力を身に付けると言うのだからな」
独特の呼吸をして息を整えるシグン。その呼吸法は体内の気の循環を使って体力の回復を早めるものだ。
その呼吸法で気を操作するには、体内に新たな機能を付け加える術を知らなければならないが。
「これもあなたのお陰だ、感謝する」
「お前の思惑通りに乗せられたと言う訳か。しかし魔術師であるあんたが、なぜ剣の修業を求めるのか、それがいま一つ理解できん」
彼の言い分を認めながらも、俺は剣の技術を磨く事は意義があると告げる。
「魔術や魔法が得意だからといって、それができれば他はどうでもいいとは俺は考えない。むしろ魔法などが使えない状況になったら、頼るのは己の身体と技術のみだろう」
戦いの技術は各地を歩き回る俺には必要な技術だ。そう答えると彼は「そうだったな」と、納得したようだ。
「あんたは魔術師と言うよりは、冒険者であり探求者なのだろう。俺が言うのもなんだが、二十代前半の年齢であんたほど成熟した男を見たのは初めてだ」
シグンは自分で言いながら、からからと笑う。
「俺もまだまだ強さを求めていく気持ちになったよ、戦いに捧げる人生というのも悪くない」
彼も俺との闘いの中でなにかを吹っ切れた様子だ。彼のような凄腕の戦士にも、これから先の未来──戦いの続く将来に、不安を抱いていたのかもしれない。
だが事実、どう飾り立てたところで人生というやつは戦いなのだ。些細な事柄ですら、その人の人生を大きく変化させる切っかけにもなり、そして大きく人生を狂わされる原因にもなる。
人同士の関わりだけではなく、人と世界の関わりそのものが戦いなのだ。
生き残るには、戦い続ける以外の選択肢があるだろうか?
俺は率直にそう口にすると、シグンは大きく一度だけ頷いて見せる。
「その通りだな。なにも剣闘や、魔物や亜人との戦闘だけが戦いではない。生きるという事は少なからず、勝ち取っていかなければならないものだ」
農民には農民の生きる為の戦いが、商人には商人にとっての戦いがあるものだ。振るうべき武器や手法が違うだけで──我々は常に戦い、争い合っている。
受付に木剣を返し闘技場の外に出ると、そこには「本日入場禁止」と書かれた立て看板が置かれていた。
「世話になりました」
俺は大剣を背負う大柄なシグンに声をかけ、金貨を一枚手渡す。
「ここでお別れだが、またいつか会う事があったら、その時にどれほど強くなっているか確かめてみたいものだな」
シグンはやや物騒な笑顔を見せる。
彼の中にある闘志が、未来の強敵を望んでいるみたいに見え、俺は苦笑いしてこう応じた。
「俺はあくまで護身用に剣技を学んだだけだ、強敵と戦いたいなんていう気持ちはまったくない」
短期間で強くなる者が居るという事実が、彼を再び戦いへと向かう気持ちを駆り立てたか。数年後に出会うとしたら、彼は今よりも強くなっているだろう。
俺も剣技に磨きをかけ続ける気はあるが、あくまで戦いに勝って生き残る、その手段の一つとしてだ。
強くなること自体が目的ではない。
剣闘士として生きてきたシグンとは違うのだと改めて思う。
彼は強くなる事そのものが目的なのだ。
俺にとっては強さは手段でしかない。目的を達成させる為の手段の一つ。
生き方が違う、考え方が違う。
当然だろう、俺は彼ではなく、彼もまた俺ではないのだから。
だが彼の生き方も俺は認める。
農民か樵しか選べない様な境遇から抜け出し、自らの力と知恵のみで戦い抜いてきた彼を尊重する。
一つの事柄に邁進し、自らの生き方を構築するに至った戦士。その生きざまを。
シグンは馬車の停留所へ向かい、俺は彼とは反対の方向に向かって歩き出す。
通りを歩きながら俺の中に、沸々と沸き上がる衝動があるのを感じた。
