死の結晶の中のエンファマーユの記録
自分自身の本能的な部分の弱さに怒るレギさん。
エンファマーユの過去についても少し語られます。
そのあとに俺は夢を見た。
無言のまま攻撃を仕掛けてくる死の使いと、無限に湧き出してくる死霊たちに囲まれたりする夢だ。
相当恐ろしい体験だったのだろう……肉体が、脳が、死の体験を否定しようと何度も何度、同じような展開を──繰り返し、繰り返し、俺に見せてくる。
俺は、肉体よりも強制力のある体(霊体)を持っている為、意志の力で恐怖などをねじ伏せて戦いに臨んでいるのだ。
戦いとは危険なもの。不安や恐怖、そういったものが足を引っ張り、思うように動けなくなる。──だから上位にある霊体を用い、意志の力で肉体を支配し、戦いに臨んだのだ。それを肉体は、脳は、「恐ろしい経験の記憶」として──何度も繰り返し反芻し、落し所を探っているらしい。
「いい加減にしろ、ねじ伏せるぞ」
俺は死霊の頭を落ちていた丸太で叩き潰し、夢を見せている肉体に向かって言った。
覚悟のない者が、戦いの場に出るべきではない。
怪我を覚悟し、死を覚悟し、勝利を求めて戦う意志を持つ者だけが勝者足り得るのだ。弱々しい肉体の泣き言に、これ以上つき合っていられない。
──要するに脳は死を受け入れられないので、死んだという事実をなんらかの形で納得したいのだろう。
それにしても俺の生身が、これほど貧弱な思考──あるいは生理的拒否──をするとは思わなかった。
俺は常々、戦いに対する「覚悟」を持つようにと、己自身に言い聞かせて生きてきたつもりだったが。生身の体はそういった気持ちとは裏腹に、臆病で繊細らしい。
「情けない……情けない!」
無償に腹が立ってきて、俺は夢の中で大喝した。
「いい加減にしろ! 死をも乗り越えたお前の主人を前に、このような醜態を晒すとは!」
地面に湧き出た黒い影から、おかわりの死霊がゆっくりと登場する。
俺は素早くそいつに近づくと、思い切り頭を蹴り上げて、首を遥か遠くへ吹き飛ばした。──その先には曇り空の下に丘があり、その隆起した地面の上に死の使いが、ゆらゆらと揺れているのが見える。
「よ──し、分かった。俺がどれだけお前のような根性なしと違って勇猛果敢か、それを知りたいのだな? ではこうしよう、目覚めたら貴様の腹部に刃を突き立ててやる。臆病者の貴様が、二度と痛みや死の恐怖ごときで逃げ出さぬようにな!」
すると、どんよりと曇った空に日の光が射し込み、地面に生まれ出ようとしていた黒い影が消えて行った。灰色の世界に色が付き、死霊が現れる事はなくなった。──遠くに見えていた死の使いも、いつの間にか消え去っている。
すると、意識が覚醒へと近づいているのが分かった。
肉体以上に強制力のある意識体がある事に気づいた為か、それともそんなものがあると認めたくなくて排除する気なのか。……後者なら一度、この肉体をぼろぼろになるまで追い込んでやった方がいいかもしれん。
そんな風に思いながら、俺はゆっくりと無意識と意識の境界線を跨いだ……
*****
目覚めると、寝台の上で汗を掻いていた。ぐっしょりと汗を掻いており、気持ち悪くなった俺は──ズボンの革帯に付けた短刀を手にすると服をめくって、腹にその短刀を突きつけた。
「まったく、汗を掻くほどの事か? 情けない。これから魔導の探索をおこなおうと考えているのに、肉体がこのような体たらくでは、お前に体を任せてはおけないな。肉体に関する無意識領域すべてを開拓しなければならんか」
肉体を制御する無意識領域に、あまり積極的に手を加えるべきではないと考えていたが、死の恐怖で均衡を崩しかねないなら、その部分は手入れが必要だ。
死が近くに接近するだけで大量の汗を掻いたり、失禁していては、戦いに集中できない。
「面倒な仕事を増やしやがって」
俺は吐き捨てると腹に突き立てた短刀をしまい、水洗い場に行って汗を流し、着替える事にした。
宿屋の朝食は「味がしない」と言いたくなる代物だった。塩気が足りないのだ。いくら内陸側とは言え、あんまりだ。
チーズには塩が効いていた為、思わず味付けにチーズを使えと言ってやりたくなる。……だが、放っておこう。満月までの我慢だ。
忍耐は必須、この世は堪える事ばかりなのだ。なに一つ堪えない、我慢などしないと、思うままに生きている奴は「自由を満喫している」などと得意になるが、なに一つ堪えられない奴が満喫している自由とは、どれだけ小さく薄っぺらい自由なのだろう?
豪勢で豊かな生活をしているという奴に限って、突然の危機に対して驚くほど脆い。すぐに他人を頼りにし、逃げ出そうとする。──軽薄なだけなのだ、そういう連中は。
自恃の気持ちがまったくないのだろうか。安楽な生活の中だけで生き、行動し、それ以外を知らぬ愚かな連中。──そう、貴族どもだ。
塩が無ければ侍従に買いに行かせ、塩を振らせるのか? それともそれ以前に、自分のお抱え料理人を引き連れた場所にしか出歩かないのか?
誰かが引いてくれた道の上しか歩けない愚か者。途轍もない傲岸不遜な連中。
自らの力でなにかを発見したり、達成するという事を放棄している。──その生活のどの部分に楽しみがあるのだろう?
