アロザの街で思うシンという国と、その他の国
今回のお話は、人々の集団が一定の共通意識を持つ事についての俯瞰的見解の一つ。
あまり真剣に考えないようにお願いします(笑)
アロザの街を囲む壁の内側に入った時には空は真っ暗になっていた。
御者に礼を言って荷車を見送ると、俺と冒険者の兄妹と共に戦士ギルドへ向かう。道の途中で倒した豚悪鬼の耳を呈示して、印章に実績分の点数を刻んでもらう。
「もう少しで、次の階級の試験を受けられますね」
受付嬢がそう言いながら、俺に鉄の印章を手渡す。──そういえば、あと数本の刻印で「赤鉄階級」へ上がれるところまで来ていた。
「そうか、すっかり忘れていた」
俺は完全に本気で言ったのだが、受付嬢は虚無主義的な冒険者の冗談だと受け止めたらしい。
若い兄弟冒険者の二人は、アロザに住んでいる親戚の所へ向かうのだと言って、ギルドの前で別れる事になった。
彼らが鉄階級になる頃には、俺も赤鉄階級になっているだろうか? 戦士ギルドの依頼を積極的にこなそうと思えば、今月中には次の階級になる事もできるだろうが──正直言って、ギルドの階級に特別な思い入れはない。
高位階になれば、それだけ困難な仕事を任されたり、他の冒険者とお組んで活動する事を求められたりもするので、面倒事は増えそうだ。
以前──短期間を共に活動した冒険者の一団があったが、そこは割と雰囲気の良い連中の集まりだった。ああいった冒険者たちとなら組んでもいいのだが……
大抵は碌でもない連中ばかりなので、ギルドの紹介する冒険者の一団と組むのは遠慮したい、というのが正直な気持ちである。
戦士ギルドの建物からすぐ近くにある宿屋があると聞かされたが──それは、なかなかに品のある、都市部にあるような三階建ての建物だった。
シン国内の建物の多くは、石材と木材を使った建造物で、屋根に使われた灰色や黒い色の瓦が特徴的な建物が多い。
その建物はベグレザにあったような石造りの壁に、窓枠に硝子戸を填め込んだ立派な建物だ。
「値段も馬鹿高かったら他の宿屋へ行くか」
そんな風に考えながら木製の扉を開けて宿屋の中へと入る。扉の上部に付けられた小さな鈴が鳴り、長い台の向こうに立っていた、長い黒髪が印象的な女性が振り向いた。
「いらっしゃいませ」と呼ぶ静かな声。
壁にかかった鍵や、価格表を探したが──見当たらない。
渋々と台の前まで行って、受付の女と会話の中で一部屋の値段を確認したが、思ったほど高い値段ではなかった。洗濯を請け負う洗濯婦も居り、浴場も完備されている宿屋としては一般的と言えた。
俺はこの宿屋に泊まる事にし、素泊まりをすると決め、部屋に荷物を置いてから街にある料理屋へと向かう。
空に浮かぶ月が青白い光で街をうっすらと照らし出す。夜に店を開いている店舗の前には角灯がぶら下げられ、通りの左右を明るく照らしている。
暗くなれば馬車も通らない。
道の真ん中で殴り合いの喧嘩をしている街の住人の姿も見える。
頭を使わん阿呆ほど、喧嘩と性交にのめり込むと言うからな。野次馬たちが周囲で、どちらの男が勝つかで賭けを始めていた。
俺はそんな連中に関わる気分ではなかったので、店の入り口から気になった料理屋に入る事にする。
「カララン、カララン」とドアを開けると呼び鈴が鳴り、離れた場所で皿を下げようとしていた女給仕が頭を下げて「お好きな席へ」と声をかけてきた。
閉まりかけたドアの向こうから、大きな歓声が聞こえてきたがドアが閉まると、それは聞こえなくなった。
壁際の小さな二人用の席に向かいながら、周囲の様子を窺う。どうやら当たりの店のようだ。
酒を呷る客も上機嫌で、愉しそうに会話に興じていた。皿には豪快に盛られた腸詰めや、細切りにされ油で揚げた馬鈴薯などが見えている。彼らはご機嫌な様子で、それらに次々と手を伸ばしていた。
腸詰めの大きさも種類も豊富で、この街がそこそこの好景気であると思わせる。──それに、変わった料理を乗せた皿もあり、異国の料理に期待が高まる。
注文を取りに来た給仕にお勧めを聞くと、エンシアから齎されたらしい腸詰めや、牛肉を燻製にした料理などを紹介されたが、そうした物はピアネスでも食べていた。
