鍵の掛かった部屋の罠
次の部屋に入ろうとすると、その部屋には鍵がかかっていて──中に入る事はできなかった。携帯灯の明かりでドアを良く調べてみると取っ手が他の物とは違って、銀でできた豪華な造りになっていた。
「もしかして……」
胸元から人形の持っていた銀の鍵を取り出し、鍵穴に入れて回してみると──ガチャリ、と音を立てて鍵が外れた。
何故、この部屋だけに鍵をかけていたのか。そうした事を考えながら、慎重にドアを開け部屋の中を明かりで照らす。
そこは執務室の様な作りだった。部屋の奥に机と椅子があり、部屋の左右に本棚や様々な道具が置かれた棚がある。それらを見ていると、この部屋が魔術師の工房だと、遅まきながら気がついた。
迂闊に触らなくて良かった。探知魔法には特になにも反応はないが、置かれている物に罠が仕掛けられている可能性は充分にあり得る。長い年月のうちに、魔力が失われてしまうような事がなければの話だが。
机の上に置かれた紙が気になって近づいてみると、急に探知魔法に反応が現れ、びっくりして後退った。
突然机の端に置かれた水晶らしい結晶が輝き出し、暗い部屋を目が眩むほどの光で包み込んだ。ゴワゴワ、ゴウゴウと聞き慣れない音が──壁や天井、床やドアから鳴り響いてきて、俺は耳を塞ぎながら恐怖と混乱に対峙し、目映い光の中で立ち尽くしていた。
*****
しばらくすると光の嵐が過ぎ去り、自分は薄暗い部屋の中に居た。携帯灯を床に落としてしまったが、拾う事はできなかった。何故なら携帯灯は、そこには無かったからだ。
それだけではない、部屋の構造もまったく別の物──、空気すら違う別の場所に来ていたのだ。
目が慣れてくると薄暗い部屋の奥にカーテンがあり、窓の外からうっすらと光が差し込んできていた。部屋の中には机も棚も無く、灰色の石が剥き出しの冷たい壁と木製の天井があり、床には白い円形の魔法陣が書かれていたが、その一部は滲んでしまい──文字であった場所も、読み取れなくなるほど崩れてしまっていた。
まさかと思いながら窓に近づき、カーテンをめくると──そこには、美しい庭園と広い庭、離れた場所に灰色の大きな城壁が見えた。窓の隙間から入ってくる風は冷たく、半袖と革の籠手だけでは震えが出るほど寒かった。
どうやら魔術師の研究室から転移してしまったらしい。それも季節が逆転するほど遠い場所か、時間的に進んだり、戻ったりしてしまったのかもしれなかった。混乱した頭を一度落ち着けて冷静さを取り戻す為、持っている物を確認する。
背負った荷袋に腰から下げた魔剣や、革帯に付けた小物入れなど、身に着けていた物はすべて失わずに持っていた。それらの持ち物があるのを確認すると、少し落ち着く事ができた。あとはここがどこなのかを調べ、いま居る建物から脱出する方法を探らなくてはならない。
室内や窓の外を見た感じだと、ここは人が手入れをしている事が窺える。そして室内の壁や城壁の様子から見ても、ここが元いた場所とは、まったく違う場所であると結論づけた。
つまり今の俺は、不法侵入した怪しい人物であるのだ。誰かに見咎められれば、そのまま衛兵などに捕らえられるのも充分に考えられる。なんとも厄介な事に巻き込まれたものだ。
冒険の先に待ち構えていたものが、転移魔法からの不法侵入で投獄では、あまりに浪漫の欠片もない。
しかし高度な技術を必要とする転移魔法が、何故この建物に通じていたのか。そして足元の消えかかった魔法陣が、その転移先を示していたとすれば──、あちらの魔術師の部屋にあった物と繋がりを持っている者が……いや、待て、それはおかしい。
俺は室内の様子や外の風景から、まったく別の場所に来たと考えたが、あの無人の廃れきった廃墟は、数年や数十年の放置状態ではなかったはずである。ましてや、あの邸宅で手に入れた本には、古代の文字が書かれていたのだ。もちろんその本だけが古代の物で、その他の物はそれほど古くはなかったのかもしれない。
しかし、数百年の間放置されていた場所と、この人が住んでいると考えられる場所が、どうして繋がり得たのか。何故、あの狂気に満ちた絵が飾られていた邸宅が放置され、こちらの建物には手入れする人間が居るのか。いやそれ以前に、あちらの黒曜石の城壁といい邸宅といい、それらの構造物は明らかに人間の創造した物とは考えられなかった。あの黒曜石の異形の建造物と、こちらの建物では──まったく違うのだ。
