ラプサラとクーゼとアルマ
その女はライカ──いや、ラプサラ・サゥラートだった。
すぐにそれと気づかなかったのは、白い帽子の鍔で顔が隠れていたからだった。
「ああ、ライ……ラプサラか。どうした、わざわざエブラハ領に来るなんて」
「あら、あなたが商売の話を振ってきたんじゃなかったかしら?」
「まあ、それはそうなんだが」
しかし本人が来ずとも、商会の行商人に任せる事もできたのではないか。
「実はこっちに引っ越して来ようかと思ってね」と、彼女はこちらの考えている事を読み取ったように、こちらに来た理由を話し始めた。
「娼館は辞めて、商会の活動に専念すると決めたの。それで、どこかにいい空き物件はないかしら?」
「おいおい、ずいぶん思い切りよく決断したな。まだこっちの状況も理解していないだろう」
すると彼女は首を横に振りながら帽子を脱ぐ。
「そうでもないわ。行商人にはピアネスで活動した者も居たからね。それにベグレザの官僚にも根回ししてあったから、交易路の整備にどれくらい時間がかかるかとか、たぶんあなたよりも詳しいわよ」
「そうか、それはいい話を聞いた」
しかし彼女がブラモンドに住むとなるとそれなりの場所が必要だろう。ブラモンドの治安はだいぶ良くなったが、貴族や豪商の住む区画ならなお良い。兵士たちも巡回しているし、盗みや暴漢などが出た事はない。
「しかし、空き物件については分からないな。商業ギルドに行くなら、そこで聞くといい。あと、ギルドでの商談が纏まったら『ドゥアマ武具店』に行って、俺の友人であるクーゼに話を通すといい。俺もあとで向かおう」
「そう──ありがとう。行ってみるわ」
彼女はそう言うと、護衛らしい男と共に商業ギルドに向かって行った。
俺は別邸に戻ると、執事からこの辺りに空き家はあるか聞き出した。
「空き家ですか。そうですね、少し離れたところになりますが、三軒ほどあると思いますよ」
「そうなのか? いつからだ」
「一軒はもうだいぶ前から人が住んでいない状態ですな。二軒は──あなたがエブラハ領に戻られてから空き家になった、と言えば分かりますかな?」
「……なるほど。確かにな」
そうだった。スキアスと共に粛正した貴族や豪商が居た。他にも数名の名家や商人が粛正された。多くは賠償金の支払いで許されたり、領地からの追放で許されたが。数名は処刑台の露となったのだ。
「そうか、なら空きは俺が思うよりも多そうだな」
「そうでございますな。私が確認しているだけでも三軒の邸宅が空いている状態ですからな」
俺は頷いて自室に戻ると、一休みしてからまた外出の準備をし、ドゥアマの屋敷に向かった。
武具店の裏にある邸宅の扉を叩くと、使用人が顔を見せ、すぐにアルマの下に通された。クーゼが客と話しているからだろうか。
「で、なんで俺はお前の前に案内されたんだ?」
「あのサゥラートって人と、あなたの関係は?」
「関係?」
アルマの表情は固い。
ラプサラがなにか気になる事でも言ったのだろうか。
「彼女の前職の事なら……まあ、そういう事かな」
「なによ、彼女の前職って」
「……いや、なんでもない」
危なかった。危うく種火に油を注ぐ(「藪蛇」の意)ところだった。
「それよりも、クーゼのところに連れて行ってくれよ。応接室か?」
「こっち」
彼女はむすっとしたまま俺の手を引いて、通路を歩き出した。
応接室のドアを叩くと中から返事が聞こえ、俺はアルマに促されて部屋の中へと入った。
「お。来たね」とクーゼが言う。アルマはドアを閉めて部屋の中には入って来なかった。
部屋の中にはクーゼとラプサラが長椅子に腰かけて向かい合い、ラプサラの近くで護衛の男が椅子に座って待機している。
商業ギルドが用意した護衛らしく、どうも傭兵上がりの匂いのする四十代くらいの男で、腰に下げた短剣からはかなりの戦歴を読み取る事ができた。
「彼女がレギの言っていたベグレザの商会の人だね?」
「ああ、商談は成立したのか?」
「ぼくに言われてもね。彼女はもうすでにブラモンドの商業ギルドで話をつけてきたようだよ。商会の運用について取り決めをして、交易路が開通したらすぐにでも商品をこちらに運ぶという契約を交わしたらしい」
「あなたが友人に顔を通せというからここを訪ねて来たのよ。まあ、なにか問題が起きたら私たちで解決できるよう、手はずを整える契約はできたけど」
「上出来だ。なにも問題が起きなければいいが、国が違うのだからな。文化の違いで細かな対立が起こる事は十分に考えられる。そこを注意しておくだけでも違うだろう」
俺の言葉に二人も「確かに」と頷く。
「それで、商会ではどこかブラモンドの拠点になりそうな物件は紹介されたか?」
「ええ、まあ……。どうやら貴族が住んでいたような建物を紹介されたらしくて。そんなに大きな建物でなくて、適当な大きさの一軒家があればいいのだけど」
彼女はそう言って、この屋敷の大きさでは一人暮らしには大き過ぎるでしょう、と口にする。
「一階建てで適度な広さの建物となると、そんなにはないだろうな。エブラハ領の貴族たちの多くは二階建ての建物を好んで建てたがるからな」
「二階建てでも小さな物があればそこでもいいわ。暖炉と、それなりの大きさの寝室があれば」
