死霊の王と虚ろの塔の新たな主
朱色の法衣を纏った死霊の王はゆったりとした衣を揺らめかせ、その場で浮遊していた。
奴は前方の蜥蜴亜人の集団ばかり気にして、後方から迫る俺にはまったく気を払っていない様子だったが、ある程度の距離まで詰めると奴はぐるりと、不自然な動きでこちらに振り向いた。
(はっ、やはり眼球の無い視覚で周囲を把握している訳ではないよなぁ)
俺は魔剣を手にしながら駆け寄りつつ、奴の攻撃に対する防衛をいくつも思考する。
死霊の王は呪詛を込めた言霊を使って俺の動きを止めようとしてきたが、死の力を根源とするその呪術は、俺には通用しない。
(貴様が死を司る王だと言うのなら、こちらは死の力そのものを取り込んでいるんだぞ)
無尽蔵に湧き出す不死者の兵士だけが障害となりそうだが、奴もこちらに兵士を割くほどの余力は無いらしく、数体の護衛をこちらに振り向けてきた。
金属鎧を纏った騎士三体と、二体の軽装の兵士。それぞれが剣や槍を持ち、こちらに突撃してくる。
俺は止まる事なくそいつらに接近すると、突き出された槍を躱しながら素早い斬撃で斬り返す。
不死者の兵士たちの横を駆け抜けながら、瞬く間に五体の護衛を消滅させる。
白銀色に輝く刃が閃くと、奴らの鎧や骨を斬り裂いて、ぼろぼろとその場に砕け散って灰となる。
死霊の王は手を振って、さらに不死者の兵士を喚び出そうとしたが、俺は新月光の刃を放ち、奴の召喚を妨害した。
「ぐカァあぁァッ!」
頭巾を被った骸骨が怒りの叫びを上げる。
その口から黒い毒霧に似た物が吐き出され、白い骨の指をわなわなと震わせて、なにか別の魔法を行使しようとしている仕草を見せる。
魔法の障壁を展開し、新月光の刃を受け付けないようにしたらしい。奴の身体の周囲を青白い発光が包み込んだ。
「あいにくだな。もう魔法の間合いじゃないぜ」
俺は十歩は離れた場所から一気に奴の近くに接近し、魔剣で斬りつける。
すると死霊の王は魔法の盾を展開した。それは魔晶盾に酷似した物だったが、こちらの刃を弾いた時に魔法の盾が邪悪な色を発して、攻撃してきた者に対する自動反撃をおこなってきたのだ。
「ちぃっ!」
咄嗟にその魔法の反撃を回避した為、死霊の王から数歩離れてしまう。
そこへ即座に魔法による追撃を撃たれ、さらに距離を開けられてしまった。
(魔法の盾にあんな効果を仕込んであるとはな)
敵の魔導師から得た新たな発想を糧とし、この戦いのあとで魔晶盾に新たな改良を加えようと思いつつ、敵が地面に広げた影から新たな死霊の騎士を喚び出すのを見届ける。
「底無しの魔力だな」
いくらなんでもおかしい。
死霊の王が膨大な魔力を保持しているとしても、ここまで大量の不死者を喚び出し続けられるものだろうか?
俺はその疑問を抱えながら突撃し、喚び出された騎士の攻撃を回避し、反撃した。
ここにきて俺の身体の動きがキレを増してきた。
感覚的な反応も鋭くなり、この厳しい劣勢をひっくり返そうとする俺の本能的な力が呼び覚まされたようだ。
一撃で死霊の騎士の鎧を引き裂き、魔剣の力で敵の死の力を奪い去る。
「グゥァカァアァッ‼」
死霊の王がさらに俺との間に不死者の兵隊を喚び込んできた。
俺は間合いを詰める勢いのまま素早く連続で斬りつけ、出現した兵隊を即座に打ち倒し、死霊の王に接近して奴の魔法の盾を破壊しようと迫る。
だが相手も防御に力を注いで盾を強化し、こちらの攻撃を防ぎ切った。
前方に張った魔法の盾を躱して、横から魔法による攻撃を加えようと、鋭く曲がる魔法の矢を数発叩き込む。
しかしその攻撃は、死霊の王の体に張られた魔法障壁がその威力を抑え込んでしまう。さすがに簡単には奴の守りを突破する事はできない。
魔剣を奴の体に叩き込むには、魔法の盾を破らなければ……俺は焦り始めた。
死霊の王になんとか接近しても奴は距離を取ろうと後退し、攻撃魔法を使ってこちらを消耗させてくる。
だが、消耗しているのは死霊の王も同じだった。
攻撃魔法は単調な炎の柱を噴き上げるものや、風の刃で斬りつけてきたり、雷撃を放つくらいの下位魔法に限られていた。
俺は危険を顧みずに攻めに転じる事を選んだ。
