魔神達の思惑
不思議な緊張感が謁見の間に広がった。二柱の強大な力を持つ魔神の対面がどういった意味を持つのか──俺には分からないが、周囲に居る妖人などは現れた魔神ラウヴァレアシュを恐れて距離を取っている。
『まったくじゃ』
大きな躯を持つ蟇蛙がぐふぐふと気味の悪い笑い声を上げた。
『数百、あるいは千年以上も前か? 貴様と最後に会ったのは。そんな小さな仮の姿で現れるとは、本当に力の多くを失ったと見えるのぅ』
「お前もずいぶん変わったな。多くの魔法使い共に力を与え、いったいなにを企んでいる」
ぐぐぐっ、そんな音を立てながら──蟇蛙が肘かけに体重を乗せ、人と蛙の中間みたいな細長い手で顎を支える。
『企みなどなにもないがのぉ。まあ強いて言えば、神々への報復を考えているくらいかの?』
ぐぶっふふふふ、そんな音を漏らして笑うと、蟇蛙の腹の装具が上下に揺れた。
「お前たった一柱でなにができよう。つまらぬ考えは捨て、古き同胞の怒りと憎しみを鎮める方法でも考えたらどうなのだ」
二柱の魔神がそんな会話をする中、新たに謁見の間に魔物が入って来た。
山羊の下半身に、乳房のある見た事のない獣の胴体を乗せ、両腕はまるで人間の死者の様な腕。
頭は山羊といった姿の魔物で、みすぼらしい灰色の衣を身に着けて、つかつかと蹄を鳴らして歩いて来たが、二柱の魔神からはだいぶ離れた場所で立ち止まる。
「連れて参りました」
若い男の妖人はそう言って俺をじろりと睨んだが、黙って背を向けた。
そいつの肩や背中からは爬虫類の鱗が生え、腰の辺りから細長い尻尾も垂れていた。妖人らしい特徴だが人の姿にも近く、首から上だけなら黄色い眼以外はほぼ人間の男である。
道案内役の山羊頭の魔物は離れたまま待機しているようで、猫背の姿勢のまま立ち尽くしていた。
「まあいい、今日訪れたのはベルニエゥロよ。お前が『魔術標本』と称している──天使の遺物を、このレギに渡してやってほしいからだ」
ラウヴァレアシュの言葉に、ベルニエゥロは「ぶしゅぅ──っ」と息を吐き出す。
『なんじゃと?<天使の欠片>を寄越せと言うのか。それをその小さき者に与えると? 何故じゃ』
天使の遺物だの欠片だの……いったいどういう事なのか、そう思いながら二体の強大なる上位存在のやり取りを観察していると──玉座に座る蟇蛙が、ぶよぶよの胸を二度、強く叩いた。
『ならん、ならん! 人間にあれを渡して、それこそなにをさせる気じゃ⁉ 小さき者にいったいなにができよう。無駄無駄無駄、そんな行為に意味はない! 儂の配下の妖人ですら、大した対抗魔法すら作れんのじゃ。その──レギとか言う小童めに……』
急にベルニエゥロの声色が小さくなっていった。三つの眼を持つ馬面の魔神が俺をじっと見つめている。
『……いや、まさか。そんなはずはあるまい──不可能じゃ』
そんな言葉をぶつぶつと吐く。
当人のはずなのに完全に置いてきぼりだ。
『レギとやら──貴様、死導者の魂を喰ろうたな?』
その言葉に周辺の妖人や魔物が、ざわざわと騒ぎ始める。
「──確かに、死の使いの『結晶核』を取り込みはしたが……それが?」
蟇蛙の腹の底から『ぶおふぉふぉふぉふぉ』と歪な笑い声が響いてきた。凄まじい重低音が謁見の間に反響し「びぃぃぃぃん────」と壁や柱を揺るがすような音が振動となって襲ってくる。
まったく、上位存在の有する躯とは──俺が持つ霊体や、あるいは上位存在の躯を想像した時の物とは比べ物にならないくらい、ふざけた代物であるらしい。
