シグンの過去
自らを追い込み、力や知識を追い求めた人は、共通する意識の有りようを持っているものです。
方向は違っても、取り組んだ真剣な行為の中で己を磨き上げる……そういった事ですね。ちょっと脱線した話が続くかな──本筋の魔神関連ばかりでは進めませんよ~(笑)
受付の男が門を開け、闘技場の中へと入って行く。
通路を歩き受付に魔剣を預けると代わりに木剣を借り、それを持って闘技場へ向かう。
黄土色の砂が空の青との対比で綺麗な物に見える。──だがその砂の下には、闘技で流された戦士たちの血が染み込んでいるのである。
砂を踏み締めて木剣を振るう。
力を入れずに簡単な連続技を試し、素早い攻撃から大技に持って行く一連の連携を確かめた。防御や回避が得意な相手を追い詰める、一番単純な戦略の一つ。
素早い攻撃で動きを止め、強力な一撃で防御を破り、最後の一撃を、防御を崩した相手にお見舞いする。
いかに相手の体勢を崩し、避けにくい状況に持っていくかが勝負の分かれ道だ。素早く鋭い攻撃をいつでも打てるよう、構えに力を入れずにできる限り自然体に近い状態で構える。──それはシグンの基本的な戦闘姿勢だった。
大勢に囲まれても普段通りに構えて、反撃で確実に敵の数を減らし、自分の有利な状況へと持ち込む。
実力と自信がなければ、冷静さを失って敗北するだろう。
俺にはそうするだけの冷静な判断や覚悟は持ち合わせていたが、それを確実におこなうだけの力や技、経験が足りていなかった。しかし、シグンとの闘いから得た知識と経験を以ってすれば、これからは剣の戦いにおいて、俺は多くの状況で優位に立てるはずだ。
広々とした闘技場の中で体を動かすのは楽しかった。昨晩あれだけ剣の修業をしたあとだというのに、戦いへの高揚感が沸き起こってくる。
それはこの闘技場に遺された、戦士たちの闘争心の残照か。
何年にも渡って繰り返された闘技の記憶が、この砂上に残っているみたいだ。
目を閉じると誰も居ないはずの客席から、観客たちの興奮した歓声が聞こえてくる気がした。
「もう来ていたか」
通路の方からシグンの低い声が聞こえてきた。
「ああ、昨晩から続く戦闘の高揚が消えないんだ。あなたに約束した通り、昨日までの俺とは違うところを見てもらいたくてな」
俺の体から放たれる闘気を見て、シグンは真剣な顔つきになる。
それはそうだろう、分かる人には分かるのだ。目の前の人間が昨日戦った男とは違った力を身に付けている、という事に。
「ふむ……本当にたった一日で、そこまでの気配を宿すとは。まだまだ俺の知らない世界があるという事か……」
そう呟きながらシグンは、大剣型の木剣を手にして進み出る。
「では、始めようか」
そう言った彼は、昨日とは違う本気の気配を漂わせていた。鋭い殺気にも似た闘気が、闘技場の空気を支配したかのような、そんな気さえするほどに。
戦闘訓練はいきなり始まった。
それも今度はシグンの方から攻撃を仕掛けてきた。
一瞬の攻防。
鋭い突きから大剣を引き戻し、身体を回転させての薙ぎ払い攻撃。
木剣が空気を切り裂く音。
薙ぎ払われた大剣を躱し、素早く相手の懐に飛び込んで腹部を狙って斬りつける。
固い音が鳴る。
俺の攻撃は大剣で防がれた。
完璧な動き出し、腹部を狙っての完璧な反撃だったが、シグンはそれを見越して、木剣を引き戻して防いだのだ。
戦闘経験では、やはり相手の方が一枚上手だった。
攻撃を受け止めた大剣をくるりと回転させながら反撃に転じてくる──だが、それは予測済みだ。
俺は大剣の間合いから跳び退って回避する。
直線で後退した相手に攻撃を仕掛けるのは戦いの定石だ。後ろに下がった分だけ、相手は自由に行動を取りづらくなる。敵との間合いは大事だが、周辺の状況(地形)も重要なのだ。
闘技場の広い場所で闘ってはいるが、後ろに壁があったら、たちまち次の攻撃から逃げられなくなる。
さらに引き足に重心がかかる為、次の行動が制限されがちなのだ。