「ま、物件が見つかるまでは宿屋にでも泊まるんだな」
俺が冷たく言うとラプサラは眉をちょっと吊り上げ、紅茶の入った茶碗に手を伸ばす。
「ところでさっき、この方の奥様と少し話す機会があったのだけれど」と、ラプサラは急に語調を変えてしゃべり始めた。
「ああ、それでか…」
「なに『それでか』って」
「いや、こちらの話だ。──で? なにを話したんだ?」
「いえ、少し気になったのだけれど、彼女とクーゼさん。そしてあなたの関係って、なにかこじれてる訳じゃないわよね?」
「いや? 特に問題はないが」
なぁ? とクーゼを見ると、友人も頷いて肩を竦める動作をする。
「そう……いえ、気のせいだったようね。ごめんなさい」
彼女は明らかに腹の中になんらかの確信を持ちながら、それを口にはしないと決めた様子だった。
「それよりセルシャナには会えた?」と、ツェルエルヴァールムの魔女の名を口にする。
「ああ、会えた。彼女は俺の知り合いの知り合いだったんだ」と、内容には触れず、用件自体も大したものではなかったと説明した。
それについてはこれ以上話さない、という俺の態度を読み取って、ラプサラは古い友人は元気だったか、という質問を投げるだけに止めてくれた。
それから俺たち三人は、ベグレザ国の事やエブラハ領の事、交易路について話し合い。エブラハ領ではどういった商品が求められるかなど、多くの事柄について情報を交換し合った。
その中で、ベグレザの戦士ギルドで巻き起こった出来事の話がラプサラの口から語られた。彼女は前以て「知人から聞いた話」だと断りを入れてから話し始めた。
「去年の事よ。ベグレザには未開の土地がまだまだあって、その内の一つである南西部の調査に向かった冒険者の一団が全滅したって。
しかもその情報を戦士ギルドにもたらしたのは一羽の伝書鳥だったそうよ。あんな誰も足を踏み入れない土地から、誰が伝書鳥を使って冒険者たちの全滅を伝えたのか、生き残った冒険者が居たのかと、騒ぎになったようね」
ああ、あの伝書鳥は役目をきちんと果たしたようだ。
彼女の知人の話によると、その後すぐに相当な数の冒険者が派遣され、全滅したとされる冒険者の遺体を回収したらしい。
俺はなにも言わなかったが、シグンの遺体も回収され、どこかに墓を作ってもらえただろうと考える事にした。
「ああ、そうだ。俺はまた旅に出るよ。今度は北の──ジギンネイスに行こうと思う」
「唐突だね」とクーゼが言表情を曇らせた。
「どうかしたか」
「あの国は魔法や魔術に対する敵意──というか、他宗教への憎悪が膨れ上がっているらしいから。ぼくは直接取り引きしている訳じゃないけど、向こうの商人とやりとりしている仲間が、強い危機感を抱いているようだった」
「ああ知っている。せいぜい気をつけるよ」
そんな話をして、ジギンネイスについての新しい情報などを聞く事ができた。
それぞれの出した話題が尽きてくると、俺はラプサラを宿屋まで案内する事になった。
「大通りにある『青月の宿』がいいと思う。あそこで問題が起きたとは聞いた事がないからね」
「この街一番のお宿だろ」
「値段もそこまで高くはないさ。まあ泊まった事はないんだけど」
ラプサラはクーゼに感謝し、いくつかの羊皮紙を鞄にしまって屋敷をあとにした。
外に出るとぱらぱらと雪が降り始め、暖炉の暖かさに慣れ始めた体がびっくりしているように感じた。
「歩いて行ける場所なのよね?」
「すぐそこだよ」
護衛たちも防寒具に身を包みながら、寒さに震えている様子だ。
宿屋まで二百歩ほどの距離だ。ラプサラは長外套に襟巻きや手袋も完備しており、寒さ対策は万全だった。白い帽子を被ると俺の横に並び、腕を回してくる。
「おい」
「いいじゃない。それとも、さっきの奥さんに見られたらまずい事でも?」
「なぜそうなる」
俺の言葉に彼女は声を殺して笑っていた。
「だってあの人、明らかにあなたに対する特別な感情を持っているようだったから」
「まあ、俺とクーゼとアルマは、昔からずっと仲良しだったからな。子供時代は毎日のように一緒に居たものさ」
その言葉で納得はしなかったようだが、ラプサラはそれ以上の言葉を口にしなかった。
まさか俺とアルマとクーゼの三角関係を疑っている訳ではないだろうが、必要以上にくっついてくる。
「いい加減離れたらどうだ」
「あら、このまま宿屋の部屋に連れて行ってくれるんじゃないの?」
などというあらぬ誘いを受けてしまう。
ここで彼女の誘惑に屈してはいけない。この街で下手な噂を立てられては、あとあと厄介だ。
「悪いが、俺は急いで旅の支度をしなくちゃならないんでね」
「ジギンネイスに行くの? 危険じゃないかしら」
俺は「そうかもしれん」と口にしたが、魔神の遣いがやって来て、北に向かうよう言われたのだ。もうそれだけで十分危険だとは 理解している。そこに加えてその目的が、「嵐の魔神ディス=タシュ」の肉体の一部の回収だというのだから──危険に決まっている。
あのラウヴァレアシュですら「危険だから近づくな」と言った魔神の王。
俺はついに、その力の一部と接触する道を歩き出そうとしている……




