魔神の鍛冶師との取り引きと、月浮かぶ異界
アウスバージスが工房の奥に向かって行き、俺はその後を追って奥にある大きな炉の近くまでやって来た。
岩漿が沸騰するような音を立てる炉の近くは凄まじく暑くなっていた。
金床の上で魔剣の刃が打たれている音が響く。
魔剣の刃は青白い光を放っており、水色の火をめらめらと放って燃えている。
尋常な光景ではない。魔剣の金属は魔力を内蔵し、尋常な物でないのは分かっていたが、青い火に投じられ、ばちばちと火花を散らしながら炉から引き出される光景は美しくもあり、幻想的で、どこか恐ろしくもあった。
魔剣は霊気を放つかのように青白い火を揺らめかせ、金鎚で打たれる度に白い火花を散らしていた。飛び散った火花が石床に落ちると「チュンッ、キュンッ」といった音を立てている。
弾け飛んだ白い火花は、まるで霊魂の欠片かなにかのように、消え去る瞬間に小さな断末魔をあげているようだった。
黒兎を補佐する茶色い兎が控えていて、金属の工具で魔剣を掴んで炉に入れたり、鞴で炉の中に風を送り込んだりしている。
「ふむ、もう修復は完了しそうだな」
その光景を見ていたアウスバージスが言った。
四本腕を持つ兎頭の魔神は首から背中の筋肉を隆起させ、烈しい金鎚の連打で魔剣を打っていたが、その音がしだいに収まってきた。
水の中に刃を浸けると、急激に熱せられた水の中から蒸気が上がり、ジュウジュウと音を立てる。
黒兎は魔剣の柄元に目を置くようにして、剣先までの刀身の形状を確認すると、その魔剣を助手に手渡した。
「おや、アウスバージス様。──それに小僧」
いきなり小僧呼ばわりされたが、俺は腹を立てる事はなかった。どこか気の抜けたように立ち竦んでいた俺の様子を見て、思ったままを口にしたのだろう。
「その様子だと、金緑色の林檎は見つけられなかったようだな」
「ええ」
「まあ無理もない。そう簡単に見つけられる物ではないからな。──それよりも、守護者とは戦わなかったのか?」
俺の中にある死導者の力を見て誤認し、戦う事なく対話したのは伏せておいた。守護者と争わずに幽顕の園を自由に探索できると知られたら、またあの場所に行かされるかもしれない。
「ええ、なんとか」
その返答を聞いて黒兎は「そうか」とだけ口にし、魔剣を磨けば完了だと言って、補佐の茶色い兎の魔神を指差す。
「ありがとうございます」
「うむ。それで、銀の柘榴以外にもなにかなかったのか?」
「ああ、それが……一つだけ、持ち帰って来た物があります」
そう言って俺は物入れから硝子の小さな林檎を取り出す。
「ほお、これは珍しい。水晶の林檎か」
「水晶──硝子だと思い込んでいました」
「まあ向こう側で霊的な力を秘めた物を判別するのは難しいからな。……いいだろう、その水晶の林檎なら、おまえに相応しい短剣と交換してやるが。どうだ?」
「短剣ですか……」
俺は相手が出してきた手に借り受けていた魔法の剣を返しながら考えた。
「この剣よりも魔法との相性は良いと思うぞ。攻撃するにも防御するにも、効率良く扱えると思うが──。まあ、おまえの技量しだいだが」
すると黒い狼姿の魔神アウスバージスが、強めに鼻息を吐き出す。
「なにをけちけちしているのか。この人間はオレが、この城に立ち入る事を認めた相手だぞ」
腕組みをして言った魔神の王だったが、黒兎の鍛冶師は意に介さない。
「もちろんこの城の主はあなた様でしょう。しかし、工房には工房の掟があります。我らの作った物の価値は我らが判断します。──ただでは譲れませんな」
「むぅ……」
アウスバージスは不満そうだったが、黒兎の言い分も理解できる、といった感じを見せて押し黙った。
黒兎はついて来るように言い、俺を炉から離れた場所にある扉の方へ案内した。
頑丈そうな鋼鉄の扉の鍵を開け、その中に通されると、そこは武器庫になっていた。
