魔術の門 ─識閾下の操作─
主人公の魔法を学ぶ学校に行っていた頃の思い出など。──ろくな思い出話ではありませんが(笑)
彼が魔導師としての道を進む大きな転機について語られています。やや難しい単語を使っての内容となってるかも……魔術の事なので、若干遠回しな表現も多いです。
宿屋に戻った俺は水浴びをして、汗と埃を落とすなどの寝る前の準備を済ませると──寝台の上で魔術の門を開く。
「魔術の門」とは表層意識の裏側、無意識と意識の狭間に作られる、魔術師としての意識の在所への入り口。とでも言った領域の事である。
ここであらゆる自分の扱える魔法や魔術に関する──識閾下にある異能に関する──技術を取り扱うのだ。ただし、ここまではっきりと自らの意識を識閾下に移行させるのは、優れた才覚や努力、または閃きといったものが必要になる。
はっきり言って凡百の魔術師や魔法使いは、ここまで自分の意識領域を拡張する事はできていない。自らの意識領域を広げ、そこで自らの持てるものを改良し、安定させる。そういった作業を無意識に任せている人間と、そうでない存在が凡人と魔導師(魔術師)の違いだろう。
そこで俺は改めて魔眼の調整をおこなう事にした。
今までは意識下で周囲の物事を認識する時に限って、魔眼の視野を使っていたが、これからは無意識的な部分にも比重を置く事にする。──と言っても認識を無意識に任せる、という意味ではない。無意識領域に魔眼による拡張領域を作り、発展させ、意識的にだけでなく、感覚的な認識にも、魔眼による鋭い察知能力を付け加える事で、より危険に対する察知能力を上げようとしているのだ。
少し難しい作業になった。物を見ている自分の認識領域よりも一段深い場所で、周囲の異変──魔力や結界などの反応を探る作業を任意(無意識)におこなうよう設定する。
これを安定させるのに、膨大な精神力を用いる事になった。新しい無意識領域の拡張に加え、無意識領域自体に魔眼の根を張るのだ。
魔術の門を開き、そこで作業するのは簡単なものではないのだ。魔法や魔術を試験する程度の事なら──それほど大した消耗はしないが、新たな魔法や魔術の会得、そうした領域を広げる作業は現実と同じで大変な、精神的な労働をおこなうのに等しい。
識閾下に新たな自己防衛の手段を構築する作業をおこない、その他の分野に関する技術的改良を思考していると──急激に疲労を感じ、俺は慌てて魔術の門を閉じると同時に──気絶するみたいに、そのまま眠りに落ちてしまった。
*****
魔導師(魔術師)は夢を見ない、という言葉を知っているだろうか。
それは先ほど説明した「魔術の門」を開き、そこで作業する為に、一部の魔導師は眠りながら自らの意識領域の拡張や、魔術的実験をしたり、学術的探求をおこなったりするからだ。
今では当たり前のように魔術の門を開いて作業する俺だが、初めて魔術の門を開き、新しい意識のあり方に到達した時は──有り体に言って感動したものだ。この体験は魔術師の、一部の技術者だけが体験し得るものであるだろう。
自分だけの秘密の空間を手に入れたような気持ち、と言えば分かるだろうか。
しかもそこには、自分自身の根幹たる部分の多くが存在しているのだ。この無意識領域の保持と拡張。それこそが新たな、自覚的な魔導師への第一歩となった。この力、技術への一歩によって、俺は魔法の学び舎で特別な発達と進化を遂げたのだ。
ある教師には「宮廷魔導師」への推薦も得られると言われていたが、俺はその申し出を断って、冒険者となる道を選んだのである。
そちらの方が自分の将来に有益だったと言うのもあるが、宮廷魔導師の道へと進まなかったのは、貴族たちのつまらない階級意識に嫌気が差していた部分も大きい。
あいつらの意識の大部分は、「小さな己を隠す為の階級」に対する執着心しかないのだ。少なくとも学府の中では貴賎貧富は厭わない、とされているが──低脳な連中には、まったく理解されない(理解したくない)ものだったのだろう。身分や階級を振り翳している厚顔無恥な連中。なんとも退屈な、同世代の腐った若者たち。
