宿場町ゼドア
黒熊の襲撃を受け──鋭く尖った大きい黒爪を剥ぎ取っていると、俺が歩いて来た北へと向かう道から、二人の馬に乗った兵士が近づいて来る。
「これはお前が?」
兵士は馬上から質問を投げかけてきたので、俺は「そうだ」と返事を返す。
「これほど大きな熊は、ここ数十年見た事がない」
俺もだよと、心の中で応じる。
兵士はこの熊を譲ってくれないかと言い出した。砦に運んで備蓄用の食肉にすると言うのだ。
「少ないが、金も払う」
兵士はぶっきらぼうに言って、腰の革帯に付けている皮袋を取り外し馬を近づけると、それを手渡してきた。
「それは構わないが、砦なんてあるのか? 地図には出ていなかったが」
すると兵士は「ここ数ヶ月に完成したばかりの砦だ」と説明し、ここから南にある宿場町の近くに建設されたのだと言った。
これからそこへ向かうところだったと説明すると、後ろの兵士が乗る馬に跨がるよう言ってくれた。若手の兵士はこの熊を確保する為に残し、砦まで大急ぎで戻って、荷車をここまで引いて来るのだろう。
「馬に乗れるか?」
「もちろん。馬が嫌がらなければだが」
兵士は大丈夫だと請け負った。若い兵士に貸し与えられた馬は、誰もが乗れるよう調教してあるのだと説明する。
焦げ茶色の毛をした馬の装具から槍を外し、若い兵士に預けると、さっそく南へ向かって馬で進む事になった。中年くらいの厳つい兵士は、やって来たのとは違って──馬にそれなりの速度で進むよう指示し、街道を行く。
日の光が降り注ぐ街道を馬に乗って駆ける。
ときおり吹く風は少し肌寒さを感じるものだったが、日差しは暖かく、白い雲が日差しを遮っても薄雲から木漏れ日のごとく漏れる日の光が、緑色や茶色の大地に燦々と降り注いでいる。
思わぬ形で宿場町への移動手段を手に入れた為に、昼前には木製の壁に囲まれた宿場町へ来る事ができてしまった。
ここで昼食を取り、ここから南に向かって歩き続ければ、明日の昼前にはアロザの街に辿り着くだろう。そんな風に考えながら、馬を兵士に預けて彼と別れたのである。
宿場町の近くに石造りの小さな砦が建てられていた。俺は地図にその砦を書き足し、宿場町の中へと足を踏み入れた。
小さな宿場町は、入り口からまっすぐに伸びる通りの左右に建物が建ち並ぶ、簡単な構造を形作っていた。入ってすぐにある左右へ向かう小さな路地に、露天商を開いている人の姿もちらほらと見える。
宿場町の入り口に掛けられた小さな看板には「宿場町ゼドア」と銘打たれていた。
この宿場町を拠点に、迷宮がある遺跡へと向かう冒険者が居るのだろう。地図には「ゼドア迷宮遺跡」と表記されていたのだ。
やや離れてはいるが、三十分ほど歩けば遺跡に着くのだろうと思われる。
中央にある通りに接する建物の裏手に、この宿場町で暮らす人々の住む住居が建てられているようだ。
建物の数もそれほど多くはない。
しかしこの宿場町は、余所との流通を盛んに行っているらしく、武器屋や防具屋に、道具屋と雑貨屋などもある。
小さな村よりも商店が充実しているのは、迷宮遺跡から多くの品物を持ち帰る冒険者が多い事の現れだろう。
多くの人の流入が起これば、それだけでその場所は発展して行く可能性が増える。それは古今東西、変わらぬ真実だ。
せっかくなのでこの宿場町にある武器屋を覗いて見る事にした。野盗から得た短刀を高く買い取ってくれるなら、ここで売ってしまっても良い。
武器屋は石の塊と木材で建てられた──この町の中では、そこそこの大きさを持った建物で、店の中に入ると、店の奥にある別室から金鎚で金属を叩く音が聞こえてきた。
どうやら鍛冶屋も兼ねており、武器や防具の修繕もおこなっているみたいだ。
従業員の娘が長い机を前に座り、無愛想な表情で「いらっしゃいませ」とかすれた声で呟く。まだ若い部類に入る女なのに(俺より年上ではある)、まるで酒焼けしたみたいな声である。
金属と革製品の匂いがする店内、古い油の混じった匂いがするのは、店内を照らす角灯の所為だろう。