剣や槍や斧。
鎧に兜や籠手、脛当てなどの具足も保管されている。
棚に並べられた物や、壁に打ち付けられた鉤に架けられた剣など、どれもこれも怪しげな光を放っているように感じられる物ばかりだった。
「これは見事です」
見慣れない形状の兜は表面が薄い青色に光を反射し、厳つい面頬をした鉄兜で、禍々しいと言うよりはどこか美しく、それでいて威圧的な恐ろしさを感じさせた。
「その兜か。だがおまえには合わないだろう。頭を守る防具が欲しいのなら──、そうだな。これなどどうだ?」
そう言って黒兎が手に取ったのは、額から後頭部にまで金属で覆う形の簡素な兜で、耳を守る金属板が耳の前に伸び、顎の下で固定できるように、金属の留め金も付いた革帯が下げられている。末端の兵士が被っていそうな単純な形をしていた。
装飾はほとんどなく、側面から後方に向かって筋が数本浮き彫りにされているのと、頭頂部から後方に向かって馬の尻尾型の青い毛髪が一房垂れ下げられているくらいだ。
「この兜に込められた魔法がおまえの戦闘感覚をさらに鋭くし、戦いの中で役に立つだろう」
そう説明するとその兜を手にしたまま一つの棚の前に立つ。
「これだ」
そう言うと一本の短剣を俺に放ってきた。
それは鞘の長さが肘から指先くらいまでの短剣で、非常に軽く、厚みや幅も代わり映えのしない短剣だった。
地味な茶色い革張りの鞘から刃を引き抜くと、その刀身は青白い銀色の金属でできており、怪しげな光を映し出している。
柄を握ってみると、刀身にまで魔力の伝達が速やかにおこなわれるのを感じた。どうやら短剣に込められた魔法が俺と共鳴し、魔力を使用する効力に影響を与える仕組みのようだ。
この短剣で斬りつければ相手から魔力を奪って吸収し、短剣を通して魔法を使えば、消費する魔力を軽減して扱う事もできそうだ。
「いいですね。魔法との相性も確かに良さそうだ」
「そうだろう。水晶の林檎とその短剣。それにこの兜も付けてやろう。──それでどうだ?」
他の棚にあるいろいろなめぼしい物も見つけたが、黒兎はおそらく首を縦には振らないだろう。
それにそうした武器の中には、人間が扱うには危険な物も含まれていそうだ。
「……分かりました。それで手を打ちましょう」
「うむ。よい取り引きになったな」
俺は青髪の兜と魔法の短剣を受け取り、対価として水晶の林檎を手渡した。
思わぬ武器と防具を手に入れ武器庫を出ると、魔神アウスバージスがぼんやりと上を向いて立ち竦んでいる。
「どうしました?」
「すまんな、レギよ。オレは行かなければ。お前ももう帰るがいい」
その言葉にはなにやら焦りが滲んでいた。
魔神が指を鳴らすと金属を弾いたような音がし、どこからともなく赤茶色の影が現れた。それはよく見ると赤茶色のぼろ布を纏った六本足の獣で、頭から背中にかけて布を付け、その足は緑色の石でできた物だった。
鉱物と布で作られたかのような大型の獣は、赤く光る眼で俺を見たが、その場に伏せて温和しくしている。
そこへ魔剣を研ぎ終えた茶色い兎型の魔神が走って来て、鞘に収まった魔剣を差し出してきた。俺は魔剣を受け取ると刃を確認し、いつものように腰に差して鍛冶師たちに礼を言った。
アウスバージスは喚び出した鉱石の体をした獣を指し示す。
「こいつに乗って行け。すぐに元居た場所に戻してやる」
鉱石獣とでも呼ぶべき不気味な獣の背に乗ると、それは力強く立ち上がった。手綱代わりにぼろ布を掴むと、思った以上に分厚い革紐状の毛にしがみつく。
「ではまたな、くれぐれも天上の者には用心するのだぞ」
魔神アウスバージスがそう声をかけると、獣は前に駆け出した。
まるで壁に突撃するように突進する獣。
「おわっ⁉」
ぶつかる! そう思った瞬間、急に視界が暗くなった。