俺にはさっぱり分からない。
部屋に戻ると、すぐに魔術の門を開いて作業に入る。まずは──己の肉体の弱い部分を補強してやろう。そしてそれは、高位の体を作ってある者には、それほど難しい作業ではない。
「徹底的にやってやる」
そう宣言し、無意識領域に防壁を張ったり、失策をしないよう見守る組織を組み上げておく。これで恐怖や苦痛にも堪えて、生きる為に必要な行動を取れるようになったはずだ。
恐怖で冷や汗を流す前にやる事をやれ、そういう命令系統を構築した訳だ。分かりやすく言うならば、だが。
すでに隠匿の呪符で黒宝玉を包んであるので、今度は死の結晶に記録されている記憶群を一般人や戦士、魔法使いなどに区分けして、確認しやすいように設定する……そこで、面白い事実を知った。
「エンファマーユの記憶があるぞ……!」
魔術師の中に見覚えのある人物の記録があったのだ。俺はその人物の記憶を探ろうと接続する。
……どうやら彼女の現在までの記録が読み取れる事が分かった。そしてさらに彼女がこれから辿る、未来についてもある程度の意識の集中で調べられるのだ。限界はあるようだったが、大まかな活動や、習得する魔法なども──現在の彼女よりも先に、習得する事も可能になった。
未来の記憶への接続は、人間である俺には難しいらしい。精神的な消耗が激しいのだ。
死が一度とらえた者は、その過去も未来も一様に見透かされてしまうのだ。(魔神の配下になったとはいえ)まだ生きている彼女の記憶を自在に読み取れるなんて彼女が聞いたら、それだけで殺意を持って襲って来そうなので──この事は隠しておいた方が身の為だ。
彼女の過去に興味があった俺は、礼儀知らずを承知の上で、彼女が魔神の配下になった経緯を調べてみた。
……思いのほか苦々しい話を見る羽目になった。
彼女はユフレスクの宮廷魔導師を勤めていたが、仲間の魔導師との軋轢で宮廷を去る事にしたようだ。
死の呪いをその同僚から受けた彼女は、死の使いの協力を得てその呪いを反射し、同僚の魔導師──こいつの記憶も死の結晶の中に入っている──を亡き者にし、そのあとは貴族の雇われ魔導師をやったり、旅に出ながら魔導の研究をしていたらしい。
その旅の途中で彼女の魔法学校時代の級友と再開し、行動を共にしていたが──どうやらこの級友は、妖人アガン・ハーグとも繋がりのある危険な魔術師だったようだ。
その事に気づいたエンファマーユは、その級友を含めた六名の魔女や妖人、魔法使いなどを殺す羽目になった。
生き残る為とはいえ、級友も手にかけなければならなかった彼女は、苦悩を抱えながらその場をあとにし、人里離れた未開の地を彷徨っていた。──そこで、魔神ラウヴァレアシュに拾われたらしい。
その正確な場所は分からなかったが、俺が魔神と出会ったあの奇妙な黒曜石の館ではなく、別の場所だというのは間違いない。魔神の手が及ぶ場所は一ヶ所だけではないと思っていたが……
いや、それよりもエンファマーユだ。
彼女は級友を殺めた事を相当に心苦しく思っていた様子だ。(俺だったらなんの躊躇いも感じないだろう。自分を殺す気で魔女の集会に招いた者の身を──何故、案じてやる必要があるのだ?)
そんな彼女の弱さに対し、このままでは使い物にならなくなるとでも考えたのか、ラウヴァレアシュは気まぐれを起こして彼女を配下に加える事にしたらしい。(まあ一番の理由は、彼女が魔導師としての高い才能を持っていたからであろうが)
彼女についての暗い記憶は忘れておこう。彼女と再会した時に、彼女の過去を知っているなど、微塵も見せてはいけない。
それよりも、彼女の記憶の中から「四界の霊域」と「影の魔術」に関する技術を学び取ろうと考えた。
必要な物については貪欲に収集していく、それは変わらない。(彼女が殺した魔女や魔法使いからも、この死の結晶から情報が得られるのだ。妖人アガン・ハーグも調査する事ができたが、魔神と接触したあとの記憶部分が読み取れないような加工が施されている。どうやら魔神ベルニエゥロの配下には、無意識領域にこうした処置が施されているらしい。──今の俺には、その封印を破る事はできそうにない)
結局、時間をかけてエンファマーユの記憶から二つの技術について重点的に学び取ったが、自在に扱えるようになるまでは時間がかかりそうだ。結局は己の力量が物を言うのである。
何故ならこの学習方法は、自力で学ぶ事と大差がないからだ。技術や術式の記憶領域を複製して転写する、といった事が難しいのだ。
魂魄学習や、魔女の房中術とは違い、目の前にその技術を持つ対象が実在する訳ではないので、この記憶分野から技術を得たいなら、自分で努力する事が必要なのだ。──それは無意識領域を探索して、技術や魔法を探し出すのと同じだ。知識は身に付けられるが、技術を体得したいなら当然、それを使いこなす為の訓練を必要とする。
エンファマーユの持つ魔導に関する技術は、ある分野については──俺の扱える技術範囲を大きく超え出ていた。それは認めなくてはならない。
だがそれも昨日までの事、今日からは違う。
死を踏み越えて獲得した力で、日毎にその知と力を増して行こう。誰にも真似のできない速度で、知識と技術を我がものにする。
まずはその為の思考をおこない、死の結晶から効率的な知識の引き出し方について研究を始める。膨大な記録の中から有効な知識や技術を選択し、自身の力へと変換して行く。
魔術の門の中で思考速度を限界まで速め──その作業に取りかかった。
魔術的作業の描写が鬱陶しいかな? でもそういう部分が作者の持ち味なので。




