ドナッサングの街。ケアーファード領の冒険者
主人公の残虐さが垣間見える過去の話。アーヴィスベルについては、別のお話で書くかもしれません。色々と問題ありそうな内容なのですが(倫理的に)、でもあくまで、小説の──物語としての事ですからね。
古い轍が残る道を進み続けていると、大きな茶褐色の岩と森が見えてきた。そのすぐそばを通る事になったのだが、厄介事が訪れた。
黒い甲殻を持った、甲殻蜘蛛が現れたのだ
体長は人間よりも少し大きいくらいだろうか──脚を入れたら人間どころか、馬や牛よりも大きな奴だろう。
そいつはガチガチと牙を打ち鳴らしながら草地を進んで来て、こちらに向かって来ている。
俺は腰から魔剣を抜くと、道端に背嚢を置いてすぐに戦闘態勢に移り、大きな蜘蛛を迎え撃つ。
蜘蛛はガサガサと音を立てて、藪の中を突っ込んで来る。
口から紫色の毒気を吐き出しながら、藪の手前で待っている俺に向かって飛び掛かって来た。
ドスンと地面に着地する甲殻蜘蛛の脚の関節を狙って攻撃し、一本の脚を切断する。
素早く側面に回り込みながら二本目の脚を斬り倒すと、ゆっくりと回ってくる奴の頭を狙って、魔剣を振り下ろした。
首を一撃で斬り落とすと、気味の悪い色をした体液を溢れさせて絶命し、ピクピクと脚を痙攣させている死骸から離れ、魔剣の刃を拭っていると──森の中からわらわらと、冒険者達が姿を現す。
「おいおい、俺達の獲物を倒さんでくれよ」
一人のむさ苦しい中年冒険者が言う。
どいつもこいつも萎びた野菜みたいな顔をした、血色の悪い男たちが四人、口々に悪態を吐く。
「知らん。甲殻蜘蛛が向かって来たから倒しただけだ、死骸は好きにしろ」
俺の言い方が気に入らない、などと言い出す奴も居たが、他の男たちは「へっ、そうかよ」などと言いながら、蜘蛛の死骸から瓶に何かを移し入れている。
どうやら蜘蛛の毒を採取する目的を持った連中のようだ。はじめからこの甲殻蜘蛛を狙っていたかは怪しいが、あえて波風を立たす気はない。
俺は怪しげな連中から離れると、荷物を持って街道を歩き始める。
ドナッサングは斜面を登り、下った先に見えてきた。まあまあ大きな街であるらしく、外壁もそれなりの規模を有している。
街道の先の道は石畳で舗装されているが、こちらの──ダンベイテへと続く道は細々とした、土の地面の剥き出した街道になっていた。
もうだいぶ前から、二つの街の交流は、少なくなっていたのだろうと推測できる。
遠く、街から離れた場所にある山脈の方から、遠雷が聞こえてきた。
稲光はなく、空気を震わす振動と音が街の近くまで響いてきたのだ。それはなにやら──ざわざわとした不吉な気持ちを、俺の中に生み出すのだった。
街の中に入るのに、百ピラルも要求され、衛兵と口論になりかけたが、ここはぐっと感情を抑える。──衛兵の身なりも態度も、今まで色々な場所の衛兵を見て来たが、最低の部類に入る連中だ。
こんな連中と言い争いになっても仕方がない。
もうすでに、武器の柄に手を掛けている衛兵も戻る──街を去る時にだったら、衛兵の四、五人くらい、纏めて殺してやろう。
そう考えて、大人しく金を払って街の中に入って行く。
*****
──実際、二度と出向かないだろうという場所で、衛兵を殺害した事がある。
もちろん、目撃者も出さずにだ。
俺が外からやって来た若者だというので軽んじていたのだろう。二人の衛兵が絡んで来たので、薄汚れた鎧や籠手を避けて腕を斬り落とし、首を刎ね、逃げようとするもう一人も、魔法で動けなくして止めを刺した。
何か命乞いをしていた気がするが、覚えてなどいない。
害虫の鳴き声など、いちいち覚えていても仕方がないだろう。
そこは「ブラウギール」という国。
国を支配する者が下等だと、その庇護下に居る国民も下等になる──という事柄を如実に現した国だ。
犯罪の件数も他の国とは比較にならないくらい多く、法律自体が存在しているのかすら危うい国だとも言える。
「犯罪都市」「腐敗と狂乱都市」などと呼ばれる、「アーヴィスベル」を抱える国であり、周辺の国を巻き込んだ──人間的、社会的腐敗の坩堝と化した都市が有名だ。
その街では誘拐や人身売買、強盗や殺人は日常茶飯事。淫売と麻薬が横行する一大歓楽街でもある(もっとも、周辺の国から訪れる者は、こっそりと人目を憚りながら、アーヴィスベルへと赴くのだが)。
あまりに近隣国と不仲な為、国民の多くも国の外から来る人間に対し、敵対的である者が多かった(アーヴィスベルの住人は、それほどでもなかったが)。
衛兵の質も最低で、国民をイビるだけじゃ飽き足らず、国外の人間にも事あるごとに金品を要求する──そんな連中ばかりである国。
*****
まあ要するにだ、その国で俺がした事は、「お前が振り翳す物を相手も振り翳す」という事に過ぎない。
