闇の精霊との契約
かなり中途半端なところですが、ここで第四章は終了となります。
「あいつの力を使えれば、闇の精霊を使役する事は可能になるのか?」
双子は俺の剣幕に一瞬、驚いた顔をしてから──「うん」と頷く。
「奴の身体の一部らしき物を切断したんだが、それが結晶化した物を影の中にしまってある。それを使えるかな」
見せて、と言うグラーシャ。彼女が言うには冥府の明かりは地上の物とは性質が違うので、ここに取り出しても結晶が霧散する事はないだろう、という事だ。
俺はラポラースの手を取って、影の中へと手を入れて黒い結晶を取り出した。明るい場所で見ると、それはつやつやした表面を持つ硝子質の結晶であり、どうやら黒水晶に似た物であると思われた。
てらてらと艶やかな表面を覗き込むと、黒い固まりの中に紫色の靄が映っているのが見える。
「小さな結晶が二つ……うん。たぶん大丈夫。けれど闇の精霊は新月時か、──せいぜい三日月の夜にしか呼び出せないけれど」
「それでも生物や魔物相手には強力な守護者になり得るし、覚えておいて損はないでしょ」
双子は頷き合い、二人が一つ一つの結晶を握ると、空いた方の手で俺の手を握る。
『『グィエァィアャ──ドゥリィ、ェグェイヴェラ、ネフツィア──ク、テブネィァ、ウォゥヲルダ、グゥィドアウォス』』
彼女たちは揃って不可解な発音の呪文を詠唱する。長椅子に座ったまま、儀式用の魔法陣などもなにもない。
冥界の娘ならではのやり方だろう。
彼女らと繋いでいた手から、冷たい気配が腕を伝って体全体を包み込むような感覚が流れ込んでくる。
それが頭にまで届くと、呪文や術式などの知識が俺の中に定着していく。──謎めいた闇の精霊の姿が脳内に映し出され──その奇妙な姿に正直、気味の悪さを感じていた。
魔神オグマギゲイアを彷彿とさせる長い脚を持ち、光に晒されなければ視認するのが困難な──曖昧な身体をした存在。体長は五メートルほどもあり、その大半が脚の長さである。
まるで二本脚の蜘蛛だ。
その腕も長く、鎌に似た爪を持ち、その爪で敵の首を落とすのが得意なようだ。
闇の中に溶け込んで守護対象を守る──その為に生み出された奇怪な精霊。
前のめりなった胴体から長い尻尾が伸び、その先に鋭い棘が突き出ている。
頭部は下顎のない髑髏を思わせる不気味な物で、青い炎の目が暗い虚の中に収まっていた。
そいつは俺の目を見ると、しばらくじっとこちらを見つめ、すぅっと闇の中に姿を消す。
「どう? 上手くいった?」
「ああ、闇の精霊と契約できたよ」
俺は双子に礼を言う。強力な手札を手に入れた気分だ。使用に「月の光が少ない夜のみ」という制約がつくものの、夜中に活動するものの中では最も厄介な存在の一つを味方につけたようなものだ。
「ああ、それと例の黒曜石の仮面──その出自が分かった。古代の魔術師であり領主だった男が、軍勢に対して反撃する為に、魔神の力を借りて不死者──死霊の王として生まれ変わったものだ。そしてそれに手を貸した魔神が──」
俺は彼の魔神との出会いを思い出していた。
人里離れた未開の地にあった黒い壁。
その壁の内側にあった黒曜石の館の存在を──
そう、古代の魔導師の姿をしたあの死霊の王は、俺が初めて魔神ラウヴァレアシュと出会った場所。あの辺りにあった古代都市を治めていた領主だったのだ。
そして、その領主に協力し──領主自身を「死霊王」へと生まれ変わらせた魔神こそラウヴァレアシュだったのである……
俺は黒曜石の仮面から死霊王の──まだ人間だった頃の記憶を見る事もできた。それは仮面に残された、死霊王となってしまった領主の無念がこびり付いたみたいな──思念の残滓。
沸き上がる彼の無念の記憶、それを垣間見た。
*****
彼が魔法の研究にのめり込んだのは、病で失われた娘を取り戻す為だったようだ。
彼は娘を甦らす為にあらゆる事を試した。
死霊術を用いて霊を呼び出そうとしたが、霊体を保存しておく身体が無く、娘の魂は再び冥界へと戻ってしまう。
そこで彼は娘の身体となる人形を作り出し、その人形の身体に娘の魂を呼び戻そうとしたが──二度目の召霊は失敗してしまう。
同じ人間による召霊には年に一度という冥界の掟があるなどという話が、ある書物に書かれていたが──まさか本当だったのだろうか?
