街への帰還、魔導師の道
魔女と妖人たちの集会場に一人取り残された俺。あとには二人の聖騎士の亡骸だけが残された。大量にあった妖人や魔女の死体は、魔物の身体として使われた為、綺麗さっぱりとなくなっている。
ぼろい天幕や薄汚い小屋など──ここには見るべき物はなさそうだ。
しかし、女神官の持っていた杖は何なのか確かめてみようと思い、血の痕が残る場所に転がっている杖を手に取る。
それを探査魔法に掛け、どういった効果のある物なのかを調べると──召喚魔法を補佐する効果があったらしい。杖自体にではなく、杖の先にある青い宝石が触媒であるようだ。
その宝石だけを外して、革帯に取り付けてある物入れにしまっておく。
背嚢から地図を取り出すと、フィエジアのブレアノスという街を探し、その東にあるという湖を確認する。かなりの距離だ。──少なくとも歩いて行けば七日はかかる。
仕方なくドナッサングの街まで戻る事にした。日が沈みきる前には戻れるだろう。そう思ったが──不意に馬の嘶きが聞こえて、はっとする。
「そうだ、聖騎士の連中。馬に乗って来ていたはずだ」
そう考えると、馬の気配がした方向へ向かって行く。
そこには五頭の馬が岩や、地面に打たれた杭に縄で繋がれていた。
興奮している馬の足下を見ると、潰された黒い蜘蛛が気味の悪い体液を吹き出して死んでいる。
「どうどう」
俺はその五頭から、もっとも冷静な灰色の馬を選んで、その他の四頭を縄から解放し逃がしてやった。
岩場の近くに人数分の鞍と、鐙や轡などが置かれていたので、その一つを灰色の馬に乗せて、街へ戻る準備をする。
「街の手前で乗り捨てないとな。もし聖騎士の馬だと気づかれたら厄介だ」
五人のレファルタ教「秩序団」の聖騎士を殺めた、などと嫌疑をかけられれば、ほぼ死刑は確定だろう。神の正義を説く頭のイカレた宗教家などに理屈や正論は通用しない。五人の聖騎士に勝てる訳がないと弁明したところで、なんだかんだ理由をこじつけて死刑にするに決まっている。
俺は鐙に足をかけ馬の背に跨がると来た道を引き返し、切り立った岩山の間を抜けて、街まで戻る帰路に就いた。
街の手前まで馬で乗り付ける訳にはいかないので、街道から外れた場所で馬を下り、鞍や轡などを外して馬を解放してやる。
馬は新しい乗り手の俺にも従順だったが、軍馬としては頼りない感じか。しょせんは教会の騎士団。戦争などに出る予定もないのだろう。練度の高い軍馬は認められた乗り手以外が背に乗るのを嫌うらしい。──そこまでの訓練をするはずもないか。きっと遠征の為に教会で飼育している馬を適当に選んだだけであろうから。
聖騎士の戦士としての技量は相当のものだとは思うが(もちろん一対一なら俺の方が上だ)、中級魔神との戦いであれほど一方的に敗北するなど、噂の「魔狩りの戦士」たちも大した事はない。
馬の去って行く様子を見ながら、そんな風に考える。
「誰だよ『上級魔神をも退ける聖騎士』とか言っていた奴は、噂に尾鰭を付け過ぎだろう」
ま、奴らが聖騎士の中でも一番の格下だとしたら納得だが。
そうは言っても、あの半人前と(中級魔神に)考えられていた女神官から、召喚魔法を手に入れられたのは幸運だった。
これからは、いざという時は「光の精霊騎士」を呼び出して戦いに参加させる事もできる。魔力の消費も大きく、召喚魔法自体の術式も複雑だが、手に入れた青い宝石の触媒を使用すれば比較的簡単に召喚をおこなえるのだ。
ドナッサングの街まで十数分の距離を徒歩で向かう。街道にも街の周辺にも人の姿は見当たらない、街への入り口となる門の前に番兵らが居るだけである。
彼らは周囲を警戒する事もなく、街に入ろうとしている荷車から金を徴収しようとしているところだった。
「通ってよし」