危うく笑い声で死亡するところだった。
俺の近くに居た魔神ラウヴァレアシュが咄嗟に障壁を張り巡らさなければ、俺の後ろに控えていた山羊頭のようになっていただろう。
かなり遠くに離れていた山羊頭の魔物は今、水晶の床に倒れ込み、口から大量の血を吐き出して痙攣していた。
内臓が破裂する音が聞こえ、奴は床に倒れ込んだのだ。
「魔神ベルニエゥロ。あんたの配下が死にそうだぞ。奴に道案内をさせるんじゃなかったのか」
耳を塞ぎながら訴えると、蟇蛙はニタニタと笑いながら『おぉおぉなんというざまじゃ、うっかりしていたものよ。許せよ、小さき者どもよ。貴様等の命など所詮そんなものなのじゃ……儂等の光体とは比べるべくもない』
そう言いながらベルニエゥロは手を振り、光の玉を倒れた山羊の魔物に投げて、奴を一瞬で蘇生させた。
さすがは数々の古い魔術を持つ魔神。瀕死の魔物を復活させると、近くに控える者を呼び、なにやら指示を出す。
『いいじゃろう。レギとやら、お前に<天使の欠片>をくれてやろう。精々それを研究して、神々の使徒どもに対抗する力を考えるがいい』
それを聞いたラウヴァレアシュは満足げに頷いて見せる。
広間の脇にある透明な水晶の扉から現れたのは、きらきらと光り輝く姿をした水晶の虚兵。それも人間の戦士を思わせる姿を象った兵共。
それぞれ異なる色をして輝く五体の水晶虚兵が宝箱を運んで来て、ベルニエゥロの前にそれを掲げる。
魔神は細長い腕で宝箱の中からいくつかの結晶を手にして、それを手の空いた水晶虚兵に手渡すと、虚兵はがちん、がちんと音を立てながらこちらに歩み寄り、手にした三つの結晶を差し出した。
『受け取るがいい、精々無駄にはせぬ事じゃ。天使の欠片など──現世はおろか、ここ幽世でもそうそう手には入らぬぞ』
その結晶の中を見てみると一つ一つの結晶の中に、大きな純白の羽根が入っているのが見えた。
たぶん──こうして結晶の中に封じていないと消えてしまう物なのだろう。
俺はその三つの重い物を背嚢にしまい込むと、黙って魔神ベルニエゥロに頷く。
上位存在たちの対話はこれで終わったかと思ったが、彼らはまだ話すべき事があるのだという──
「レギよ。その結晶から天使の攻撃から身を守る術を──そして、滅ぼす術を手に入れるのだ。お前はすでに『闇の五柱の王』の内、三柱の王との謁見を果たしている。それが『天の災いの宗主』に知られぬとも限らぬ、気を抜くなよ」
魔神ラウヴァレアシュはそんな言葉を俺にかけると、ベルニエゥロの依頼を果たしてこいと訴えて頷く。
俺は瀕死の状態から回復した山羊頭の魔物に連れられて謁見の間をあとにし、この「虚ろの塔」から外に出る事になったのである。
*****
レギの後ろ姿を見送りながら私は、私の考える以上に──あの者に期待をしている自分に気が付いていた。
自らの力の拡大にしか興味を抱きそうにない古き同志ベルニエゥロですら、今はレギの真価を認め、一個の存在として受け入れ始めている。
『おもしろい奴を見つけたものよのぅ』
ベルニエゥロは水晶の兵隊を下がらせると、感慨深げに言った。
『あのような人間、ここ数百年──いや、千年以前も見た事がないぞ。もしそのような人間が居たとするならば──女帝エイシュラ以外に他はない』
まさかその名をこいつの口から聞く事になるとは思わなかった。
かつて──今とは違う地位に居た時でさえ、こいつは人間の治世の事など気にもかけていなかったはず。──いや、それすらも演技だったのだろうか?
