魔神ヴァルギルディムトの野望
朽ち乾いた死体を斬り裂く一撃。
ところがその途中、心臓にあったと思われる硬い物にぶつかると、魔剣が凄まじい魔力の乱流に巻き込まれた。
心臓に隠された古き死霊の核を破壊し、膨大な魔力が放出したのだ。
「なっ……にィ!」
まるで魔剣が大きな獣に食いつかれたみたいな手応えを感じ、グイグイと引き込まれる感覚が手に伝わる。ここで手を放したら、この貴重な武器を失ってしまうかもしれない。
そう思うと俺は必死になって魔剣を自分の元に引き戻そうと、ずりずりと足を引きずって後退し、引き込まれそうになる剣を頭上に持ち上げる格好になった。
魔剣を通じてなにかが俺の中へと流れ込んでくるのを感じる──冷たい、異質なる力の奔流。
ざわざわと体中の毛が逆立つ。
恐怖を感じながらも俺は、魔剣を手放さないと覚悟を決め、魔剣を振り上げて回収しようと全力を振り絞る。
引き込まれそうな感覚が急になくなった為に、上に持ち上げようとしていた魔剣を振り上げる格好で、後ろによろよろとよろけて尻餅をついてしまう。
「まったく、なんだってんだ……」
目の前の古き死霊があった場所にはもうなにもない。地面に落ちているのは黒曜石の仮面だけだ。
奴が身に着けていた法衣も、黄金の首飾りも無くなっている。
「チッ、首飾りくらいは置いていけよ」
そう言ってなにげなく魔剣を見ると──
「ぉわっ⁉ なんじゃぁこりゃぁ⁉」
思わず荒くれ者が口にしそうな言葉遣いになってしまった。
魔剣は青色を含んだ銀色の刀身ではなく、青紫色に変化していたのだ。
慌てた俺は「物体調査」を掛け魔剣を調べてみた。──すると、魔剣には新たな力が封入された事が分かった。
それは「死霊王の霊魂」が魔剣に喰われる形になっていたのである。「霊魂」と称したが、古き死霊の魔力や霊質を取り込んだ力の根源。正確に言うならばそういった性質のものが、魔剣に取り込まれていた。
期せずして魔剣は、より強力な武器へと生まれ変わったのだ。そう──「死王の魔剣」とでも言うべき物になったのである。
「まさか死霊の王を倒してしまうとは……」
立ち上がって魔剣を鞘に戻そうとした時に、離れた場所からそんな声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だ。
それもそのはずだ、その声の持ち主は──魔神ヴァルギルディムトだったのだから。
「やはりな、この空間がある事を知っていたという訳か」
この魔神が隠し事をしているのは気づいていた。ブレラの残した書物や手記を読んで、それは確信へと変わった。
この魔神は間違いなく、魔導師ブレラが消えた場所について知っているのだと。
「ほう、気づいていましたか」
「で、俺を死霊共の王と引き合わせて、なにがしたかったんだ?」
俺は魔剣を手にしたまま奴と対峙する。
「簡単な事ですよ。あなたの持つ『死導者の霊核』を奪う為です」
奴は溜め息を吐き出すと、こんな事を言い出した。
「私は当初、死霊の王に強大な魔導師の魂を喰わせて、より強力な力を持つ死霊の王へと成長したところで、死霊王の霊核を奪うつもりでした。ところがブレラは死霊王と対峙したにも拘わらず──戦う事なく、私との契約を反故にして消え去ったのです。どうやって契約を破棄できたのかは分かりませんがね」
異端の魔導師が行っていた契約は、本当の命に食い込むまでの契約ではなかったのだ。彼は契約をすり抜ける為に、疑似的な魔法生命体を囮にして契約を行ったのだ。
本来ならあり得ない方法だが、彼は自らの命と魔法生命体を同質なものとして──相手にも、契約の儀式自体にも誤認させ、まんまと契約を出し抜いたのである(手記にそれらしい手口が書かれていた)。
