種から現れた幻影
「「おやおや、こんな場所に死導者様が来られるとは。なにかありましたか?」」
そいつはやはり男と女が同時にしゃべっているような声を響かせてくる。
「ああ。金緑色の林檎を見なかったか?」
そう言うと骸骨は、革の手袋をした手で額を叩き、二度ほど頷く。
「「ええ、ええ。見ましたとも。あのような鮮やかに輝く宝石のごとき林檎は、そうそう巡り会えるものではありませんからな」」
「どこで見た?」
俺は焦って尋ねた。それを訝しく思ったのか、骸骨は少し押し黙り、こちらの様子を探るように虚空が覗く眼窩で見下ろしてきた。
「「どこで、というのも不思議な質問ですが、むしろ『何時』と尋ねられた方がよろしいですな」」
「つまり、だいぶ前に見た事がある、といったような事か」
「「そのとおりです。──あれは、そうそうお目にかかれない代物ですからな。私も永らくこの場を見回っていますが、片手の指で数えられるほどしか見た覚えがありません」」
そうまで言うと、その骸骨は「「しかし」」と言葉を付け足した。
「「あちらの方に、それらしい銅の林檎が生る木があります。もしかすると近々、金緑色の林檎に変じる物があるのではないか、そんな風に睨んでいたのです」」
「それはどこの木だ?」と尋ねると、半人半馬の骸骨はすっと腕を上げた。腕を伸ばした時に、赤い袖と革手袋の間から白い骨の手首がちらりと見えた。
「「あの大木の周辺をお探しなさい。二本分離れた所にあります」」
「分かった。ありがとう」
「「どういたしまして」」
赤い外套の守護者はどこか貴族然としてお辞儀し、俺は道をそれて高い木の先端が見えている方向に向かって歩き出す。
その木がある場所までは、思っていた以上に歩く事になった。
それもそのはずで、目印にしていた木は、他の樹木よりも遥かに大きな木だった。
それは立派な幹から大きく枝葉を広げ、たった一本で周囲の木々の上に影を落としていた。
しかもこの樹木は奇妙なもので、下半分は広葉樹の葉を付けているが、上半分から伸びているのは針葉樹のものだった。
「これが人間なら、途中からなんらかの変遷があったと見るべきか?」
この霊的な樹木には木の実が生っていたが、堅い殻に覆われた胡桃や、細長い莢をした実など、いくつもの種類の木の実をぶら下げていた。
なんとなく興味を抱いて、緑色の莢をした物を取って中身を見てみると、中には鉄に似た玉がいくつか入っていた。
「奇妙な奴だな」
俺はそう呟きながら手の上に乗った玉を地面に蒔いた。
するとどうだろう、地面に落ちた鉄の玉が見る見る内に大きくなり、ぐにゃぐにゃと変形を始めたと思ったら、それは六体の、鉄の甲冑を着た兵士になってしまった!
呆気に取られて見ていると、六体の兵士はそれぞれ好き勝手な方向に歩いて行く。
しかしその姿は大木から離れると、まるで霞のように消え去ってしまうのだった。
「……なんだったんだ」
迂闊に触らない方がいいようだ。
改めてこの場所の異様なありようを理解し、俺は手にした莢を捨てようとした。
すると莢の中に残っていた最後の一粒が地面にぽろりと落ちた。
しまった、そんな風に思いながら大木と落とした種から離れると、地面に落ちた鉄の種がむくむくと成長を始めた。
それは兵士ではなく、一人の武装した若者の姿を取った。
どこか見覚えのある顔立ちだと考えていると、その若者は歩き出し、俺に背を向けた。
その横顔を見た時、それがルシュタールで出会った、勇者と呼ばれていた若者のシュバールトだと気がついた。
それにしては俺の会った若者よりもさらに年若い姿に見えたが。
「おい……」
俺は思わず少年の背に声をかけたが、彼はやはり霞のように消えてしまったのである。
ぽかんとしたまま時間が過ぎた。
いったい今見たものはなんだったのか……
不思議な体験を前にして、その幻影が意味するところのものを想像すると、この大木の正体が分かったような気がした。
「しかし……確証はない」
調べてみよう、そう考えて大木に触れようとした時、さらなる異変が起きたのだった。
上空から一筋の光が降り注ぎ、俺の視界を真っ白な光でいっぱいにしてしまったのだ。
「うおっ⁉」
思わず目を手で庇い、まぶしい光の柱から後退る。
その光の柱が消え去る時にシュゥシュゥというような、奇妙な音が遠くから聞こえていた。
それは上空から聞こえていたようで、俺は空を見上げたが、そこには白々しいほどの青空が広がっているだけだった。
しかし目の前で起こった変化にはすぐに気がついた。目の前にあったはずの大木が跡形もなく消え去っていたのである。
「……目的の物を探そう」
幽顕の園で起こった現象を前に、戸惑うよりも先に目的の物があるかどうか、探し出そうと考えた。
消え去った大木の周囲を隈なく調べると、林檎が実っている二本の樹木を見つけた。
銅の林檎や鉄の林檎が実る木にはいくつもの果実が育っていたが、金緑色の林檎は見つけられなかった。
緑色に変わりつつある林檎もあったが、それは真鍮(黄銅)の林檎といった質感の果実だった。
金色に近い黄色の一部が黄緑色に変色し、それは金緑色よりは青銅に近い色をしていた。
「これでは駄目だろうな……」
硬い金属質の林檎の手触りを感じながら別の林檎も探してみたが、やはり金色に近い物は見当たらなかった。
ふと、葉の陰に小さな林檎が生っているのを見つけ、葉をどかしてみる。
「これは珍しい物かもしれないな」
それは小さな硝子の林檎だった。
