不死者の魔神ヴァルギルディムト
怪しげな見た目の奴が登場。
今回の話は色々な伏線が回収される予定。
魔獣馬がある地点に向かって進んでいるのに気が付いた。
下に見えるのは焼け野原。
所々で火が燃えているのが見える。
真っ黒に焼けた大地に、なにかが蠢いていた。
よく見るとそれは死者だ。
骸骨や、背中に炎を背負った死者などが彷徨いている。
またしても死霊か……俺は若干うんざりとした気持ちになって、焼けた大地を彷徨い歩く連中を見下ろしていると──馬は下降を開始する。
ガチン、ガチンと足音を響かせながら一段、一段と見えない階段を下って行く。
その先にあるのは壁に囲まれた大きな屋敷。
広い庭のある三階建ての邸宅だ。
高い石の壁に囲まれた邸宅の庭に降り立った魔獣馬。鼻から盛大に青い炎を噴き上げて、ぶるぶると首を振り、蹄で地面を蹴りつけている。
山羊頭の魔物に促され地面へ降りると──ここから先は、館の中に居る魔神に次の目的の指示を受けろと言われた。
山羊頭は馬の鬣を掴んで馬首を巡らせると──来た時と同様に、宙を飛ぶように駆け出して帰って行った。
残された俺は、中に居るという魔神に話はついているのかと気になったが、邸宅の入り口まで来ると、扉にかかる叩き金を使って硬い音を響かせる。
木製の立派な扉には、縁を彩る金属部分の装飾が──一風変わった装飾が施されていた。
しばらく待っていると中から扉が開かれ、黒い礼服を着た──骸骨が現れたのである。
「おっ、おまえが、れっ、レギスヴァ……レギスヴァティーか? まっ、魔神、ば、ヴァルっ、ヴァルギルディ、ヴァッ、ヴァル……」
駄目だこの骸骨、まったくしゃべれていないぞ。
「わかった、もういい。退いてくれ」
俺が言うと彼はそっと扉を開いて屋敷の中に通してくれた。俺の名前を(間違っていたが)知っていたという事は、話は伝わっているのだろう。俺は黙って骸骨のあとをついて行く。
屋敷の中は青い絨毯が敷かれ、通路の壁際にある展示物台の上に銀の像や、陶器の壺などが置かれている場所を通り、一つの部屋に案内された。
「こっ、この中……で、ヴァッ、ヴァルギルディムトさまを──まて」
やっと主人の名前を口にした骸骨は、表情などまったくないのにもかかわらず、どこか満足げに見えた。
骸骨は骨の指でドアを叩くと、なんとも硬い音を立て、そっとドアを開ける。
部屋の中に入ると、そこは客間なのだろうか?
広さはそれほどなく、部屋の中央に長椅子や背の低いテーブルなどが配置され、灰色の柔らかい毛が立つ絨毯の上に、それらが置かれている。
「こっ、ここでまて」
骸骨はそう言い残し、主を呼びに行ったようだ。
ヴァルギルディムトとは、どうやら魔神でありながら──人間のような生活様式をしているらしい。
ついさっきまで巨大な躯を持つ魔神の前に立っていたのに比べれば、緊張はせずに済みそうだ。
──だが油断はできない
相手は魔神なのだ。
まあ、上位の魔神ベルニエゥロの依頼で来た俺を邪険に扱うような事もないだろう。
屋敷の内部にあった物や、この部屋に飾られている絵画や調度品からは、この屋敷の主が高い知性と教養を持った存在であると感じられた。
長椅子に腰かける前に絵画や書棚を見てみると、そこには俺も読んだ事のある大衆的な物語小説や、童話などが置かれていた。──他の本を見ても、通俗的な内容の本が多いようである
少しがっかりしつつ壁にかけられた絵画を見ると、そこには目を引く美しい金の額縁に入った、一人の女性が描かれた絵が飾られていた。
女性自体はそれほどの美人ではなかったが、額が素晴らしい。華やかな装飾に富んだそれは中心にある絵を引き立たせる効果はなく、むしろ額縁の方に目がいってしまう物だった。
ドアが叩かれると俺は緊張し「はい」と応える。
返事を聞いて現れたのは、なんとも異様な見た目の男と女の姿であった。
二人の男女が居たのではない。
身体の右半分が男。
身体の左半分が女の身体でできた、一人の人間──いや、魔神の姿であった。
「お待たせして申し訳ない」
それは男の声でそう言うと、俺に長椅子に腰かけるように促す。
相手の顔を見て気が付いたが、絵画の女性──その画題となっていたのは、その魔神の左半身の女性だった。
なんとなく嫌な予感がするので、その事には触れないでおこうと考え、俺は気づかなかった振りをして革張りの椅子に腰かける。
