呪術師ディノア
「それと、あなたの知り合いの女が尋ねて来たのだけれど」
「知り合い? 誰だ?」
「二人居るわ。一人は子連れの料理人で、もう一人は魔法使いらしい冒険者の若い女」
アルマは「若い女」である事を強調してくる。
「ああ、その料理人にはぼくも会った。その人が言うには、紳士の若者が仕事を紹介できるかもしれないと、ぼくの所へ行くように言ったらしい」
「ああ──あの母親、ちゃんとここに来られたんだな」
「ミンゼールの町の食堂で働けるよう斡旋しておいたよ。あそこは交易路や砦の建設現場の近くで、工事関係の作業員が増えているからね」
「そうか。で、もう一人の魔法使いの女ってのは誰だ?」
「名前はディノアと言っていたわ」
「ディノア……」
聞いた事のない名前だった。
「──知らないな。どんな奴だった?」
そう問うと、夫婦二人が互いの顔を見合う。
「どんな……って、そうだなぁ。薄暗い顔をした、陰気そうな女の人だったよ」とクーゼ。
「魔女という印象の格好で、暗い色の外套を羽織っていたわ。──そうそう、エインシュナークという学校の名前を言っていた。あなたの学友だって」
「学友……魔女みたいな風貌。陰気な女──」
ああ、あいつか。そういえば名前を知らないのだった。
アボッツに呪いを掛けていた女生徒。たぶん彼女の事だ。
「ああ、あいつね。ディノアっていうのか。名前すら知らない間柄だったが」「え、そうなの? ならなんであなたの所にわざわざ訪ねて来たのよ」
「それは聞いてみないと分からないな」
彼女はそのあとどうしたのかと聞くと、しばらくはブラモンドの宿屋に泊まると言っていたらしい。
「ミンスの宿屋──『石窯亭』に泊まると言っていたわ」
ミンスというのはアルマの友人なのだろう。
「しかし、なんで二人の所に来たんだろうな? 俺に会いに来るなら、領主の建物に行くんじゃないのか」
「行ったらしいわよ。けどなおざりな返答をされて、追い払われたって言ってた」
「はは……なら、相手を呪わないでおくよう言っておかないとな」
俺がそう呟くと、アルマとクーゼは嫌そうな顔をした。
「呪いって……呪術師なの? やめてよね、そんな人が街に泊まっているなんて、──怖いわ」
「大丈夫だよ。彼女はむしろ、呪術的な攻撃を防御する防衛魔術に優れた魔術師だ。心配ない」
不安そうに表情を曇らせているアルマとクーゼを見て、あまり迂闊な事を口にするべきではなかったと反省した。呪術という未知のものを一般人が恐れるのは当然の事だった。
俺はあの亡霊のごとき女生徒の姿を思い出しながら、彼女はそんな危険な奴じゃないと弁明し、さっきの発言を取り消した。
「防衛魔術は魔術の基礎だ。こうした技術は貴族たちの間でももてはやされる部類の魔術だし、大きな街では魔術的な防衛が施されているものだ。
実のところ、ここブラモンドに掛けられている防御に関する術……聖別などの呪術も、防衛魔術の一つなんだぞ」
そう説明してなんとかディノアにかけられた疑惑を晴らす事ができた。──もっとも、その疑いを抱かせたのは俺の失言が原因だった訳だが。
「ともかく会いに行ってみるよ。なんで俺に会いに来たのか、理由が気になるからな」
「今から?」
その声には「夜になるのに女の部屋に行く気か」という、嫉妬めいた感情が混じっていた。
「まだ夜には早い時間だろう。彼女の用事を聞いてすぐに屋敷に帰るさ」
そんな言い訳のような言葉を口にし、もう一度二人に領地の事を頼むと、俺は二人の邸宅から出て行き、すぐにその足で宿屋へと向かった。
宿屋の場所は教えてもらったが、大通りからはずれた脇道に入った所にあり、だいたいの目的地を探りながら歩いていると、二階の高さにある看板が目に入った。
丸い看板には寝台が彫り込まれ、「石窯亭」の文字が書かれている。
二階建ての小さな宿屋に入ると、木製のカウンターに近づき、台の上に置かれた呼び鈴を鳴らす。
すると奥から小さな管理人がやって来た。──たぶんこの宿屋の娘だろう。
「はい。お泊りですか?」
「いや、宿泊客に俺の知り合いが居るんだ。名前はディノアと言うんだが。どの部屋に居る?」
そう尋ねると少女は帳簿を開いて見せてくれる。
「あった、二階の三号室だな。ありがとう」
俺は二階へ続く階段を上がり、目的の部屋の前まで来るとドアを叩く。
「はぁい」
「レギスヴァーティだ」
そう声をかけるとぱたぱたと足音がして、ドアの鍵が外されてドアが開けられた。
「来てくれたんだ」
「なんで俺に会いに来たんだ? 名前も思い出せないような相手だったろう」
「まあそうなんだけど。故郷に帰って今後の事を考えていた時に、戦士ギルドでエインシュナーク時代の知り合いと会ってね。あなたの話が出たの」
なんでもその知り合いが俺の名前を出し、エブラハ領で大きな開拓が始まり、交易路がベグレザと繋がるといった事を話してくれたらしい。
その知り合いは昔話のついでくらいの気持ちでその話を出したようだが、ディノアは交易路の話を聞いて、エブラハ領には可能性があると感じたのだと説明した。
「そいつは話しながら、交易路が新たにできるというのがどれだけの変化を齎すか、これっぽちも考えていないようだったけれど、わたしは違う。西の辺境地なんて言われている場所に、今後は大きな可能性を感じたの」
「それでどうして俺のところに?」
「それはもちろん、あなたが領主の息子だと聞いたからよ」
