死霊の王──古き魔導師──
朝目覚めると、眠る前に覚えた魔法が定着しているのを確認する。──ちゃんと自分の意識と繋がり、自在に扱えてこそ意味があるのだ。
ちょうどその時ドアを叩く音がして、魔導人形が朝食の用意ができていると告げに来た。
俺はドアを開けると、機会仕掛けの侍女について行き、食堂の席に座り──献立表を見て、昨日よりも多めに料理を持って来るよう頼んだ。
青髪の魔法生命体が料理を作り、皿を運んで来ると──昨日は食事を食べなかったのかと尋ねてくる。
「ああ、昨日は一日中本を読んでいたんだ」
魔法生命体は座って話してもいいかと聞くので俺は頷く。
「私たちを造った創造主の行方は分かりましたか?」
兎肉の牛酪焼きを口にしながら首を横に振り、だがなんとなくブレラの跡を追跡できそうな手がかりを見つけた。とだけ答えておいた。
青い髪の少女はほっとした様子を見せるので、ブレラを発見できるとは限らないが、と先に言っておく。がっかりさせる結果にならんとも限らない。
俺の予想ではブレラは──生きていたとしても──この館には戻って来ないだろう。
朝食を食べ終えると、魔法生命体は皿の片づけを始める。彼女ら侍女たちには主人が必要なのかもしれない。ここに居る魔法生命体や魔導人形は、館に掛けられた魔法と同じで、気脈から得られた力を魔力に変換して魔法の効力を維持しているのだ。
半永久的に──壊れるまで、彼女も館も生き続ける訳である。
一度彼女らには、俺が新しい主人となった事を説明しておこうとも思っているが──なんとなく、ブレラの行方がはっきりとするまでは、それを言うのが躊躇われるのだ。
最初に会った魔導人形に魔神からの手紙を見せたので、彼女から新しい主についての情報が広まっているはずだが──彼女らが俺を新しい主人として迎えるつもりがあるかは分からない。
今日にでもあの隠し扉の先にある部屋を調べに行こうと考え、二階の寝室に戻って少し体の状態などを確認すると魔剣を腰に差し、携帯灯や回復薬などを腰の小鞄にしまってから寝室をあとにした。
客間の一つから隠し通路に入り、螺旋階段の途中にある、見えづらい場所に刻まれた小さな紋章に手を翳す。
解析してみたが、やはり専用の鍵がないと開かないらしい。この螺旋階段自体にも強力な隠匿魔法が掛けられている為、魔眼がなければ──この隠し扉への入り口を発見するのは不可能だったろう。
まずは地下へと向かい、紋章に合う小さな鍵を探す為に実験素材などが保管されている倉庫に入る。
この部屋の中にあった鍵は一本。また鍵の形でなくとも、紋章の付いている物であればと探したが、それは見当たらなかった。
手に入れた銀の鍵を使える場所を探していると、書斎の壁に小さな石の塊を引き抜ける場所があり、そこに隠されていた小さな金の箱を見つけ、その鍵穴に銀の鍵を入れて回してみる。
「かちり」と音を立てて箱の鍵が外され、中身を確認して見ると──それは、紋章の入った金と銀で作られた小さな金属板であった。
微妙な魔力を有したこの金属板こそ、あの隠された部屋に入る為の鍵であろう。
書斎を出ると階段を上がって行き、石壁にある紋章に金属板の紋章を重ねる。──すると石壁が重い音を響かせて部屋の奥へ移動していき、真っ暗な空間がそこに現れたのである。
持っていた携帯灯を付けて部屋の中に入って床や天井、周囲の壁を確認する。
広さはまったくない狭い部屋。壁に囲まれた、四メートル四方の空間で、石の壁に白い塗料で描かれた隠匿の呪文と小さな魔法陣が、びっしりと天井と壁に描かれている。
床にも赤と白、一部に黒を使った魔法陣が描かれていた。
これが手記に書かれていた転移の魔法陣だろう。
この先には異端の魔導師が黒曜石の仮面を使い、儀式によって復活させた「死霊の王」が存在するのだろうか。
それとも、もうすでにブレラによって倒されたあとだろうか。
そんな事を考えて魔法陣のそばに屈み込んでいると──背後に何者かが居ると気づいた時には、俺はその女に抱きつかれて、魔法陣の上に突き飛ばされてしまった。
組み付いて来たのは死者の侍女。
彼女からは殺気も気配もなく、まるで操り人形のような表情で俺を魔法陣の中へと押し出し、彼女もまた魔法陣の中へと飛び込んだのだった。
*****
周囲の空間がぐにゃりと歪んで、暗闇が押し寄せてくる。
不快な朱色と紫紺を含んだ暗闇に包まれる俺と死者の侍女。
暗闇に落ちて行く感覚。
俺は侍女の体を掴むと彼女を引き剥がして、その無表情な視線から、彼女は何者かに操られていると感じた。──でなければ、彼女がこんな事をする理由はない。
まして一緒に転移の魔法陣に飛び込んだりはしないだろう。
「自殺なら一人でやって欲しいものだ」
そう呟くと落下していた感覚が消えて、ゆっくりとどこかへ向かって浮遊する感覚になった。
足下には赤茶けた地面が見える。
俺はその地面に立つと、地面に侍女を座らせて周囲を見回してみた。
