反転する幻霊都市「ソルムス」
冥府に直接(肉体ではないけれど)降りれるようになったレギ。
結構大きな意味があるかも……
「死王の魔剣」と名付けたこの魔剣は、元々が古代の技術で造られた不明な部分の多い魔剣だった(古すぎて残留思念から世界記憶に繋がる事もできない)。
死霊王(古き不死者の魔導師)に止めを刺した事ではっきりと分かったが、この魔剣は「死霊喰らいの魔剣」だったのだ。その秘めた力のお陰でこの魔剣は「完成型」に近い姿になったのだろう。死霊王の力を吸収し、青紫色の刃を持った強力な魔剣へと生まれ変わったのである。
剣を持つ者の能力も高めてくれる逸品だが、その力の源が──今まで滅ぼしてきた死霊から得たものだと想像すると──恐ろしい武器にも思えるのだ。
初めは邪悪な霊を討ち滅ぼす武器だと思って使っていたら、いつの間にかその武器は呪われた、死霊たちの怨念を喰らい続ける魔剣に変わっていた──そんな感じだ。
「黒曜石の仮面」は死霊王が顔に付けていた仮面だ。ベルニエゥロはこの仮面から「おもしろい因縁」が知れるとか言っていたが……
この仮面から得られる情報を探ろうと世界記憶と連携して、仮面に纏わる情報を読み取ろうとしたが──
「なにっ」
黒曜石の仮面には不可思議な力が働き、仮面の過去はおろか、数時間前の「死霊の王」との戦闘に関する情報まで読み取れない有様だった。
「……まさか、この仮面は──」
すぐに思い当たる事があったが、まだそうと決めつけるのは早計だ。
俺はその仮面を影の倉庫にしまうと、書斎に入って銀の鍵を取り出す。──その鍵でなんの躊躇いもなく、冥界神の娘たちが用意したドアの鍵を開けて、その中へと足を踏み入れた。
そこはちょっとした大きさがある部屋だった。冷たい、灰色の石壁に囲まれた部屋。
その部屋の奥には小さな棚の上に置かれた、銀の燭台に挟まれて飾られている深紅に光る小さな像と、壁際に置かれた大きな姿見があった。
小さな赤い像は、近寄ってみると銀色や青色などにも光る、見た事がない金属で作られている像だったが、なにを表現しているかは分からない。
その像の中心には透明な水晶玉らしき物が収められており、金属部分がそれを閉じ込めているみたいな作りをしている。
それに手を伸ばして触ろうとした時、背後になにかが現れたのを感じて──慌てて振り返る。
……だが、そこにはなにもない。
しかし、確かに感じたのだ。
それは大きな黒い蜘蛛の様な影で、金属質の体をした──生命ではないなにか。
そこまで具体的に感じながらも、まったく相手に姿を現さないのだ。
──だが敵意はない。それははっきりと分かる。
振り返ってもう一度、棚の上にある像の水晶玉を覗き見てみる──すると、その水晶にはなにかが映り込んでいる。
影のような──曖昧な黒い靄。
俺はそれから離れると姿見の方へ向かう事にした。
謎めいた像については双子に聞けば分かるだろう。
鏡の前に立ったが、それは鏡の役割の為にあるのではないらしい。俺の姿が鏡に映っていないのだ。
鏡を嵌め込んだ金属製の縁は、白金に似た輝きを持つ材質から作られていて、外側に呪文のような文字がびっしりと刻み込まれていたが──見た事がない文字である。
鏡の表面を見るとそれは波立ち、急に表面が真っ黒になった。
『これが入り口よ』
鏡から双子の声がする。
『私たちの領域へと繋がる<水鏡のドア>。素敵でしょ?』
俺は黒くなった鏡の表面に触れる──触感や温度はない。手から入って行き、足を踏み出す。
目を閉じて入り込んだ先は──建物の中であった。
白い石を積み上げた物と、木材で作られた壁。それほど大きな部屋ではないが小さな暖炉があり、木の床の上に青い柄の絨毯が敷いてある。
部屋の中央に革張りの長椅子が向かい合って置かれ、丸い大理石の小さなテーブルを挟んでいる。
壁の一部に窓硝子があり、そこから外を見てみると──ここは二階部屋の一つらしい。
しかしそれよりも……高台にあるこの建物から見える街並みと、空の様子が変なのだ。
空には雲ではなく地上が見えている。上空にあるのは荒廃した大地。
それはどこかで見た覚えのある乾燥した大地だった。
「そうか、ここは冥府なのか」
冥府の上空に反転して存在する街、それがいま居る場所なのだ。
街には所々に明かりが灯っているのが見えているが、それらは青い光で──幻想的な雰囲気であると同時に、周囲の薄暗い夜の雰囲気を持つ街並みと、上空に見える薄暗いが──昼間に近い感じの荒れ地との対比に違和感を覚える。
この街は灰色の雲に包まれていて、ずっと夜みたいに暗いのだろうか?