どうやら彼女の知り合いだという学友は、余計な事まで説明してくれたようだ。
立ち話もなんだという事になり、俺とディノアは酒場に行って話の続きをする事になった。
というのも彼女の魔術の技能を、エブラハ領の為に使ってもらおうと考えたからだ。
彼女が優れた術者だというのは知っていたので、酒場で彼女に酒を勧め、遠回しな探りを入れて彼女の防衛魔術に関する練度を確認した。
酔いが回り始めたディノアは、こちらの意図を理解せずにぺらぺらと呪術と魔法の曖昧な境界線について語り、さらにはレファルタ教の禁止する呪法の形式について饒舌に語り出す。
俺はその細かな内容の一つ一つに彼女の方から自然と説明するように誘導し、そこから彼女のだいたいの技量を推し量った。
やはり彼女は優れた能力を持つ防衛魔術の使い手だと判断できた。──それはすなわち呪いなどの攻撃的な技術についても、かなりの技量を有するという事でもあったが。
「それではエブラハ領で働きたいと言うなら、冒険者としての活動だけでなく、防衛魔術を使い、街や街道の要所を守る役目を任せたい」
「はぇ? ぼーえい魔術かぁ……まぁいいけどぉ」
どれくらいの給金が出るのぉ? と、酔いながらもその辺の意識はしっかりしていた。
「もちろん正規の給料が支払われるさ。──それと、俺は確かに領主の息子だったが、今の領主は義母のエンリエナだからな。間違えるなよ」
「ぁ──いあいあぃ」
ディノアはだいぶ酔っていたが、受け答えの内容はしっかりしている。記憶がなくなるような事もおそらくないはずだ。
彼女は自己防衛の魔術を自身の閾域下に展開し、精神防衛の備えはしてあるはず。朝になればしっかりとした意識を取り戻しているだろう──記憶も失わずに。
俺は酒場から彼女を背負って宿屋に戻ると部屋に彼女を放り込み、自分はエーデンドレイク別邸に戻る事にした。
別邸に帰って来ると執事に迎え入れられ、細々とした用件を伝えられると自室に戻った。
旅の疲れを癒す為に風呂に入り、そこで今回の冒険で起きた様々な物事について振り返り、我ながらよく生還したものだと思いつつ風呂を出た。
友を失い、危険な状況に何度も飛び込んだ。
人生とはこんなにも暴風が吹き荒れ、荒波を突破して突き進むようなものだっただろうか。などといった想いを抱きながら部屋に戻った。
寝台に腰かけると改めて手に入れた力をもう一度確認し、それらを精神世界の中でしっかりと把握する事に努めた。
魔法の短剣と兜は影の倉庫にしまい、いつでも取り出せるようにする。
いくつもの訓練と調整をしてから寝台に横になり、そのまま眠りに就いた。
* * * * *
翌朝に俺は宿屋に向かい、ディノアを改めてエブラハ領を守る魔術師として雇う契約を持ちかけた。
彼女は割とあっさりとそれを受け入れ、エブラハ領の町や村を訪れて、新たに結界などを張り直す作業に入ると告げた。
「けど、雪が降り積もったら動けなくなりそう」
「大きな街道なら除雪するが、村への道などは雪の中を歩く事になるだろうな。だから護衛を兼ねて案内役もできる兵士を付けよう。それでいいか?」
「町や村を回るとなると、しばらくは宿屋に泊まる生活になりそうだけど、できればどこか落ち着ける場所がほしいな」
「それならウイスウォルグかブラモンドのどちらかに居住するといい。エブラハ領の専属魔術師だからな。なるべく領主の近くで活動してもらおう。
家は──そんなに大きな物は用意できんぞ」
すると彼女はわかってる、と口にして契約書を求めてきた。
俺は一度別邸にディノアを連れて行き、上等な羊皮紙に、エブラハ領に関する細かな制約と従順を求める一文を記し、契約の履行に関するもろもろの内容を認め、そこに彼女の名前を書くよう促した。
「あなたの名前が書かれていない」
「だから昨日言っただろう。俺は領主の補佐でもなくなったからな。署名捺印するのは領主であるエンリエナだ。彼女にお前の推薦状を送るのと同時にこの羊皮紙も届ける。
魔術に関する事なら、俺や前任者のマハーロゥに頼らなければならないからな。……ちなみにマハーロゥは現在療養中だ。後任者を探していたのでちょうどいい」
彼女が自分の名前を署名したあとでそう説明した。
すると彼女は「それならもっと条件の良い提案をするんだった」と呟いていた。
「そのあたりはエンリエナとの交渉しだいだな。マハーロゥの弟子も居るが、あまり当てにはできないらしい」
技量の問題もあるが、人格的な問題の方が強そうな言い方をしていた。だからこそ執事やエンリエナも、俺がエブラハ領に残る事を切望しているのだ。
「わかった。……はい、これでいいでしょ」
血判を捺すと、彼女は羊皮紙を渡してきた。
「ああ。──よし、契約は一応成立だな。正式には領主の認可が下りてからだが、よろしく頼む」
「ならまずはウイスウォルグに顔出しに行く方がいい?」
「そうだな、そうしてくれ。──それと前金を支払っておく」
そう言って銀貨のたっぷり入った皮袋を手渡すと、彼女はその中身を見てにっこりと微笑んだのだった。
『魔導の探索者レギの冒険譚』と同じ世界の外伝的お話『嗤う死刑囚』を投稿しました。
かなり残酷でダークな内容ですので、苦手な人は──(ここまで付き合ってくれた読者貴兄なら大丈夫か……)。ちなみに三人称で書いたものです。よろしければそちらも目を通していただければ幸いです。