壁際に勢いよく駆け出したと思ったら、鉱石の獣は幽世の狭間に突入したのだった。
俺は慌てて障壁を張ろうとしたが、鉱石の獣の周囲には結界が形成されており、魔素の影響を受けないようになっていた。
どれくらいの速度で移動しているのか分かりづらかったが、上下に揺れ動く獣の背中にしがみついてかなりの時間が経過した。
弱い奴なら途中で酔い、幽世に振り落とされてしまっただろう。
しっかりとぼろ布を握りしめ、暗い異空間を確かな足取りで進む獣に身を任せた。
一定の速度で進む鉱石獣だったが、途中で急に速度が遅くなり、やがて立ち止まってしまう。目的地に着いた様子でもない。
「なんだ? どうした」
俺は不安になりつつ、周囲の暗闇に魔眼を通じた高位霊域を見通す視野を使って調べた。
至る所に魔力や魔素の渦巻く危険な領域や、幽世の冷厳な谷とも言える深淵のようなものがあったが、俺と獣の近くにはそれといった危険は存在しない。
「おい、動かないか」
この硬い石の体をした獣がなにを警戒しているか知らないが、ここでじっとしていてもいい事など決して起こらないだろう。
俺が苛立った声を出した所為か、獣も唸り声を上げて体を震わせる。
しばらく無限の静寂の中で微動だにせずに居ると、どこか遠くから妙な音が聞こえてきた。
氷の張った池の氷がミシミシと音を立てて軋んでいるような、不快な音が周辺から聞こえてくる。
「おい、なにかまずいぞ。移動しろ」
獣をせっついてみたが、獣はじりじりと後退りを始めた。
すると正面の闇に光が落ちた。
上空の暗闇にひびが入り、そこから赤紫色の光が降り注いだのだ。
「ゴアァアァッ!」
鉱石獣が咆哮した。
上空に向かって一声吠えると、降り注ぐ赤い光の柱を避けるように移動し、横を通り過ぎようと駆け抜ける。
するとさらに前方の空間にひびが入り、俺たちを逃がさないとでも言うかのごとく、大きく口を開いたのだった。
バリンという音がしたかどうかは分からないが、分厚い硝子が砕け散るみたいに空間が壊れた。
闇の、黒い硝子板が砕けて、その背後にある赤紫色の世界が溶け込んでくる。
おぞましい、歪な光。
どこかで見た覚えのある、淀んだ暗い色の光が闇を浸蝕してきて、俺たちの周囲を取り囲んだ。
不気味な光の中に捕われた俺と鉱石獣は、幽世の狭間から異空間に連れ去られてしまったようだ。危険な魔の手が俺たちを引きずり込んだのだ。
そこは赤紫色に光る巨大な月が浮かぶ空間で、広々とした荒野の中だった。雲もない空に浮かぶ月の光がいやにまぶしく、そして騒々しい音を立てているのを感じる。
赤く濡れた月はざわざわ、ぶくぶく、どろどろと耳障りな音を響かせていた。遥か上空から響く重低音が内臓に響く。その音の所為で気分が悪くなりそうだった。
周囲のだだっ広い荒野を注意深く見回したが、月以外にそれといった物は見つけられない。
「なんなんだ、この場所は」
残念ながら俺の問いに答えてくれる者は、ここには居ないようだ。
赤紫色の巨大な月は、今にも地面に落ちて来そうなほど大きく映り、それが水面に投じられた石を受けて波紋を広げたみたいに蠢いた時に、俺はその月が上位存在そのものである事をやっと理解した。
「ばかな! あんなにも巨大なのか!」
それがどのような神であれ、これほどまでに巨大な形を取っている事に恐怖した。俺が作り出せる光体は、この巨大な月の数万分の一にも満たないだろう。
あれがこの領域を作り出している上位存在の本体だとするなら、あまりに強大で──とても太刀打ちできるようなものではない!
俺は鉱石獣と共にただ空を見上げ、丸い月の表面が波打つ様を見届けるしかできずにいた……
「どこかで見た覚えのある」その光の正体は──
レギが戻ろうとしていた場所に関係がある、というヒントだけ残しておきます。
だいぶ前の事なので、覚えている読者は居ないでしょうね。




