魔女との出会いと反乱の噂
死の結晶の内部情報の配列化を構築し、結晶自体の解析をおこなった。結晶にはまだまだ不明瞭な部分がある。──それは死の力そのもの、冥界の理に関する力や情報であるようだ。
死の使いが有していた力や知識……それらには簡単に接続する事ができなかった、高次の意識体の情報は──言語からして違うのだ。いや、言語と言えるものなのかすら不明だ。
人間の思考と上位存在の思考は──おそらく、似ても似つかぬものなのであろう。だからこそ、恐ろしいのだ。
遊び半分で虫を殺す幼い子供たちのような感覚で、人間の一生が脅かされる。下手をすると人間という存在は、上位存在の食料に過ぎないのかもしれない。
聖騎士の死体を貪り喰らっていた魔物のような連中が大勢、攻めて来たら──多くの国家は危機に瀕するだろう。
これから向かう「虚ろの塔」にも、多くの妖人や魔物が居ると思われる。これらの危険な相手を退ける手段を持って臨みたいものだ。
しかし、その前に──俺はエンファマーユに掛けられた「死の呪い」の呪法を、彼女に掛けた魔導師の記憶から学んでみた。
死の呪いは──古代に発見された「死の魔術」とは違い、時間をかけてじわじわと進行する病気に似た、相手を弱らせて行く魔術だ。同様の魔術に、相手の精神的、身体的な自由を束縛するものがあるが、死の呪いはそれらと比べると遥かに難易度の高い技術である。
この魔導師からは──そういった陰湿な呪いに関する魔術を多数学べそうだ。今はまだ必要なさそうなので、時間に余裕がある時にでも学ぶ事にする──これは後回しだ。
今は魔物などにも通用するような魔法を習得すべく、これはと思った記憶からいくつかを選び出してみる。
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地味で面倒な作業をこなし、朝から取り組んだ魔術の門での作業で、いくつかの魔法を習得した。
外部時間で昼食時になったと確認すると、一旦この作業を停止して現実世界へと戻る。無意識下で、ある魔法の解析と術式の読み込みをおこない続ける設定をし、現実世界側と連鎖的に習熟作業を進める。
当然こうすると、現実での思考に使う部分が多少の影響を受け、反応に遅れが出たりするが……まあ、町中に居る間なら大丈夫だろう。いざという場合は、無意識との連続性を断ってしまえばいい。
宿屋から出ると、どこかまともな料理屋を探す気になった。この街はフィエジアの中でも比較的大きな街であるはずだが……その半面、粗悪な店もある様子だ。
街の掲示板を見ると、どこどこの肉屋が古い、品質の悪くなった肉を商品として出した罪で、鞭打ちの刑に処されたなどと書かれていた。──まあ、こういった事は、どこの街でもよくある事だが。
俺はきょろきょろと辺りを見回しながら、人々の様子や店の外観、街の賑わいなどを観察する。この街に住む人々は、ある一定の生活水準を越えた人が多い様子だ。
ドナッサングの街みたいな──だらしなく、不潔で、民度の低い、ごろつきみたいな連中の姿は見られない。
無意識下での作業と連携していたせいか、ある女が俺に近づいて来たのが分からなかったが、その女は悪意を持って近づいて来た訳ではなく、どうやら客引きのようだ。
「ね、そこのお兄さん。お暇なら、あたしの所で遊んで行かない?」
──どうも真っ昼間から、売春宿へのお誘いを受けてしまったようだ。死の危険から解放された俺の性的欲求は──今や、魔導への動力へと変換されている。少なくとも無意識の(欲求の)好きなようにはならない状態にあるのだ。
「──ああ、すまないが。そういったお誘いには乗れないな。食事に行きたいだけなんだ」
俺は腕に寄り添う女の胸の感触を感じながら、きっぱりとお断りする。
「食事に? ならあたしにも奢ってくれない? いい所を教えてあげるからさぁ」
彼女は引き下がらない。
あまり女の顔や体に意識を向けていなかったが、どうやらまだ十代後半の女らしい。身なりは商売女という感じはなく──至って普通の、どこにでも居るような街娘の服装だ。
別に娘一人に奢るなど簡単な事だが……俺は考える。目の前にこちらを意識している人間が居る状況下で、無意識下での作業と連携して活動するのは、控えめに言っても苦労する。──いい訓練だと言えなくもないが。
「この辺りの店は、当たり外れが大きいよ? ね、お昼を食べさせてくれたら、それなりのお礼はするからさぁ」
どうも、その日の食事にも事欠くみたいな言い方をする娘だが、体つきを見る限りそんな事はないだろう。
「分かった、いいだろう。どこへ連れて行くつもりだ? あまり高い店は駄目だぞ」
一応警戒してそう言っておく。そこまで高い店に引っ張って行くとは思えない身なりだが……念の為だ。
「やった! こっち、こっちの店なら、安くて美味しい料理を出してくれるよ」
彼女はそう言いながら、俺の腕をぐいぐいと引っ張る。いったいどういう女なのか、娼婦かとも思ったが、水商売の娘にありがちな香水や化粧の匂いがない。
まあ若さが売りの娼婦なら、敢えてそういった物を省いて、瑞々しい肉体だけで男を誘えると考える女も多い。幼さの残る横顔を見ながら、路地裏を通って隣の通りまでやって来た。
こちらの道にも疎らだが人通りはあり、いくつかの食事を提供する店の看板が見える。
