死から得た強大なる知と力
部屋に戻り寝台に腰かけると、──魔術の門を開いて確認する気になった。本当なら死ぬほど疲れているので、睡眠に時間を使いたいところだが。
魔術の門を開く前に強壮薬を口にする。貴重な薬な為、もう残り少ない。小さな硝子小瓶に入った液体を喉に流し込み、水を飲んで一息つく。
激しく不味いので、舌に乗せないように飲むのがコツだ。
身仕度をしながら寝台に横になると、すぐに眠気が襲ってきたが、俺は意識をしっかりと持って、精神体へ自らの意識を集中する。
魔術の門で活動するのは、あくまで肉体とは別の体──精神と霊質に関わる体──なのである。霊体にも色々な属性があるが、魔術の門で扱う体は「精神体」と呼んで差し支えはないだろう。
意識が移行したのを感じると、いつもの建物の前に立った。
この建物こそ、俺が魔術の門に構築した「魔術の庭」である。
壁に囲まれた小さな庭。
ここには季節も、植物の成長もないが、芝生や小さな花壇を造ってある。あくまで擬似的な物だ。心を豊かにする部分もあるが──実際のところ、庭に出る機会は少ない。どちらかというと裏手にある訓練場の方が、使用率で言えば圧倒的だ。
扉の前に立つと違和感を覚える。
自分自身の事だ、変化は肉体よりも敏感だ。
扉を開けるとすぐに異変に気がついた。ドアが──増えている。
「いったい、これは……」
通路の先に増えたドアに近づいて行くと、ドアノブに編み籠がぶら下げられているのが分かった。蔦を編み上げて作られた小さな籠、その中に手紙と、見覚えのある黒と赤の結晶が入っていた。
死の使いの滅びから発生し、俺の中に飛び込んで来た──あの結晶だ。
「あの双子の仕業か……」
しかし、これで彼女らが──途轍もない技量を誇る魔導師である事がはっきりした。
この領域には、外部からの侵入者に対して排除をおこなう罠が無数に仕掛けてあるのだ。その罠のどれ一つにも引っかからずに侵入し、相手に気づかれる事なく新たな意識領域(ドアの向こうの部屋)を拡張するなど、そんな事は通常あり得ない。
「俺の命を彼女らに握られているも同然だな」
俺は皮肉な笑いを浮かべてしまう。ここまで完璧に他者に力を見せつけられた事など、魔神ラウヴァレアシュの前ですらなかった事だ(もっともあの魔神が実力を見せつけようとした事もないのだが)。
籠の中の手紙を手に取り、封を切って中身を読んでみる。
{こんばんわ、レギスヴァーティ。勝手にお邪魔してごめんなさい。でも、素敵な場所ね。あなたの才能や努力、魔導への執着やこだわり……そういったものが垣間見える。
そう言えば名前も名乗っていなかった事を思い出し、手紙を残します。──それと、死導者の核から残された結晶核もあなたにあげます。有意義に使う事ね、まだまだあなたの魔導の力では手に余る物かもしれないけれど、いずれはその力を役立てる事も可能でしょう。
私達はグラーシャとラポラース。黒い髪の方がグラーシャ、白い髪の方がラポラース。そう覚えておいてね。
ドアの向こうは、あなたを死者の状態から戻す時に発生した力を、部屋へと変換した物よ。死の状態をわずかでも体験したあなたは、死の領域と結びついている……その力は膨大で危険。
しばらくはドアを開けないで、死に関する魔術をある程度、制御できるようになったら開けなさい。鍵は籠の中に入れておきます。
それでは約束、たまには私たちに会いに来てね。
私たちの居る領域に繋げる方法は、結晶核を自分の物にできれば分かるでしょう。}
そこにはそう書かれていた。
小さな籠の中には結晶核と銀色の鍵が入っている。俺はその二つを手に取り、結晶核を解析してみた。
──これは膨大な量の、死の使いが関わった死者の記録でもある。
その一つ一つが大変な量の──多くは無意味な個人情報に過ぎないが──知識の集積体であり、また、死の使い自身が持っていた力の総体。それが結晶化した物であるようだ。
「おいおい、とんでもない物を手に入れてしまったぞ……!」
それは──無意識領域の中を探索し、すでにこの世に存在しない魔術師や魔導師などの記憶を探し出して、自分の知らぬ知識や技術を拝借するといった作業を簡単に、なんの危険もなくおこなえるのだ。
もちろん、あの死の使いが魂を、どこぞへと運んで行った相手に限定されるが──それでも、ぱっと確認しただけで、百人近い魔術師などの記憶が入っているのが確認できる。
「命の危険を冒した甲斐があったというものだ」
一夜にして膨大な知識を手に入れたのに等しい成果だ。──その知識の内容にもよるが、もし学生時代の自分がこれほど多くの魔術師の知識を得られたなら……おそらく、宮廷魔導師の推薦状が山ほど得られたに違いない。
