幽顕の園
「ここから別の領域へと転移する事ができるのだ」
呪術的な装飾のある扉を開けて中へ入ると、そこは儀式を執りおこなう空間になっていた。
四本腕の黒い兎は先を歩きながら、広い空間を先へと進む。
厳めしい顔をした魔神の像が並ぶ間を通り、広間の奥へと進むと、そこには怪しい光を放つ祭壇があった。
広間は黒っぽい玄武岩で床と壁が作られていたが、祭壇は白い大理石で作られた物のようだった。
床よりも一段高くなった祭壇には、青白い光を放つ魔法陣が浮かび上がり、滑らかな石の上でゆらゆらと揺れ動いている感じがした。
「これからおまえが行くのは、物質的な世界と霊的な世界の狭間にある領域だ。そこには侵入者を攻撃する守護者が存在する。見つかれば戦闘になるだろう」
「霊的な……なら、なおさら魔剣が必要なのですが」
「そうだろうな。──そこで、わしの作った剣を貸してやろう」
黒兎が言うと、ちょうど儀式の間に入って来た者が、こちらに駆け寄って来るのが見えた。そいつは灰色の毛をした兎型の奴で、革鎧や革の籠手を身に着け、手には大振りの剣を持っている。
「おまえが腰から下げている剣よりは使えるだろう。抜いてみろ」
俺は灰色の兎から剣を手渡されると、黒みを帯びた緑色の革張りの鞘から剣を引き抜く。
それは分厚い刃を持つ、無骨な幅広の剣だった。刀身は青みがかった銀色で、短剣より少し長いくらいの剣だ。どうやら魔法との親和性を持つ武器らしい。
「切れ味よりも、叩き斬る為の武器だ。おまえは魔法も使える剣士なのだろう? ならばその剣を上手く使えるはずだ」
刃に魔法を付与しやすいのは間違いないようだ。
解析するとかなり複雑な魔法の痕跡が確認できた。さすがは魔神の鍛冶師の手による物だ。
「素晴らしい技巧によって作られた武器ですね。譲っていただきたいものです」
そう褒め讃えると、黒兎の鍛冶師はまんざらでもない様子を見せた。──表情というより、彼の耳の動きや手の仕草でそう感じたのだが。
「そうか。ふむ……いいだろう。だがその剣を手に入れたいのなら、おまえは魔剣修復用の『銀の柘榴』だけでなく、『金緑色の林檎』も手に入れて来てもらおうか」
「銀の柘榴に金緑色の林檎……分かりました。採ってきます」
「そう簡単にはいかんぞ。柘榴はそれなりの数が生えているが、金緑色の林檎はそう簡単には見つけられぬ。林檎が生る樹の中に、稀にしか生らぬ物だからな」
俺は理解したと頷き、黒兎の作った魔法の剣を手にすると祭壇の上に上がる。
「では、この魔法陣の上に乗ればいいのですね?」
「帰って来る時も同じ場所から戻って来られる。それでは用心して行け」
黒兎の鍛冶師はそう言って俺を送り出した。
魔法陣の上に乗ると、複雑な紋様が光を発し、俺を包み込む。
足下から浮き上がる浮遊感。肉体を持ちながら、その重さを消失したかのような奇妙な感覚。
光がやむと、自分が高台に立っているのが分かった。
そこは見晴らしの良い場所で、周囲はどの方向にも整列した樹木の並木道……、あるいは果樹園のような場所が見えている。
木々の色や形は様々で、それが樹木に見えている自分の感覚に疑いを抱くほどの、奇妙極まる平地がどこまでも続いていた。
「妙な感じだ」
身体の違和感も、この場所の異質な空気も、自分自身の思考や感覚まで、なにやら疑わしいものに思われた。
足下を見るとそれは四角錐の建造物の頂点で、平らな頂上部に魔法陣があり、三階建ての建物ほどの高さにまで延びる階段が、それぞれ四つの面に造られていた。
「まるで巨大な祭壇だな」
正面に見える階段を下りながら、その途中でこの場所を囲む壁と、開かれた門があるのを知った。
門の向こうに広がる樹林は、樹木同士の間隔に一定の距離があり、明らかに不自然な、人工的なものだと感じられた。まるで門から続く道の先の風景を借景とした、一枚の絵画のようだ。
四角錐の建造物を下り、門から敷地の外に出る。
