天使の羽根の探究や死霊の侍女
異端の魔導師の秘密が明らかに──ならない⁉ でもレギはもう知っているという、読者置いてきぼりな展開。次話で判明しますから期待しないで待っていてください。
魔術の門を開いて作業していると、新しくできたばかりのドアが発光している。──正確にはドアの隙間から銀色の光が漏れているのだ。
ドアの前まで行って、鍵を書斎の机にしまった事を思い出した。
書斎に入って机の引き出しから銀の鍵を手にすると──双子の声が聞こえた気がした。……冥界神の娘と呼ばれる双子の声だ。
鍵を手にしてドアの前まで来たが──開けてもいいものか迷う。彼女たちは死の力を制御できるようになってから開けろと警告をしていた。
銀色の鍵をドアノブに近づけると、はっきりと頭の中に少女の声が聞こえて来た。
『レギ……聞こえる? 危険よ。あなた、今どこに居るの? あなたの側から、死があなたを見張っているのを感じる。そこから離れなさい』
そんな言葉がはっきりと聞こえてきたのだ。
「いや、そういう訳にはいかない。ここでやらなければならない事があるからな。その『死』とは具体的にはなんだ?」
俺が銀の鍵をドアノブに当てると、グラーシャかラポラースかは分からないが『まだ開けては駄目』と言ったのが聞こえ、俺は鍵をドアノブから離す。
『古き死の臭いがする。危険な死の存在よ、死導者に近いけれど──それとは違う。死の魔術、死の魔導、そういったものの集合体。こんな禍々しい気配は久し振り。あなたが死導者の結晶核を持っているとはいえ、まだ制御し切れていない状態では──……いえ、あなたならきっと大丈夫でしょうけれど……いい? これから言う事をよく聞きなさい』
グラーシャかラポラースが続けて言う。
『死の領域に呑まれたら私たちを呼びなさい、あなたの中の結晶核に呼びかければ通じるから。忘れないで、死の領域でなら──私たちはあなたを守れる。十分注意するように、いいわね……』
彼女らの声が遠ざかっていく。
どうやら異端の魔導師ブレラの館には、危険な死に関する災いが潜んでいるらしい。
「死の領域に呑まれる……罠の類か? 館で見て回っていない場所は、あの隠し螺旋階段にある隠し扉の先だけのはずだ。あの壁の紋章を調べる時は慎重に取り組まなければならないな」
俺は書斎に戻ると銀の鍵を引き出しにしまい、研究室に行くと影の倉庫に入れた「天使の羽根」の事を調べて見ようと考えた。
「天使の欠片」と魔神ベルニエゥロが呼んでいた結晶を影の倉庫から取り出す。魔神ラウヴァレアシュはこの「天使の遺物」を解析し、天使の攻撃から身を守る手段や、攻撃手段を手に入れろと言っていた。
俺は椅子に座ると透明な結晶を解析する。
まずは慎重に結晶の構造から分析して、その中に閉じ込められている「天使の羽根」らしい物の解析に入った。
結晶は中に閉じ込めた物の劣化をなくし保存する──空間や次元ごと封印するような、高度な魔法の結集によって生み出された物であるらしい。これの構成を理解し、魔法として扱うのは──今の魔法理論では到底、不可能だろう。
自分の知っているものとはかけ離れた魔法の体系が使用されているようだ。魔神の力あっての結晶化の魔法と言える。
中に入っている天使の羽根は物質界などでは変質、または消滅してしまうのだろう。それを防ぐ為に時空間を凍結させる魔法で結晶化したのだ。
天使の羽根を解析しようとすると、それは初めて見る霊質を有した半物質──幽体に近い物──である事が分かったが、魔法に高い抵抗力を持っている為に解析を行っても、一部の性質しか確認できない。
「チッ、なんだこれは。天使の構造とは……魔法にも反発する霊体か? 霊質の解析から行うか──その為には……そうか、この結晶の中に何とかして霊質が反発する物を入れて反応を解析するしかないか」
もしくは結晶から出して、羽根が変質する前に状態を観測できればあるいは──
「その場合は一か八かになるか」
しかし、この高度な「封印結晶」の中に新たな質量や、力(幽体や霊体に関する力など)を加えるのは困難だ。
いや、結晶を解呪して中身を取り出すのも相当に困難だろう。
あくまで魔術の門の中で解析をするにしても時間がかかるし、今の俺では何十年とかかったとしても不思議ではない気もする……
「ラウヴァレアシュも無茶を言う。こんな高度な対象物が相手では、異端の魔導師でもお手上げなのではないか──」
そこまで口にして、やはりここは異端の魔導師の知恵を借りるべきだと考え直した。
天使の羽根の解析を無意識下で行い続ける設定をし、影の倉庫の拡張と同時に解析を続ける。
幸いにも魔導師ブレラの隠し書庫には無数の書物がある。
これらの中には神々や魔神、もしくは死の領域に関わる内容が書かれている物があるかもしれない。──ただ、それは明日からだ。
今は死の結晶を解析し、死の魔術について研究しようと思う。死の領域で使える防御系の技術もあるかもしれない。そう考えて自らの中に取り込んだ結晶に集中する。
死の使いの情報にはまだ触れる事はできそうにない。冥界の領域の情報が得られれば、死の魔術の深奥に触れられると思うのだが。
「そう甘くはないか」
仕方なく俺は、呪術を得意としていた魔導師(エンファマーユに死の呪いを掛けた魔導師)の記憶を以前よりも深く調べてみた。さすがに相手に呪いを掛けるのを得意としていただけはある。防衛魔術に関しても相当研究していたようだ。
