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魔導の探索者レギの冒険譚  作者: 荒野ヒロ
第十六章 迫い縋る死の腕

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フィエジア国に広まる宗教の影

「フィエジア国のオフィアスの町まで行くよ。ピラルなら銀貨一枚。オラスなら銀貨二枚だ」

 御者はそう言って皮の手袋をした手でぱんぱんと手を叩く。

「オラス硬貨の価値が下がったのか?」

「なんだい、あんた知らないのかい? むこうさんはレファルタ教の指示かなんかで、銀貨の銀の含有量を減らしてるのさ」

「おいおい。だとしても、すべてのオラス銀貨の価値を下げるのか。以前の銀貨なら含有量は前のままだろう」

「それはおれに文句を言われても困る。フィエジアの側の状況を見れば、誰だってあっちの硬貨を持ちたいとは考えないね」


 知らなかった。まさかここ数ヶ月でフィエジアの経済が不安定になっていたのか。

「噂じゃ、あの有名な乾酪チーズの産地ブリアーとメブビルの二つの領地も、レファルタ教に買収されたんだとか」

 御者はそんな事まで教えてくれた。

「買収」と彼は言っていたが、もしかすると占領されたのかもしれなかった。フィエジアは気づかないうちにレファルタ教の軍隊である「法の剣と盾」を名乗る「秩序の兵団(レイザース・レグリア)」を国内に招き入れ、いつの間にか支配される形になっていたのかもしれない。

 フィエジアの国力が弱まっているとすれば、宗教的な支配により、民衆の言動から経済活動まで取り締まられている可能性がある。


「関税も増えて、今では商人が北に向かう事も少なくなったよ」

 商売上がったりさ、御者はそう言って俺からピラル銀貨を受け取った。

 馬車に乗り込んで来たのは市民ばかりだった。

 商人らしい男が一人乗り込んで来たが荷物は少なく、顧客の元へ品物を届けに行く様子だ。

 商人風の男からどこか不思議な印象を感じて、魔術的な認識を使って素性を探る事にした。──暇だったというのもあるが。


 魔術師の直感認識とは、多くの経験則を頼るだけでなく。無意識領域での情報とも絡み合わせて生み出す、真実に迫る直感的判断なのだ。

 男の呼吸や視線の動き、手足の動きや、座席に腰かけた状態から見えるあらゆる挙動。

 着ている服の素材や縫い目。靴などから多くの情報を集め、それらを統合して判断すると……


 ──まさかこいつ、アゼルゼストの草(密偵)か?──


 商人らしい姿を装っているが、首や肩の感じがからすると、そこそこの訓練を受けた者の特徴がある。

 なにより目の奥にある光は、目的を持った強い意志を感じさせた。


 高貴な相手に会う為の格好も、商人の用意した物にしては上等過ぎる。縫い目を見ても、相当の技術を持った手縫い職人の仕事であるのはすぐに分かった。

 着古した印象を与える色をした上着だが、生地の質は決して悪くなく、貴族と関わりのある商人といった服装だ。

 しかしその靴は、かなり周到に用意された物だと分かった。ただの旅用の靴に、氷の上でも滑らないよう靴底に特殊な革張りが施された物だった。いざという時には雪の中を逃げる算段でもしたのか。