攻める時でも逃げる時でも、直線的な行動は避けるべきである。でないと行動を読まれやすくなってしまう。だが──
俺は後退した時に着地した足で地面を蹴り、前に出て来たシグンの斜め前へと素早く移動する。
相手の振り下ろした大剣を躱して、その懐を薙ぎ払う。
もちろん寸止めで、分厚い胸板を軽く打つ。
予め後退する動作を低い姿勢で行い、地面を蹴りやすくしていたのだ。微妙な差ではあったが、シグンからいきなり一本を取ってみせると、彼は感心した様子で頷く。
「大したものだ、本当に一晩でこれほどの動きをするようになるとは。身のこなしもだが、『戦いの目』と言うべきものを持った戦士になっている。経験上そうした感覚を得るのは──数年から、十数年の戦闘経験が必要だ」
彼はそう言いながら距離を取り、「魔術師とは戦士としても手強い相手になるのだな」と漏らした。
「今日の正午過ぎまでしか付き合えないが、あんたがどこまで腕を上げたか、後学の為にも──全力で当たらせてもらおう」
シグンは構えを変えた。
どうやら剣技を使用するつもりらしい。
今のようにはいかないだろう。こちらも全力を尽くしてぶつかっていくだけだ。
今日の闘いで俺は、さらに強くなる為の技術を手に入れる。
積み重ねていくものが増えるのを期待しながら、俺は危険な技量を持つ戦士に挑みかかった。
正午になった。
闘技場から離れた場所にある鐘の音が鳴る。
俺はと言うとシグンの攻撃を喰らってぼろぼろになっていた。
寸止めだが、それでも勢いの付いた攻撃をぴたりと止めるのは難しい。それも覚悟の上で戦いの技術を学んでいる。傷つく覚悟もなしに強くなれるはずがない。
「昼食にしよう」
俺が声をかけると、彼はまだ闘うつもりだったのだろう、一瞬、戸惑った様子を見せて「ああ」と応えた。
訓練だと知りつつも、彼の闘いにかける気合いは相当の熱量を持っていた。俺を成長させる為の訓練というよりは、自分自身との闘いのように感じていたのかもしれない。
俺の戦闘技術の多くは、シグンから学んだものばかりを使用していたからだ。
彼にとっても思わぬ収穫になったのではないだろうか。自分自身との闘いなど、魔術の門を開ける魔術師でもなかなか居ない(俺にはそれができる)。
闘技場から離れ、大通り近くの料理屋に入ると、俺はシグンと共に席に着く。
「なんでも好きな物を注文してくれ、俺が奢ろう」
そう言うと、シグンは少し考えたあとで頷き、壁にかかった献立からいくつかの料理を注文する。飲み物は焙じ茶だった。
俺もシン特有の料理を注文し、それが来るまで焙じ茶を飲んで待つ。
「今日は本当に驚かされた」
陶器の茶碗を口に運んだあとで、シグンが唐突に口にした。
「世の中には、あんたのような魔術師がまだまだ居るのだろうな」
「はは……それはどうかな、俺は魔導技術学校に入っていたが、その時にもそのあとにも、そうした技術を持っている魔術師には、そうそうお目にかかっていない」
もちろん出会えば、その魔術師が「魔術の門」を開けるかどうか分かる、という訳ではないが。
「ここの食事を奢ってもらえるのはありがたいが、本当に金貨をもう一枚くれるつもりなのか。こう言ってはなんだが、一枚でも二日分の報酬として充分なものだ」
「俺は知識に金を払う時には出し惜しみはしない主義だ。それに、あなたには最大であと二枚の金貨を報酬として提示していたはずだが」
俺の言葉にシグンは首を横に振る。
「冗談、あと一枚で充分だ。たった二日の働きで金貨を三枚ももらっていたら、金銭感覚がおかしくなる」
すでに一枚でも相当なもんだと、まるで愚痴をこぼすみたいに言う。
俺は笑いながら彼に、冒険者をやる前はなにをしていたのかを尋ねた。
「それはもちろん、闘技場に出る剣闘士をしていた。十三の頃にはこの街の道場に入り、十五で初めて剣闘の闘技に出た。自分で言うのもなんだが、若い剣闘士の中でもかなりの有望な新人として扱われていたんだ」
それほど前の記憶ではないはずだが、彼は過去を懐かしむ口調でそう語る。
