幻夢界②
感想を頂けて嬉しいです。用語はそんなに無いかなとは思いましたが、結構あるかも──物語や世界などに興味を持ってもらえるようなものについては章の終わりにでも書いてみたいと思ってます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
そこは小さな酒場だった。
一つの丸いテーブル席の周りに、二人の人影が、椅子に座る事もなく佇んでいる。……それは鎧などは身に着けてはいないが、聖騎士の男達で間違いなさそうだ。──幸いと言うべきか、巨漢の男の姿は見当たらない。
俺はすぐに行動に移った。
酒場に入ったばかりの女神官の死霊を背中から突き飛ばし、床に俯せに倒す。
こちらに気づいた二体の聖騎士の死霊が、のろのろと近づいて来るので魔剣の一撃をお見舞いし、二度目の死を迎えさせる──いやここに居るのは、ただの残像のようなものに過ぎないだろうが。
立ち上がろうとしている女神官のそばに行くと、両肩付近の腱を魔剣で断ち切り、動きを封じてから「魂魄学習」の用意をする。初めておこなう事なので慎重に──失敗しないように注意しながら、死霊の背中に魔剣を突き立て、一気に心臓を貫く。
微かな痙攣を起こして、ぐったりと床に伏せたまま動かなくなった死霊の魂を読み取る。──ウシャナの体験させてくれた通り、膨大な量の記憶の中から自分の求めるものを探し出すのは、凄まじい集中力と、精神力を必要とした。
実際にかかった時間は数秒の事だろうが、魂魄から溢れ出る情報を取捨選択する作業をおこなうのは、思考の中で数十年分の情報を処理するみたいな──魔眼による情報処理の簡略化をおこなっていても──厳しいものだった。
魂魄学習を終了する時には、どっと疲れが押し寄せて来て──床に手を突いてしまったほどだ。
「や、やれやれ……まさか、ここまで──キツいとは。徐々に慣れて行くらしいが、精神負荷が尋常じゃないぞ……」
だが目的の「力」は手に入れる事ができた。他にもいくつかの魔法に関する技術情報を入手したが──それはあとでじっくりと調べてみる必要がある。彼女の持っていた魔法は、光の属性に関する魔法が多く──いわゆる神聖魔法と呼ばれる、レファルタ教会の神官らが優先的に覚える(それ以外で覚える手段もあるにはある)魔法系統の技術だった。
「よし、目的は果たした。ウシャナを連れて脱出しよう」
革帯の小物入れに手を伸ばし、小さな小瓶を手にすると、その中身を飲み干す。強壮薬の一種で、体力や精神力をゆっくりと回復させていく薬だ。体内の正常化作用を促すので、後々に反動が返ってくるような薬品ではない。
立ち上がって酒場から出ようとした時に、出口の扉がゆっくりと開いた。
そこ立っているのは巨漢の聖騎士、他の連中と同じくぼろぼろの姿。顔面から出血し、胸や足なども血に染めた大男が、こちら手を伸ばしながら襲いかかって来る。
こいつの動きは見た目よりも速く、近づいて来たと思った時には大振りな腕を振り上げての攻撃をして、こちらを突き飛ばして来た。
横に飛んで躱したが逃れる瞬間を見誤り、腕をかすめられて、体勢がわずかにずれる。
ぐっと足に力を入れて腰を落とすと、体を反転させて魔剣を薙ぎ払う。疲れてはいたが、それが逆に攻撃への意識を集中させる結果になったようだ。鋭い一撃が巨漢の男の胸を引き裂いて、どうっと、大きな音を立てて床に倒れ込む。
まだ立ち上がろうともがいている聖騎士の死霊に近づくと、魔剣を容赦なく胸に突き刺して止めを刺す。
「ふぅ、……死んでからも俺に迷惑をかけるんじゃない」
俺はそう言葉を残すと、死体の横を通って酒場の外に向かう。
慎重に外の様子を確かめながら扉を開けて、路地に出ると──宿屋のある通りに向かって素早く行動する。
通りには数体の死霊の姿があったが、壁の方を向いて立っていたり、狭い路地の方に向かって行ったりと──戦う必要はなさそうだ。
宿屋の方を見ると、窓枠に腰を下ろした黒猫がこちらに気づき、すっくと立ち上がると壁際の縁を伝って看板の上に飛び乗り、そこから地面に着地する。
こちらは死霊に気づかれぬよう音を殺してやり過ごしながら、宿屋の前へ移動し、入り口に置いた背嚢を背負って黒猫の方へ向かう。
「行くわよ。この街を出て北へ。そこに幻夢界を出る『歪み』がある内に辿り着かなくては」
俺は頷くと、先導する黒猫を追い駆けて早歩きする。
「うぉあぁぁっ」
路地の横を通った時、急に暗がりから呻き声を発し、不気味な月明かりの下に死霊が現れた。
「むっ……お前は」
口を開いて襲いかかって来た相手の首を、薙ぎ払った魔剣の一撃で叩き落とす。
「こうしてお前を殺すのは二度目だな」
胸元を血に染めた死体が横倒しに倒れ、建物の壁に寄りかかって、ズルズルと力なく崩れ落ちる。男の頭部は暗がりの中に転がって行って見えなくなった。
俺は黒猫のあとを追おうと前を向く。黒猫のウシャナは道の先で俺の事を待ってくれていた。薄紅色の月光の中でその黒い猫の体は、ぼんやりと銀色の陽炎に似たものを発して見えた。──それはたぶん、黒猫の霊体に憑依しているラウヴァレアシュの配下が持つ力が、この奇妙な光の中で露になって見えているのだろうと推測した。
彼女がどれほどの位階にある配下かは分からないが、少なくとも雑魚という訳ではなさそうだ。