魔神ヴァルギルディムトの男性部分──つまり右半身の部分は、魔物の特徴を有していた。灰色に近い肌。赤い眼。尖った耳先、黒い髪の中からは乳白色の角が数本突き出ていた。
左半身の女性は小麦色の髪に青い瞳。青白い肌には紫色の血管が浮いている場所がある。──その表情がどこか虚ろなのは、彼女が死んでいるからであろう。
その身体半分が結合した姿は、人と人ならざる者が融合した──継ぎ接ぎの見えない──男女両性具有として存在しながらも、どこかその二つは相容れない、拒絶の表れのような気がしてならない。
「私はヴァルギルディムト。あなたは魔導師レギスヴァーティ殿でよろしいか?」
俺は「はい」と返事をして、その丁寧な口調の魔神から、契約を反古にしたという魔導師について尋ねた。
「いやはや……どのようにして契約を破ったのか──私には皆目見当もつきません。契約にはきちんとした魔術的拘束力を有していますので、契約に違反すれば彼の魂は私の元へ来るはずなのですが。未だ行方知れずという訳でして……いえ、その魔導師が死んだかどうかすらも分からない、まったくの行方不明の状態なのです」
俺は「そんな事はあり得ないのでは?」と口にした。そんな裏切りがあり得るのなら、多くの者が魔神を手玉にとって、その力だけを受け取り、好き勝手に振る舞えるだろう。
「ええ、ええ。正に仰る通りでして。さすがは人の世にも名高い『異端の魔導師』などと呼ばれた者だけはある。と言ったところでしょうか」
俺は思わず目を見開いてしまう。──まさか、その魔導師は……
「はい、異端の魔導師ブレラ。やはりご存知でしたか」
もちろんだと俺は答えていた。
自分にとって彼の著した著書は、多くの示唆を与えてくれる魔導の手引き書だったのだ。
近年を生きる魔法使いや魔導師の中で、最も影響を受けた人物だろう。
ただ彼は数年前に表舞台から去る事になったのだ。その理由は彼の著した『魔導の黎明』という書物が原因だった。
その著書の中の一文「神々の主体となる神の名を知る者はなく、また、邪悪なる神の力と支配を退ける神もまた居ない。──それが我々の在る世界の事実である」そうした一文がレファルタ教を中心に彼を弾圧し、しまいには「異端者」として彼を王宮からも追放したのである。
「私もその本を読みました。その本の出版から一年後くらいでしたか……彼と接触する機会を得まして、そうして彼との契約を結んだのです」
そう話すヴァルギルディムト。その表情はどこか悲しげに見えた。……左半分の表情は相変わらず虚ろで、そちらに注目していると──彼の言葉との隔たりに戸惑う。
少なくとも彼──ヴァルギルディムトは、異端の魔導師ブレラの魂が欲しくて契約したのではなさそうだ。彼の魔導への傾倒に対しなにがしかの役割を果たせるのならと、協力をする事にしたような感じだったらしい。
それゆえに、彼の裏切りが解せないのだとヴァルギルディムトは言う。
「私は知りたい。なぜ彼が契約を破り、またその契約の効力を反古にする事ができたのかを。レギスヴァーティ殿、あなたは魔導師ブレラに対し他の魔導師や魔法使いよりも、より大きな興味を抱いている人物だと分かって良かった。是非、彼の真意を見つけ出して欲しい。恥ずかしながら私では彼がどこへ消えたのか、まったく分からないのです」
どうかよろしく頼みますと頭を下げる魔神。
俺は魔導師ブレラが、どういった知識を得る為に契約を結んだかを尋ねた。
「その理由の一つは間違い無く『不死』の力の探求にあるでしょう」とヴァルギルディムトは答えたのである。
そこへドアが叩かれ、一人の侍女が手押し台を押して部屋に入って来た。
彼女は侍女服を纏った──死者であるらしかった。肌の色は青色に近い灰色で、生命をまるで感じられない異質な見た目をしている。生きている者としての気配を持たず、亡霊が死後も肉体を捨てずに動き回っているとしか思えない。
彼女は二人の紅茶を茶碗に注ぎ入れると、手押し車を押して部屋を出て行く。
「私の力の多くは、死霊術に関する業なのです。私の事を『不死者の魔神』などと呼ぶ者も居るようですね」
彼はそう言って紅茶を口にする。
異端の魔導師と呼ばれたブレラが求めたのは、不死の力だったのだろうか? 彼は自らを不死者にする為に、魔神との契約を選択したのだろうか?
