河原の宝石と高位精霊
第五章「剣士の精髄」開幕です。
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肉体に戻った俺の目の前に広がるのは大河。
数メートル先に流れの速い川がある。幅は二十メートル近い大きなものだ。
足下には石や岩がごろごろと転がっており、河原に広がる石や砂利がところどころ日の光を受けてキラキラと光り輝いている。
「川の深さ、あとは危険な生き物が居ないか、それが問題だな」
川辺に限らず水辺付近は特に注意が必要だ。
水面を揺らさずに襲いかかって来る巨大な鰐を見た事があるなら、その危険性についていちいち説明の必要もないだろう。
大陸南側には鰐が多いとも聞いている。
ブラウギールは大陸の東側にある国だが、あそこで大きな鰐に馬が襲われたのを見た事がある。それも荷車を引いていた馬が襲われたのだ。
体長五メートルを超える大鰐が川に水を飲みに来た馬の一頭に食らいつき、川に引きずり込む光景は──はっきり言って悪夢だ。
なにしろ一瞬の出来事だった。
馬の嘶きに驚いて振り返った瞬間、黒い鱗に覆われた巨大な鰐が馬の喉元に食らいつき、馬の身体を地面に叩きつけると──そのまま強引に馬を川の中へと引きずり込んだ。
荷車を持っていた御者も──馬の一頭を失った失望よりも、大きな鰐の存在に恐怖して一目散に川から離れるべく、残った馬で荷車を退避させた。
あれ以来、川の恐ろしさは身に染みている。
魔眼を使って周囲を生命探知に掛けて危険な生き物は居ないかと探してみたが、鰐の姿は見当たらない。
大きな影も見えないのでほっとする。
河原にある大きな岩を避けながら、石ばかりの場所を歩いていると、この河原でも宝石や輝石などが見つかった。河原の石の中でキラキラと光を反射させている物の多くは、こうした貴重な石であるみたいだ。
中には大きな孔雀石もあったが、それはさすがに影の倉庫にも入れておけないほど大きな物だった。
水晶や青玉、翡翠などを拾い集めながら川へ近づき、川底に鰐などは居ないか改めて確認したが、この付近に居るのは大きな魚くらいのようだ。
集めた宝石などを影の倉庫にしまいながら、かなりの深さがある川をどう越えるかを考える。
川は深い所で一メートルくらいあるが、それ以上に水の流れが速いのが問題だ。
川の水は少し濁っていて、飲む為には濾過をしなければならないだろう。……俺の場合、体内に入り込んだ毒や寄生虫などを排除する力が、魔女王ディナカペラのお陰で増大しているので、腹を下したりはしないが──気持ちは良くない。
汚れた水を口にしなければ生きられない状況にならなければ、そうした物を口にしようとは思わないのは以前と同じだ。
川上に行って川幅の狭い所から渡るか……それは難しいかもしれない。最終的に川に入って渡るのを選択する可能性の方が高い気がする。
そんな風に次の行動を決めかねていると、川の水が奇妙な渦を巻き始めた。川の流れの中で突然はじまった変化に、魔眼を使って確認してみると、魔力が結集している反応が見られる。
俺は魔剣の柄に手をかけて素早く抜くと、水辺から一歩二歩と後退して身構えた。
水が渦を巻いて立ち上がりながら形を取る。──それは人の姿を形作ると、水面に立つ女の姿を取って現れた。
「水の精霊か……!」
まさかこんな場所で精霊と遭遇するとは──鰐も危険だが、こちらの方がまた一段と厄介な相手だろう。
しかもこの固体は、通常見られる精霊とは違う──高位の固体だ。頭上に冠型の飾りを付け、背中から数枚の薄い水の羽のような物を垂れ下げている。
精霊の事はそれほど詳しくはないが、一定の場所を守護する役割を受けた精霊が長い年月をかけて力を蓄えた結果、高位の固体へと変化すると考えられているらしい。
だいぶ前の、実験的な研究が為された訳でもない、──推測の域を出ない研究論文に書かれていた物から得た情報だが。
『ここを渡りたいのですか? 魔導師』
それは言葉を発した。女の声と男の声が混じったみたいな、奇妙な響きを持った声。それは敵意を持ったものではなさそうだ。
俺は魔剣を構えるのを止めて、そっと下ろしながら「渡りたい」と返答する。
するとその精霊は俺の手を指差した。
『その指輪は──ディナカペラ縁の者の証。なのに<フィアイエの靴>も使えないのですか?』
水の精霊はそんな事を口にする。
「なんだそのフィアイエとは」
『フィアイエの<魔法の靴>の事です。本当にあなたはディナカペラ縁の者なのですか?』
水の精霊は疑いを持ち始めたらしい。魔眼で相手の様子を確認しながら対話を行っていると、水の精霊から灰色の気配が現れてきた。
「疑うのならディナカペラに聞いてみたらどうだ。水の精霊と繋がる彼女になら、すぐにあんたの疑念に答えられるだけの手段を持っているのではないか?」
水の精霊は特になんの反応も示さなかったが、しばらく彼女は川の流れの上に立ち尽くしたまま、こちらを見下ろしていた。
『……なるほど、確かにあなたはディナカペラ縁の者のようです』
水の精霊はどうやら魔女王になんらかの手段を用いて確認を取ったらしい。あの魔女王は水の精霊を使役するだけでなく、精霊の大きな根源とも繋がりを持っていたようだ。
「それで? フィアイエの魔法の靴とはなにか教えてくれないか」
『それは──そう、<水上歩行>を可能とする魔法の事です。フィアイエとは古い水の精霊の名で──彼女がある魔法使いにその靴を授けた事から、その名が付いた魔法と言われています』