新たに手に入れた戦闘技術を試したい、という欲求だ。……とはいえ、そこらに転がっている荒くれ者を見つけて叩きのめしてやろうとか、そんな風に考えている訳じゃない。
俺は腕や肩を回し、身体に異常がないのを確認すると、歩いて戦士ギルドを探す事にした。なにか適当な討伐依頼をこなし、剣での戦いをおこなってみようと考えた。
その道の途中でレファルタ教教会を見つけた。それは教会というには不自然で、門の上に掲げられた看板に書かれた文字がなければ、レファルタ教教会とは気づかなかったかもしれない。
白く塗られた壁は教会風だが、屋根の造りはシンにある瓦を使用した建物であり、大陸北部などの教会に見られる、急角度をした屋根ではなかった。
窓枠などもシンにある建物をそのまま利用した教会で、まだこちらに来たばかりの神官らによって、教会へと作り替えられた建物であろう。
開かれた入り口から中を見てみると、数人の男女が忙しなく長椅子などを運んで、内装を教会の物へと作り替えている最中だ。
「奴らはどこにでも湧いてくる」
教会を建てて回るのが連中のいつもの布教活動だった。
しかし南方には自然信仰や、シャーディア信仰が根強い。
シャーディア信仰は大陸南方に古くからある、天と地を司る神々を崇める宗教であり、主神の名前が地域によって微妙に異なる事から混乱を招く、自然信仰に近い形式を持つ宗教だ。
……まあ俺も詳しくは知らないのだが、主神の名前が「フェアルス」とか、「ファルリス」とか、「フリアルス」とか呼ばれているらしい。元々は戦士たちの神──つまり戦いの神だったのだが、やがて農耕神と関連づけられたりして、民衆に親しまれる神になったらしい。
自然の力を奮う神としての側面も持つ事で、自然信仰とも結び付けられる宗教だが、一部では過激な生け贄の儀式などがおこなわれており、未開の野蛮な宗教だという偏見を持たれる事も多い。
自然信仰とは自然現象の中に霊的な存在があるとする信仰だ。精霊信仰とも呼ばれる事がある類のものと考えていいだろう。──この信仰形態は細かく分けるといくつかの分類に分けられるが、その事について語ろうとは思わない──
この自然信仰を中心とした古い神を信奉する者たちには──野蛮で、特に卑猥な祭儀をする風習があるらしい。
古き神(名前が秘匿されている場合がほとんど)を招く為におこなわれる祭儀だというが、まあ控えめに見ても、それはただの乱痴気騒ぎ、その集落では合法的に行われる乱交祭りといったものだ。
こうしたシャーディア信仰や自然信仰を一纏めにした呼び名で、「モルギア」と言うものがある。
この概念は宗教ではない。モルギアとは古い神々や古い宗教的価値を容認する連中の総称だ。古き神には土地や地域を司る神が多く、人間界に近い存在として語られているものが多い。根強く残る風習などにも良くそれらの神の名が登場する(「嵐と豊穣を司る神」などと呼称される)。
前述した「フェアルス」などと呼ばれる主神を筆頭とした上位神が、古き神々(地方神、土着神)を統括するとされている考えが、シャーディア信仰なのだ。
ある地域や場所で崇められている──古く、纏まりのない、自然の神格化とも言える神々を纏めて「モルギア」と呼んでいたのだが、余所の国から来た学者らによっては、シャーディア信仰を含む、南方の宗教を「モルギア」と(誤って)呼称している訳である。
レファルタ教にとっては、古い神々とその信奉者とは「異端者」だと考える者も居るが、モルギアの多い南方などでは、彼らも容易には「異端」などと決めつける事もできないだろう。
外部から来たレファルタ教こそが、反対勢力として敵視される可能性が高い。