「あそこ、あの青い看板の店なら、湖から採れた魚や貝の料理を出してくれるんだ」
女はさらに大胆になると、俺の腕を胸の谷間に挟む格好で引っ張って行く。よほど腹が減っているのだろうか。見ず知らずの男に言い寄ってたかるとは……しかし、なにか違和感のようなものを感じる──
店のドアを開けると彼女は俺の腕を放し、手を握ると──店の奥へと引っ張り込む。
店内には美味しそうな匂いが満ちていて、急に空腹を覚えた。
店には数人の客の姿があるが、彼らは街の住人や行商人のようであった。中には旅行途中の裕福な家族の姿もあり、食事に満足した様子で会話をしている。
「ここに座ろう」
彼女はそう言って、奥まった場所にある壁際の小さなテーブル席に座るよう促す。
彼女は壁にかかった献立表を指し示すと、その中のおすすめを教えてくれた。──注文を取りに来た給仕の女に、すすめられたいくつかの料理と飲み物、腸詰めなどを頼み、俺は目の前に座った女を見る。
十七、八の娘だろう。どことなくあどけなさを残しているが、知的な顔立ちをしており、長めの黒髪に緑色の瞳をした──まあまあ綺麗な部類に入る女だ。
「ふふ──、いやぁ、持っていたお金が底を突きそうだったんだよねぇ。助かるわ……ところで」
彼女はそう言うと、俺の手の指に嵌めた「三宝飾の指輪」を指す。
「その指輪をしてるって事は……ディナカペラの関係者って事だよね?」
俺は咄嗟に身構えそうになった。敵かと考え違いをしたのだ。
「まってまって、あたしもディナカペラの友人よ。そんなに警戒しないでよ」
女はそう言うと、懐から三宝飾の指輪取り出しテーブルの上に置く。そうか、この女も魔女だったのだ。違和感の正体は、彼女の持つ雰囲気に覚えがあったからかもしれない。
「そうか、なら初めからそう言え、娼婦かと思ったじゃないか」
彼女は快活に笑うと、急に大人びた表情をして、上目遣いにこちらを見る。
「う──ん、別にそっちでも良かったんだけどぉ? 結構好みの顔だし」
「魔女の房中術でもする気か? 魔力を奪われてはたまらんからな、やめておいて正解だった」
そう言うと彼女は指輪を懐にしまって、にんまりと笑う。
「それを知っているという事はぁ……誰かとヤッたのね?」
俺はその質問には答えずに、どうして声をかけて来たのかを尋ねた。
「あたしはねぇ……この街を拠点にした魔女で、ついでにベルニエゥロの配下たちの様子を探っているのよ。あなた、これから奴に会いに行くつもりなんでしょう?」
彼女はそう言って、魔女王ディナカペラから聞いたのだと説明する。ディナカペラの扱う水の精霊などを駆使する魔導であれば、遠方の仲間にも情報を送る事は可能なのだろう。
ましてや彼女の側には魔神ツェルエルヴァール厶も居るのだから、多少の事は自由になりそうだ。
「アガン・ハーグに対して、なにか有効な魔法とかは持っているか?」
俺はそういった魔法があるのなら、彼女から房中術で複製させてもらう方が早いと考えたのだ。
「新月光の刃くらいかな、あたし、攻撃魔法はそんなに得意じゃないし」
その言葉を聞いてがっかりした。危険な相手と渡り合うのに、攻撃手段が乏しいのでは──逃げ隠れする事しかできない。
「あ、なにその態度。傷つくなぁ……攻撃魔法は得意じゃなくても、奴らの魔法を逆利用すればいいんだから、攻撃に集中する必要はないのよ」
なるほど、彼女は俺が学生時代にやっていたような方法で戦っているのだろう。的確に相手の魔法を反射できるなら、防御と攻撃を一体化させた強力な技術になり得る。
「……は、いよいよ王城のあるザンブロアージェ包囲に取りかかったらしい。いよいよ領主らの反乱が……」
近くで声をひそめて話し合っている男たちの会話に、興味深い言葉が聞こえた。ザンブロアージェはベグレザ国の中心──すなわち、王城のある都市だ。
プラヌス領などの領主が反乱を開始したらしい……しかしずいぶんと早く、王城を包囲するなどという話しになったものである。
「ベグレザで反乱とは、本当か?」
俺は魔女に尋ねた。
「ベグレザ? ああ、あっちの国か。──そうらしいね、向こうではレファルタ教の連中が、魔女や妖人などを狩り出したりして勢力を伸ばしているらしいわ。──噂だけど、レファルタ教が陰で反乱を指示しているんだとか。しかも王を守るはずの近衛騎士団の中からも、国王に謀反を起こした騎士団が出たという話。よほど信頼の無い王様だったのね──」
あの国の王は、歴史に名の残る愚王だからな、と言うと──彼女は声を上げて笑う。
「それよりも、お前の同胞は大丈夫なのか」
「あれ? 知らないの? 私たちの神様は、配下の者に慈悲深いの。ベルニエゥロ違ってね。妖人アガン・ハーグ共の主君は、配下の者が何人死のうと、気にもかけないでしょうけど」
その言葉を聞いて、ふと、以前出会った魔神ツェルエルヴァール厶の事を思い出す。
確かにあの巨大な女性型の魔神は──どことなく、慈愛に満ちた表情を持っていたようにも思う。
冥界から彼女の魂を救い出した俺にも、ちゃんと褒美を与えると言って、魔法をいくつも授けてくれたくらいだ。
魔神と呼ぶに相応しく強大で、威圧的な力と雰囲気を持ってもいたが、恐ろしい魔神というよりは、人間に寄り添う姿勢を持つ、女神のような──そんな存在であった。
ベグレザの反乱は話の種にはなりますが、別にレギ自身には何にも関係ありません。
まあ、だいぶ先の話かなぁ。