つまり契約違反で死亡したのは魔法生命体であり、その命は契約違反者に対する報復の発動と共に霧散してなくなったのだ。
魔導師ブレラは「不死者の魔神」と契約する以前に、転生に関する方法についても理解していると手記に残されていた。仮に死霊王との戦いで命を失ったとしても、その魂が死霊王の一部になる事はなかっただろう。
彼は己の霊魂が失われぬよう──不完全ではあるが、転生の呪法を使って己の存在が無に帰さぬよう計らったという(彼の知り得た転生の呪法は、彼自身が転生した──その呪法と同様の、古き魔術を元にした呪法であるらしい)。
ブレラは手記の中で、ヴァルギルディムトの危険性についても書いていた。
「奴の左半身は、奴が恋い焦がれた人間の女(魔女)であり、魔物の癖に人間の女に恋心を抱いて、魔神になるほどの力を手に入れたのがヴァルギルディムトなのだ。奴は『不死者の魔神』と呼ばれるほどの力を手に入れたが、左半身の女は未だ奴の一部にはならず抵抗している
ヴァルギルディムトの宿望は、その女と永遠に一つになり生き続けるという、我々人間にはまったく理解し得ない事柄にある」とブレラは看破していた。
──まあ、その事は俺も見抜いていたのだが。
「あなたの持つ『霊核』を見た時、私は運命というものを感じましたよ。その『死導者の霊核』さえあれば、紛い物の『死霊王の霊核』など必要ない。それさえあれば、私はエシャニメと一つになれるはずだ!」
エシャニメとは左半身の女の事だろう。
その女は未だに魔神と化した魔物を拒絶し、魂を自らの内側に閉じ込め、自身を守っているのだろうか。
不死者の魔神が片手を振り上げて、その腕を地面に向けて振り下ろす。すると魔神や俺の周辺から赤い炎や黒い瘴気が噴き上がり、地面から火に包まれた死者や、黒い瘴気に呪われでもしたかのような死者が沸き出して来た。
瘴気に包まれた不死者が呻き声を上げながらこちらに向かって来る。
「気持ちが悪い」
そんな声が聞こえた。
その言葉は瘴気を孕んだ不死者に対してと、それを呼び出した魔神の発言に対してだろう。
「まったく、いまさらご登場とは。死霊の魔導師との戦いを観戦していたな?」
俺の言葉に黒い髪のグラーシャが、近づいて来ていた「瘴気の死霊」に腕を振り払うと、赤色の斬撃が飛び──その一撃で死霊の体を引き裂いた。
「ごめんなさい。あなたを囮にして、この『不死者の魔神』を私たちの力が及ぶ領域に誘い込む必要があったのよ」
錆び付いた鎧を纏う死者の戦士や、その背後に居た不死者の群れに向かって手を翳す、白い髪のラポラース。
すると不死者の群れが青い焔に包まれて、赤茶けた地面に次々と倒れ込んだ。
「あなたなら大丈夫だと思っていたから。それにしても割とあっさり尻尾を掴ませたね。魔神ヴァルギルディムト……いえ、略奪者ヴァルギース」
どうやら不死者の魔神は彼女らとも因縁があるみたいだ。
「こいつが魔神になれたのは、私たちの領域にある図書館から『死の魔導書』の写本を盗み出した所為なの。その時に私たちのお気に入りだった魔女を殺害し、その死者を操って『写本』を盗み出した──」
今こそ魔女ダフニアの仇討ちと、写本を返してもらう。彼女たちはそう宣言し、周囲の不死者共をさらに討ち滅ぼす。
魔神ヴァルギルディムトは──炎に包まれ、引き裂かれて倒れていく不死者には、まったく興味を示さず「妙だな」と口にする。
「この領域は私がブレラに協力して作り上げた死霊王の異空間であり、多くの死の領域とは分断されているはずだ……」
双子の少女は「ふん」と鼻を鳴らす。
「それは死霊王の滅びによって穴が空いたからよ。しょせんあなたは『不死者の魔神』などと呼ばれる器ではない、そのいい証明ね。あなたよりも『不死者の魔神』と呼ばれるに相応しい魔神は他にいくらでも居る。──まあそんな事はどうでもいい……」