武器の置かれた壁際に、剣を立てかける棚と、壁に取り付けてある鉤にかけられた剣や槍が飾られ、値札が付けられていた。──高い物だと一本数十万ガインの値が付けられている。
ゼドア迷宮遺跡で入手した物を冒険者が持ち込んだ物だろう。魔法の掛かった武器などは高く売れ、冒険者はそうした武具などを求めて迷宮を探索するのだ。
中には宝石などを持った魔物や亜人種なども居る為、命の危険と引き換えに、金目の物を目当てに冒険する連中は多い。
それはどこの国でも変わらないであろう。
この店に置かれている物は、なかなか品質の優れた武具が揃っている。
陳列された商品の検分を済ませると、店員の女の元に向かい、野盗から手に入れた短刀を見せていくらの値が付くかと尋ねた。
無愛想な女店員は「装飾のある鋼の短刀……え──と」そんな風に呟きながら、書類綴じを開いて探している。
そこに記載がないと知ると後方に下がり、別室の鍛冶場に居る親方の知恵を借りる事にしたようだ。
部屋の奥から現れたのは厳つい親父。いかにも鍛冶を生業とした感じの──がたいの良い、鍛冶場焼けした壮年の男であった。
「お客さん、珍しい物を持っているね。……これは南の大きな島にあった国、トゥーレントの鍛冶屋が作った物だろう。この国は百年以上前の火山の噴火で消滅してしまったが、まだこんな品が出てくるのか」
鍛冶屋の言う事は初耳だった。そう口にすると、髭を蓄えた男は「そうだろう」と納得してみせる。
「ルシュタール辺りの貴族の間では美術品としても認められていて、護身用としてこうした短刀を持つのが以前から尊ばれているらしい。この辺りの鍛冶屋では、トゥーレント産の武器について知っている者は多くはないだろう。貴族と付き合いのある鍛冶屋ならばともかく……」
鍛冶屋の親父は何故か慌てて、「俺は貴族との繋がりなんか持っちゃいないが」と否定し、自分はルシュタールの方で鍛冶屋をやっていたので、トゥーレントの事について知っているのだと、言い訳のような説明を付け加える。
男はそう言いながら近くの鍵の付いた棚の鍵を外し、中から一本の短刀を取り出した。──それは野盗から奪った短刀に似た装飾が施された鞘に、鍔や柄なども丁寧に作られた品だったが、鞘の中の刃物は一部が欠けていた。
「これはルシュタールに居た頃に、お得意さんから貰った短刀だ。生憎、刃の一部が欠けているが──これでもそれなりの値段がするだろうな。打ち直したいところだが、トゥーレントの鍛冶技術は炉の質からして違うらしい。とんでもない高温で鍛え上げた鋼は、生中の炉や鍛造法では作り出せない」
男はそこまで話すと、うちでその短刀を買い取るなら六万ガインは出すが、ルシュタールの市場で売った方が金になるだろう、と正直に説明する鍛冶職人。
「なにしろもう手に入らない代物だ。売り払うにしても、それなりの買い手を見つけた方がいいだろうな」
俺は鍛冶屋の親父に礼を言って店を出た。
まさかそんなに値打ちのある短刀だとは、しかもこれから向かう南の島に関係のある物だと言うではないか。不思議な巡り合わせがあるものだ。
場末の食堂のような場所で簡単に食事を取ったあと、宿場町から出て行こうとする荷車が道の向こうからやって来る。俺は御者に声をかけて、どこへ向かうのかと尋ねた。
「南にあるアロザの街へ。あんたも乗せていって欲しいのかい?」
頷きながら荷台を見ると、二人の男女が座っている。男の方は剣士、女は弓を手元に置いているので──狩人だろう。
首から下げた戦士ギルドの階級印章を見せると、「荷車の護衛を引き受けてくれるならただでいいよ」と御者は言う。
「もっとも、この辺りじゃ亜人種も熊も街道沿いまで襲って来る事はないだろうけど」と御者は口にした。
荷台に乗り込みながら「そうなのか?」と、冒険者風の二人の男女に声をかける。
「シンの一般的な街道は兵士が巡回しているからね、滅多に猛獣も近寄らないよ」
そうなのかと納得してみせたが──どうにも腑に落ちない。ならあの大きな黒熊はなんだったのか。ただの不運なのか?