 国境を越える前からいくつもの不安要素を馬車の中で感じ取り、俺はげんなりとした気分で他の客に目を向けた。

 しっかりとしたほろに覆われた客車には、四人の男が乗り込んでいた。

 それぞれ一人旅のようで、誰とも話そうとしない。

 全員が厚手の防寒具を身に着けていて、一人は顔も見えないくらい深々と頭巾フードを被っていた。



 ゆっくりと馬車は移動し、街を囲む壁を抜けると真っ直ぐな道を進んでいたが、しばらくすると隆起した地面を避けるように右に左にと蛇行し始めた。

 また直線の街道を進み始めた頃に犬が吠えだした。馬車を守る二人の騎馬の冒険者と、彼らが飼っている猟犬が居るのだ。

 どうやら森の近くを通った時に森の中から小鬼ゴブリンが見ていたらしい。

 冒険者たちが武器を手に威嚇すると、小鬼はなにもせずに森の奥に逃げて行った。


 そんなこんながあって、ピアネスとフィエジアの間にある関所までやって来ると、馬車はそこで停止し、通行証と積み荷を兵士が確認する作業に入る。

「ちょっとあいすみません」

 御者はそう言って後部の幌を巻き上げて、後部の出入口を開放した。どうやら兵士たちによる検問は、かなり厳重におこなわれているようだ。

 客の顔を確認しながら、手元の手配書と見比べているのだろう。幸いそれはすぐに終わり、馬車は関所の門を通過して行く。


 関所から少し離れた所で、ピアネスとフィエジアの兵士が睨み合っている状況のようだ。

 別に侵略をしようというのではないだろうが、政情不安を理由にして、国境の守りを固めているのだ。それほどにフィエジア国内はレファルタ教の介入を受けているのだと考えられた。

 つまりフィエジアの兵士たちは中央から遠ざけられて、国境の警備に回るよう指示されているのだ。

 軍隊を抑えられたに等しい状態にまでなっているとすれば、フィエジアは近い内にレファルタ教に乗っ取られるだろう。それはある意味でジギンネイスに占領されるようなものだ。


(これは思っていた以上に奴らの広まりが早いと考えるべきだな)


 もしフィエジアの貴族が彼らの横暴に抵抗しなければ、あるいは国王がレファルタ教を拒否しなければ、ほとんど争う事なくレファルタ教は支配地域を拡大できる事になる。


 ピアネスは政府の中心部に近い信者の排除を進めているようだが、民衆の中に広まる宗教思想に対抗する、自前の宗教的観念を固持できるかどうかが重要になりそうだ。


 ……なぜ自分はこんな事を考えているのだろうか。ふと我に返り、自分の目的について考え直す。


 魔神の依頼を受けて、危険な魔神(ディス=タシュ)の体──力の一部を回収するという、常人では成し得ない作業に向かっているのだ。過去のものとして切り捨てるべき人間世界の心配など、今はしている場合ではない。

 ──いやしかし、レファルタ教の危険性についても失念してはいけない。

 連中は魔術師を敵視し、自らの正義を振りかざす為に、容赦なく無実の者すらも処刑してきた。

 そんな連中に悟られぬようにしながら、奴らの拠点のあるジギンネイスにまで行かなければならないのである。


 いささか神経質ナーバスになり過ぎていたようだ。

 どちらを向いても危険なのだから、そこは覚悟を決めて自らの進むべき道を行くべきだろう。

 躊躇ためらう理由はない。今や俺は、魔神すらも退けるほどの力を持っているのだ。

 もしレファルタ教徒にこちらの素性が知られてしまったら、その時はそいつらを殺さなければならない。もし相手が大勢居たなら、その全員を殺害する。

 俺が魔神との関わりを持っている事を知られれば、レファルタ教だけでなく戦士ギルドからも追っ手がかかるだろう。

 俺の秘密に触れてしまった者には死を与えなければ。

 俺はその決意をしながら、御者が閉めようとしている幌の隙間から外を眺めた。


 そこには先ほどのアゼルゼストの間者らしい男と、兵士が話し合っている姿があった。荷物を見せ、身分証のような物を呈示しているらしかった。

 御者がそれに気づくと、早く馬車に乗るよう声をかけ、兵士と話をつけようと向かって行った。


 しばらくすると男は戻って来て、客車に乗り込んで来た。怪しまれていたのではなく、どうやら持っていた品物が特殊な物だったかなにかで、兵士も困惑していたのだ。


 再び馬車が動き出すと関所の門を抜け、北に向かう街道を進んで行く。──こうして俺はフィエジア国の領土に入ったのである。




 暗く狭い客車の中で揺られる数刻。

 そろそろ乗客たちが凍え始めたという頃に、馬車はオフィアスの町に着いた。

 馬車から降りて空を見上げると、空には白い川がかかり、上空に吹く強い風によって雲が細く流れて行く。

 夕暮れの手前と言った時刻だろう。ここで馬車を拾ってさらに北に向かえば、今日中にはフィエジアの中央部くらいには行けるかもしれない。


 フィエジアは横に長い領土を持ち、西と東の小さな面に海と港を有している。東の海はウーラ、ユフレスク、そしてピアネスの領海に面した内海であり、時期によっては流氷が流れて来る事もあり、船での通航ができなくなる。