「ベルニエゥロよ、奴との約束をしたならば、それは私との約定も同じ。もし違えたならば……その時は貴様もろとも、この塔を叩き潰してやろう」
私の言葉に、奴は気味の悪い声で応える。
『ぐわっはははは。言うな言うな、分かっておるわ。あの者を育て強くする──そうした力を与えれば良いのであろう? 小さき者のままで、果たしてどこまで成し遂げられるものなのか……儂にはまったく理解できんがの』
でなければ結局は、ここに居る妖人どもと変わらん末路を辿るじゃろう。奴はそう言って閉ざされた水晶の扉を見る。
レギは慎重な男。そして自らの命すら秤にかける大胆さも持ち合わせている。そうでなければ誰が魔神の間を行き来し、自らの意思と力のみを頼りに行動ができるだろう。
愚か者では通り過ぎてしまい。
賢者では近寄らぬ領域。
危険で曖昧な、不可視の、未踏の地。
奴が歩もうとしている先は、奴自身の魂の探求と、世界の根源を求める旅となるだろう。
誰がその小さな身で、そのような大業を成し得るというのか。
仮にその深遠に迫る事があるとしても──その時その小さき者が、自らのままであり続ける事ができるものなのか。
ベルニエゥロはそう口にし、私に問う。
私はその問いには答えずに黙ったまま、レギスヴァーティという男の未来を見届ける。奴が倒れた時が、私の希望が失われる時となるだろう。
その時はいよいよ、この世界の終焉を覗く事になるだろう……私にはその予感があった。
*****
虚ろの塔を出て、山羊頭の魔物と共に湖の畔に立った。未だにここは幽世の中にある。
「それで? その依頼主の魔神の元へ、どうやって行くのか?」
すると山羊頭は女の声で「少し待て」と答える。
そうだった、こいつの胴体は乳房の付いた獣の体だった。女──というよりは雌、と言う方が正しいか──異形の、二足歩行をする獣に情欲を抱くほど飢えてはいないが。
ぶつぶつと呪文を唱える山羊頭。
すると手にしていた濃い紫色の結晶らしき物を地面に投げつける。
砕け散る石の中から暗い色の煙りが立ち上り、その煙りの中から──灰色の馬が現れた。
そいつは体の中が透けており、灰色の煙りが体内に渦巻く奇怪な外見をした馬だった。……いや、馬に似た魔獣だ。
眼は赤紫色に輝き、鼻からときおり青い炎を噴き上げている。
山羊頭はその馬の背に跳び乗ると「乗れ」と言いながら手を伸ばしてきた。その不気味な肌は、青と灰色に変色した死者の腕を思わせる。
爪は鋭く伸び、猛禽類の爪のようだった。
俺は慎重に手を取り、山羊頭の後ろに跳び乗る。馬の背に跨がると馬に似た魔獣が「ブモォ──」と鳴き声を上げて駆け出した。
ガチッ、ガチンと金属を踏みつけるような音を立てながら、この馬は──空を翔るのだ。
赤い月が見下ろす夜空を翔る、異形の馬と山羊頭の魔物と俺。
幽世でなければ、なにかの冗談にしか聞こえない出来事だ。
細い獣の腰を抱き、蛇の尻尾に胴体や股間を撫でられながら、獣臭い魔物の後ろ姿と、眼下に広がる世界を見渡す。
「なに……⁉」
そこは急に、奈落が出現した。
真っ暗な奈落の上に来ると、辺りを照らしていた赤い月も姿を消し、周囲は異様なほどの暗闇に包まれる。
ぼんやりと光って見えるのは、馬に似た魔獣が噴き出す青い炎と、馬の体の中の灰色の煙りがぼんやりとした光を発しているからだった。
暗闇の中には、魔獣から発する光を反射する霧状の魔素が漂っている。
幸い俺と山羊頭の放つ魔法障壁が、その魔素を退けているが──もし自らを守る障壁も張れず、これだけ濃度の濃い魔素の中に突っ込んでいたら。常人ならものの数分で頭がおかしくなり、死んでいても不思議ではない。
だがそうした場所もすぐに通り過ぎ、今度は別の夜の世界に迷い込んだようだ。
暗い空を照らすのは青く光る月。
所々にある白い雲が、風に吹かれて流れて行く。
幽世とは実に奇妙な世界だと改めて感じた。
先程の魔素が満ちた暗闇は、幽世と幽世の間にある領域だったようだ。
無数にある幽世の狭間。
幽世同士の結び付きは不明だが、おそらく隣接している空間などではないだろう。曖昧にして混沌とした世界。それが幽世の法則なのではなかろうか。
死の使いから得た「結晶核」が、何やら魔神達にとっても意味のある物だと匂わせる展開。
ただ単に、人が「死」に抗えるはずがない、という意味かもしれませんが。