ああ、それは噂程度で知っている魔法だ。──フィアイエについては聞いた事はないが──水上を歩行する魔法については、何度か魔法書で記載を見た事があった。……ただ、どういう理由かは知らないが、あまり広まっていない魔法である。
「それは今まさに必要な魔法だ。教えてくれないか?」
水の精霊は何事か考えている様子で黙り込む。
『……いいでしょう。あなたに<フィアイエの靴>の魔法を授けましょう』
そう言うと水の精霊は手を差し出して、その指先から水の玉を切り離してこちらにふよふよと、その大きな水滴を飛ばしてきた。
『それを飲んでください。それであなたは魔法を獲得できます』
ふわふわと浮いている綺麗な水の玉が目の前に来たので、それを口にして飲み込んだ。
すると魔法の幻像や呪文が流れ込んできた。どうやら精霊はこうした方法で、魔法を授ける事もできるらしい──
『それにしても、この北側は<魔神の亡霊>が彷徨う場所だというのに、よくそこを通過して来れましたね』
魔神の「亡霊」とは変わった呼び名だ。精霊の思考は人間のそれとは異なるだろうから、あまり言葉通りのものを推測しても仕方がないのかもしれない。
「ああ、それから逃げ出して来たところだ。幸い大した力を行使する事もできないようだったので、なんとか逃げて来られたんだ」
なるほど、と水の精霊は納得した様子を見せた。
『あれは弱っているとはいえ、人間の魔導師にどうにかできるものではありません。逃げる選択をしたのは賢明でした』
何故この辺りは魔神が彷徨いていたり、高位精霊らしいあんたが存在しているのか? 俺がそう尋ねると──水の精霊は大きく頷く。
『ええ、それは──この土地の奥深くに眠る力の所為なのです。あなたたちの時間で遥か昔から──この土地では様々な事が行われてきました。あの魔神の力を使って異質なる儀式を行い、異形の力を固着させるなどしていたのです』
「闇の精霊の事だな」
そう言うと精霊の──透明な──無表情に、初めて表情と呼べるものが見えた。
『そうです──そうした儀式を執り行うのにちょうど良い場所だったのでしょう。数々の儀式や争いが起こり、この辺り一帯は様々な霊域が交差する、状態の不安定な土地となってしまいました』
精霊の言う「霊域」とは幽世のような異界の事だろうか。精霊である彼女らも、それに伴って影響を受け、危険な領域の広がりを抑える役割を果たしているのかもしれない。
少なくとも精霊は──そうした魔法の影響が濃い空間を「善し」とはしないはずだ。
『ともかく、この危険な領域に足を踏み入れるなど考えないように。いいですね?』
彼女はそう言うと──するすると川の水の中へ戻って行く。……いや、正確には川に戻ったのではない。彼女の本体がある精霊の世界へと還って行ったのだ。
あの水の肉体を滅ぼしても、高位精霊の本質があるのは精霊界と呼ばれる上位の世界。それゆえにこの次元では何度でも復活する可能性がある。敵に回すのは危険すぎる相手だ。
精霊を倒すと希に手に入る「精霊核」なる物もあるらしいが……
おっと、余計な野心を持つべきではない。
危険や災いを呼ぶ恐れがある。──特に自然界の上位存在相手の場合、俺のような冒険者がそうした存在に命を狙われる事になるのは、どこへ行っても精霊の攻撃に怯えながら活動しなくてはならなくなるだろう。
彼ら精霊は見えざる領域で繋がり、一つのものとして存在していると考えられている。
もし彼らが倒れる前に──その意識を霊的な世界と共有し、精霊の集合体である魂にその情報が流れてしまったら……精霊から姿を隠す方法を探さなければならなくなるだろう。
まあ俺の学んだ精霊学の情報が正しければの話だが。
川の手前まで来ると「フィアイエの靴」の魔法を使う。──本当ならゆっくりと河原で宝石などを探す遊びに興じたいところなのだが……夜になってまた、あの魔神に襲われるとなると身の危険を感じる。
いくら動きが遅くとも、だだっ広い草原の中では出会いたくはなかった。
川の水面に足を乗せると──確かに水の上を踏みしめている。
けれど足が下流の方へと引っ張られるので、下手をすると転んでしまうだろう。流れの速い川の真ん中あたりでは特に注意が必要になった。
魔法の靴を履いた状態で川に落ちたらどうなるのか……恐る恐る手を川の上に付いてみると、手の先にも魔法が伝わって来て、川の中へと落ちるのを防いでいる。
……たぶん、無意識に自らの身を守ろうと、魔法を足から手の方にも効果を広げたのだろう。その分──魔法の効果時間も短くなるはずだから、さっさと川を渡ってしまおう。
使い慣れていない魔法ではあるが、川を渡る間くらいの効果は充分にあった。
対岸に渡ると、その河原でも光る場所が沢山あり、宝石や水晶などを集め始める。……こうした採取はついつい時間を忘れて没頭しそうになる。
ふと閃いた。
魔女王ディナカペラが影の魔術と思わしきもので、俺の影の中に仕込んだ鼠を使役していた。冥府にも忍び込ませられる鼠は──予想だが、精霊に似た召喚魔獣だろう。
魔物でもいいが、それを影の魔術と連動させる事ができたら、この河原のような場所で数匹の鼠を放ち、宝石や輝石や水晶をどんどん影の倉庫に集めさせる事も可能なのではないだろうか!
小さな鼠などなんの役にも立たなそうな小動物が、使い方しだいで効率的に物を集める事ができる素晴らしい使役獣になるのだ。
……動物操作系の魔法ではさすがに細かな指示などは無理だろうが、あの影に入り込む鼠──欲しいな。……今度ディナカペラに会ったら、使役する方法を教えてくれるよう交渉しよう……