すると「コンコン」と部屋のドアが叩かれた。
ドアに向かって声をかけると音もなく木製のドアが開き、目を閉じたままの女が入って来た。
「レギスヴァーティ様、どうぞこちらへ。主がお待ちです」
黒い衣服に身を包んだ女は真っ白な顔をしており、白化を思わせた。
髪飾りや手袋、靴まで真っ黒な彼女の服装は単調で飾り気のない、生命を感じない見た目をしている。
亡霊じみた彼女のあとをついて行くと、一つのドアの前に立ち止まり、ドアを叩いて「お連れしました」と声をかける。中から「通して」と声がかかると、侍女らしき彼女はドアを開けて中へ入るよう促すのだった。
女が押さえているドアから部屋の中へ入ると──そこは先程よりも広い部屋だ。調度品なども置かれ、こちらの部屋は客間としての性格を持った部屋であるらしい。
「ようこそレギ。さっそくだけど少しお話しをしましょう」
黒い髪のグラーシャが部屋の隅──窓際に置かれた長椅子から立ち上がって、俺を手招きする。
ドアが開くと、そこから白い髪のラポラースが銀の盆を手にして部屋に入って来た。
彼女の手から盆を受け取る白子の侍女。
俺がグラーシャの前の長椅子に腰かけると、ラポラースは俺の隣に腰を下ろした。
侍女は三人分の紅茶を注ぐと、会釈をして部屋を出て行った。人間味のない外見と動きに──異端の魔導師の館に居た、魔導人形を思い出す。
何故かラポラースは俺の腕に抱きつくと、紅茶を飲むようせっつく。
「冥府では飲食をしないというのが魔導の鉄則だ。それを破る気はない」
俺の言葉にラポラースはぷく──っと頬を膨らませて不満を口にしたが、グラーシャは「あなたはまず彼の腕を放しなさい」と警告して、同じ顔をした少女を睨む。
冥府で飲み食いすると冥府から戻れなくなるというのが通説だ。冥府へと降りて戻れなくなった魔導師がたまに出る事から、そう言われるようになっただけかもしれないが。
「飲食しても平気よ、あなたはただの魔導師ではないもの。あなたの中にある死導者の核が冥府と現世の移動を可能にするのだから。本来なら次元の異なる領域を通過するのに必要な儀式もなしに、ここに来られたでしょ?」
……どうやらただの通説ではなさそうだ。
でも確かに彼女の言うように──「死の衣」や魔術的な「死の偽装」をおこなっていないのに、俺はこの領域へと来ている。
「ここはどういった場所なんだ? 冥府の雲の中にあるようだが」
俺はそう言いながらラポラースが持って来た紅茶を飲んでみた。……なんだろう、馴染みのない香りだ……苦味や渋味は紅茶というよりは緑茶に近い。
「その通り、ここは冥府にある『反転する幻霊都市ソルムス』冥府の上空に浮かぶ街。不条理な理によって冥府に落とされた魔術師や魔女などが住んでいる街。私たちが創った領域よ」
この領域に生きたまま降りて来る魔導師は居ないのかと尋ねると、ラポラースは顎に手を当てる。
「う──ん、どうかしら。私たちが創った領域だけれど、すべてを把握している訳じゃないから。もしかすると現世からここに降りて来て、ここに住む魔術師たちから技術を教わったりしている魔術師も、居るかもしれないね」
そういえば彼女たちの目を盗んでヴァルギルディムトは、図書館から「死の魔導書」の写本を盗んだと言っていた。……まあ、あいつは腐っていても魔神だった訳だから、魔導師の範疇には入らないだろうが。
「ところで、あの部屋に置かれていた金属の像はなんだったんだ? 触ろうとした時に、確かになにかの存在を感じたんだが……」
俺の言葉にラポラースが興味ありそうに「どんなものを感じたのか」と尋ねてきた。俺は正直に黒い蜘蛛のような奴だった、と答える。
「そう……蜘蛛は様々な行動を取る、昆虫の中でも特別に変化に富むものだからね。あなたの守護者として、これ以上に相応しいものは居ないかもしれない」
「俺の守護者? それはどういう意味だ?」
グラーシャはあの金属と水晶の像は、あの館を守る魔法や結界の総体なのだと説明する。