……いや、それは違うだろう。
不死者になるだけなら、あの魔導師がわざわざ魔神との契約をしてまで行う理由はない。おそらくだが魔導師ブレラは魔神と契約するまでもなく、不死の魔術に関する力の多くを持っていたと思う。
彼の著作からは、そうした異端の技術に関する知識も豊富だと思われる文章が散見されるのだ。
不可解な魔導師の失踪。
契約者の魔神に気づかれる事なく姿を消すなどあり得ない。
魔神ヴァルギルディムトも説明してくれたが、彼が姿を消した事に気づくと、その行方を探して魔神の力を以って調査したのだ。
無意識領域の世界記憶からも探そうと試みたが、なんと肝心な部分が抜け落ちたように、不可解な断裂があるのだという。
それでは彼はどこへ姿を眩ませたのか? それがまったく掴めないのだ。ある程度こうした方法で、こちらに移動したのではないか──そうした痕跡すら残っていないという。
魔神の視野から身を隠す為、世界記憶にすら干渉し得る技術など、魔導師の間でも聞いた事のない技術だ。
それを成し得るのは──神々くらいではないだろうか。
古代との世界記憶の断絶をしたのが「神」であるならば、という推論だが。
「魔導師ブレラは実に多くの魔導に関わる術法を持っていたようです。それは彼の残した研究帳面からも分かります。しかし、彼の行方を知る手がかりになるような物は、私には発見できませんでした」
異様な姿の魔神は「ふぅ」と息を吐き、こう申し出た。
「あなたは魔導師ブレラの研究に興味がおありのようだ。だからこそあなたにお願いしましょう。別にブレラを発見できなくとも構いません、あの魔導師の残した館があります。そこを調べ魔導師ブレラが、どこへ消え去ったのかを調べて頂きたい。その為の対価として、あの魔導師の残した物のすべてをあなたに譲りましょう」
いかがですか? と言う魔神ヴァルギルディムト。
それは凄い提案だ。
魔導を志す者からすれば喉から手が出るほど欲しい、高度な技術を有する魔導師の残した、知的財産の所有権を得られると言うのである。
願ってもない申し出だ。
「それは──ありがたいお話だが。……魔神の力を以ってしても分からなかった事を、自分が成し得るかと言われれば……それは難しいと言わざるを得ません」
そう言うとヴァルギルディムトは首を振る。
「いえ、私は正直に申して多くの魔術に疎いのです。特にあの建物に掛けられた隠匿の魔術や結界にはまったく歯が立たないので、誰か代わりに調査してくれる者を捜していたという訳です」
彼は曖昧な表情をして卑下する言葉を口にしたが、左半分の表情は──なにか言いたそうに唇をわずかに痙攣させていた。
「まずはあの館を調べてみて、あなたの推測で構いませんので、どういった結論が導き出せるかを聞きたいのです。あの魔導師がなにを研究していたか、その目的はなにか、どうやって契約を反古にできたのか。ブレラはどこへ行ったのか。そうした事に、納得できる答えを聞きたいのです」
魔神は「理由」を知りたいのだと繰り返す。
俺は「約束はできないが、魔導師ブレラが何を研究し、その目的がなんだったのかは個人的にも知りたいので、全力を尽くして調べます」と答えた。
異形の魔神は頷き──幽世を通して、その館の近くまで送り届けましょうと言って立ち上がる。
俺はこうして、異端の魔導師ブレラの館へと向かう事になったのだった。
レギスヴァーティを「ヴァティー」と言った骸骨。もしかするとヴァーティは男性名で、ヴァティーだと女性名になるのかも……あるいは意味の異なる言葉だったり?
「モデル」に相当する言葉はピンと来ないものばかりでした。「画題」は正確には「モデル」とは異なりますが、あえて画題にモデルのルビを振ってます。「絵のモデル」と理解してください。