死霊の王が放つ魔法を避けつつ、ある程度近づいた瞬間、相手が後ろに下がって距離を取ろうとする前に、影槍を叩き込んだのだ。
足下から影を伸ばし、相手の近くから影槍を打ち出す。
影から伸びた漆黒の槍が三本、死霊の王を捕らえた。
「グギィアァッ」
霊体を縛りつける影の槍が動きを一時的に封じた。
飛行して逃れる事ができないと悟った死霊の王が、近距離から炎の爆発を起こした。
爆発の衝撃で俺を吹き飛ばそうとしたようだが、そうした攻撃をしてくるだろうと予測していたのだ。
俺は影の中に素早く侵入して爆発を逃れ、奴の足下近くまで伸びた影の中から飛び上がる勢いで、奴の中心めがけて魔剣を突き出す。
「グアァアァアッッ‼」
「とったぞ‼」
朱色の法衣を貫いた刃が、死霊の王の中にある霊核を砕いたのだ。
「ぅォゴボゴォァアァアぁァアぁ!」
ぐじゅぐじゅと音を立てて法衣の下でなにかが膨れ上がり、限界まで肥大した体が爆発した。
ごぼごぼごぼっ、ぶじゅぅぅ~と、水があふれるような音と、種火が水をかけられて鎮火するような音が重なって聞こえ、消滅していく死霊の王の体。
それは法衣の下で質量を持たない塵となって完全に消滅し、朱色の法衣だけがその場に残された。
「ざまあ……みろ」
さすがに疲れた俺は、魔剣を支えにして倒れないように踏み留まった。
そうしながら大きく息を吸い込み、そして長く息を吐き出す。体内の気を巡らせて体力や筋力を急ぎ回復させる。
ことん、と地面に落下した物があった。
地面に落ちている朱色の法衣の上に、赤紫色の水晶に似た物が転がっている。
朱色の法衣のそばには金色の指輪が一つ落ちていた。
「死霊の王の霊体から分離した魔晶石と、奴が指にはめていた指輪か」
それを拾い上げると、かなりの力を秘める魔晶石だと分かった。詳しい事は解析しないと分からないが、上手くすれば強大な魔力の器を得られるかもしれない。
指輪の方も手に取ってみた。なんらかの魔法の力が込められているのを感じるが、こちらも解析が必要だろう。
そう考えてその二つを物入れの中にしまい込む。
シグンの仇を討ちその力を奪い取ったが、俺はまだ窮地のただ中に居るのだ。
湿地帯側からやって来たのは蜥蜴亜人の生き残りたち。
奴らもかなりの数を死霊の兵士によって失っていたが、それでも二十体くらいの群れがこちらに歩いて来るのが見えた。
(やれやれ、骸骨の次は蜥蜴かよ……)
魔剣を地面から抜いて切っ先に付いた土を拭っていると、刃が欠けている事に気づいた。
シグンとの戦いで欠けてしまったらしい。よく見ると、ところどころに小さな亀裂が入ってしまっている。
(魔剣が──! もう限界だったか)
そんな俺の気持ちには気づかずに、蜥蜴亜人たちはこちらに押し寄せていた。革の鎧や鈍い光を放つ金属の鎧を着ており、槍や剣といった武器を手にし。中には棍棒のような原始的な武器を持っているものも居て、蜥蜴頭にふくよかな胸を持った雌の蜥蜴亜人の姿もあった。
そいつらはずかずかと大股でこちらに迫って来る。
その様子は俺を敵と認識しているように見えた。
俺は魔剣を下に構え、いつでも戦えるよう気を張る。
ところが奴らは一定の距離まで近づくと、そこでぴたりと足を止めた。
不思議に思っていると、蜥蜴亜人の戦士たちが左右に分かれ、その間にできた道からずるずると這って来るものがあった。
それは妖人アガン・ハーグだった。
下半身が大蛇の妖人は、離れた場所で待機した蜥蜴亜人の元からこちらに近づいて来た。
「レギスヴァーティだな?」
上半身は痩せた灰色の熊──もしくは狼男といった風貌をした毛むくじゃらの怪物だった。
顔は人間によく似ているが、眼球は黄色く輝き、口は蛇の様に裂け、額や頭部から棘みたいな角が何本も生え出ている。
「そうだが……」
奇怪な姿の妖人に名前を呼ばれ、俺は手にした剣を握る力を少し弱めた。
「『虚ろの塔』の新たな女主人が、おまえを助けるよう言ってきたのだ」
「なに? ……女主人とは誰の事だ」
虚ろの塔──魔神ベルニエゥロと出会ったあの塔。その塔の新たな主人となった者が居る、という事なのだろうか。
「我らの王は神々との闘争に備えており、現世に力を及ぼす余裕はない。ゆえに虚ろの塔は現在、ティエルアネスが支配しているのだ」