「あなたの感じた蜘蛛の守護者は、あなたの魔術領域……すなわち無意識領域を守る存在の具現化したもの。あなたの敵となる者に襲いかかり、捕縛し、喰らい、追跡する──そうした存在。あなたの無意識の防衛本能の具現化。そうとも言える存在ね」
彼女たちは黒い蜘蛛なんてあなたにぴったり、と楽しげに笑っている。
もちろん魔術の門の領域には様々な防御機構を用意してあるが、まさかそれらを総括する守護者なるものを作り出すとは……だが、彼女らが言うには──古くからある魔術の一つであるらしく、古代の魔術師はそうした存在を作り出すのが自然だったらしい。
俺は彼女らの贈り物に感謝し、お礼を述べておく。
「あ、それで一つ頼みたい事があるんだが……」
彼女らに協力を申し出るのは少し躊躇われた。冥府の存在である彼女らから知識を受け取るのは危険かもしれない。──今更であるとは自分でも思う。
だから一つ、はっきりとさせておく事がある気がした。
「──その前に聞いてもいいか? 冥界の神や、その娘だと言われている君らは──魔神と対立していたりするのか?」
すると彼女らの顔から一瞬、表情と呼べるものが消え、俺は冷や汗を流す時に感じるような──嫌な感覚を覚えた。
「……そうね、冥界神は魔神とは仲がいいとは言えないでしょう。冥府には神々を閉じ込めておく牢獄があり、そこには魔神や邪神が封印されているから。だからと言って対立しているとまでは言えない」
自分たちは魔神と敵対なんかしていない、そう言ったのはラポラース。
グラーシャは頷き、自分たちは冥府のこの都市でゆったりと生きているだけだと答える。
「「それで? 私たちに頼みたい事って何?」」
二人はそう言うと同じ動きで紅茶を口にした。
俺は影の倉庫から黒曜石の仮面を取り出そうと影に手を伸ばしたが……
「あれ? 影の倉庫に──接続できない」
霊的体であっても影の倉庫が使用できるのだが……
「ああ、それはここでは使えないの。手を出して」グラーシャが手を伸ばす。
少女の小さな手を握ると、彼女は手を放さずに「影から目的の物を取り出して」と言う。
言われるままに影に手を入れると──影の倉庫と繋がった。意識の中で影の中にしまった物を選び取り、黒曜石の仮面を取り出す。
「ここでは影の魔術などは使用できないから、普通ならね。──それにしても影の魔術なんて、なかなか高度な技術を持っているのね」
仮面を受け取りながらグラーシャが言う。
その仮面を双子がじっと見つめる。
「「この仮面を調べればいいの?」」
頼む、と俺が言うと彼女らは、仮面に触れて目を閉じる。
──数秒の事だった。
二人は目を開け、互いの顔を見つめ合う。
「この仮面に掛けられていたものは──断絶の力。遮断ではなく、この仮面に関する事象を読み取られるのを防ぐ為に掛けられた力」
「そんな真似ができるのは──神々のみ。……でもたぶん、これに断絶処理をしたのは──あなたも良く知る魔神でしょうね」
その事については心当たりがある。
「魔神ラウヴァレアシュだな」
俺の答えに双子は同時に頷いた。
グラーシャは手にしていた黒曜石の仮面を手渡してくれ、断絶の力を解除したから世界記憶と繋げて見てみるといいと勧める。
俺は仮面を受け取ると、目を閉じて仮面に集中する……
先ほど調べた時に感じた不可思議な力の働きを感じない。俺はそのまま仮面の過去を調べてみた。
仮面を付けた古き魔導師と対面する老人の姿が見えた。それはどうやら異端の魔導師ブレラであるようだ。
彼は死霊の王とは戦わずに、この死霊と化した古き魔導師が伸ばした手に触れて、なにかを受け取っているようだった。──いや、まさか。
その二つの異なる魂に不思議な共感があるのを感じた。二つの存在は異なるものであるのにも関わらず──共鳴し、古代から現れた亡霊からなにかを受け取った老人は、その場から消え去ってしまったのである……