拳を振り上げれば相手もそうするだろう、というだけの事。
ブラウギールが未だに存在しているのが不思議でならない。
いつ周辺国が結束して奴らの国へ宣戦布告しても、少しもおかしくはない。常にブラウギールは周辺国と、領土問題で争っているのだから。
しかも一方的な言い掛かりを付けて、いつも「自分は悪くない、悪いのはお前」と言い出すのである。
お話にならない。
最近ではどの国も互いの国に侵攻するといった、武力頼みの政治体制を棄て、魔物への対処を優先し始めたというのに、このブラウギールという国は異質な他国でしかない。この国の処遇は、もはや時間の問題だと俺は考えていた。
「あの国以来の、程度の低い衛兵だ」
俺は、そう口にしながら、街の中の通りを歩いて、戦士ギルドを探す──
そうして大通りに戦士ギルドの看板を見つけ、入り口に近づこうとすると、三人の冒険者と鉢合わせになった。
もう少しでぶつかるところだったが間一髪、踏み留まって──回避する事ができた。
「あぶねえなっ! 気を付けやがれ!」
男の一人がそう言って、俺の肩を突き飛ばす。
やれやれ、この街の人間は相当に民度が低いらしい。
俺は思わず舌打ちを漏らす。
「ああ? なんだ、てめえ。ぶっ殺すぞ!」
男一人が殺気立って、腰に下がった剣を抜く。俺はさっと後退すると、周辺の様子を窺いながら冷静になろうと努めた。
来たばかりの街で問題を起こし、衛兵に牢にぶち込まれる訳にもいかない。
一人の男に釣られて他の二人も剣を抜く。──見るからに普通の、どこでも手に入りそうな鉄の剣。手入れも碌にされておらず、鈍い光を反射する刃。
三人の殺気も怒りに任せただけのもので、戦士の殺気というよりは獣の気配に近い。
俺は剣の柄に手を掛ける事もせず謝罪を口にし、入り口からどいて、ギルドに通してくれないかと口にする。
「ふん、腰抜けがぁ!」
と男は口にして剣を収めると、腕を振り払う形で殴りつけてきた。
ひょいとその腕を躱してギルドの入り口に向かうと、男は盛大な悪態を吐き散らしながら、この場から去って行く。
どうやらこの国の冒険者は頭がおか……礼儀を知らないらしい。というか、この街──あるいは、この領土で暮らす者の民度は、徹底して低いらしい。
ダンベイテやレインスノークと同じ国、ベグレザの中の領土だというのに、治める領主の品位が、その領民に波及するのだろうか。
街を歩く者たちの身なりや、つきも薄汚く、内面の野卑な感じを表していた。
この領土に魔物が多いのも、こいつらの粗雑な精神の顕れなのではないかと考えてしまう。昔から、影は闇を引き寄せると言うからな。
まあそれは、魔法修学における基礎的訓辞の一つだが。
ふとそこで、我が身を振り返る。
その言葉はまさに、今の俺自身を表しているのだ。
昔から闇への探索を求め、焦がれ、ついに念願かなって魔神との接触を果たした、この俺の。
表舞台の魔法使い(宮廷魔導師など)の立場を捨てて──冒険者となり、影として闇を求めて、彷徨い歩いて来た。
魔導の道。それを志ながらも、半ば諦めかけていた望みだったが、今の俺は──その道を行く、求道者になったのである。
ギルドの入り口から中へと入り、薄汚れたカウンターの前に立って受付を呼ぶ。
小太りの女が応対に当たり──見慣れぬ、小綺麗な格好の冒険者を訝しみながら、妖人アガン・ハーグの討伐依頼について調べ始める。
「ああ、アガン・ハーグ。それならついさっき、討伐に向かった人達が居るね。この近くになると、二ヶ所あるよ」
小太りの受付対応は、余所の受付とは違い、実に適当なものだった。いまさらという感じもあるが、ケアーファード領の領民の民度について、これ以上のものを求める方が間違いなのであろう。
俺は半ば諦めつつ、ドナッサングに近い、二ヶ所の妖人アガン・ハーグの棲みかを教えてもらい、ギルドをあとにする……
そこではじめて気づいた事があった。
「しまった……どっちの場所に、先に冒険者が討伐に向かったか、聞いてないぞ──」
他の街の戦士ギルドではあり得ない手際の悪さだ。一つの依頼に二つの異なる冒険者が鉢合わせにならぬよう、注意するのが通例と言うものだ。
しかし戻って確かめるのも馬鹿らしい、そんな風に考えた。幸い二ヶ所は、それほど離れている訳ではないので、両方に顔を出すつもりで向かう事にする。
「まるでクソの吹き溜まりだ、ここは……」
街の様子も、ダンベイテの町に似たり寄ったりだ。建物の裏手には──汚物を流す剥き出しの排水路があり、悪臭も、そこ湧いた虫も、ここの生活の程度が窺い知れるというものだ。
俺は不快な臭いから逃げるみたいにドナッサングの街を出て(ギルド依頼書を見せ、出入りに関する料金をはらわずに済む)、さっさと目的を済ませようと、南にある山脈の方に向かって歩き始めた。