「転機が訪れたのは十九歳になった頃だ、当時人気を博していた貴族出の剣闘士が居た。彼との対戦が決まり、その闘技前日に、相手側の使者から話を持ちかけられたのだ」
「ぁあ──、八百長のか」
思わず先に口にしてしまった。
シグンは苦笑いをしながら頷く。
「当時の俺は剣闘というものに、一種の誇りを抱いていたのだろうな。俺は八百長などをする気はまったくなく、その申し出を撥ねつけたのだ。相手の使者はそれは怒っていた。『お前の身分で金貨を受け取れる機会など、二度と来ないぞ』そんな風に言っていたが──俺はそんな金よりも、剣闘を冒涜するその貴族が許せなかった」
若いな──そんな風に自分の過去に感想を漏らし、彼はその闘技で闘った貴族の剣闘士について話してくれた。
「決してその貴族は弱い剣闘士などではなかった。だからこそ余計に、それが腹立たしかった。それほどの技術や闘う能力を持っておきながら、八百長などをしようとする、その貴族を──俺は、その闘技で……再起不能にしてしまったのだ」
どうやら怒りのあまり手加減を忘れてしまったらしい。闘い自体は手を抜くはずはないが、それでも最後の攻撃、相手に敗北を認めさせる決定打には、寸止めや、致命傷にならない攻撃が求められていた。
彼は貴族を傷つけたという理由から闘技の世界から追放された。闘技場での闘いに貴族や平民などといった区別はない、と闘技場の入り口にも明記されているが、実際はそんな事もなかったらしい。
「まあ、再起不能にするほどの攻撃を加えてしまった俺が悪いのだ」
そしてシグンは一時イアジェイロから去り、故郷の田舎に帰ったそうだが。戦士ギルドに登録すると、シンから離れて各地を回る傭兵のような仕事を中心にこなしていったらしい。
「その後、冒険者とも行動する事があり、俺は傭兵稼業から、魔物や亜人との戦いを生業とする生き方も学んだ」
ところが数年が経つと、闘技場の方から声がかかり、若い剣闘士を育成する教官として招かれたという。彼は一年ほどそうした教官の役割を演じたが、剣の才覚のない者の相手に飽き、再び冒険者として世界各地を旅して回る道を選んだのだ。
そうした話を聞いていると、料理が運ばれて来た。大きな二枚貝の焼き物や、魚の揚げ物、大きな肉の塊を酒や醤油などの調味料で煮込んだ物が皿に乗っている。──後は雑穀米の飯だ。
「俺の過去など、それほど大した話ではない。どこにでもあるような話だ」
闘技場での活躍はどうだったのかと聞くと、彼は魚の揚げ物を食べながら米を頬張る。うんうんと頷きながらそれらを飲み込む。
「……そうだな、あの一件が起こる前はイアジェイロの闘技場の中でも、十指に数えられる剣闘士と呼ばれていた。自画自賛になるがあの頃の俺は、力も剣闘士としての気迫も、どの剣闘士よりも生き生きとした力に満ちていた」
まだ老け込むような歳ではあるまい、彼はおそらくまだ二十代であるはずだ。
「若い頃の俺は──本当に純粋に、剣闘士としての道を究めようとしていた。それが間違いだったとは思わないが、それ以外の道についても取り組んだ方が、『強さ』を手に入れるには必要な事だと学んだ。魔物や亜人との戦いは、俺に新たな戦い方を知る機会になった」
剣闘士の世界で華々しい成績を残した若者は、傭兵となり、冒険者となり、まだまだ強さを求めて進化を続けている。
命を懸けた戦いの中で彼は学び、努力を重ねる事で剣士として凄まじい技量を手に入れた訳だ。
いかに才能に溢れた若者であったとしても、努力の積み重ねなしには、ここまでの戦士には成り得なかっただろう。
シグンは魔術師ではないが、その精神や魂の有りようは──魔術師に通ずるものがある。
濃い味付けがされた肉の塊を食いながら俺は、異なる生き方の中にも、共通する精神制御の作法といったものが存在する事実を知った。どういった心持ちが、その人間をより強い魂を持つ存在になるか、それは魔術の分野だけの技術ではないのだと、はっきりと理解した……
人の歩む道の先には必ず、己と向き合う機会というものが訪れるものなのだ。