俺がギルドの依頼書を見せると門番は、ふてぶてしい口調で言い、顎で門を指し通るよう促す。
もはや腹も立たない。俺の目には彼らは生きた死体、あるいは害虫と変わらなく映る。──ここはそんな害虫たちの街。あるいは生ける死者たちの街なのだろう。そう考えれば腹も立たない、むしろ自分が異邦人なのだから。
宿屋に戻る前に戦士ギルドに向かい、依頼を取り消した。理由を聞かれたりする事もなく、受付はあっさりと依頼の取り消しに応じる(依頼書の発行費用は取られる)。──最初から、一人の(街の外から来た)冒険者に期待をしていないのだろう。死んでも問題ない、くらいに考えていたのではないだろうか。
戦士ギルドを出た俺は、夕食を食べる店を探しながら通りを彷徨き、清潔そうな店を探し出すと、そこでゆっくりと食事を取る事にした。
まったく、酷い一日だった。
中級魔神と対峙する羽目になったのもそうだが、魔狩りの連中の罠に嵌められるとは。危うく奴らに捕われ、拷問だの処刑台だのといった、非人間的なものとかち合うところだ。人間の邪悪さと言ったら、魔神や妖魔とどっこいどっこいのものだからな。
特に自分が正しい、正義だと思い込む者たちの悪辣な振る舞いは──これを生み出した者が神聖な存在であるなどと、誰が思うであろうかというほどだ。奴らの腐り果てた精神と魂が人間特有のものだと言うのなら、俺の精神と魂は、冥界の闇を照らし出す──光り輝く理性の輝きだ。
料理を乗せた皿を持って来た給仕の少女に葡萄酒を注文し、彼女にも銀貨を受け取るように言うと、彼女はにっこりと微笑んで下がって行く。
それにしても、魔神ベルニエゥロの配下があれほど強く、魔術や魔法についても広範な知識を持っているとは思わなかった。いや──元々は人間の扱う魔法や魔術といったものは、彼ら上位存在の使う力を人間用に、あるいは物質界用に縮小したものであると考えられる。
中級と言っても、相当な力を持つ魔物であった。あの強靭な肉体と回復力──あれを倒す為に、魔神に効果のある魔法などを手に入れる方法を考えるべきだろうか。
今日手に入れた「光の精霊の守護者」なら、ある程度は役に立つが……おそらく、あの強力な一撃を受ければ光の精霊の装甲では、二撃ともたないだろう。
給仕の少女が葡萄酒の入った木製の器を持って来たので、それを受け取りながら──魔法や魔眼についてもう一度、真剣に考えてみる必要があると思い直す。
魔眼によって結界や障壁を捉える方法や、敵の弱点を探るなど──そういった使い方もできるはずだ。古い文献に書かれていた魔眼に関するものを、記憶の中から引っ張り出してみる。
『……けだし、魔眼の力とは<認識の拡張>のみならず、我々の魂の拡張を促す道具でもあるのではないだろうか。我々は未だ小さく、狭く、籠に捕われた鳥のようである。我々の魂を取り巻く戒めを破り、上位なる者に近づくべき我々──魔術の極みを志す者は、逡巡せずに険しき道に飛び込むべきなのだ。
例え、その為に自らの帰るべき場所を失おうとも、我々は進むべき道を目指して、ただひたすらに突き進むべきなのである』
これを書いた者は──そうだ。「異端の魔導師」と呼ばれる事になった魔術師(この書物を書き記した時は、まだ異端者とは呼ばれていなかった)の書いた書物だ。今では、この書物は禁書として燃やされるか、隠匿されているのだが。運良く俺はその書物に目を通す事ができたのだ。
「そうだ、魔眼を有効に扱わなくては。魔眼を手に入れて終了、ではない。この魔眼が俺に新たなる道筋を与え、そして俺は自らの意識や力を、より大きなものへと変質させて行くのだ」
そう強く想うと、食事に手をつけながら夜になる前に、いくつかの魔術的な活動をしておこうと決めるのだった。