どこまでも広がる木々の集まり。門から先には一直線に道があり、その左右を木が並列しているのだ。
そうした光景がどこまでも、まるで果てがないようにどこまでも続いている。
樹木の中には飛び抜けて背の高い木もあり、そうした大木が他の木よりも圧倒的な存在感を放っていた。
「なんなんだここは」
門の外にある一番手近な樹木に近づくと、それは一見すると樹木のようだったが、茶色い幹に触れるとそれは冷たく、まるで石のように感じられた。その樹皮は蛇の鱗を思わせる紋様があり、細い枝は蛇が真っ直ぐに伸びているかのようだ。
指の関節で叩くと硬い音がする。
葉の色は青みがかり、葉の形状も変で、いわゆる葉っぱの形の外側に流線型の襞が付いていて、それが牛の角みたいに外側に曲がっていた。
奇妙な形をした葉から目をそらし、慎重に木々の間を歩いて行く。
守護者の姿は確認できなかったが、この果樹園──そう呼ぶ事にしよう──でばったり遭遇しないよう、木陰に隠れながら進み続けた。
木々の異様さは先に進むほどに顕著になってきた。幹の色や葉の色。枝の形や幹も様々で、真っ直ぐに直立している樹木もあれば、まるで身体をねじって苦しむ老人を思わせる樹木も生えていた。
紅葉とは違うけばけばしい淡紅色の葉を持つ木や、錆びた葉──文字どおり錆びた金属の葉を持っている──をぶら下げた奇怪な樹木もあり、この果樹園にはまともな樹木が存在しないのではないかと不安になる。
俺は周囲の樹木だけでなく遠くの木々にも注意を向けながら、踏み固められた道を歩き続けた。
しばらくしてやっと気づいた事がある。
この領域にはこれといった匂いがないのだ。
空気感はあるが、そこには特色となる感覚的な情報が圧倒的に欠落していた。
その異変に気づいた時、俺はこの場所が幽世の中でも、特別に異質な霊的世界に近い場所なのだと理解した。
(冥界とは違う。────この領域はいったいなんだ?)
上空には水色の空があり、雲は欠片も見当たらない。白々しいほどに晴天で、俺は空を見上げながら、なぜか不安に駆られている自分に気づいた。
ざわざわとした胸騒ぎを感じ、俺は落ち着けと自分に言い聞かせながら、近くに見えた木に近づく為に道をそれた。
道の先にも道があり、木々の間には等間隔に十字路が刻まれている感じだ。
目的の木に近寄ると、その木から生っている林檎に似た果実を調べた。
「金属に見えるな」
それは銅の林檎と呼べる果実だった。
表面がてらてらと光を反射し、これが銅ならかなり高品質の銅だと思われる。
俺は枝からぶら下がっているその林檎を手に持とうとした。
「重さが……!」
とてもではないが金属の重さではない。まるで中身が空っぽのように軽いのだ。仮にこれが銅製なら、相当な薄い皮だけの林檎だろう。握ればくしゃっと潰れてしまうほどに。
しかし叩いてみると、中身が詰まっているように重い音がした。
これを持って行こうかと思ったが止めておいた。この木には他にも数個の林檎が生っていたが、金緑色の物は無い。
元の道に戻ろうとした時──突然、俺の上に影が落ちた。
ぎょっとしたのも束の間、俺は剣の柄に手を伸ばし、影の正体を見極めようとした。
それは白い骸骨だった。
しかし俺よりも頭五つ分は高い位置にある。
その理由はそいつの下半身が骨の馬だったからだ。
気配も感じられないのは、こいつが生き物ですらなく、不死者ですらないからのようだった。
この奇妙な骸骨は半人半馬の骸骨で、革帯と肩当てを付け、腰から緑色の前垂れを下げ、手には鉄の槍を持っていた。
「「おや、どうしてこのような場所に?」」
それは異様な声で話しかけてきた! 男女の声が重なった奇妙な声で、しかも古代語を使用しているのだ。
口で発声しているのではなく、頭に念話で語りかけている感じだが、奴の口はぱくぱくと動き、人間の振りをしているとでもいった様子だ。
この骸骨が、黒兎の鍛冶師が言っていた守護者だろうか? しかしそれならばなぜ攻撃せず、それどころか親しげに話しかけてくるのか……
