狼狩りと魔神の遣い
街道の雪が解け、移動が可能になるまで数日を館の中で過ごし、魔術や魔法の研究。霊獣の楽園や神霊領域の開発など、あらゆる作業に没頭した。
レァミトゥスから得た知識を解読し、確実に自分の技能とするまで、魔術領域でかなりの時間を使用した。
錬金術の技術や霊学についての知識を学び、それを自分のものとするのはまだまだ時間が必要になりそうだ。
霊学については問題なく取り入れられたが、微妙な技術を必要とする高度な錬金術については、実技的な錬成と実験を繰り返さなければ、本当の意味で錬金術の技術を理解したとは言えないだろう。
ただ、魔法陣を使って金属を溶解させて延べ棒にする技術以外にも、武器や防具に魔法の効果を付与して強化するなどの、新たな錬成技術を獲得する事はできた。
「これは大きな武器になるぞ」
古代の技術を復元したような力だ。もしこの技術をさらに高められれば、死霊喰らいの魔剣のような武器も作れるかもしれない。
雪が降り積もる事がなくなり、春の日差しが大地を温め始めた。
大地を覆っていた雪が解け始めた頃、雪の中で眠っていた街も活動を始めた。
もちろん雪が解ける前から街の中では雪かきをしたり、街の外に雪を運び出したり。各家の中ではそれぞれ春に向けての準備をしていたのだ。
鞣し革を使って旅鞄を縫ったり、靴を作ったり、布地から衣服を作ったり。
まだ雪が解け切らない時期ではあったが、街が本格的な活動を始める前に、俺はブラモンドの街を発ち、北へと向かわなければならなくなっていた。
新たな目的を魔神ラウヴァレアシュから──正確には彼の魔神の遣いから──与えられたのだ。
* * * * *
それは雪が降らなくなって間もない頃。
街の外にある民家の近くで狼の群れが目撃され、狩人数名と冒険者数名とで狩りに出ていた時の事だ。
雪の中を歩くのに適した格好で森の中を探索していると、木陰から一匹の黒い狼が姿を現した。
この辺りの狼は冬になると、茶色や灰色(黒色)の毛から白い毛へと変わっていくのだが、そいつは白い雪の中では目立つ黒い毛を纏っていた。
俺は手にした軽弓を構えて黒い狼に向けて矢を射った。
しかしその狼は身を翻すと、飛んできた矢を口でくわえて掴み、嘲笑うみたいに矢をペッと、雪の上に吐き出した。
「おい、くそ野郎。遣いの者に向かっていきなり矢を射るとはどういう了見だ」
その狼ははっきりとした言葉遣いで文句を言った。……この辺りの狼がしゃべる事はない。というか、獣が言葉を解する事はない。
「何者だ」
俺は軽弓を下ろしつつ、警戒して短剣の柄に手をかけ、黒い狼に問いかけた。幸い近くには誰も居ない。
「俺は暗き星の王の遣いよ」
──どうやらラウヴァレアシュの寄越した、使い魔かなにからしい。
「それは失礼した。しかし、そのような姿ではただの獣と間違えても仕方がないだろう」
「ふん、それは貴様が無能だからだ。知能が低いからだ」
黒狼は罵倒し、前足の甲を使って矢をこちらに放ってきた。
その矢を受け取りながら、相手の力がどの程度のものか見極めようと魔眼を使って、密かに解析をする。
どうやら見た目どおりの存在ではないようで、魔眼を通して怪しげな極光気が確認できた。物質界では狼の様な姿を取っているが、本来はもっと強大な力を秘める魔神の眷族なのだろう。
「なにしろ狼の群れが出たというので、狩りに出ていたところだったのだ。──その姿ではな」
「ふん、まあいい。人間が愚かなのは理解している」
ずいぶんとぞんざいな口調の遣いだと思いながら、ともかく用件はなにかと尋ねた。
「我らの世界では戦いが起きようとしている。下界の事まで面倒は見切れぬようになりつつある。そこで我らの王は、おまえに協力するよう求めているのだ」
黒い狼はそう言って、これはありがたい申し出なのだぞ、とでも言う態度を見せる。
「それはどのような内容か」
「ジギンネイスと呼ばれる国の北西にある迷いの森に向かい、そこに封じられている"破滅の暴君"の体の一部を回収せよ」
「北にあるジギンネイスの迷いの森……。確かジギンネイスの北西部は隆起していて、そこは魔物や魔獣の出現も多い、危険な場所だと聞いている」
「それはおれの知った事ではない。迷いの森の奥には神殿があり、そこに肉体の一部が封じられているのだと言う。ともかくそこへ向かうのだ。なるべく早く。天蓋の神々が彼の魔神が封じられた場所を見つける前に、肉片を回収するのだ」
狼は金色に光る眼で睨み、さっさと頷け、とでも言うようにこちらを見ている。
「ディス=タシュには近づくな、という話だったが」
俺が呟くと黒い獣は苛立たしげに唸り声を上げる。
「その名を軽々に口にするとは、やはり人間は愚かだ。破滅を齎す嵐の王。荒れ狂う破壊の翼。憤怒の暴竜。──おお、禍の女神よ。怒りを鎮め賜え」
狼は呪文を唱えるように、静かな森の中で畏れを抱きながら地面に這いつくばった。
そうしてからすっくと立ち上がると、四つ足の獣はぶつぶつと文句を口にするごとく、俺に警告した。
「いいか、二度は言わぬ。強大なる五柱の王の中でも、もっとも恐るべき者の名を口にするな。あの者の名が、禍を齎さぬとも限らぬのだからな。
──ともかくおまえは北の地に向かい、彼の魔神の欠片を手に入れるのだ。恐れ多くも人間ごときが、そのような栄光に浴せるのだ。ありがたく受諾すべきであろうが」