この国ならではの物を、と付け加えると──彼女は、鶏を醤油漬けにした物を揚げ焼きにした料理を勧める。
その他にも豆を多く使った煮込み料理や、川魚のほぐし身を入れた焼き飯などを注文した。給仕の女は「シンの料理を食べるなら、麦焼酎がお勧め」だと言うので、彼女の言葉に従ってそれも注文した。
蒸留酒の一種であるらしいが、口にした事のない酒だ。
料理を待つ間も周囲の様子を窺っていたが、この国の人間は基本、物静かであるらしい。──酒が入った客は騒々しかったが、酒を飲まずに茶を飲んでいる者たちは、彼らを鬱陶しそうに見ている。
着ている衣服も特徴があり、絹製の物を身に着けている人物は、平民の中でも上流に位置する様子だ。
どちらかというと貧しい者は、麻の衣服を着ているみたいである。
装飾品は身に付けておらず──唯一、店の奥に居た一人の婦人客だけが、銀の耳飾りを付けていた。
料理が運ばれて来ると、客の身なりや会話から料理に注意を向ける。──店に入って来た時から気になっていた皿は、豆を使った煮込み料理だった。それが目の前に運ばれて来ると、さっそくそれを口にする。
芋や人参、鶏肉の胸肉などが細かく刻んで煮込まれたそれを、木匙ですくって食べる。──味付けは醤油を基礎とした物だが……唐辛子が入っていて、少し辛い。
鶏の揚げ焼きは見た目の割にさっぱりとした味付けがされていて、大きな鶏肉にかぶりついてから焼き飯を頬張ると──病み付きになる。
焼き飯には甘い味付けがされており、茴香の香りが利いた、香ばしく食欲のそそる香りがした。
料理を食べながら麦焼酎を飲む。 思ったよりも癖がなく、飲みやすいシンでは麦酒よりも麦焼酎の方が一般的なお酒であるらしい。
壁には米や麦を原料とした酒が何種類か貼られ、この国の民衆にとっては麦酒や葡萄酒よりも、ずっと身近な酒であるようだ。
宿屋で地図を確認したが、アロザの街から南へ向かうと、小さな村や町へと続く分かれ道があり、それらを無視して南下すると──次の街がある。
そこはどうやら闘技が盛んな街であるらしい。
皿を下げに来た給仕に「イアジェイロ」の街には、小さな闘技場があるのだと聞かされた。
多くの武人を輩出する街でもあり、武芸を教える道場や、戦士を育てる訓練所なども多いと言う。街の多くには、こうした戦士育成の為の道場があり、兵士や冒険者になる者たちを輩出する、独自な環境が昔からあったらしい。
残りの麦焼酎を飲みながら、シンの民衆が持つ戦いへの本能的な部分について知ったような、そんな気分になった。
多くの大衆は大衆によって成長し、大衆の一部となる。その事実をよく表している国だと思う。
軍事国家としての根底には、武術に対する民衆の思い入れや、誇り(自己肯定)といった感情があるのだろう。──だからこそ、そこに新たな「魔術」や「魔法」といった技術を取り入れる事を推奨した為政者は、なかなかの決断力の持ち主だと言える。
前例を覆して新たな理念を取り入れるというのは、考えているよりも遥かに難しい取り組みだ。魔術師ならば己の理念を自らの意志で変化させ、対応してしまえるが。
通常の人間の意思というものは一つの事柄に執着し、それ以外を認めなくなる。そういった人間の方が圧倒的に多い。多様性を持つ人間というのは、己の価値観を幅広くしようと、多くの異なる価値観などを理解しようと取り組んでいる、そんな人間である。
「まあ、そういった人間が魔術師になり、時に魔導の道へと自らを導くのだが」
人間の自我とは厄介なもので、それ自体では動物と大差ないのに、多くの場合「自分は自分を理解している」と思いたがるのだ。
そういった「当たり前」に捉えていた自分(自我)を切り捨てて、自らの意志で獲得し得たものだけが、本当の精神に値するものだという事を理解しない、それが多くの愚衆である。
そうした連中にとっては、周囲に存在する他人がすべてだ。
その他の事柄があるという事実に目を向けようともしなければ、想像力を働かせようともしない。
シンが武力を重んじる国であるのは──要するに、そこに暮らす人々が、古くからある集団意識を助長し、何世代にも渡って繋げてきて、形作られた「理念」を受け入れているからだ。
単純に、一番身近にあった観念を疑いなく、自分のものとして受け入れているに過ぎない。