死の呪いを防ぐ装飾品や、呪いを返す術式なども持っていたこの魔導師だが──最後は、己が仕掛けた呪いの効果が返されて、死の使いの見えざる刃に掛かって死んだ訳だ。呪い返しに死の使いの強制力が働き、魔導師は自ら命を絶つ結果になった。
自身の喉を刃で掻き切ったのである。
俺はその後も魔導師の記憶から魔術や魔法の知識を得ようと取り組んだ。精神力を消耗し過ぎると危険なので切りのいいところで止め、魔術の庭から意識を切り離した……
*****
翌朝になると部屋のドアを叩く音で目が覚めた。控えめな叩き方だが、どことなく機械的……あるいは無機物的な音に聞こえた。寝台から降りてドアを開けると、その理由が分かった気がした。部屋の前に立っていたのは魔導人形の侍女だったからである。
彼女は食堂まで案内しますと言うと通路を歩き始める。ゆったりとしたスカートをなびかせる後ろ姿は女性そのものなのだが、彼女の肘や手首の間接は明らかに人形そのものだ。太股下まである白い色の長い靴下を履いており、頭には侍女帽も身に着けた侍女姿なのは──異端の魔導師ブレラが、昔は貴族の出である事が理由であろうか。
服装も綺麗な白い侍女服や白い手袋をきちっと着こなしている。挙動も自然で迷いがなく、目的別に行動する事もちゃんとできるのだろう。
食堂へ来た俺はそこで侍女の魔導人形から渡された献立表から、朝食用の簡単な食事と紅茶を注文する。彼女は調理場へ向かうと魔法生命体の料理人に声をかけて下がって行き、壁際に立つとぴたりと動きを止めて目を閉じた。そういったところは完全に人形である。
食事を運んで来たのは青髪の魔法生命体であった。彼女は銀色の台車に紅茶の入った容器や皿などを載せて現れ、テーブルの上にそれらを置くと、頭を下げて調理場へ戻って行く。
朝食を前にし、パンや生野菜料理に汁物などの料理を見て、魔導師ブレラは食事について、それなりの価値を与えていたらしいと感じた。食材の多様性や味付けなどに工夫というか、趣向が盛り込まれているのを感じるのだ。
料理人の魔法生命体と別れたあとで、再び屋敷の中を歩き回って、話を聞いていない死体の女と会う為に探し回った。
一階の廊下で叩きを手にして埃を落としていた、生ける屍の侍女を見つけ──部屋の中で話しをする。
彼女は血の気の通わぬ青白い肌に薄暗い表情を浮かべ、どんよりと曇った灰色の瞳でこちらを見ている。小さな部屋は客間のように部屋の中央にテーブルと、それを挟んで二つの長椅子が置かれていたが、その部屋は侍女たちの談話室らしい。
質素な室内に入ると彼女にも長椅子に座るよう言いつけて、彼女の動きを観察した。それは人間の動きそのものであったが、動きはゆったりとしていて機敏には動けない感じだ。
白と黒の侍女服に黒い侍女帽、肩まで伸ばした黒髪と全体的に暗い彩りなのは、主人である魔導師がそうさせたのだろうか? その事を尋ねると「はい」と彼女は事務的に答える。彼女は元々は人間だったはずなのに、あまり感情がないみたいだと言うと、彼女は「生前の記憶が曖昧になったせいでしょうか」と他人事みたく説明する。
どうした事か彼女は異端の魔導師によって死から甦ったのだが、その反動かなにかで記憶が欠落したり、感情が失われたり、欲求も失ったばかりでなく──睡眠する事すらも忘れてしまったという。
死者の侍女からは異端の魔導師についての具体的な人柄が話されたが、どれも彼の表面的な行動や発言についてであり、彼女が興味を持って魔導師を見ていた訳ではないのが窺われる。
彼が彼女を甦らせた張本人であるのは知っているが、彼を主人だと認識している訳でもなかったという。
ただ彼女が生前の記憶を欠落させている事実が、異端の魔導師を別の研究へ駆り立てたらしいのは、彼女の話しを聞いてなんとなくだが察する事ができた。
次に俺は彼女自身について調べてみる。手を出すように言うと彼女は血の気のない手を差し出して、虚ろな目でこちらのする事をじっと見ている。俺は彼女の手を取って感覚で調べてみたが、やはり血は通っていない為に肌は冷たくなっていた。
ただ肌や筋肉は固くなったり腐ったりしている事もない、冷たさ以外は普通の人間の物と変わらない感じだ。
物体調査の魔法を使って彼女の身体を調べてみる──すると、彼女の心臓にあたる部分に、強い魔力の反応が現れた。どうやら身体を維持する魔法の核となる魔力結晶が入っているらしい。それに彼女の体内を流れるのは血液ではなく、緩やかな魔力の循環が起こっているのだ。
記憶が曖昧なのは、彼女の脳が機能の多くを停止してしまっているからだろうか。
「ちょっといいか」俺はそう言うと座っている彼女のスカートをまくり上げて、太股や下着を確認する。死者の侍女は抵抗せずに、されるがままにスカートをまくられている。羞恥心も完全に「死んでしまった」らしい。
彼女に確認しても恥ずかしさなどは感じなかったという。死んでいる状態に恐怖も感じないし、このままの状態で生き続ける事にもなにも感じてはいないようだ。
「仕事に戻ります……」彼女はそう言うと立ち上がり部屋を出て行った。
死を克服しようとした異端の魔導師が、死者の侍女から得た実験結果を見て次に考えたのはなんだ? それは生き返っても記憶が欠落したり感情などを失っては、望んでいた事柄には到達できないという事実を知り得た事だろうか。
しかし彼の手記によると──彼の存在の在り方が、通常の人間のそれとはだいぶ違ったものである事が書かれていた。
「羽」を「羽根」に変更しました。