例えて言えば、こちらは人が住む建物であり、あの黒く禍々しい建造物には魔物が棲んでいる、と言った具合だ。
いつの間にか効果を失っていた探知魔法を、もう一度使って辺りの様子を窺う。壁も貫いて周辺に存在する生物の姿を探すと、下の階に人の姿が見えた。白っぽい人影が三つ確認できる。
この建物もかなりの大きさらしいが、人の姿は三人しか見当たらない。いま自分が居る階は二階で、この屋敷はあの黒い邸宅と同じで二階までしかないようだ。
ドアを開けて通路に出ると、左右に延びる廊下には赤い豪奢な絨毯が敷かれ、壁に取り付けられた設置型の角灯が、所々で光を放っている。
……その通路の様子を見て違和感を覚える。頭の中に沸き上がる疑惑に、胸がざわつくのを感じる。
俺はその胸騒ぎの正体を──この屋敷の姿を確認する為に、廊下を進んで階段の横を素通りし、さらに奥の突き当たりまで来ると、すぐ近くのドアを慎重に開いた。
薄暗い通路に部屋から漏れる光が差し込み、開かれたドアの先には、光に満ちた部屋が現れた。流れてきたのは絵の具の匂い。──そして光の正体は、丸みを帯びた天窓から差し込む日の光だった。
「まさか、あの邸宅がここなのか」
壁に触れて確かめてみるが、それはざらついた灰色の石壁であり、あの禍々しい黒い壁とは、まったく違う材質である。
ではあの黒い──黒曜石の建物は、いったいなんだったのか。まさか本当に時間を飛び越えてしまったというのか、秋へと向かう途中の、まだ暖かい季節だったのが、いま居る場所では、まるで冬から春へ向かっているかのような、真逆の状況に変化しているのだ。
混乱する思索の流れを断ち切ったのは、天窓から見える空の様子だった。日の光の射す青空であるはずなのに、空は灰色にくすんでいるのだ。天窓から降り注ぐ日の光は、明るい白色であるのにもかかわらず、空は濃い灰色の雲が浮かぶ奇怪な空模様である。
しかもそれらは、まったく動こうとしないのだ。時間が止まってしまったかの様な灰色の空は、俺の不安を掻き立てた。
不吉な予感を胸に通路に戻ると、一階に居る白っぽい人影の反応を確認しに行く事にし、階段に向かって歩き出す。
探知魔法で確認しながら注意深く周囲を見回していると、一階の様子が段々分かってきた。やはり三つの影はぴくりとも動かない。
いよいよ、このおかしな屋敷の不気味な物、あの黒い異様な邸宅そのものであると認識し出すと、周囲の壁すら気持ちの悪い化け物の胃袋かなにかで、侵入してきた者を捕らえて、じわじわと消化してしまうのではないかと考え出してしまう。
階段を下りながら、人影のある大きめの客間らしき部屋へと向かう。暗い通路を歩いて部屋に近づくだけで、嫌な予感に──吐き気に似た胸のむかつきを覚える。
何故なら重なり合って見えた人影の姿が、一階から見ると一人が立ち、残りの二人は床に倒れ込んでいる、または立とうとしている所に見えるからだ。
そして立っている人影は、立ち上がろうとしている影に対して、腕を振り上げたまま硬直しているのだ。部屋の前に来ると気持ちを一度落ち着けて、丸い取っ手に手をかけた。
するとどうだろう! 部屋の中から女の絶叫が聞こえてきたのだ。そっと取っ手を回した矢先の事だ。俺は胸の内に沸き上がる恐怖と、それを確認したいという欲望を強く感じていた。奇妙な事だが胸のむかつきと同時に、強い興奮も覚えていたのだ。
俺は取っ手を音を立てないよう慎重に回して、そっとドアを押して部屋に足を踏み入れる。
部屋の中は赤く染まっていた。テーブルの近くに倒れた椅子が散乱し、二人の女が床に倒れ込んでいるのが見える。そのどちらも絶命しているのは間違いない。
倒れた女たちを前に、血の付いた、湾曲した片刃の剣を手に持つ男が一人立っている。朱色や橙色の豪奢な法衣を身に纏う男。
その男は肩で息をしながら、床に転がっている二つの死体を見下ろしている。
こちらに背を向けているが、入り口に立っている男が居る事に最初から気づいているみたいに、くるりとこちらに向き直った。
返り血を浴びた男は俺だった。服装や髪型は違うが、顔立ちは俺に瓜二つなのだ。
そいつは俺には分からぬ言葉で何事か呟くと、殺気を孕んで一歩踏み出して来た。白っぽかった人影は今、真紅の攻撃的な──いや、明らかな殺意の塊と化して、こちらに向かって来ていた。
この奇怪な状況に、俺は躊躇う事なく部屋の中に向かって進み出ると、腰から下げた魔剣を抜き放ち、向かって来る自分と同じ顔の敵に向かって剣を構えた。