「つまるところシンがシンで、ブラウギールがブラウギールであるのは、そうした人民の固定観念による生活様式が、一般化されているからだな」
その「お国柄」という奴が、たまたま「武術」に迎合するよう仕向けられているのだ。シンという国は、体の弱い者や軟弱者には辛い国であろう。
俺は料理や酒に満足して店を後にすると、宿屋へと戻ろうとした。薄暗い夜道には人影が疎らだがあり、細い路地の近くには数人の女が立っていた。どうやら淫売のようである。
近くを通った時に声をかけられたが、どれも年のいった女だ──俺より五歳は上だろう。中には二桁くらい歳の離れた女も居たが。
彼女らを無視して宿屋へと戻る。
好みの女が居れば別だが、魔力量に不安も無く、性的欲求も満たされている状態なのだ。
宿屋の借りた部屋に戻ると、公衆浴場へ向かった。
夜遅くまでやっている浴場は、近くにある売春宿との兼ね合いもあるらしい。男女が共に入っている湯船は、石造りの大きな物だ。どうもシンの文化程度は思っていたよりも高いらしい。
華美な装飾は為されていないが、磨き上げられた円柱は表面が白く艶やかで、吊り下げられた角灯光を受けて艶かしく光を反射している。
建物の外側にある大きな給湯設備が暖炉の役割も果たして、浴場全体を暖めている作りだ。
周辺では、いちゃつきながら身体を洗い合う男女の姿があるが、屈強な身体をした男は見当たらない。このアロザの街には戦士よりも商人や、旅行者の方が多いようだ。
地図を見る限り、アロザの街周辺には町や村が多く、それらを守るように砦や櫓などが設置され、領主による徹底した外敵への防衛対策が取られている地域だと思われた。
そうは言っても未開の地である場所も多く、亜人や魔物による被害も多いだろう。街から離れた位置にある森林や荒れ地などから、人を襲う危険な生き物などが現れる。
兵士たちが監視を行っていても、なかなか全ての危険を排除できる訳でもない。どの国でもそうした現状は変わらない様子だ。
旅の汚れを落として公衆浴場を出ると、夜の肌寒い空気に身を竦める暗い空を見上げると、青色や緑色に輝き瞬く星々が見え、銀色の月の側に白い雲が流れて行くのが見えた。
上空の風の流れが速いらしい。
白い雲はどんどん遠くへ流れて行く。
そんな雲の流れに似て、俺のここ数ヶ月は──目まぐるしい、急変の日々だった。
魔神ラウヴァレアシュとの接触から、次々に舞い込んだ力ある者との出会い。そして彼ら彼女らから得た知識や技術によって、俺は間違いなく強くなっている。確実に求める魔導の深奥に近づいている。
宿屋へ帰りながら、ふと故郷の情景を思い出す。
山と森と草原と小川と──夏は暑く、冬は冷たい空気に満ちる、そんな地域。
自然と闘いながら、亜人種や危険な魔獣などとの戦いもある辺境。ベグレザやエンシアへ向かう者が訪れる事もあるが、多くの連中は別の道を選ぶだろう。
戦士ギルドの冒険者が、山にある亜人種の巣窟となった洞穴に向かう時に、うちの領土エブラハの中でも、都市部から最も離れた田舎である、コサボ村に寝泊まりすると聞いた事がある。
その亜人種の巣窟「鉄鬼巌窟」には希にだが、魔物なども出現するので、中級になりたてのピアネスの冒険者にとって、そこそこ都合の良い狩猟場とギルドでは考えられているらしい。
しかし他の地域にもそうした冒険できる場所があるのなら、近場のそちらへ足が向くのは人の性であろう。物好きな冒険者の一団が数ヶ月に一度、訪れるか訪れないか──それくらいの穴場だったようだ。
俺も冒険者になったら一度は、そのコサボ村から向かう「鉄鬼巌窟」に行ってみようと思っていたが、魔導技術学校に入り、戦士ギルド登録する頃には──そんな場所の事は、すっかり忘れていた。
そんな思い出をつらつらと思い浮かべながら、宿屋の部屋へと帰る。
寝台に腰掛けて魔術の門を開き、影の魔術などの拡張などを確認し、その日はゆっくりと休んで旅の疲れを癒す事にした……
シンは日本的な雰囲気があるという事で、麦「焼酎」と表記しましたが、「麦蒸留酒」の方が良かったかな? 実際どっちの味が近いかは──分かりません。蒸留酒は現実では十二、三世紀頃から作られ始めたらしいです。