結局彼は、娘を取り戻す為に長い年月をかけていたが、彼はその死霊術を完璧な物とする為にいくつもの魔神と取り引きをし。また、その死霊術の実験をするのに罪人などを使って死霊として甦らせたりしていたのだ。
それが国王の耳に入った。
領主が「死霊の軍団」を作り、国の転覆を目論んでいるなどという、根も葉もない嘘を吹き込んだ奴が居たのだ。
こうして彼は窮地に追い込まれ、魔神の中でも強大な力を持つラウヴァレアシュに救いを求めた。
斯くして領主は自らを死霊王へ、民衆を死霊の軍勢へと変貌させる大魔術を行使し、攻めて来る国王軍と戦う事になったのだった。
彼は別に国王に謀反を企んでいた訳ではなく、ただ娘を取り戻すという妄執に駆られてしまっただけであったが、彼の行き過ぎた行為ゆえに──その身を滅ぼしてしまったのである。
*****
そして彼は理性すらも失いかけるほど長く死霊王で居続けたが──ある時、彼は人の心を思い出し、自らの魂を転生させる事を思いつき、彼の力や記憶を受け継ぐ霊魂を作り出した。
死霊王としてではなく、一人の人間として彼はもう一度、人の生を取り戻す事を願ったのだろうか。
そうしてその霊魂を引き継がれたのが──魔導師ブレラだったのだ。
異端の魔導師と呼ばれる彼の魔導に関する才能は、古代の魔導師であった領主が作り上げた霊魂によるものだった。
異端の魔導師ブレラが黒曜石の仮面を使って死霊王を復活させると、彼は仮面を渡した上位存在の言った通りに死霊王と対峙する事になった。そこでブレラははっきりと悟ったのだ。
目の前に居る死霊王こそが、前世の姿だったのだと。
転生を通じて引き継がす事ができなかった力や知識を死霊王から受け取ったブレラはその場から去り、──痕跡すら残す事なく姿をくらましたのだ。
「異端の魔導師ブレラに仮面を渡したのも魔神ラウヴァレアシュだったのだろう」
俺の言葉にグラーシャもラポラースも無言で頷いた。
ラウヴァレアシュがなにを企んでいるのかは分からない。だがあの魔神には、なにか目的があって独自の活動をしているのは明らかだ。
それが暇潰し程度のものなのか、それともなんらかの思惑があり──その目的を成し遂げる為に画策しているのかは分からない。
だが少なくとも、黒曜石の仮面に「断絶」処理を行ってまで仮面に纏わる過去を隠そうとしたのは、ブレラとの関わりを知られたくなかったからではないだろうか? 考え過ぎかもしれないが……
異端の魔導師が「古代の魔導師」の生まれ変わりと言える存在であったとしても、彼自身の自我は結局のところ「ブレラ」なのであるから、ブレラが古代の魔導師の遺志を引き継いで、かつての領主の娘を現代に甦らせるなど──そんな真似をするとは思えないし、ブレラと死霊王の邂逅にどんな意味があるのだろうか。
そして異端の魔導師はどこへ消えたのだろうか。
かつての己と向き合い彼はなにを思ったのだろう。
それは自分には想像するのも難しい事柄だった。──しかし彼は自らの目的を放り投げたりはしないだろう。きっと魔導師ブレラは自らを生かす道を見つけ出すはずだ。
「そうだ、この領域──幻霊都市には魔術師や魔導師が大勢居るのなら、彼らから魔術や魔法を授かる事はできるかな?」
すると二人の少女は首を横に振る。
「やめておいた方がいいでしょうね。あなたが生きた肉体を持つ者だと知られたら、あなたの魂をここに縛り付けて、あなたの肉体を奪おうとする者が出ないとも限らない」
グラーシャはそんな脅しをかけるが、顔は笑っていた。
「でもそうなったら、私たちはずっと一緒に居られるね」
ラポラースが屈託のない笑みで答える。──しかしそれは、随分と邪悪な願いである……俺にとっては。
