魔神の恩寵
「座って話をしようではないか。確かにここにはお前が言ったとおり、大きな都市があった。お前たち人間の時間で言うと、千年近く前か……そして、その街を治める領主は魔法に精通していたし、黄金や宝石などの財宝もそれなりに持っていた。現在の伝承がどのようなものか私は知らぬが、この街はあくまで都市であり、王は居なかった」
魔神はそう言いながら、この館にあった物と思われる装飾の施された椅子に座ると、俺にも座るよう身振りで示す。
「しかしこの屋敷のあった都市は、あるとき王に差し向けられた軍勢によって滅ぼされたのだ。この都市の魔法技術に恐れたのか、富み栄える都市を疎ましく思ったのかは分からぬが、都市は略奪と破壊によって消滅する事となった」
仮面の魔神は、こちらをじっと見つめたまま語り聞かせ、すっと床を指差した。
「お前に見せた殺害された二人の女と老人は、まさにその場面を写し取ったものなのだ。領主が二人の女を生け贄にして、軍勢に対抗する魔法を行使するところのな。そこへお前が現れたのと同じように、軍勢の兵士たちが領主の元にやって来て、領主は剣や槍に突き刺され死亡したのだ」
俺は疑問に思ったことを口にしていた。
「魔法は発動しなかった……?」
「いやいや、発動したとも。それ故に、この建物は黒色の石壁に変わり、領主もまた変貌を遂げ、あいつはそのあとも、四百年ほど生き長らえたのよ、──もちろん人ではなくなっていたがな。軍勢には死霊や魔物の群れが襲いかかり、軍勢を壊滅させ──魔物として生き延びた領主は、魔法の効果が消滅するまでこの屋敷に残り、絵を描き続けていたようだな」
そう聞いてふと思いついた事があった。いま俺の腰から下げている魔剣。これはその時の、死霊になった戦士が身に着けていた物ではないかという事に。
そしてこの館のあちこちに描かれていた、気味の悪い配色の絵は、死霊を生み出す化け物と化した領主が、残された時間を使って描いた物だったのだ。いま思うと、二階の階段を上がった先にあった大きな絵画は、軍勢を送り込んだ王への、またはその兵士らへの呪いを込めて描かれた物だったらしい。
屋敷の主は人を捨ててまで魔法を手にして、復讐を果たそうとしたのだ。身震いを覚えるほどおぞましいあの絵画は、人間が人間を──そこまで憎み、恨み、呪って生み出された芸術だったのだ……
そこから半時ほど、俺は魔神ラウヴァレアシュから、過去に起きた事についての話を聞き出した。都市の財宝の多くは王の軍勢に奪われてしまったらしい。廃墟と化したこの屋敷に残されていた財宝は、すべて地下の宝物庫に隠されているという。
「財宝のすべてを一度に与える訳にはいかないが、お前が私に手を貸してくれた分だけ、お前の物欲を満たしてやろう」
魔神はそう言っておかしそうに笑った。魔神が金銀財宝を欲しているなどとは聞いた事はないが、彼ら上位存在は人間への謝礼や報酬として、宝や力を与えるというのはよく聞く話だ。──もっとも、その多くは眉唾物だろうが。
「ふぅむ、お前は財宝よりも魔法の方に興味があるのだったな。……よかろう、お前にいくつか強力な魔法を授けてやろうではないか」
魔神はそう言うと手を出せと言わんばかりに左手を差し出してきた。魔神が人に与えてくれる力に興味はあるが、果たしてそれを受け取るべきなのか……一瞬、躊躇う気持ちが心のどこかに浮き出たが、それ以上に上位存在との、このような駆け引きに心躍る自分の方が強かった。俺は左手を差し出すと、魔神の指先に手を乗せた。
白い指先に触れると、魔神の発する黒い光が双方の手を包み込んだ。熱さも冷たさもなにも感じなかったが、手の甲に紋章の様な物が何度か浮かんでは消えた。
しばらくすると頭の中に幻像が浮かんできた。具体的な映像と文字。──いや、呪文と魔法の使用時の効果についての映像であろう。
どうやら三つの魔法を授けられたらしい──強力な攻撃魔法。霊子干渉魔法。転移魔法の三つだ。
転移魔法は、刻印を刻み付けた場所に移動可能になるという、ありがたいものだった。──というか、このような魔法を扱える魔法使いは、かなり上位の部類に入るだろう。よもや自分が、その数少ない使用者の一人になろうとは思いもしなかった。