そこは洞窟の中だった。
赤茶けた地面には、黒い塗料で描かれた小さな魔法陣が描かれていたが、その魔法陣の効果は外部から人を招くだけであり、こちらからは移動できない仕組みのようだ。
壁の一部には燭台がかけられて、青い火が揺らめく異質な蝋燭が乗っていた。土の壁は赤茶色で、所々が濃い赤色に滲んでいる壁は──まるで出血しているみたいだった。
異様な臭いが充満している狭い洞窟。
俺が歩き出すと死者の侍女も立ち上がり、俺のあとをついて来る。
まったく……こんな所に招いて、いったいなにをするつもりだろうか。
「死者の女たちと乱交とか勘弁してくれよ。喰われそうで怖いからな」
侍女に向かってそう言ったが、彼女は相変わらず操られたままらしく、なにも返事をしない。
俺は静かに魔剣を引き抜き、いつ敵が(あるいは背後の侍女が)襲ってきてもいいように心構えをしておく。
俺は死の結晶に集中して、冥界神の娘たちに呼びかけた。
『まずい事になりそうだ。いま自分がどこに居るかは分からないが──魔法陣で転移してしまった、ここが冥界の近くなら助けに来てほしい』
何度かそんな感じで呼びかけたが、彼女らからの返答はない。
「おいおい話が違うんじゃないか?」
そんな不平不満を口にしたところで状況が良くなるはずもなく、俺は狭い洞窟の通路を抜けて──広々とした空間にやって来た。
そこは赤や橙色の煙りに包まれた天井と、赤茶けた地面から噴き上がる黒煙や、青い焔が燃え上がる不思議な空間。
地面から焔が噴き上がると、ゴウゴウと音を立てるその音の下でゴボゴボ、ゴポゴポと────液体が泡立つみたいな音を立てている。
直感的にその場所が、冥界に近い幽世だろうと感づいた。
「しの……おう。きたる……んじ、わが……いち──ぅ、なら……ん」
死者の侍女がぶつぶつと呟きながら先へと歩いて行く。
率直に言って、まったく彼女について行く気になれない。
彼女は死んでいる上に、操られているのだ。
まったくもって信用ならない。
彼女について行くというのは、人さらいについて行くのと同じ事だ。
俺はいつでも自分を魔法で強化して戦える準備を仕込んでおく。もはや戦いは避けられないだろう。
この状況で自分の状況や立場が分からんと言う奴が居たとすれば、そいつはすでに死んでいるのに違いない。
周囲に感じる禍々しい気配は──死の使いが現れた空間に似ており、むしろあそこよりも感覚的に受け入れ難い場所なのだ、ここは。
不快な臭いの正体は、確実に死肉の臭いのそれだった。
ここには積もりに積もった死の臭いがこびりつき、それらを焼き尽くさんとする青い焔が辺りから盛大に噴き上がる。
囂々と喚いている人の声のような物が聞こえる。──それは青い焔の中から聞こえてくる人々の悲鳴。
苦痛を訴える声。
不条理な死を告発する怒りの声。
憎しみに囚われた者から溢れ出る殺意に満ちた声。
あらゆる負の感情を表す声が響き渡る。
天井を覆う赤い煙がぐつぐつと煮え滾るみたいに蠢いている。
地面から青い焔が噴き上がり、天井から赤い煙がボタボタと落ちてきた。
その二つの交わりから黒色と朱色の塊が現れた。危険な気配を感じ──肌が粟立つ。
そいつは明らかに死者だった。
多少汚れてはいるが──豪奢な朱色の法衣と、黒く輝く仮面を付けていた。……その法衣に描かれた金糸の刺繍には見覚えがある。
千年近く前の古代文明に存在した魔導師が身に着けていた法衣に違いない。
剥き出した骨と、ただれた皮が付着する腕と頭蓋骨。
首から下げられた黄金の首飾りには色とりどりの宝石が飾られ、茶色く変色した皮が張り付いた腕には、人の頭蓋骨や背骨を組み合わせて作った杖が握られている。
黒曜石の仮面を付けた不死者。
魔導に身を投じ、死霊と化した者。
古き魔導師の死霊。
死を司る亡霊どもの王。
そいつは宙に浮いたまま死者の侍女を手招きすると、近くに来た彼女を干からびた腕で抱き寄せて、黒い仮面の下から伸びた──不気味な蚯蚓に似た口を開く。
牙だらけのその口で彼女の頭に食らいつくと、首から上を引きちぎるようにして喰らい、それを飲み込んだ。
魔剣を構えた俺はもう一度、死の結晶を通じて双子に呼びかけたが──やはり返事はない。
この不死者の領域では彼女らとのやり取りができないらしい。
「ならばお前を倒すまでだ」
俺は準備していた強化魔法と魔法障壁を自分に掛け、魔剣に「霊呪の銀印」を付与し、猛然と襲いかかる──振りをした。
奴はす──っと宙を滑るように離れて距離を取る。
相手が魔法への集中を行った瞬間に、こちらも用意していた魔法をぶち当てる。
「新月光の刃!」
魔法を撃ち出そうとしていた所に魔法を当て、奴の攻撃魔法の一つを封じる事に成功した。
広々とした空間には天然の柱状の岩や、隆起した地面もある。だが隠れるのは意味がないだろう。この魔導師の死霊からは、膨大な魔力を感じる。
長期戦は危険だ。
一気に仕留める──それしかない!