荷台に腰かけると二人の冒険者から話を聞いて、彼らがゼドア迷宮遺跡で手に入れた物や、どんな敵と戦ったのかを聞き出す。
二人は他にも三名の冒険者と共に迷宮を探索していたらしいが、共に活動する期間が過ぎたのでアロザへ帰るところだと言う。
俺と同い年くらいの二人の冒険者は兄妹であるらしい。
迷宮には「双頭魔犬」「夜に徘徊する者」「死霊」「妖鬼戦士」などとの戦闘が多かったと語る。地下二階までの探索だったので、それほど危険な相手は出なかったのだと説明し、地下迷宮の様子などを話してくれた。
荷車には少ない荷物だけが乗っている所為か、二頭の馬の歩みは軽快で、御者が言うには次の目的地であるアロザまで、夜には辿り着けるだろうという事だ。
荷車の荷台に乗って移動する旅は、快適とは言いがたいが、歩き続けるよりは楽だろう。たまにガタガタと大きく揺れる荷車に辟易しながらも、二人の冒険者の話を聞きながら、彼らが小さな町から一旗揚げる為に町を出て、冒険者となって一年以上が経過したのを聞いた。
「へえ、一年で銅階級にまでなったのか。なかなか早いじゃないか」
あなたも冒険者かと尋ねられたので、首から革紐で下げ、上着の胸の内物入れに入れた鉄の階級印章を見せる。
「昔は数人の仲間と探索に行ったりして、実績を上げたりもしたが、最近は一人で旅するばかりで、戦士ギルドにすら顔を碌に出していないくらいだ」
自分がギルドに登録された冒険者であるのも忘れかけていた、そう言うと二人は笑う。
「その印章──ピアネスの刻印がしてありますね。もしかして国を越えて活動している方なんですか」
男の方が少し強めに聞いてくる。
「兄は、大陸中を旅する冒険者になりたいと望んでいるんです」と妹の方が説明した。
妹の言葉通り、兄は国を越えた冒険について気をつけるべき事などを尋ねてくる。
「国によって戦士ギルドの状態も違うからなぁ。住んでいる人も場所によって様々だし、忠告するとしたら、ブラウギールには近づかない方がいいだろう、というくらいか」
あとは──同じ国内であっても、領によっては民度が低いから、そうした場所にも気をつける事だ。と言い含めておく。
彼らは真剣に俺の話を聞いていた。
彼らの階級印章にはシンの刻印がしてあった、二人は自分の住む国内で地力を付け、それから本格的に冒険を求めて活動しようというのだろう。なかなかに建設的なものの考え方だ。
怯えた馬の嘶きのあと、急に荷車が停止する。
ガクンと横に倒れそうになり、慌てて手を突いたり、足を広げて踏ん張って倒れるのを回避する。
「ぶぶっ、豚悪鬼が出ましたぁ!」
御者の悲鳴が聞こえた。
馬の前方二百メートルくらい先に、豚の頭を持った亜人種が確認できる。
「全部で五体か? 武器もショボいし、近くの林隠れている奴が居なければ、問題はないだろう」
俺はそう言ってから荷台を飛び降りる。
二人の兄妹冒険者も荷車を降りて、それぞれの武器を構えた。
兄の長剣は手入れの行き届いた鋼の剣で、磨き上げられた刃に日の光が反射している。
弓矢を構えた妹。弦を力一杯引き絞り放たれた矢が、奴らの一体に命中し、怒り狂ってこちらに突撃を開始してきた。
「それでは始めよう」
俺は青紫色の刃を抜き放つと、五体の豚悪鬼に向かって、鋼の剣を持つ男と共に駆け出して行く。
豚悪鬼の群れには飛び道具を持っている者も居ない。離れた位置にある林の中にも亜人の生命反応はなかった。
亜人の持つ武器は見るからにボロそうな鉄の槍に剣、手斧と革の盾を持った個体も居るが、まったく問題にもならない。俺と若い冒険者の二人で斬りかかると、数分で決着は着いてしまった。
男が二体の豚悪鬼を切り裂いた時には、俺は三体目の首を打ち落としていた。奴らに逃げる判断を与える前に倒せたのは良かった、わざわざ追いかけるのも面倒だ。
「さすがに強いですね──というか、その剣はなんですか? 見た事のない色をしている金属ですが……」
「この剣は……死霊に効果のある魔法の剣だ。それよりも、さっさと戦利品を回収して、死体を道の端に寄せておこう」
兄妹は「そうですね」と応えると豚悪鬼の長い耳を削ぎ、腰帯に巻き付いている縄に付けられた皮袋を回収する。連中の武器も二人の冒険者は回収していった。ボロい武器も三人で分けようと言ってくれたが俺は辞退した。
豚悪鬼の持っていた皮袋の中身は銅貨や銀貨で、それらを三人で分け、俺は五枚のガイン銅貨を御者にも分けてやり、馬に餌でも買うよう言って受け取らせる。
それにしても街道は安全じゃなかったのか、言いようのない不安が心に広がっていく。どうにもおかしい、黒熊の次は豚悪鬼の群れに襲われるだと?
再び荷車に揺られて街道を進みながら、俺は兄妹冒険者の質問に適当に答えながら、一抹の不安を抱えたまま夕暮れの迫る道を、南へ向かって進み続けた。