霊子干渉魔法とは、神格すら封じる効果のある呪い──、つまり上位存在に対しても効果のある封印魔法であるらしい。もちろん人間が使用する力では──よほど弱った相手か、闇の力に抵抗力の弱い上位存在に限られるであろうが。この魔法で拘束した相手を隷属することができるようだ。贅沢な使い方と言っていいのかは分からないが、人間に対しても、もちろん効果を発揮する。
攻撃魔法は、これも闇属性の魔法で──物理的な破壊と同時に霊的な攻撃をおこなえるものだ。特に神聖な存在に効果を発揮する攻撃手段を得た。これは攻撃対象の霊的均衡を掻き乱す効果も持ち、魔法の使用不能などの効果があるようだ。
「それと、財宝の一部も渡しておこう。金がある方が人間は行動しやすいだろうからな」
「ずいぶん気前良く力も金も提供してくれるんだな。配下になった訳でもないのに」
そう言うと魔神はくっくっくっ、と笑い声を漏らして丸テーブルの上に、黄金に輝く古代の金貨数十枚と、宝石の付いた金の指輪を四つ、色とりどりの宝石に彩られた金の腕輪二つを出現させた。
「なに、何百年振りに面白い人間に出会えたからな。財宝はこちらの用件を引き受けてくれる事に対する前金だ」
無造作に置かれた財宝を前に、俺はなにをすればいいのかを尋ねた。
「うむ……私の同胞を訪ねて欲しいのだ。各地に封印され、あるいは眠りに就いている同胞を捜し出してな。その為にお前には、もう一つ贈り物をやろう──魔力を視認できる魔眼だ。これを見せれば同胞にも私の手の者だと通じるだろう。……安心しろ、配下にしたつもりはない。お前は自由に行動すればいい。同胞捜しも暇な時にでもおこなえば良い」
「それもあるが、眼球が変化するのは困る。人間社会の中で活動するのが困難になるからな」
俺の心配に上位存在は肩を竦めた。
「むろん理解しているとも、魔眼は普段は普通の目と変わらんから安心しろ。力を使うときだけ色が変わる程度だ。それに魔眼は色々な応用が利く扱いやすい小道具のようなものだ。魔導に精通していれば少しくらい聞いたこともあろう」
……確かに知っていた。昔の文献によく登場する物であるし、魔術師や魔導師によっては、これを得る為に上位存在との契約を欲した者も居たそうだ。
「わかった、やってくれ」
俺がそう言うと魔神は左手を俺の左目に当てた。左目から頭の奥に向かって、冷たい血液が注ぎ込まれる様な、奇妙な感覚を感じたが──それもすぐに消え、魔神は頷いた。
「それがあれば同胞の魔力を感知できるだろう」
魔神はそう言うと財宝を手に冒険なり、魔法の修得なりするが良いと語りながら、闇に溶け込むみたいに姿を曖昧な物に変え、やがて気配も感じさせないほど姿を消し去った。
「何か危険に巻き込まれた時は私を呼べ。魔眼を通せばその声も届くであろう。──では行け、そして私の同胞からも力を授かるが良い。それがお前の願望でもあろう────」
声は段々と遠くなり、燭台に灯っていた火も消え、真っ暗闇の中に取り残された。
魔眼に魔力をほんの少し流すと、暗闇の中でもそれなりに周囲の状況が見えるようになっていた。俺は新たな力や魔法、そして財宝を手に入れて、この古代都市の邸宅を後にする事となった。
*****
部屋を出て玄関に向かうと、四本の黒い柱から出た白い物がなんなのか、魔眼の力によってその正体が見えてきた。それはどうやら元々は人間だったらしい──
黒い柱に組み込まれていたのはおそらく、この邸宅の持ち主である領主を討ち取った、軍勢の兵士たちではないだろうか。
想像だが、領主は邸宅に入り込んで来た兵士たちに殺害されたが──まさにその瞬間に領主は、不死者を生み出す魔物へと変貌し、兵士らを殺害、あるいは生きたまま柱に埋め込んだのだろう。
奇妙な造形の正体は、柱に体を埋め込まれ──身動きが取れなくなりながら死んでいった、兵士らの足掻きが生み出した──奇怪な話だが──、魔物になった領主が生み出した芸術なのかもしれない。
俺は一階への階段を通り過ぎ、魔術師の工房に戻った。──そこにはやはり携帯灯が落ちていた。
魔神が俺を引きずり込んだ、灰色の空があった空間は、世界の狭間──幽世と呼ばれる領域だったのだ。
俺は携帯灯を拾うと、それを背嚢にしまい込む。