完全に透明で、透かして見ると向こう側の景色がはっきりと見えるくらいに澄んだ、綺麗な硝子の林檎。
俺はそれをもぎ取り、物入れにしまった。
金緑色の林檎は諦めるしかなさそうだ。
そう考え、鉄蓋城に戻ろうと決めた。木々の間から祭壇にも似た四角錐の建造物がここからでも確認できた。
帰り道、木々の間の道をとぼとぼと歩いていると、道の先で赤い外套を着た骸骨の守護者と再会した。
それは脇道からかっぽかっぽと蹄の音を鳴らしながら現れ、俺の顔を見るなり「「先ほどの光を見ましたか?」」と言ってきた。
「ああ。かなり間近でね」
「「あの光の柱は祝福の光。見られたのは幸運でしたな。きっと天上の神々が、優れた魂の持ち主の死を嘆き、天兵の座に招き入れたのでしょうな」」
その聞き慣れない言葉になんらかの力(言霊)を感じた俺は、それはどういった意味かと尋ねる。
「「天兵とは神々の戦士。それは死せる戦士や魔術師の軍勢だと言われています。──まあ、そんなものが本当に存在するのかどうか、私は知りませんが」」
骸骨はけたけたと笑ったようだったが、硬い歯と顎骨がぶつかり合う、空虚な音が響いただけだった。
「「その顔は、金緑色の林檎は得られなかったようですね」」
「ああ」
俺はなんとなく気になって、宙に浮き、触手を持ったあれをなんと言うのかと尋ねた。
「「おや、死導者様もご存じないものでしたか。てっきり我々は死導者様ならば知っているものとばかり……。いえ、やはりあれは死の領域からも外れた存在なのでしょうな」」
骸骨は革手袋の手で顎を触りながら、ぶつぶつと呟くように言う。
「「あれがなんなのかは私には分かりませんが、どうも負の力に汚染された木(魂)のみを狙って取り込んでいるようです。
棘の生えた木や、危害を加えてくる蔓草などに絡みつかれたものなど、そういった木を呑み込んでいってしまうのですね」」
「掃除をしているのかな?」
「「はは……そうかもしれません。なにしろあの『灰色の口』が呑み込んでいくものといったら、あらゆる魂の天秤が、皿の上に乗る事すら拒否したくなるようなものばかりですからな」」
骸骨の守護者はそう言ってまた笑った。
この守護者にもあれが「灰色のなにか」に見えているのだろうか。
あるいは彼らの言う灰色とは、具体的な色についてではなく、なにか別の性質を言い表したものなのかもしれない。
「「なにしろ我々は」」
と、赤い外套の襟を正しながら、守護者は語り出す。
「「天上の神に仕えている訳でも、地上の理を司るものに仕えているのでもありませんからな。我々は冥府の、冥界の理の中で知り、存在するのです」」
俺にはこの赤い守護者がなにを言いたかったのか、正確なところは理解できなかった。
だが彼は、自らの意思と言うべきものは冥界の中にある、渾然一体となった死の総体にあるのだと、そう言い表したように感じた。──つまりそれは、自我らしい自我を持たないという事なのだろう。
彼ら冥界の存在もまた、物質界を維持する力の根源である精霊のような、中心となる根源に繋がっている。
そしてそれが理由かは知らないが、その結びつき以外の世界の事は、彼らにも知りようがないらしい。
冥界の神が彼らをそのように作ったのか、それともなにか別の意味があってそうなっているのか。それは神ならざる俺には到底、理解できるものではないのかもしれない。
俺は赤い守護者に別れを告げ、転移魔法陣のある祭壇に戻ろうと歩き出す。
「「ごきげんよう」」
骸骨はそんな言葉を投げかけ、また蹄を空虚に鳴らして巡回を始めた。
彼らには役割があり、それ以外の事にもそれなりの反応を返してくれるが、それは自我があっての事ではない様子だ。
死の総体の一部である彼らは、あらゆる人間の記憶や人生を知りながら、それらに関心を示さず、ただあるがままの現象の一部とでも見なしているかのようだ。
まるで人間のように振る舞っているが、肝心なところでは彼らはあくまで上位存在なのだ。
物質的な、肉体的な、精神的な。そういった下界の理の範疇から逸脱した領域での「智」の中に存在するもの。だからこそ、その他のものには関心を示さないのだろう。
物質界では鏡に映るには実体が必要だが。上位存在の世界では、総体となる鏡がある限り、何度でも実体が鏡に映し出されるようなものだ。
上位世界の「真」はその世界の中にあり、個別の領域に投影された影像としての具現化がなされ、下位世界にはそうした影(実体)を送り込めるのだ。
魔神が俺の前に現れる時にそれぞれ異なる形態で現れるのも、そうした具現化がなされるからだろう。
強大な力を秘める上位存在ほど下位世界に現れる場合、その世界の理に沿った姿形で現れるのには、なんらかの意味があるのだと考えられた。
この幽顕の園で見聞きしたものは、俺に人間という種──あるいは下位世界に関する、異なった視点を与えてくれたようだ。
この植物園を思わせる領域は、人の魂の有り様を映し出す鏡のようなものだ。
酷薄に冷酷に、真実を無惨に明らかにする魂の座。
ここでは現世での欺瞞をつぶさに明らかにされ、魂の本質そのものが剥き出しにされる。
悪意に蝕まれた魂は奇怪な樹木の姿で現れ。恵まれた人生を謳歌し、あるいは自らの精神を育む事に成功した者は、広げた枝葉に豊かな果実を実らせるのだ。
守護者の語った「天兵」というものも気になるが、俺はこの場から立ち去る為に、魔法陣のある祭壇に向かう事にした。
人間の本質や本性をあるがまま見せてくる幽顕の園。
どんなに表情や言葉で誤魔化しても、その魂を欺く事はできない。




