テスカルブトールギルドの依頼
残念ながら『北方氷原説話集』に載っている封神器についての話に目新しいものはなかった。
もう一冊はキオロス島の宗教についての冊子だった。かなり古い書物の写しらしく、各章ごとに写本の編集に携わった者の名前が載っていて、それぞれが付け加えた内容や、事実と異なる部位を省いたりした変遷が書き記されていた。
『キオロス大陸の信仰』と題された冊子の最初の方に、キオロス島のだいたいの地図が載っていた。それによるとキオロス島の北側はかなり広く、現在のノーアダリス大陸を中心とした地図と比べると、キオロス島の面積は相当に大きな物として描かれていた。
「いったい誰がキオロス島の大きさを調べたと言うのだろう」
そう思いつつ地図の隅に書かれた文章を見た。
そこには「これは巨人から伝えられたというキオロス大陸の地図を写した物である」と記されていた。
数頁に目をとおして見ると、巨人たちがキオロス島の事を「ウォルガルフ大陸」と呼称していたところから、この冊子の表題も「キオロス大陸」と表記している、と書かれていた。
この冊子に書かれている信仰とは、巨人から伝え聞いた「氷河の神ウォーデン」や、キオロス島に暮らす人々の間に雪原の支配者として広まっている、「氷雪の女神アロシヴィス」に関連する信仰などがあるようだ。
氷や雪に関係する霊的存在が祀られた祠なども建てられたりするようで、過酷な環境で暮らしている人々の中に生まれる死生観がそのまま、信仰の対象として具現化されているものもありそうだ。
氷河近くには氷の精霊が存在するともされ、そうした霊的存在が恐怖の対象となり、やがて神格化された例もあるだろう。
北方人の間にある信仰のすべては凍てつく寒さに関係する、自然への驚異の念から発生したものなのだ。
彼らが生きるも死ぬも、その自然の力を受け入れずして成し得ないものだからだ。
凍てついた大地で生活する人々の信仰の中心には、冷気との戦いと共存という命題が存在するのだ。
そうした調べ物をしていると、不意に小さな部屋にノックの音が響いた。誰かがドアを叩いたのだ。
本から必要な知識は得られたので立ち上がると、本を手にドアを開けた。そこには受付嬢の一人が立っていた。
「よろしいでしょうか」
「なにかな」
「ギルド長がご相談したい事があると、あなたを呼ぶよう言われました」
「……分かった、行こう」
俺は本を受付嬢に手渡し、二階にあるというギルド長の部屋に向かった。
受付嬢の様子から、ギルド長がなんらかの危機感を持っているのが伝わってきた。
階段を上がり、廊下を歩いて目的の部屋に向かう。堅い木の床板を踏みながら進んでいると、事務室らしき部屋のドアが開き、中からギルドの職員が出て来た。
「赤鉄のレギスヴァーティさんですね? こちらです」
同年代くらいの男はそう言うと、慌てた様子で先を歩き出す。その後ろを追って一つの部屋に入った。
暖炉のある室内は暖かく、部屋の奥に大きな机があり、そこには大柄な男が椅子に座り、近くに居る職員と真剣な様子で話している。
俺を案内した職員も男に近づき、手にしていた紙を机に置いて部屋を出て行った。
「レギスヴァーティだな?」
椅子に腰かけていた男がこちらを値踏みするように見ながら言った。
質の良い雪狼の毛皮を使った襟巻き付きの外套を着込み、鋭い眼差しを持った中年の男。
頬骨の張った、厳つい顔をしたギルド長は二度ほど頷くと、部屋の隅に置かれた低いテーブル席に座るよう示した。
「用件は?」
俺は立ったまま尋ねながら、壁に架けられた絵に視線を送った。
そこには大きな白い熊と向き合う、六匹の雪狼の姿が描かれていた。離れた場所から見ると、ただの白一色のように見えるが、よく見ると白い背景から浮き上がるようにして、二種類の生き物たちが互いの生存を賭けて威嚇し合っている姿が見えてくる、不思議な絵画だ。
「つい先ほど、ギルドに一人の冒険者が駆け込んで来た。そいつはここから西の町にあるギルドの依頼を受け、テスカルブトールとの間にある古い砦に向かったそうだ。
その古砦は冒険者や狩人が狩りをする時にたまに使われるくらいの、ほとんど廃墟になっている建物だが、そこで死霊術師の襲撃を受けたという」
「死霊術師──。禁忌の力に傾倒した魔術師崩れですか」
「それも、かなり危険な技量を持った術師であるようだ。強力な戦士の死霊を従えているだけでなく、何頭もの雪鬼狼の死霊を操るだけの力を持っている」
俺は少し考えた。ギルド長の報告だけ聞くと、俺だけでもその死霊術師の相手はできそうだったからだ。
こちらは幽鬼兵を喚び出せるのだ。ただの死霊などよりも遥かに強力で、しかもそれなりの数を喚び出せる。
──そう考えていたが、ギルド長は言葉を繋いだ。
「むろん、おまえ一人に任せるつもりはない。できる限り人手を集めよう。少なくとも鉄階級の戦士数名に、魔法使いや神官もつけるつもりだ」
しまった、こちらから「一人で構わない」と言い出す雰囲気ではなくなってしまった。
それと同時に、ギルド長の意見がもっともだと思われた。たった一人の人間が、複数の死霊を操る死霊術師を相手にするなど、普通に考えればあり得ない事だ。
「そうですか。それで、いつ出立しろとおっしゃるのですか?」
「それは引き受けると取っていいのだな?」