黒曜石の壁に囲まれた廃墟をあとにし、城壁の外に出た俺は今更ながら、よく生きて生還できたものだと、自分の強運を──あるいは悪運に感謝した。
様々な事を体験した数時間だった。日は沈みかけていたが、まったく空腹を感じない。あまりの事に衝撃を受け、興奮状態が冷めないのだ。
この近くには、破壊された古代の建築物の跡が無惨に散らばっているが、その多くが草木や森の中へ飲み込まれており、地面がえぐれたり隆起したりしている箇所もあった。
ラウヴァレアシュの話によれば、魔法の行使で魔物と化した領主が、攻めて来た軍勢を相手に魔法を使って反撃したと言っていた。それがこの有様なのだろう。
さすがに千年も前の破壊の跡がそのまま残っているという事はないが、領主の邸宅へと続く石畳の道も残らないほど、強力な魔法を使って敵を撃退したというのは、なんとなく窺い知る事がでできる。
黒い城壁から少し離れた場所にある林の中に、大きな岩がいくつか転がっていたので、そのうちの一つに転移用の刻印を刻んでおく。
念の為、荒廃した廃墟の中でも原型を留めている建物を探索したりしながら、ずっと過去に起こった惨劇の状況を思い浮かべる。
……いや、待てよ。ふと魔神の言葉を思い出し考えてみた。
この都市を攻撃した王の軍勢は死霊に襲われ、さらにその死んだ兵士たちが死霊の兵士となって襲いかかり、敗走したのだ。つまりこの辺りには、まだ多くの死霊が彷徨い続けているかもしれないのだ。
いけない──。このままここで夜を迎えるのは危険だ。
いまさら領主の邸宅に戻るのも嫌だし、なによりあの邸宅の方が危険な目に遭いそうだ。もちろん魔神と交渉した俺が、あそこで危険な目に遭うとは思わないが、それでも魔神というのは理解しがたい存在なのだ。
危険の可能性がある物に近づく時は、危険に見合う報酬が得られるものにのみ近づくべきだ。冒険者の基本である。
廃墟の探索を切り上げると、日が沈み切る前にこの近くから離れるべきだと判断し、急ぎ足でこの場をあとにした。
やがて日が沈み、生命探知魔法を掛けながら森の近くを通ったり、岩の多い荒れ地を通過したりしながら、一目散に廃墟から離れ、疲労と空腹が同時に襲ってきた頃には、かなりの距離を歩いて来ていた。
魔力はまだ余裕があった──魔眼を得た影響だろう。以前よりも探知魔法の消費魔力が減っているのを感じる。
草原を越えた先にある荒れ地まで来た俺は、そこで一夜を過ごす事に決めた。歩き疲れていた俺にちょうど良い感じの、丸みを帯びた岩に囲まれた場所を見つけたのだ。
丸みを帯びた岩を背もたれの代わりにして休憩できるし、砂地の上で焚き火もできる。食事は塩漬け肉と森の中にあった小さな果物くらいでも済ませられるが、様々な体験と価値ある財宝や力を手に入れる事ができた、記念すべき一日の終わりに食べるものだ。少し気合いを入れて用意する。
薪となる乾いた木の枝と皮は森で入手済みだ。手頃な大きさの石で炉を作り、その中で火を熾すと、皮を剥いた木の枝に塩漬け肉を刺したり、巻付けたりして焼きながら、布に包んである乾酪を切ってパンに乗せる。それを火で軽く炙りながら木製のコップを用意し、あとは葡萄酒の入った瓶を取り出して、塩漬け肉を肴に一杯だけ飲む。
こうして遅くなった夕食を楽しむと、裂き枝(枝の先を押し潰して細かくなった枝の繊維をブラシとして使う)を使って歯を磨きながら、今日一日の出来事を振り返る。
まさか、上位存在との接点を持つ事になろうとは思わなかった。とはいえ人が踏み込んでいない土地を狙って冒険しているのは──こういった、通常ではあり得ないような体験をするのが目的であったし、古代遺跡の探索をするのは、失われた知識を発見する為で──魔法や、魔術に関する物(石碑など)を探す事を大きな目標にしていた。
今回の冒険は過去最高の冒険。今までの人生を塗り替えるほどの、刺激的な冒険になった。魔神との繋がりを持つというのは危険な賭けであったが、危険を恐れていては冒険はできない。
危険の先に望み得る報酬があると信じて、多くの者が冒険や旅に出るのだ。
未だ興奮冷めやらぬ状態にあったが、腹を満たして横になっていると、晴れ渡る星空の下で、ぐっすりと眠りに就く事ができた。