幽顕の園を浮遊するもの
半人半馬の骸骨は俺の前から去り、木々の間にある道をとぼとぼと歩いて行った。
馬の下半身も骨だけのそいつは、ぱっかぱっかと空虚な蹄の音を鳴らしてどこへかと去って行く。
しかしあの守護者からはおもしろい話を聞けた。
ここが「幽顕の園」などと呼称されていると。
その言葉は一部の魔術師が書物の中で書き記している。
魔術師にとっては、そこに行き着いてしまうという事は転生の望みからも引き離され、俗人と同じように魂を浄化され、記憶も経験も引き継がせる事もできずにただ、無為に消滅するだけと考えられている場所だ。
それは一般人には当たり前の事でも、高位の魔術師にとっては違う。
自らの意識の存続。あるいは知識や手に入れた魔術の継承を望むのが魔術師というものだ。
もちろんその継承の方法は多くの魔術師にとっては、自らの弟子(多くは家族)に継承するという至って単純な方法になるのだが。
異端の魔導師ブレラほどの術者になると、自らの魂を転生という形式で保存し、自我を持ったまま新たな生命を手に入れようとするのである。──そしてそれは、俺にとっても望むべきものである。
幽顕の園に集められた魂は、この土地で樹木の形をとって植えられ、ここで浄化されていくのだろう。
そして、これらが樹木に見えているのは、あくまで「そのようなもの」でしかないというのを、俺はまざまざと体験する事になった。
一本の道から離れた場所に、奇妙な樹木を見つけた。
近寄って見てみると、その木は幹から赤い血を流しているのだ。
見るとその木の幹には無数の傷口が開き、浅いものから深いものまで、まるで刃物で傷つけられたみたいに血を流している。
枝は力なく垂れ下がり、まるで傷を隠すように幹を覆っていた。
他にも幹に太い釘が突き刺さっているものや、無数の針が刺さっているもの。樹皮が黒く焦げているものや、今まさに火が付いて煙を上げているものまであった。
樹木の大きさも様々で、他の木々よりも頭一つ分抜き出たものや、小さな灌木がひっそりと生えているものまである。
その小さな灌木には花が咲いていたり、小さな躑躅の木に色とりどりの小さな実が生っているものもあった。
大きな木の間にある小さな低木を見てみると、そこに銀色の小さな実が生っているのを発見し、俺はそれを触って調べてみようとした。小さな、真珠ほどの銀色の粒。それは本物の銀のようだった。
これらが地上に存在していた魂の一つ一つなのかと考えると、いかに人間の霊魂が異質なものであるかが分かるというものだ。
この奇妙な空間で生成される物が、物質界に持ち込んでその性質を保っていられるかは分からないが、ここにある植物から生る物は、石や金属と変わりない物のようだ。
人の背丈ほどのほっそりした木には、青や緑の宝石が生っていた。
桜桃の実のように細い茎からぶら下がった小さな美しい宝石が実る樹木。
その横にある木を見ると俺は一瞬にして、美しい庭園を思わせる光景から、この場所が幽顕の園と呼ばれるに相応しい場所であると思い知らされた。
焦げ茶色の樹皮を持つ木の幹には、いくつもの顔が浮かび上がっていた。それは苦悶を浮かべた男の顔で、樹皮に浮かび上がったそれらの表情は恨みや怒りに満ちた、なんとも気味の悪いものだった。
葉は一枚もなく、苦しげにねじれた枝がまるで空に向かって救いを求めるかのごとく、上に向かって伸びていた。
「おぞましいな」
まるで樹木に怨霊が取り憑いたかのようだ。
こんなものが人の魂だとするなら、こいつはいったい現世でどのような人生を送ってきたのだろうか。
試しに調べてみようかとその木に近づくと、その樹木はみしみしと音を立て始めた。
「ぅうぅぅうぅ……」
木の幹に浮かんだ顔たちが一斉に動き出し、苦しげな声を上げ始めたのだ。
「ぉぉぁあぁぉおおぉぉ……」
俺はその不気味な声を聞いて近づくのを止めた。
呪いや悪意に近づいたところで益はない。
そうしたものは周囲に不幸を撒き散らすものだからだ。当然そうしたものはまっさきに自らを不幸のどん底に落とす。この木が元は人間の魂だというのなら、その結果がこれなのだろう。
俺はおぞましいものから離れると、目的をまっとうする為にどうすべきかを考え、行動する事にした。
この領域には多彩な木々が存在した。先ほど見たような金属や宝石を実らせる木もあれば、ただの石ころを実らせた木などもあった。
全体を苔に覆われた木や、茸を生やした古木。
幹の内部に炎が息づき、裂け目から真っ赤な炎が見えている木まで存在した。
この奇妙な庭園をうろうろと探し回りつつ、めぼしい物があれば林檎にしろ胡桃にしろ団栗にしろ触ってみて、それらの情報を調べてみたりしていた。
そうした作業をしていると、俺の中にある死導者の力が反応している事に気づき、段々とここで集めた情報を応用し、目的を達成する為の方策を思いつく事ができた。
死導者の力にある魂の誘引を元に、新たにこの領域に当てはめる。そうして金属を実らせたり、宝石を実らせているような植物の反応を感じられるようにした。
「よしよし、これで……」
広範囲を調べられるものではないが、視覚に頼るよりも格段に発見しやすくなった。
木々が持つ見えざる極光気を数値化し、地上の気の原理に当てはめ、陽と陰の法則に照らし合わせて単純化した。
そうする事でどれが豊かな実を付けるかが分かってきた。