こちらの思惑には気づかずに黒猫は踵を返すと、再び踏み固められた地面を蹴って走り出す。
かなり長い間、黒猫のあとを追い駆けながら移動を続けた。ときおり死霊の姿を見かけたが、遠くに居る奴らはこちらを視認する事ができなかったみたいで、ただ闇雲に彷徨いているだけである。
背嚢も背負っての移動になったが、強壮薬の効果もあって足取りは軽い。
「出口はまだなのか」
「まだ先よ、ああ──あの砦の向こう側。丘の近くにあるはずよ」
ずっと先にかろうじて見える、国境手前にある中規模の砦を囲む外壁。フィエジアの国境を守る兵士らを控えさせている砦であろう。いくつかの建物を取り囲む壁があんなにも小さく見える事から、まだまだ距離は離れていそうだ。
「そう言えば先に金を払ったとはいえ、客が急に居なくなったら宿屋の主人は驚くだろうな」
この空間に入り込んでいる人間は俺だけ、他の存在は死霊だけだ。この領域を支配している者が居るのだろうか? そう尋ねると黒い猫のウシャナは、冥界の神の見る夢が、この幽鬼の領域を生み出していると考えられていると言った。
「まさに幻夢界という訳か、死を司る神が眠っているなら、ここは安全なのか?」
そう問うと。
「少なくとも、冥界の神が現れる事はないでしょう。でも──危険な存在は冥界には多く居るわ。あなたは知らないでしょうけれど」
ウシャナの言葉に曖昧に首を振る。
俺は魔神ツェルエルヴァールムの配下の魔神「魔女王ディナカペラ」に冥府へ送られたばかりだ。そこで出会った巨大な番犬や、奇怪な「番人」の姿は良く覚えている。
あれが──この場所に現れるとは思えないが、冥界には、まだまだ謎の存在が多く居たのは疑いようもない。あの世界は──生の繁栄の影の部分。生命に溢れる場所から落ちて来た、魑魅魍魎の溜まり場と化していても不思議ではない。
多くの人は忘れがちだが、生命に溢れる豊かな場所という事は、その反対の「死」も多い場所、という事なのだ。
人の集まる場所は、多くの死が積み重ねられた場所でもある。生命の真実とは──熱と冷、火と氷の関係のようなもの、互いが否定的な結びつきを持っているように見えるが、それは互いが同じ理の中で、異なるあり方をしているというだけに過ぎないのかもしれない。
薄気味悪い色に照らし出された道や地面を進みながら砦のそばに近づいていると、緩やかな丘の上で黒猫のウシャナが立ち止まる。
「おかしい……あの砦から、得体の知れない力を感じる」
そう呟くと彼女は迂回して行こうと言って、こちらを振り向いたが──俺はぎょっとして砦の方を見つめる。
「それは……無理かもしれない」
砦の壁や大きな門扉を叩いていた死霊の群れが、どういう訳か一斉にこちらを振り向いたのだ。
「な、なによあいつら……やたらと統制が取れているじゃない」
確かに、今まで見かけた単体の死霊は、そこら辺を彷徨いているだけで近づいて来る者も居なかったが、この砦を囲んでいる死霊どもは、どういう訳か──これだけ離れているのにも拘わらず、こちらの存在に気づいて、今まさに襲いかかろうと歩き始めている。
幸いまだ距離があるので、ここは一気に範囲攻撃魔法で仕留めるべきだろう。この幻夢界では、通常の精霊の力を源とする魔法では効果は低くなるだろうから、魔神ツェルエルヴァールムから貰い受けた魔法を試してみよう。
「アドゥル、エシュア、レゥム=レヴィシス。破滅の驟雨、大地は凍り、大気は凍てつく。イユレダの地より来たれ、破滅の導き手よ──『氷の霊廟』!」
手を突き出して群れ為す死霊に魔法を解き放つ。奴らの進む先、その上空に暗い色の雲が勢いよく広がって行きながら──遠くまで聞こえるような雨音を響き渡らせる。
土の地面や草の生えた地面に容赦なく打ち付ける雨。それは見る見るうちに塊となって行く。死霊たちの動きは鈍くなり、地面に釘付けとなった奴ら。その体は瞬く間に凍り付いていく。
雨粒が空間の一部を支配すると、それは急激に温度を奪い去り、大きな氷の塊を出現させるに至った。
空を覆っていた雨雲が消え去ると、その下には巨大な壁のごとき氷の塊が現れたのだ。その分厚い氷の棺の中には十数体の死霊が捕えられたが、残りの数匹が氷の塊を避けて、こちらへ向かって来る。
「ふぅ……結構、魔力の消費が激しいな──魔眼がなかったら、これ一発で次が撃てなくなるぞ」
魔力量の底上げはこれからの課題になりそうだ。
「残りは任せなさい」
黒猫のウシャナはそう言うと前足で地面をなぞり、丘の上から下に向かって鋭く移動する影を放った。
三本の黒い影は左右に蛇行しながら素早く死霊たちの元へ向かい、数体の足元で広がると、次々に黒い杭のような物を影の中から突き上げて、死霊を串刺しにしてしまう。
六体の死霊を貫いた影が消え去ると、死霊たちは地面に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなる。
残り三体か──そんな事を考えていると突然、三体の死霊が燃え上がった。真っ赤な炎に、青い炎や、緑色の炎を噴き上げる死霊。
その三色の炎が中心部に集まって大きな炎の塊となると、その炎の中から──大きな頭蓋骨を持つ、歪な死霊の親玉らしき存在が姿を現したのだった……