「ティエルアネスが──なるほど」
「大いなる力を持つ魔女にして魔神。ティエルアネスの下に五柱の王の遣いが現れ、彼女におまえの危機を救うよう伝えたらしい」
ティエルアネスに情報を伝えたのは魔神ラウヴァレアシュの遣いだろう。
なにしろこの場に俺を連れて来たのはラウヴァレアシュの魔犬なのだから。
そして魔神ティエルアネスは俺を手助けしようと、この妖人を送り込んできた訳だ。
できればシグンを助けたかったが、彼の魂を死霊の王の魔手から解放できたのは救いだった。そしてなにより、俺自身が命を落とさずに済んだのだから。
「今回の死霊の王はなぜ復活した? ラウヴァレアシュによれば魔術師が関わっているか、神々の策略ではないかという話だったが」
「おれの王は魔術師たちの集団が、魔神ラウヴァレアシュの力を利用したと考えているようだったが」
「『明星の燭台』か」
「どんな連中かはおれにもわからない。ただ魔術師が一人や二人でおこなえる規模の魔術ではない。優れた魔術師や魔導師が集まり、魔神ラウヴァレアシュの力の痕跡が残る場所で儀式をおこない、死霊の王を生み出す力を再現したのだろう」
それでもかなりの技術や力を持った者でなければ、死霊の王を復活させる事は不可能だろう。いよいよ明星の燭台の関与が疑われた。
仮にそうだとすれば、奴らは完全に俺と敵対する道に踏み込んだという事だ。
連中の目的がなんであれ、その活動の所為でシグンは命を落としたのだから。俺の手で彼を殺さなければならなくなった事は赦しがたいものだ。
「この死霊の王の復活はいつ始まった?」
俺が問うと、蛇の様な舌をちろちろと伸ばし、妖人は目を閉じた。
「それはおれも聞かされていない」
どうやらティエルアネスから指示され、渋々この場に援軍として駆けつけたようだ。
奴は一気に俺への興味を失ったように、長い蛇の下半身をずるずると動かして、俺に背を向ける。
「ともかくおれの用事は済んだ。おまえも早くこの場を去るがいい。死霊の王が滅びても、ここに残る死の力は強大で、死霊たちは再び蘇るだろう」
そう言い残すと蜥蜴亜人の群れと共に移動を始めた。
俺はそんな奇怪な援軍を見送ってから、この地に倒れたシグンや冒険者たちの死体のそばに寄り、一つ一つの亡骸に不死者として復活しないよう術を掛けた。
聖別に似たものだが、どちらかと言うと呪術に近いもので、しばらくは外部から霊魂が入り込んだり、死の力に支配されるような事はなくなるのだ。
そうして俺は影の倉庫から鳥の骨を取り出した。
その骨に不死者の魔神ヴァルギルディムトの使っていた魔法、鳥の骨を伝書鳥へと変える魔法を改良したものを駆使し、手紙を運ばせるよう手配する。
目的地を選択するのに光体の視点を利用し、ここから近い戦士ギルドのある街──都市グァネイダに向かわせるよう設定した。
戦士ギルドが禁足域に送り込んだ冒険者たちが全滅した事、死体を回収するようにと、小さな紙片に書き記す。
錬金術の技術を駆使し、鳥の姿まで復元したその足に手紙を結び付けると、それを空へと飛ばした。
死に満ち、荒廃した地に残された俺は疲弊しきっていた。
魔力も枯渇寸前で、魔力体と接続された魔力の器も空になっている。
精神力を限界まで酷使した戦いだった。
無限に湧き出す不死者との長い戦いから、幽鬼と化したシグンとの戦闘。そして死霊の王との一騎打ち……。我ながらよく生き残ったものだ。
かつての俺だったなら、大群で攻めて来る不死者の軍勢によって殺されていただろう。
あれだけの数を相手にするには、強力な攻撃魔法と、それを何度も使用できる魔力が必要だった。死導者の霊核に魔神結晶。天使の力なども取り込み、これだけの力を手に入れた。
魔女たちから得た技術や力。
冥界の双子から与えられた知識や力。そうしたものがあってなんとか困難を乗り越える事ができたのだ。
振り返ってみれば、この禁足域から俺の新たな冒険が始まった。
魔剣を手に入れたのもここからだった。
あの死霊の騎士。あれに類する技量を持った不死者も今回の戦いに居たはずだが、俺の力が増した所為か、それほど手強い相手とは感じなかったが。