 ピアネスの港から船でウーラ国に入り、そこから西に向かってジギンネイスに入る経路ルートでもいいのだが、今回の目的地がジギンネイスの北西にある場所なのだ。東から入ると遠回りになると考えた。


 オフィアスの町を歩く市民を見ても、ここが他国の侵略を受けたとは感じられなかった。レファルタ教の思想的流布がどこまで彼らの中に浸透しているかは見ただけでは分からない。

 道を歩く人の姿は少ないような気もする。税の取り立てが厳しくなったり、あるいは物価が高騰するなどの変化があったのかと考え、街道沿いの商店を覗いてみたが、著しい値上げがされているといった事はなさそうだった。


 馬車の停留所を求めて北側にある門まで行くと、その手前にある街道沿いの広場に馬車が何台か停車していた。

 この町の御者たちは皆厚着をしている。分厚い手袋や袖元に付いた兎の毛皮などで、外気に触れる部分を極力なくそうとしているのだ。


 ジギンネイスの国境まで行くにはどうすればいいかと御者に聞くと、一台の馬車を指し示す。

「そんならあいつの馬車に乗るといい今日中に国境近くの町ドルセンまで行く」

「できれば西よりの国境まで行きたいとすれば?」

「それならおれの馬車を勧めるね。こっから北西に向かって進み、夜には大きな街のアンスファルに着くからね。そこで宿に泊まり、翌日に北西に向かう馬車に乗れば──ああ、けども……」

 と御者は言葉を濁した。


「なにか問題でも?」

「ああ、北の道は雪で封鎖されているかもしれないんで。まあこの季節だと、運が悪けりゃ馬車は通れなくなるのが常だからね」

 御者はそう言いながら帽子で頭を掻き、それを被った。

「そんでどうします? アンスファルから北に向かう道の保障はできませんがね」

「そうだな、世話になろう。いくらだ?」

「あんたピアネスの人かい? ピラル支払いなら銀貨二枚でいいぜ。オラス硬貨なら銀貨四枚だ」

「やはりオラスの価値は下がっているのか?」

「ここ数ヶ月でいきなりね。もうこの国はダメかもしんねぇなぁ」

 御者はこの国に愛着がないのか、そんな言葉をつぶやき、きょろきょろと辺りを見回す。

「おっと、いけねぇ。迂闊うかつなことを言って国賊なんて扱いを受けたかねぇからな」


 銀貨を二枚支払って、御者からさらに最近のフィエジアの変化について尋ねたりしながら時間をつぶした。

 御者は思いつく限りの事を語ってくれたが、ジギンネイスの侵略があったという事はなく、ただレファルタ教の広まりは確かに多くなったと告げた。


「まあこの辺りはネシス派が多いんで、血生臭い事は起きてはないけどな……」

 そう口にすると、御者は小声で言った。

「しかしジギンネイスに行くなら気をつけな。アドン派のレファルタ教徒には狂信的な信者が多いって噂だ。実際ジギンネイスで馬車を転がしていた奴の何人かは、こっちに逃げて来てるからな」

 ただ、北西部の状況は分からないらしい。レファルタ教の広まりはあるが、国内のすべてがアドン派という訳ではないようで、場所によっては比較的安全らしいのだ。


 俺は御者に言われて客車に乗り込んだ。

 北西に向かう客は多く、今度は客車の席がすべて埋まった。

 馬車がゆっくりと進み出すのを感じると俺は目を閉じ、魔術の門を開いて作業に取り組んだ。

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