陰と陽。あるいは正と負の法則がここでも生きているのだと思われた。それはこの法則が一定の普遍性を有しているからであろう。
要は物事の適正か不適正かの、活動力の方向性の違いでしかないのだ。
肯定的なものであるか、否定的なものであるか。それがこの場において、樹木の姿を取って表現されているのであろう。──あの奇怪な人面樹皮を持つものが樹木であるとするならば──
俺はその死導者の霊的感覚を使って、手近な所から手当たりしだいに探って行く事にした。
魔法陣のある建造物から延びる道を外れ、ともかく柘榴や林檎が生っている木を探し、目的の果実を見つけようと行動する。
幸いというべきか、その後は守護者に会う事も、「灰色のあれ」に遭遇する事もなかった。
霊的な世界において必要な用心深さを忘れずに探索を続けていると、やっと銀の柘榴を見つけた。
それは比較的小さな木で、俺の背丈よりも少し高いくらいの、細い幹をした樹木だった。控えめに広げた枝葉の陰に、銀色の実りが口を開けている。
柘榴の実はぱっくりと割れ、その中にぎっしりと宝石が詰まっていた。
「……美しいな」
きらきらと輝く小さな粒状の宝石が密集し、赤や青や紫色。黄色や緑色といった様々な色の宝石を銀色の皮で包み込んでいた。
小さな木にはいくつか実が生っていたが、そのすべてが銀の柘榴という訳ではなく、七つある実の中の二つだけが銀色の輝きを放っていた。
他の実は牛の皮を思わせる茶色の皮に、中身は真鍮の玉が無数に詰まった物や、白い陶磁器の皮の中に硝子玉が詰まった物などがあった。
「これらの実りは、この樹木だった霊的存在──人間の魂。その人間の人生の結晶だという事なのだろうか」
俺はその小さな木に想いを馳せながら、その銀色の実に手をかけた。
「ゥルルルルッ────」
そんな音が耳元で聞こえ、俺は木から跳ぶように離れた。
(ばかな! どうやって接近した⁉)
敵意は感じなかったが、ともかく気配のない接近者から距離を取ると、俺は武器に手をかけつつ、そちらを振り向く。
──だが、そこにはなにもない。
俺は後退りながら死導者の力に集中し、この周辺をくまなく調べたが、霊も魔力もそれらしい反応がないのだ。
(いったいなにが──)
今度は死導者の力を目に集中し、様々な角度(霊的視野)から周囲に視線を巡らせる。
すると、高度な霊的視野に光るものが映った。
それはぶらぶらと揺れる蔦。あるいは触手に見えた。
どうやらかなり高位の霊的存在らしく、通常の視覚では捉える事ができないらしい。
俺はさらに集中し、相手の全体像を捉えようと照準を合わせにかかる。
しだいにそれが見えてきた
ぶらぶらと揺れている物は触手だった。
その触手を持っているものは宙に浮いている。それは木々より高い位置にあり、長い触手を何本もだらりと下げながらゆっくりと移動していた。
その姿は海月を思い起こさせた。
大きな傘を広げ、ふわふわと移動しているそれは生命体と言うよりは、水晶に似た物で構成された鉱物のように見えた。
うっすらと光を滲ませる水の幕みたいな襞がゆらゆら動き、そこから七、八本の触手が地面に向かって下りている。
俺は道の横へ避けて、それが通り過ぎるのを待った。
「ゥルルル──」
触手が目の前を通って行った時にそんな音がかすかに聞こえた。かなり近づかないと聞き取れない音のようだ。
この海月に似たものは、こちらの姿が見えていないらしい。
半人半馬の守護者は「灰色のあれ」などと言っていたが、灰色には見えない。別の個体の事を言っていたのだろうか。……それともあの骸骨は別の視覚を持っていて、その目からは灰色に見えたのだろうか。
俺はともかく余計な争いを避け、そいつが離れて行くのを見守っていたが、不意に水晶海月が意思を持って動き出した。
わさわさと触手を動かし、一本の木に近づくと、その木を触手で引っこ抜いてしまったのだ。
それは黒い蔦に絡みつかれた歪な形をした樹木で、見えざる力に持ち上げられた樹木は抵抗する事もできず、その海月に高くまで持ち上げられ、傘の中にめきめきと音を立てながら呑み込まれ、消え去ってしまった。
傘の下は空間の穴にでもなっていたのか、それなりの大きさを持っていた木が、圧縮されるみたいにつぶれて、なくなってしまったのである。
「捕まらなくてよかった……」
謎めいた上位存在ものを見送った俺は気を取り直して、柘榴の生った木のそばに近寄った。
二つある銀の柘榴の実を両方回収するのは躊躇われたので、一つだけを回収した。美しい宝石を抱え込んだ銀の実を物入れに収めると、実が付いている他の木を探し求めて歩き出す。
他にも銅の林檎や真鍮の林檎が生る木を見つけたが、そこには金緑色の林檎は実っていなかった。
かなりの本数を調べたが、特別な林檎は見つけられない。
あの守護者が言っていたように、相当に珍しい物なのだろう。
予定していたよりもかなり広範囲を調べ回ったが、金緑色の林檎は諦めるしかなさそうだった。
「残念だが、この魔法の剣は返す事になりそうだ」
そう考え始めた頃、前方から骸骨の守護者がやって来るのが見えた。
最初に会った奴とは違う個体らしく、赤い外套を身に纏い、背中に大きな弓を背負っている。
やはりそいつも下半身は馬の骨で、左右の木々に視線を向けながら、こちらに向かって来ているところだった。




