虚ろの塔へ
暗い湖の前までやって来た。
イラ湖。
ブレアノスの街で聞いた話では、この湖と湖から流れる川からは多くの魚介類が取れるので、街に欠かせない食料の供給源の一つに数えられているそうだ。
それほど大きな湖ではないが──夜の中にあるそれは、上空に浮かぶ月の光を反射して、ぼうっと浮かび上がる湖面が、まるで地獄へと通じる大穴のように不気味なものに見える。
俺は少し考えてから、手に持った黒宝玉から隠匿の呪符を取り去った。
すべての布を取り去ると布を物入れに突っ込み、黒宝玉を掲げて湖へと近づいて行く。
すると宝玉が「ぶうぅぅぅん」と音を立てて震え出し、共鳴を始めた。上空に浮かぶ金色の満月が、どんどん赤く染まっていき──暗い湖を照らし出すと湖の真ん中に、赤や紫の──水晶に似た光の屈折が起こり、ぶんぶんと耳障りな音を響かせながら、それは姿を現したのである。
「これが『虚ろの塔』か……?」
想像していた物とだいぶ違った。
それは様々な色に変化する巨大な水晶の塔だった。
高さは──城壁より少し高い程度の物だろう。
高さよりも横幅の方が問題だ、外から見た限りだと塔の中はなかなかの広さがありそうだ。
湖の真ん中に聳え立つ塔は湖面に浮いているみたいだった。どうやってあそこまで渡ればいいのか……そんな事を考えていると、黒宝玉が突然砕け散った。
宝玉から溢れ出た魔力が、塔に向かって広がって行く。
すると暗い湖面が、みしみしと音を立てて浮き上がってくる。
慎重に足を進めると砂地の先に、黒い石の足場が作られた事が分かった。
黒宝玉は塔への鍵の役割だけでなく、橋の代わりとなる物だったのだ。
俺はその足場を踏みしめて塔の入り口へ向かって歩き出す。
ぼんやりと光を放っている水晶の塔。
赤や青、紫色と変化する表面の色に気を取られる事なく水晶の塔の下までやって来ると、大きく開かれた入り口から通路へと入って行く。
正面にある壁は赤色から紫色に明滅し、壁の所々にある青色や緑色に発光する柱状の物との奇妙な調和を生み出していた。
塔の中は魔素が濃く、魔法の影響が強まったりしそうだ。
通路も広く人間の男四、五人が並んで歩くのに充分な幅がある。
左右に伸びる通路の左を進む事にして、緩やかに曲がる通路を歩いていると、通路の先に上へ向かう階段と、横に入る入り口のような物があった。
階段を上ろうかと思っていたが、横の入り口から数体の魔物が──石のテーブルを囲み、薄汚れた木製の椅子に腰かけて談笑している場面に遭遇してしまった。
妖人ではない。
魔物──それに妖魔らしき者も居る。
下級の魔物や妖魔だろうか、汚らしい外面は小鬼を成人女性くらいの大きさにしたみたいな姿。頭から捻れた角が生え、髪は無く、長い蜥蜴の尻尾に似た物を生やした──汚れた青色の肌をした、痩せた老人のような体型の魔物二体。
それと頭部が灰色の蛸。身体が緑色の昆虫に似た物で、腕と足が犬に似た毛を持つ奇怪な姿の妖魔が一体。
そいつらがテーブルを囲んで談笑していたのだ。
「ああ? あんだぁ、おめえは……」
こちらを向いていた青い魔物が言うと、他の二体もこちらを振り向いた。
「なんでぇ、新入りか。つるぴかの貧弱そうな野郎だぜぇ」
すると他の二体がげらげらと嘲笑う。
「魔神ラウヴァレアシュから言われて来た。魔神ベルニエゥロは上に居るのか?」
俺がそう尋ねると、三匹は急に静かになった。
「おい……ラウヴァレアシュって誰だ?」
「いや、聞いた事がねぇな……」
そんな事を言い合っている。
(おいおい、こいつら下級過ぎて他の魔神について知らされてないのか?)
