魔術師たちの罠の中へ
「やはりか」
邪霊を支配している魔術師が居るのだ。
それも三人。
一人が今の邪霊を操っているとすれば他にもなんらかの罠が待ち構えていると考えておく方がよさそうだ。
それに、魔法陣の中に横たわっているあれは……死体ではないか?
三人の魔術師からは生命反応が読み取れるが、横たわっている人物からは生命反応がない。
(たった一つの死体を用意して、死霊術でも行使するつもりか?)
そんなものが脅威になるとは思えないが──、油断はできない。
邪霊を操るほどの技量を持つ術師が居るのだ。どんな手管を用意しているか分からない。
森の奥に向かう足が重く感じられる。迷いの森の深部から漂う淀んだ空気。そこには不穏な気配が潜んでいた。
("明星の燭台"の連中に違いない)
俺が迷いの森を訪れるのを待ち構えていた魔術師たち。いったいどのようにして俺の行く先を読んだかは知らないが、直接三名の魔術師を送り込んで来たのなら、ここで俺を仕止めるつもりなのだ。
大がかりな魔術を用意している可能性は高い。
それがあの魔法陣と死体だとするなら、やはり連中は危険な魔術に造詣が深いのだろう。
死の世界との繋がりを感じさせる奴らの動きには不気味なものがあるが、いまさら背を向ける訳にはいかない。
俺は邪霊の誘い込む森の奥に向かって駆け出した。
開けた森の空間に辿り着くと、そこで邪霊が魔法に集中するのが見えた。
膨大な魔力の波動を背負い、いきなり森の狭間に暴風を吹かせてくる。
奴の発した言葉も聞き取れないほどの突風が吹き、鈍い紫色に光る刃が飛んできた。
「くっ!」
魔剣でその風の刃を斬って落とす。
紫色の刃に魔剣の刃が食い込むと、烈しい金属音を響かせ、まるで重い剣の攻撃を弾いたような感覚が腕に感じられた。
ビュゥンッ、ビュゥンッと、続けて魔風の刃が飛翔して俺に襲いかかってくる。
鋭い風の斬撃を打ち落としながら邪霊に向かって歩を進めようとすると、開けた地面に描かれた魔法陣が光り始めた。
暗い赤色の光を沸き立つように発し、ブォン、ブォンという不快な音が魔法陣から聴こえてくる。
三人の魔術師は魔法陣に向かって手を翳し、呪文を唱えているようだが、その声は俺の耳には届かない。
邪霊が魔法陣の上で浮遊していると、突如青い炎を噴き上げ、バチバチと音を鳴り響かせながら、魔法陣の中央にある遺体の中に吸い込まれていった。
だが──それだけでは終わらなかった。魔法陣の暗赤色の光が鋭く伸び、それが魔術師たちの胴体を貫通したのだ。
生き物の触手のように伸びた太い光が、魔術師たちの体をいとも簡単に持ち上げていく。
「な、なぜェ……」
邪霊と繋がっていた魔術師の口から、かすかにそんな言葉が漏れたのが聴こえたが、すぐにその口から大量の血があふれ出し、絶命した三人の魔術師の体が魔法陣の中に引きずり込まれていく。
赤く発光していた魔法陣から青や紫色の炎が噴き上がると、中央に置かれていた死体がふわりと起き上がるのが見えた。
まるで何者かの手が死体を掴んで起き上がらせたように。
するとその死体は痙攣を始めた。
気味の悪い動きで宙に浮き上がった死体に、三人の魔術師の死体から燃え上がった炎が混じり合う。様々な色が生まれては消えていく、異様な光景が目の前に広がった。
絡み合う暗い色をした光の中でぶくぶくと膨れ上がる物があった。明滅する光が弾けると、魔法陣の中央に巨大ななにかが現れ、魔法陣が炎を噴き上げて消滅した。
薄紫色を宿した灰色の皮膚をした巨大なもの。
それは四つん這いになった赤子のように見えた。──ただそれは、俺よりも遥かに大きな物だったが。
赤子の頭には四本の短い角が生え、先の尖った耳を持っていた。
それはたったいま生まれ落ちた、邪神の眷属。
地面についた両手両足から紫色の火がメラメラと燃え立っている。生まれたばかりのその怪物に、邪悪な神が力を注ぎ込んでいるのだろう。
巨大な赤子は上体を起こし、短い腕を広げると、誕生の産声を上げた。
「「ぅォギャあぁアァぁあァ……!」」
森中に響き渡る不気味な咆哮が耳をつんざく。
……それはなんとも醜い怪物だった。
赤子特有の太く短い手足。今やその手足は邪悪な力を注がれた影響で黒い鱗に包まれ、指先には赤黒い鉤爪が生えていた。
それは天に向かって咆哮を上げ終えると、ずしんと両手を地面に叩きつけ、頭を下ろしてこちらを見た。
黄色に光る大きな眼を持った怪物。
そいつの顔つきは赤子の物でありながら、憎しみや悪意に染まり、狂気に満ちた顔つきをしていた。
「「ぉォオオォッ、……ォまェはぁ……!」」
怒りとも恐怖とも取れるような顔をして、こちらを指差している。
気味の悪い顔。赤子らしい丸みのある顔だが、その表情には明確な意志が宿っていた。
「「ぉォ、ぉォオォッ、ぉっ、おマェッ、れッ、れギィぃイィ……!」」
「なに?」
そいつは思わぬ言葉を発した。──明確に、俺の名を口にしたのだ。
「お前────、アボッツか」
巨大な邪神の赤子に解析魔法を掛けて調べると、それの元となった死体は、アボッツ・スタルムの物だった事が判った。
「────ハッ! まさか"明星の燭台"の連中は、わざわざお前の死体を回収し、こうして俺に突き合わせる為に、ここまで死体を運んで来たってのか。──ご苦労な事だ」
思わぬ再会に、俺は笑いながら顔を覆う。
まさか俺にアボッツを殺させたのは、この為だったというのか。
復讐という名目を使って死んだ者を復活させ、邪悪な儀式によって邪神へと変えたのだ。
アボッツほどの悪意に塗れた魂の持ち主なら、儀式の成功は約束されたようなものだったろう。
俺への復讐を餌に、奴は人間である事を棄て去り、邪神の眷属へと鞍替えしたのだ。
不死者と邪神の魂を掛け合わせた、新しい怪物として。
「ハァ────ッ、ハッハッハッハ!」
「「ヌァ、ヌぁにガおかシぃ──ッッ!」」
失笑した俺に、生まれたばかりの邪神が吠えた。
笑い続ける俺を見て、さらに苛立つ怪物のアボッツ。
「これが笑わずにいられるか!」
俺は魔剣を握りながら変わり果てた学友──いや、怨念の塊となった愚かな不死者を睨みつける。
「お前の無様さは知っているが、その姿はなんだ? 貴様は爵位どころか人間としての尊厳も失い、怪物として生まれ変わった! それも、お前に相応しい赤子の化け物にな!