彼は念を押してきた。
俺はいかにも「報酬しだいだな」というような顔をして頷く。
「それにしても、どうしてこの話を俺に? 他にも冒険者は居るだろうに」
「あいにくですが現在、赤鉄以上の冒険者は、すべて出払っているのです」と、ギルド長の横に居る職員の男が説明した。
その男が言うには、迷いの森に向かう途中にあった砦。そこに物資を届けに行った御者から、優れた戦士に関する報告がギルドに届けられたのだという。
たった一人で迷いの森がある西に向かった男の姿は、御者の心に強く印象づけられたらしい。
それを崖上のギルドに戻って来た時に受付に話したものが、崖下のギルドにまで届けられたという。
「我々は優れた戦士の情報は鋭敏に仕入れるよう、不断の努力を重ねていますので」
ギルド職員はそう自負して言った。
「それで、いつその古い砦に向かう?」
「今日は宿屋でお休みください。部屋はすぐ手配しましょう。明朝一番に馬車で砦の近くにある渓谷までお送りいたします。回復薬や聖別した銀の剣も用意させます」
ギルドは対死霊用の武器を用意しているらしく、それを貸与すると言ってきたが、俺は断った。回復薬はもらうが、死王の魔剣以上の効果を期待できる武器など、そうはない。
具体的な報酬額を提示されたので、俺はそれに一つ条件を付けた。
「報酬の受け取りは東の町でできるようにしてくれるか? 俺はこの件が片づきしだい、北に向かいたいんだ」
「そうですか、それならモーゲンのギルドに報せを届けておきましょう」
「よし、話はまとまったな。明朝まで宿で休んでくれ」
ギルド長は宿屋の手配をするよう言って、職員を送り出した。
俺はギルド長の執務室を出る前に、気になっていた事を尋ねてみた。
「そろそろファーレーフという冬の嵐が来そうだという話を聞いたのですが」
「確かにな。風の強まりからすると、明日の夜には吹雪いてくるかもしれん」
だから早めに決着をつけたい、という気持ちが顔に出ていた。その表情から冬の嵐の過酷さが、なんとなく想像できる。
「では明朝砦に向かい、死霊術師を討伐してきましょう」
「よろしく頼む」
本当は一人で向かいたいところだが、あまり実力を示し過ぎるといらぬ疑いをかけられたり、困難な依頼を任される事になるかもしれない。面倒だが他の冒険者と共に行動する方がよさそうだ。
それにしても嫌な予感がする。明星の燭台の連中が今回の件に絡んでいるんじゃあるまいな。
戦士ギルドを出ようとすると、一人の受付嬢が声をかけてきて、宿屋の場所を伝えてくれた。
俺はギルドを出ると、教えてもらった宿屋に向かって、強い風が吹く通りを歩き出した。
大通りから道を横に入った先に宿屋があり、それはなかなか高級そうな外観をした建物だった。
三階建ての宿屋は石造りの建物で、入り口は建物の内側に入り込んだ構造になっている。
木製の大扉を開けて中に入ると、中は広々とした広間になっており、待合室と一体となった受付が先に見えていた。
入り口の右側にある待合室には暖炉があり、テーブル席がいくつか置かれていた。そこに数人の客が座り、酒を酌み交わしていた。
身なりや年齢からして、他の町からやって来た商人たちであろう。彼らはやや深刻な様子で酒を飲み、風が弱まる事を願っている、といった事を口にしていた。
商人の声に注意を向けながらも、俺は受付に歩み寄り、紳士然とした中年男と視線を合わせた。
「いらっしゃいませ」
「戦士ギルドからここに泊まるよう言われたんだが」
「それでは階級印章をお見せいただけますか?」
俺が赤い階級印章を見せると男は名前を確認する事はせず、「レギスヴァーティ様ですね。伺っております」と応えた。
とんとん拍子に話が進み、部屋に案内された俺は二階の暖炉がある部屋にとおされた。一人部屋にしては大きく、窓には木製の戸が嵌め込まれ、外気を遮断する作りになっていた。
「さてさて、厄介な話に巻き込まれたものだ」
俺は寝台に横になりながら独りごちた。
たまたま立ち寄った戦士ギルドで死霊術師の討伐に参加させられるとは。──報酬の提示額はそのぶん割高だったが。
禁忌の魔術に手を染めた死霊術師は、危険な敵としてギルドに認識されている。これを倒すのは、ギルドに籍を置く階級の高い戦士にとって当然の義務だと考えられている訳だ。
死霊術師の危険性は動乱の時代に証明されている。
戦場で倒れた敵兵の死体を蘇らせ、寝返らせる事ができるのだから、戦場においてこれ以上に恐ろしい技術は存在しないだろう。
だがまあ、俺はそうした死霊術の中でも最悪な、死霊の王との戦いを経験している。
それも軍勢を配備した死霊の王と戦って、俺は生還している。あれ以上の死霊の軍勢との戦いはもうないだろう。
無数の、それも死霊の王によって次々と復活する死霊の群れを相手にした俺にとって、人間の死霊術師など、死体遊びをする子供のようなものだ。──というのは言い過ぎだろうか。
「まあ、舐めてかかるつもりもないが」
今回の件が明星の燭台が関係しているものなら、死霊術師の力だけでない可能性もあり得る。
邪神とも繋がりのある連中が関わっているとなれば、危険は倍増すると言っていい。
「明日の戦いに備え、準備をしておくか」
俺は寝台に横になるとすぐ、魔術領域に意識を送り込んだ。