「分かった。その役目を引き受けよう。しかし、情報が少なすぎやしないか」
「迷いの森はその名のとおり、人間が立ち入る事のない場所だ。幸い森の近くにまで人間の領域が広がっているらしい。なにも迷う事もなかろう」
危険地帯にもかかわらず、ジギンネイスの民は村や街を作っているという事だろうか。
北西部の大地は未開拓の地が多いと聞いていたが、まあその情報もだいぶ前に聞いたものだった。
確か崖の下には街があるという話だったが。
「それではさらばだ小さき者よ。見事おのれの役割を務めてみせよ」
黒い狼はそう言葉を残し、森の暗闇に姿を消した。
遠くから男たちの声が聞こえ、ついで獣の吠える声が聞こえてきた。どうやら狩人が狼の群れを見つけたらしい。俺はすぐにそちらに向けて駆け出した。
狼の群れはそれほど数はいなかった。
全部で八匹ほどだったようだが、狩人や冒険者が倒したのはその半分の数だった。
「まあこれで人間の近くには近づいて来ないだろう」と誰かが言った。
狩人たちが獲物の血を抜き、毛皮を剥ぐ為に街まで持ち帰ろうとすると、冒険者数人も狼の死体を肩に担いだ。
俺たちは森から出ると、燦々と日の光が降り注ぐ中、雪の少ない場所を歩いて街道沿いに止めた荷車に近づいて行く。
狩人たちは雪焼けした表情を綻ばせていた。雪に沈んだ大地でも兎や鹿は狩れる。しかし狼という同業者が居着いていると、狩れる獲物が減ってしまうのだ。
それを追い払うのも以前は狩人と猟犬だけでやっていたが、新しい領主になってからはそうしたところにも金が出され、戦士ギルドとの連携ができるようになっていた。
俺は冒険者の一人として加わっていたのだが、今回はなにもせずに終わってしまった。
「あんたも狼の肉いるかい?」
帰りの荷車の中で、冒険者の一人にそう声をかけられた。
狼の肉はエブラハ領では一般的な食材だが、多くの領では狼を狩っても食肉とする文化は少ない。肉は猟犬の餌として与え、毛皮を人間が利用するのだ。
「いや、あんたらだけで分けてくれて構わない」
俺は予期せぬ魔神の依頼を受け、その事で頭がいっぱいだった。
白い狼の頭がこちらを向いていて、まるでその死骸が語りかけてくるかのように、先ほどの遣いの言葉が頭の中で反芻される。
「憤怒の暴竜」に「禍の女神」という言葉。それがディス=タシュを表しているらしい。
謎めいた言葉について考えながら、ふと思いついた事があり、俺は冒険者たちに次のように願い出た。
「すまない。狼の牙を譲ってもらっていいか」
「あん? 牙か……まあかまわないが」
毛皮を要求されたら断るところだが。その表情にはそういった感情が見て取れた。牙も売れるが毛皮には及ばない。
「牙のお守りでも作るのか?」
「まあそんなところだ」
冒険者の一人が一頭の狼から数本の牙を抜き、それを手渡してくれた。俺は革手袋の上に剣の手入れ用の布を敷き、その上に牙を受け取った。
牙で作るお守りというのは獣除けの装飾品だ。
魔術的な意味を与えられる者が作ればそれなりの効果を得られる類の物で、露店などでたまに見かける物の多くは、形だけ似せた紛い物でしかない。
俺は牙を使った錬金術と魔術の複合呪術を実践しようと考えていた。不死の魔神ヴァルギルディムトが骨から鷲獅子の骸骨を作製したように、俺も狼の牙から体を復元させ、それを戦わせようと考えているのだ。
死導者の力をかなり扱えるようになったので、おそらくは可能なはずだ。術式はすでに組んでおり、いつでも発動させられる。──触媒となる生物の体の一部(骨や牙がいい)があれば。
冒険者たちと共にブラモンドに帰還した俺は戦士ギルドの前で荷車を降り、受付で任務をこなした事を伝え、評価点をもらった。
俺が赤鉄印章を出したところを他の冒険者に見られ、「あいつ、赤鉄だったのか……」といった顔をされてしまった。
エブラハ領に居る冒険者の多くは銅や鉄階級止まりで、赤鉄階級はほとんど居ないと考えられているのだ。それほどの実力がある者は寂れた領地を捨てて、どこでも活躍する事ができる。というのが暗黙の了解なのだ。
受付嬢は俺が領主の息子であるという認識を持っているが、それを表に出す事はない。あくまで冒険者の一人として扱うよう決められているからだ。身分で冒険者の格が決まる訳ではない。そこは徹底されているはず。
戦士ギルドを出て、雪が除けられた歩道を歩いて別邸に帰ろうとしていると、商業ギルドの前に止まっている馬車から人が降りて来た。
それはベグレザの方でよく見られる型式の馬車で、どうやらベグレザの商業ギルドからやって来た人物らしい。
降りて来たのは毛皮の長外套を身に着けた女性で、かなり美しい見た目をしているのだと思われた。分厚い毛皮の長外套を羽織りながらも、その美しい体つきは窺われた。
そばを歩いている男たちが振り返る様子を見ても、それは分かるというものだろう。
俺はそんな事を思いながら歩いて、その女の横を通り過ぎようとしていた。
するとその女もこちらを見て立ち止まる。
白い帽子を被っている女の目元は見えなかったが、どこか見覚えのある女だ──などと思っていると、その女は口元に笑みを作り、俺に微笑みかけてきた。
「あら偶然ね。お久しぶり、レギ」