おっと、話がだいぶ逸れてしまったが、要するに一番力ある「戦神」が、野蛮で非理性的なおこないをする、未開の信仰を纏め上げたという形になった訳だ。
南方地域の信仰、数々の神や精霊を纏めて「モルギア」と呼ぶレファルタ教徒だが、北方にだってレファルタ教が普及する以前には、いくつもの神や信仰対象があった。それらを上手く法の神レスターの「異なる顕現をした姿」と言い含めて、元々あった信仰対象や偶像などを吸収し、今のように大きな宗教として各国に広がりを見せているのである。
戦士ギルドの看板を見つけて近づいて行くと、その建物はシン風の造りをした二階建ての建物で、木製の門扉は開かれ、数人のシン国の冒険者とは一風違う雰囲気を纏っている。
神官や魔法使いも居るようだが、神官はレファルタ教の神官ではなく、「シャーディア教団」の神官であるみたいだ。
正確には「シャーディア教団」なるものは存在しない。……いや、無かったのだ。だが、大陸北側や西側でレファルタ教が急速に広まりを見せると、それに危機感を抱いた南方や東方に居る一部の神官──あるいは巫術師や呪術師、集落の長など──が、各地の勢力と手を結び、「精霊信仰・呪術継承(古き信仰継承勢力)」として手を取り合おうと呼びかけた者が居て、それが徐々に認知されてきた。
未だにシャーディア教団はきちんとした教義がある訳でもなく、しっかりとした組織的まとまりや繋がりがある訳でもないらしいが、古くからある風習や呪術の力(彼らに魔術を教えた神が居る、と考える者も居る)を手放すまいと、結束力を持ち始めているのは間違いない。
各地に教団の拠点が置かれ始めている、とも伝え聞いている。
こうした信仰心による他国の思想侵入に、歯止めをかけたい者が居るのだろう。こうした事が人々の争いに発展し、それが国同士の争いに拡大しないかと、一部の学者が警告を発していたが──哀しいかな、多くの大衆は字が読めないのだ。
薄茶色と緑色が多く使われた巫術師の衣服を身に着けた女を見ていると、彼女はむっつりとした表情で俺の顔を見て、目を逸らす。
ピアネスとシンは国境を接しているが、大陸中央に位置する北側(ピアネス国)と南側(シン国)で、住む者の顔つきはだいぶ違う。
大陸の西や北には線が細く、青白い肌の人が多いが、東や南に住む者の多くは骨太で、赤みを帯びた白い肌の人が多い感じなのだ。──ちなみに「北側には美女が多く、南側は醜女が多い」という言葉が囁かれたりするが、俺個人はそう感じた事はない──
人種の違いと言えばそうなのだろうが、生活環境違いで見た目が異なる、と考えてもいいのではないだろうか。
大陸の南東にあると言う、別の大陸に住む南方人は我々の見た目とはだいぶ異なるものだ。──一部の人間は、その南方人との混血が大陸南側などに住む骨太な人々なのだ、と言っている者も居たが、南方人は肌の色が茶褐色で、見た目も大陸人とはかなりの違いがある。
混血だったら、肌の色に明確な違いが出ると思うのだが。
だいたい南方人を捕らえて奴隷にしているのは、大陸の南側に住んでいる人々ではなく、むしろ北側に住む人々の方だ。(大陸北部のジギンネイスや、東北にあるディブライエが南方人の主な奴隷輸入国である)彼らは大きな船で南下し、「蛮族領」などと呼んでいる大陸に向かっては、そこで捕らえた人間を奴隷にして船で「輸入」しているのである。
レファルタ教は、この南方人奴隷について黙認している状態だ。「人は神の名の下に平等」とか謳っていた気がするが、南方人は人ではないらしい。
そんな考えを巡らせている俺を無視して、冒険者の一団は通りを歩き去って行く。
近くを通り過ぎて行った巫術師からは、甘酸っぱい柑橘類の香りが仄かに漂ってきた。