魔法を封じられて焦ったのか、古き死霊は周辺の地面から、ぼろぼろに錆び付いた鎧や兜を身に着けた死霊の戦士を呼び出す。そいつらは朽ち果てた剣を鞘から引き抜き、三体の戦士が襲いかかってきた。
「どけっ!」
奴らの武器による攻撃は単調だった。
上段から一斉に振り下ろすだけの攻撃。
そんな物に当たっていたら、今まで何度も繰り返してきた戦いの中で死んでいる。
三体の攻撃を躱しながら二体の間を駆け抜ける流れの中で、胴体や足を切り裂いて倒し、古き死霊へと迫った。
一気に肉薄する俺に向かって禍々しい杖を突き出して、火炎弾を三発撃ち出してきた。
一発を躱し、一発を剣で叩き斬る。
斬った火炎弾が爆発し、誘爆を起こす。
俺は爆風を物ともせず突進し、宙に浮く相手に跳びかかると、死霊の首から胸までを引き裂く体重を乗せた一撃を振り下ろす。
死霊は後退して、その攻撃を躱そうとした為に深い傷にはならなかったが、法衣の前を切り裂かれて、肋や腹部に達する傷が付いた。
『うォオォおぉォっ!』
傷を負った死霊が怒りの声を発すると、口の中から牙だらけの蚯蚓を出し、その口から灰色の瘴気を吐き出す。
毒気に恐れずさらに突進して、俺は連続斬りを左右から放ち、腹部や腕を切りつける。
霊呪の銀印の効果が死霊の動きを鈍くする。
後方に下がる動きが鈍った所へさらに一歩を踏み出し、思い切り振り下ろした一撃が奴の胴体を深々と斬り裂く。
『ぐァががガぁ──ッ!』
奴は苦悶の呻きを上げながら俺に掴みかかり、骨と皮の手で俺の腕と肩を掴んで動きを封じようとする。
『ぐハぁあぁァアっ!』
仮面を上に押し上げて、口から伸びる蚯蚓の口で俺の顔面に食らいつこうとしたのだろう。
その行動は掴まれた瞬間に予測していた。
「聖櫃の霊光!」
俺の正面から放出される目映い閃光。
至近距離から中距離までを扇状に広がる光の攻撃魔法だ。まだ実用性に乏しい上に、予め呪文の簡略化をしたので威力は充分ではなかったが、露骨に突き出した不浄なる口を曝け出した死霊は、甲高い悲鳴を上げて苦しみもがく。
『ギャぅアあぁウぅぁァ──‼』
ぼろぼろと胸元から顎の皮までが崩れ落ちる。
蚯蚓状の触手じみた口は灰色に炭化し、死霊の顔を隠していた黒曜石の仮面が地面に落下する。
光の直撃を受けた顎は消え、上顎から上の顔を晒した相手は地面にひざまずくみたいに倒れ込む。
俺は振り上げた魔剣を、死霊の頭から胸まで──渾身の力で振り下ろした。
蚯蚓は漢字一つでもミミズ、と読めるみたいですが、二つ書く方が正式(?)らしいです。
それと、ミミズの別名が「赤竜」と言うそうです! なんか強そう!(笑) 漢方薬か何かで赤竜と呼称されるみたいです。
ミミズは地面を耕し、魚を釣るときの餌になり、さらに薬以外にも、人間が食べる事も出来るという……見た目以外は完璧な、環境を清浄化する生物じゃないでしょうか。(ありがとうミミズさん……)