グラーシャは冷たい殺気を放つと手から赤い炎を発し、一振りの赤い剣を出現させた。ラポラースは青い焔を掌から噴き上げると、青い大鎌を手にして──それを構える。
「あなたは『ヘギアの魔』として生まれながら人間の女を愛し、己の強欲なる願いによって私たちの友であった魔女や、魔法使いを傷つけ殺害した。その罪……贖ってもらう」
ヴァルギルディムトは肩を落とす。
諦めた様子を見せながらも、異形の魔神は懐から一冊の書物を取り出した。
「止めなさい、あなたには死の魔導書を──写本に過ぎない物だったとしても──使いこなす事などできはしない」
黙って書物を開く魔神に一瞬で接近し、手にしていた大鎌で切り付けるラポラース。しかしその攻撃は見えない障壁によって弾かれた。
「私の望みを誰にも邪魔はさせない! 私とエシャニメは永遠の存在となるのだ‼」
ぱくぱくと右半身とは違った口の動かし方をする左半身。それはこう言っているらしい──「私を殺して」と。
「その左半身の心の声を聞いてからほざきなさい! 小さき魔物ヴァルギース!」
「だまれぇえぇぇ‼」
魔導書の力を解放したのか、革張りの本が白や黒、青や緑の焔に包まれた。
その焔は不死者の魔神をも呑み込んで、激しく燃え上がる火柱を噴き上げる。それは天井に満ちた赤や橙色の煙にまで燃え上がり、緑色や朱色に燃え盛る焔から周囲に火花が飛び散る。
煙を突き破ると黄土色の天井が一瞬見えたが、噴き上がった焔に焼かれて、あっと言う間に焦げ付いてしまう。
異様な音を響かせて燃える焔。
それはまるで雷鳴だった。
俺とグラーシャが攻撃魔法を放ったが、焔に包まれたヴァルギルディムトに当たる前に、焔の壁に阻まれて打ち消されてしまう。
焔の壁は変色し、歪み、形を様々に変化させると──激しい衝撃波を放ち、焔を撒き散らして消え去った。
焔の中から現れたのは──なんとも形容しがたい化け物であった。
頭部は大きな蠅の頭に似ているが、目玉は昆虫の物ではなく、大きな人間の目が二つ。頭の上から大小異なる角が数本生え出ており、その頭を支えているのは長い首……それはまるで竜の背骨のように巨大な骨であり、それが首から背中まで繋がっている。
暗色を含んだ青い鱗と皮を持つ長い腕。五本の指先には鋭い鉤爪。胸は白っぽい両生類の腹部に似た質感のぶよぶよした物。腹部はどういう訳か透明で、その中に羊水の中で丸まっているみたいに、膝を抱えた女性が浮いているのが見えている。
灰色の大きな肋骨が腹部を守るように取り囲み、鋭い先端を前方へ突き出す形をしていた。
全体的に骨と皮からできている物のようだったが、下腹部は爬虫類の皮と鱗を持つどっしりとした部分が目立つ。──特に後ろ足は鰐を思わせる短いが、強靭そうな足で体重を支えており、灰色と赤紫色の長い尻尾を地面に付けて立っている。
透明な腹部の横からも鰐の前足に似た物が生え出ており、その手は鱗に覆われた人間の手のようでもあり、おぞましい指先に濁った灰色の爪が付いていた。
その手が地面を掴んで、重そうな体を前方に引きずって進んでいる。
あまりに異形な化け物だ。
見覚えのある生き物の部分で例えたが、そのいずれも見た事のない質感や色合いで構成されている。
「そんな姿になってまで、まだ生き続けたいなどと思わないでしょう。身も心も怨霊と化した怪物の中から、魔女(エシャニメ)の魂を解放してあげましょう」
蠅の頭を持つ化け物が異様に長い首を持ち上げて、開いた口から悲鳴と咆哮が混じり合ったみたいな叫び声を上げて威嚇する。
左右にばっくりと開いた口から金属の牙が覗き、青色の長い舌がうねって毒気のある瘴気を吐き出しながら、重い足音を立てて突進して来る。
腹を引きずる格好で──その見た目とは裏腹に、思った以上の速い動きで迫って来た。