頭の中身が赤子の頃から変わらぬお前には、その姿はお誂え向きという訳だ!」
俺の嘲笑に赤子のアボッツが声を上げて怒り狂い、腕を振り回し、足をばたつかせて森を震わせる。
「「ぅゴォぁあァアアァッ!」」
どずん、どずんと、巨体をもって俺を踏み潰そうと迫ってくる。
四つん這いで迫る巨体の横に回り込みながら、体を支えている腕を魔剣で斬りつけた。
黒い鱗に守られた腕だったが、その鱗を引き裂いて赤子の肌に魔剣の刃が食い込んだ。
傷口から青紫色の血液が流れ出たが、傷口はあっと言う間に塞がってしまった。
しかもアボッツは、痛みをまったく感じていない様子だ。
「「ぐワァはハッはっハっはァ! そんなもノは痛くも痒くもなァい! オでは──おでハ、不死身にナッたのダぁ」」
そう言いながら大回りしてこちらを振り向いた。その巨体と短い手足では、機敏には動けないだろう。
邪神に唆された時の言葉を口にしたらしいアボッツは、膝立ちになって膨れた腹を叩き、喜びを露わにする。
「それはおめでとう。自分の力ではなにも成せず、生まれを誇る以外の道を持たなかった弱者のお前に、相応しい末路だな」
「「ぶぅォあぁアァぁッ!」」
不気味な赤子は口から毒気を吐き出し、俺に浴びせかけようとする。
毒気を風の魔法で瞬時に弾き返し、暴風と風の刃で赤子の体を切り裂いていく。
「「ぅボぼぼァアぁぁァ!」」
剥き出しの上半身に無数の傷口が開いたが、それらの傷もすぐに塞がった。
風圧で体を仰け反らせた赤子だったが、両手を地面に叩きつけ、黄色い眼を不気味に光らせながら、邪悪な笑みを浮かべる。
段々とこの化け物の中にあるものが、アボッツなのか邪神なのか、曖昧になってきたようだ。
この邪神を作り出した魔術師たちはそもそもアボッツなど、端からどうでもいいのだ。アボッツの魂は材料の一つであり、奴の人格がどうなろうと知った事ではないのだ。
邪神の体が青紫色の光に包まれた。
すると赤子の肩や背中から、なにかが生えてきた。
それは骨の大蛇だった。それが六匹。背中から姿を現し、長い胴体を伸ばして襲いかかってきた。
骨の蛇を魔剣で斬りつけると、それは思った以上に硬く、簡単には断ち切れない物だった。
「ちっ」
ずどんずどんと、地面に大蛇の頭が突き刺さる。
乳白色の骨の大蛇が引っ込むと、今度は赤子が飛びかかってきた!
俺はすぐさま前に駆け出し、赤子による巨体潰しを回避した。
森の中に重い地響きが鳴り響き、樹木がざわざわと震える。
くるりと振り返った俺は、地面にうつ伏せになっている邪神の後方で剣を振り上げ、魔剣の刃に魔神の魔力を注ぎ込む。
アボッツの背中から生えた骨蛇が、俺に向かって飛びかかってきた。
「喰らえッ‼」
魔神の魔力を斬撃に乗せて撃ち出す、魔神斬りの大きな刃が空気を引き裂いた。
接近していた骨蛇が魔神斬りの斬撃で吹き飛ばされた。砕け散った骨がバラバラになって地面に降り注ぐ。
衝撃波と共に撃ち出された斬撃が、振り返ろうとしていた巨大な赤子の脇腹を捉えた。
「「ぐぶォオおぉぁあぁァッ⁉」」
攻撃を喰らって横倒しになる赤子。
その脇腹は深々と傷口が開き、青紫色の血を噴き出した。
「「ぎょワァぁアァぁあっ! ぬァ、なゼェぇえッ⁉」」
ぶすぶすと煙を発生させた脇腹の傷は、なかなか修復しない。
魔剣から放たれた刃は、魔神の魔力によって破壊力を増し、さらに魔剣の不死者殺しの力も強化され、奴に深い損害を与えていた。
その一撃は、生まれ変わったアボッツにも、強烈な痛みを与えたらしい。