「そうか悪かったな、他を当たる」
俺はそいつらを無視して二階へ上がろうとする。すると──
「おうおう、待ちなぁ。ベルニエゥロ様の名前を、そんな適当な魔神の名前と並べて勝手に上へ上がろうとするんじゃぁないぜ」
がたっと音を立てて立ち上がる二体の青肌の魔物。立ち上がると足が短く、胴が長い事が分かった。実際は成人女性よりも低いくらいの身長しかなかったのである。
二体の様子を見て遅れて立ち上がった蛸頭の妖魔。
「上へ行ったらまずいのか」
すると青肌の魔物が答える。
「まずかぁないぜぇ? ──おい! 無視して上がろうとするんじゃねぇ! ナメやがって……どうやら痛い目にあいたいらしいなぁ……」
凄んで近づいて来た二体、灰色の蛸頭は後方から黙って見ているだけだ。
「やっちまえ!」
そう言って腰に差していた短刀を引き抜いて襲いかかって来る二体。俺は呪文も詠唱せずに、魔法で応戦する事にした。
「ガウルゼス(衝撃波動)!」
手を振り上げて衝撃波の波を一直線に放つ。
周辺の空間が振動し、水晶の壁の間を駆け抜けた衝撃波が、小部屋の中に居た二体の魔物と一体の妖魔、そしてテーブルや椅子を吹き飛ばしてそれぞれを壁に叩きつけた。
思った通り魔素の影響を受け魔法が使いやすく、威力にも影響を与えている。無属性魔法の最下級魔法だが、下等な魔物とはいえ魔神の領域に居る連中を軽々と吹き飛ばしてしまうとは。
「おっギャあアァぁァぁ!」
一体の魔物が妖魔の居た場所に吹き飛ばされ、もう一体が椅子と共に吹き飛ばされ──宙を一回転したそいつは、どういう風にしてそうなったのか、尻の穴に折れた椅子の脚が根本深くまで突き刺さっていた。
「ぉごォオっ、おっ、おれ、おれのシリがぁあぁぁ……」
水晶の床に倒れ込んだ魔物は痙攣しながら尻を高く突き上げ、折れた椅子の脚をなんとか引き抜こうとしている。
蛸頭の妖魔は壁と魔物に挟まれて、気を失ってしまったらしい。
衝撃波を受けたものの、ふらつきながらも倒れた妖魔の上から起き上がると、一体の魔物が短刀を手に身構える。
「まあ待てよ、争う気はない。ベルニエゥロの所まで案内してくれないか」
ビビっている青肌の魔物にそう訴えると、そいつはこくこくと頷きながら短刀を鞘に戻す。
「わ、わがった……ついて来い……」
青い魔物はよろよろと先を歩いて階段を上って行く。体を覆う茶色のぼろ布は肩からかけられて、背中や尻を隠してはいるが、破れた穴から爬虫類の尻尾らしき物が伸びて、だらんと垂れ下がっている。
階段の段差はそれほど高くない。一段一段を削り出したみたいに繋がっており、青や緑に光る段差を踏みながら上へ上へと上って行った。
ところがである。
青い魔物は二階の広間らしき場所に駆け込むと、大声で喚き出したのだ。
「魔法使いだ、魔法使いが攻め込んで来たど!」
訛りの強い声でそう叫ぶが、広間に居るのは二体の赤色の肌をした魔物のみ。
そいつらも頭から角を生やしているが、背中に蝙蝠の羽に似た物が備わっていて、こちらを睨むと一体の魔物が壁に立てかけてあった三つ叉の矛を手にして立ち上がる。
「魔法使いだと? ならば我らの神に力を求めに来た者であろう。さっさと謁見の間に通してやるがいい」
上等な木製の椅子に座った赤い魔物の一体は、そう言いながら灰色の石のテーブルの上に広げた札を前になにやら思案している。
「いやいや、あいづ、いぎなりあだしらを攻撃しできたんだぁ!」