「あんたは?」
俺が警戒しながら問うと、骸骨は首を傾げる。
「「あたしですか? そりゃ……この庭園の管理人ですわ。ええ、それはあなたのような高貴な存在からしますれば、取るに足りないものでありやしょう」」
「庭園?」
今度はこちらが首を傾げると、表情の無い骸骨はあんぐりと口を開けて見せた。
「「ははぁ……あなた様はまだ、死導者になられて間もない方でやすね? よろしい、お教えしやしょう」」
「なに?」
俺は危うく「死導者だと?」と口にしそうになったが、どうやら俺の中にある魂の形状を見ているようだ。
つまりこいつは俺が人間であるとは視認できないのだ。その眼球の無い目の所為という訳ではないだろうが、こいつらの「目」が霊的な質を認識しているのだとしたら、俺を死導者と見間違えても仕方がないのだろう。
「「ここは魂を精錬する場でありやす。言うなればね。下界の魂がここに樹木として引き取られ、上に行くか下に行くかしやす。その合間の記憶の園ですわ。『幽顕の園』なんて呼ばれたりしやすね」」
骸骨の言っている事はなかなか不明瞭なものだったが、おそらくは死者の魂が清められ、浄化し、また新たな命を授かって生まれ変わったり、あるいは冥界に落ちるかする、その選定をする場所なのだと考えられた。
「それは興味深いな。──ここに生えている木々が、人間の死者の魂だったと?」
「「はぁ、まあ、そうともい言えやすがね。実際のところ死者の、というよりは、魂の、と言う方が正しいのですがね」」
この半人半馬の骸骨からさらなる話を聞き出したかったが、あまり深入りすると、ぼろを出してしまう危険もある。まずは目的の物を尋ねる事にした。
「ここには銀の柘榴があるだろう。それはどこにある?」
「「柘榴ですかい。ええ、ええ。それならあっちに生えていやしたね。ですが、今は近寄らない方がよろしい」」
「なぜだ?」
「「灰色のあれが出やしてね。あたしらにも手出しができんのです。なにしろ冥界の影とも、天界の怒りの木霊だの言われる奴ですからね。下手に排除もできやせん。神々の呪いが降り掛かってしまうかもしれやせんです」」
灰色のあれ──どうやら危険な存在のようだが、どうもこの領域の法則が分からない。こちらも手出しはしたくないのだが……
「金緑色の林檎は見たか?」
「「金緑色の林檎……そんな物、ここにはいくらもありゃしやせん。あたしが管理する場所を見回っても、永劫の中にあってほんの数回、目にしたくらいですわ」」
どうやらそうそうお目にかかれる物ではないようだ。
「林檎が生る場所とかはないのか」
「「ははっ、おかしな事を言いなさる」」
馬骨の足で地面を引っかきながら、骸骨の守護者は呆れたように言う。
「「林檎が生るか柘榴が生るか、はたまた葡萄や胡桃を実らせるか。時には甘い蜜を流していたり、あるいは腐り果て、なんの収穫も得られぬものもありやす。それどころかおかしな蔓草に絡みつかれたものまである。
それもこれも下界で生きている連中が、その魂の形状をいかに形作るかにかかっていやす。──それが果物を育むか、それとも根っこまで腐っていやがるか。それはあたしらにはどうにもできますまい」」
骸骨はそう言うと「「仕事に戻らなければ」」といった事を口にして、一つの警告を残して行った。
「「ああそうだ。いま言いやした蔦などにお気をつけなさい。それはいかにも下界の悪意そのもので、近寄る者に容赦なく襲いかかってきやすからね」」
存在は英語。実在といった意味ですが、哲学でも登場する言葉(このエンティティに類する古代語を使った、という意味です)。
幽顕の園は作中の造語です。
「幽顕」という言葉は実際にあります。幽顕の園の性質がどんなものか朧気ながら分かると思います。
高台の祭壇はピラミッド型の──メキシコなどにある遺跡のような物を想像してもらえれば。
あえて金字塔と表記しないのは、レギがピラミッドを知らないからです。