「はは……気をつけるとしよう。でも、今はよしておいた方がいいかな? 死霊術の扱いに慣れたら、そうした事柄に対する防衛術も手に入れられるだろうから──そのあとにしておこうか」
彼女らは「それがいい」と頷いて──俺の現在いる場所や、これからの目的地などについて聞きたがった。
俺は大陸の中央付近にあるシンという国の大草原地帯を南下して、大陸の南側に浮かぶ島へ向かう途中で、近くに人の住む町や村を探して南下している最中だと説明する。
俺はその後しばらく彼女らとの会話を通じて、幻霊都市や冥界についてご教授を受ける事となった。
だが、彼女らも話せない事があるのだという。
冥界神と冥界の重要な秘匿事項については──特に生者には──話せない掟があるらしい。
幻霊都市については前に彼女らが言った通り、不条理な理によって冥府に落とされて来た魔術師などを受け入れる街であるという。
「不条理な理」とは、魔神や邪神との本意ではない契約などで命を奪われたり、あるいは宗教的な迫害などを受けて殺害された事柄を指しているようだ。
まあ、彼女らの慰みに創った都市だという側面の方が強そうだが。
冥界についてはあまり多くの事は聞けなかったが、あの巨大な宮殿のような建物について尋ねると、それは冥界神の別荘のような物で──宝物庫や、神々の牢獄と呼ばれる物がある場所だという事だった。
「あそこに侵入するなど考えない事ね。中には不滅の番人が居るらしいから」
彼女らはそれだけを言って、冥府に人間が落ちて来るなど、そうそうないとも説明する。
大抵は途中にある「灼熱の遠路」で焼き尽くされるのだとか……どういう理屈で冥府の荒野まで辿り着く亡者が居るのか、彼女らにも冥府のそうした細々とした事情は知り得ないらしい。
「冥府は広大。すべてを知り得るのは不可能ではないかという程に」
冥界神には会ったか? という質問には、彼女たちは首を横に振る。
「そもそも私たちは遥か昔に『生け贄として捧げられる』という形式での呪術を受けさせられただけで、それを指示していた者は──冥界に棲む、名も知らぬ神と取り引きしておこなっていた儀式らしいし。そいつにとっても理解できない事柄に私たちを利用したっていうだけね」
彼女たちは確かに冥府下りを成し遂げたのだが、その先で冥界神や──あるいは生け贄をおこなうよう呼びかけてきた者とも出会わなかったらしい。
彼女らは元々「巫女」としての役割を持つ女子だったらしく、魔術などを扱えたので、冥界での暮らしに徐々に慣れていったという。
冥界一部には──瘴気と魔素が渦巻く領域があり、そこから異形の化け物が生まれてくる場所などがあるとも教えてくれた。
かなり長い時間、彼女らと様々な事柄について話しをしていると──肉体が「問題が起きた」と訴えてきた。
緊急性がある問題ではなく、どうしたらいいか迷っているらしい。
「すまない、肉体の方でなにか問題が起きたらしい」
地上への帰還を告げて立ち上がる。
また水鏡のドアを使ってこっちへ来てもいいかと尋ねると、二人は「もちろん」と声を合わせて返答する。
「ちょくちょく遊びに来てくれて構わないから」
「またね」
彼女らに別れを告げて水鏡の置かれた部屋へ行こうとすると、目を閉じた侍女がドアの外で待っていた。
白い無表情な顔をした侍女は黙って会釈をすると、俺を部屋まで送り届ける。……もしかして監視されているのだろうか? 俺は苦笑いをして彼女のあとについて行く。
本当に人形のような女だ。
俺は冥界の謎多き領域から境界の間へと戻って来た。
魔術の門を閉じて、どのような問題が起きたのかを確認する為に、意識を物質界に結び付ける……
第零話を一部、加筆修正しました。
今回のお話で一話での伏線が回収できたので、その辺りがよりわかりやすくなるような一文を付け足しました。