俺は黙って様子を見ていたが──立ち上がった赤い一匹の魔物も、こちらに戦う意思がないと見ると、武器を置いて椅子に座った。
「いいから、さっさと上へ連れて行け」
無情な宣告を前に、青い奴は気まずそうにこちらを見る。
俺はなるべく威圧しないようににんまりと笑ってやり、手招きして三階へと続く階段を上がるよう身振りで示す。
二階の広間はいくつかのテーブルや椅子が置かれ、奥の方には木製の扉などが見えていた。
兵士の控え室みたいな作りなのか、壁際に武器を置く台がいくつかあり、剣や槍などが置かれている場所だった。
青い魔物のケツを蹴り上げると階段を上がりながら、俺を魔神ベルニエゥロに会わせなかったら、魔神の怒りを買うのはお前だぞと警告しておく。
この頭の悪そうな魔物に、その言葉が通じたかどうかは疑問であるが。
三階へと上がった時、今度は部屋の奥へ進んで、別の階段を上がって行かなくてはならないと言うので、広間を進んで魔物や妖人が数体居る場所を通って行く事になったのだ。
ぼろ布を着た青い魔物が先を進んでいる──その後ろをついて行く、すると周囲に居た鳥の脚をした妖人がこちらを見て、声を上げた。
「待て、貴様。その指に嵌められているのは──『三宝飾の指輪』ではないか? 貴様、魔女王ディナカペラの手の者だな⁉」
しまった。指輪を外しておくべきだったか。
まさか妖人共と魔女の女王が対立しているとは。
広間の中央で妖人や数々の魔物に囲まれてしまった俺。周囲から殺意が集中し、じりじりと周りを取り囲まれると、青い魔物は我関せずと走り去って行くのが見えた。
「グワァアァァッ!」
二体の魔物が襲いかかって来た。左右からの挟み撃ちだったが、一歩後退すると二体が重なった所に「断罪の霊刃」を撃ち、腕を切断して二体を床に打ち倒す。
「グルルルルッ」
背後から唸り声と強い殺気がして振り返ると、灰色の毛を持った狼男が素早い動きで襲いかかり、俺は鋭い爪を床に背を付けるほど深くしゃがんで躱し、前のめりになった狼男の腹を思い切り蹴り上げて、後方に蹴り飛ばす。
その落下地点に「ガングリウの炎槍」を撃ち出す。
灰色の狼男は腹部に炎の槍を撃ち込まれ、大きな爆発を起こした槍に、周囲の魔物や妖人もひっくり返る。
「ギュラースレバルマ!」
離れた場所に居る鳥の脚と翼を持つ妖人アガン・ハーグが魔法を放ってきた。
複数の紫色に光る大きな魔法の矢を撃ち出してきたのだ。
俺は咄嗟に反射魔法を展開し、六発の魔法の矢すべてを弾き返した。
跳ね返ってきた魔法の矢が次々に妖人と、その周辺に居た連中に飛んで行き、紫色の爆発を起こして辺り一帯の魔物に被害を与える。
「邪魔だッ!」
別の妖人が魔法を撃とうとしていたので、そいつに向かって「新月光の刃」を放つ。
するとそいつは後ろの壁に叩きつけられながら、胸をざっくりと十字に切り裂かれて床にずるずると崩れ落ちる。
「待て! 俺は魔神ラウヴァレアシュに言われて魔神ベルニエゥロに会いに来たのだ、戦うつもりはない。敵意を収めてくれ」
そう言いながら、俺は周囲の魔物を睨みつけ、油断なく構える。もし攻撃してくる様子を見せたら容赦はしない、目でそう訴え続けた。
無属性魔法だからか、下級位階魔法だからか、名称が若干違うものに……う──ん。変更するかもしれませんね。なんかピンと来ないんですよね……