その多くは俺が──貴族階級の底辺に位置する貧乏貴族だった──この俺が、急激に力を付け、あっと言う間に「エインシュナーク魔導技術学校」の序列を上がっていった事に嫉妬している連中が多かった。
無理もない。
改めて自らの実力不足(教育環境的には、平民や下級貴族の数倍以上の開きがある)を思い知らされたのだ。気分がいいはずはない。
「いい気になるなよ。下級貴族風情が!」
こんな直接的な言葉で罵って来る奴も居たくらいだ(大貴族の腰巾着の一人が、ぞろぞろとお仲間を連れて言って来た)。十二分にしょうもない。こう言われた時の俺は顔には出さずに対応したが、何度も似たような目に遭うと──さすがに顔に出てしまう。
「なんだ、その顔は!」
明らかに侮辱されたと、その表情から感じたのだろう。だから俺は言って差し上げた。
「なんだもなにもない。学府に社会階級は関係ないと入学時にも言われたはずだが、そんな事も覚えていないから、そんなにも愚かなのかと思っただけだ」
もちろんこのあと彼らはより一層、熱心に突っかかって来たのだが──彼らはことごとく実技試験の時に、格の違い思い知らされる事になったのだ。
中には反則を(身に付けた魔法の道具で魔力を強化)してまで実技試験で打ち負かしてやろうとして来た者も出たが、──規律意識の高い貴族に告発された上に実力で俺に敗北し、自ら放った魔法を反射されて大怪我まで負う結果になった。
学生時代に覚えた魔法のみで戦う戦法で、二つの得意な技があった。──一つは連続して素早い魔法を繰り出す技(短時間で連続して魔法を使えるのは、同学年で三人ほどしか居なかった)。もう一つは相手の攻撃を反射して、そのすぐあとに攻撃魔法を追撃させる戦い方だ。
反射させること自体が難しく、多くの学生はそうした魔法を行使する事はできなかった。例え反射魔法を覚えても、攻撃魔法を引きつけて反射させるには技術的な問題よりも、意識的な──恐怖に負けない強靭な心と、冷静な判断力が必要だからだ。
そうした事を理解できない奴は「あいつには反射魔法があるから」とか、「反射魔法を張り続ける膨大な魔力量があるから」とか、負けた言い訳をするのだが──どちらも不正解だった。魔力量は当時の学生の上位に入るとしても多くはなく、十指に漏れるほどの魔力保有量しかなかったのである。
呪文や魔法への集中は先に(魔術の門で)短く設定しておき、戦いになればいつでもそれを引き出せるようにしておいたのだ。魔法の発動の速さは、誰にも負けない自信があった。
こうした愚かな貴族(中にはまともな奴も居たが)に辟易した俺は──宮廷に入り、愚か者を相手にし続けるような将来を捨て、冒険の旅へと出る事に決めたのである。
思えばあの時代のエインシュナークは、学術を学ぶ場としては理想的だったのかもしれないと、今更ながら気づかされる。昨今では宗教理念に重きが置かれ、徐々に魔法や魔術の研究機関が弾圧を受ける事が増えたと言われている。レファルタ教教会公認の魔法学校が優遇されつつあるとか。
「特権階級の者がおこなう事柄は何故こうも愚かなのか。魔物や亜人の襲撃に対し、軍の兵士やレファルタ教『秩序団』だけで、奴らに対抗できると思っているのだろうか」
まして魔神の力の前に、人間側の都合で歪められた教育を受けた、半端者の技術者集団の力で対抗できると言うのだろうか。
『愚かな事よ……神々の使役する兵を模した道具で、自らを神の御使いに仕立て上げるとは』
そう言っていた魔神の配下の言葉を思い出す。レファルタ教教会に社会情勢を握られ続ければ、ああした「偽りの」神の使いが現れて人々を導いて行くのだろうか? なんとも滑稽無惨な話だ。
導く者も導かれる者も、どちらも紛い物の世界。その偽りを世界に広げて、やがては世界を偽りで満たす。
「狂気だな、まるで」
識閾下の領域で、俺は久し振りに夢を見ていたようだ。魔術の門から出て、そのまま睡眠状態に落ちてしまったのだ。
久し振りに見た夢は──学生時代の無人の教室で、魔術に関する書物を読んでいる夢だった。誰も居ない教室でただ一人。なんの魔術書だったかは覚えていないが──俺の意識は魔術書よりも、どこかからか聞こえてくる呼び声に意識が引っ張られていき、やがて眠っていた事に気づくのであった。
この章はここまでです。