「ま、俺は推薦状を受け取らなくても済むように、三年生の頃には実技試験も、筆記試験も手を抜いていたんだが」
そう考えると笑いが込み上げてくる。
だが問題は、大勢の魔術師や魔導師の知識よりも、死の使い──「死導者」と双子が呼んでいた存在の力が、この結晶核……「死の結晶」に収められているのだ。
その力を自分の物にできれば……それは途轍もない発見であり、生物に対しては無敵に近い攻撃手段を手に入れられるかもしれなかった。
太古の石板にあったという「死の魔術」の知識も、この結晶から入手できるかもしれないのだ。謂わばこの結晶自体が、とんでもない禁忌の塊なのである。
俺は落ち着こうと鍵を持って書斎に入り、机の引き出しの中に銀色の鍵をしまって椅子に腰かけた。
死の結晶は興味深い物だ。その膨大な死者の記憶から、必要な情報や技術を短時間で自分の物にできる。そう考えると──高揚してくる。
本当に一日で生まれ変わってしまった。
自分自身もさらなる変化をして、より大きな目標に手が届く、そんな気にさえなっている。
死からの再生。
大きな力の獲得。
膨大な知識の収集。
それらの体験は、俺の古くからの望みに大きく近づく、革新的な一歩となった。──そんな風に思う。
……それにしても魔神との邂逅以来、加速度的に新たな力を手に入れている。通常の魔法使いや魔術師が、一生かけても辿り着けない領域に足を踏み入れているのではないだろうか。
今はまだ多くの可能性を手にした段階でしかないが、一つ一つ知識や技術を手にし、纏め、自分のものにした時には──魔導師としての格が一つ、二つと上がるのだろう。そんな予感がある。
しかし一度、落ち着かなくてはならない。
学生時代でもなかった速さで手に入れた力、あまりに多くを一度に手に入れ過ぎている。ここで慢心するのは危険だ。魔導を知る者なら──当然その事に警戒をするものだ。
飛躍と失墜は隣り合わせだという事を、肝に銘じなければならない。思い上がりは禁物だ、いつ足下をすくわれるか分からない。
「まずは隠匿の呪符を解析し、黒宝玉力を封じられるか探る必要がある」
俺は研究室に向かうと、効率良く解析をする為に用意された道具を使用して、二つの魔力を持つ道具を解析し始めた。
隠匿の呪符については複製を作り出す事はできそうだ。
黒宝玉については──高度な力によって生成された魔具であり、複製は不可能だろう。明らかに人の手で作られた物ではない。
そして、隠匿の呪符で外部との接続を断ち、魔力の流入を防ぐ事で、幻夢界へ引きずり込まれる現象を抑えるのは可能だろう。
夜になると異なる次元の隙間から魔力を流入させ、幻夢界への入り口を開き、持ち主を幻夢界へ導くようになっていた。
ただそれは単純な──外部と内部の次元を「誤認識」させる程度の──結界で防止できるようだ。次元干渉自体は高度と言って差し支えないが、本来は素通りできるはずのものを、(次元の幕で)覆い隠すだけで通れなくなるのだから、黒宝玉が幻夢界へ持ち主を誘う方法自体は、(魔術的に見て)もの凄く原始的なものに過ぎない。
おそらく幻夢界への移送は、副次的なものなのだろう。
本来の目的は湖にあるという、「虚ろの塔」への入り口を開く事を想定した道具に過ぎないのだ。
その力が別次元への入り口を開く、という共通の事象である「幻夢界への転送」という現象を引き起こしているらしい。
完全な誤作動だ。
あるいは満月の夜にしか開かないという虚ろの塔への入り口を開くには、それなりの呪力が必要で、その強力な干渉力が平常時に、幻夢界への入り口を開いてしまっていたのかもしれない。
「はた迷惑な魔具だな」
そのお陰で死にかけた(実際は死んだに等しい)のだ、迷惑では済まない。
「まあ、そのお陰で強力な力を手に入れる事もできた訳だが」
それにしても、エンファマーユがその事(隠匿の呪符で黒宝玉の力を抑える)に早く気づいていれば、死の使いと戦わずにやり過ごせたかもしれない。……いや、おそらく魔神ラウヴァレアシュもその方法に気づいていたのだ。
それでも敢えて死の使いと戦って、俺が勝つ方に賭けたのではないか。
なにやら不穏なものを感じ、やはり上位存在は危険だと感じ始める。
今日は隠匿の呪符を作る作業に取り組み、それを黒宝玉に巻き付けて──ぐっすりと眠る事にしよう。
明日から満月の夜までじっくりと「死の結晶」を調べて、そこに記録された情報から有用な知識や技術を学び取ったり、情報ごとに区分けする作業でもおこなおう……
そんな風に考えながら隠匿の呪符を作り出す術式を作成し、その日は泥のように眠りに就いたのだった。




