死線──レギとシグン──
青い光の短槍に胸を貫かれたシグンがその場にひざまずくのが見えた。
ゆっくりとした動きで──がっくりと膝を折って、地面に地面に膝を突いた。
「シグンッ‼」
戦士の胸に突き刺さった青い光の色が変わっていく。まるで鮮血を浴びたみたいに赤く染まり、そして紫色の光へと変わって、それは小さくなって消え去った。
俺たちの周囲に居た不死者の兵士は死霊の王が放った衝撃波で地面に倒れ込んでいる。
死霊の王の動きに警戒しながらシグンの元に駆け寄ると、彼の様子を確認する。──おかしい、防具などに穴が空いていないのだ。
死霊の王が放った魔法は、物理的な攻撃ではなかったのか?
そんな疑問が湧いてきた時、シグンの体に変化が現れた。
身体の血の気が引き、一瞬で青白い肌に変わっていったのだ。
真っ赤な血液の代わりに、彼の体内には青色の血が流れ始めたように、不気味な脈動が皮膚に浮かび上がった。
「しっかりしろ!」
痙攣するシグンの体。
俺は謎の力に汚染された彼を魔法で解析しようとしたが、現れた反応は生者と不死者。双方の反応を示したような、異様な状態を表すものだった。
(ばかなッ!)
困惑する俺を前に、膝を突いた傭兵は手にした大剣を強く握り、その刃を振るってきた────俺に対して。
魔剣でその一撃を受け止めながら後方へ跳び、その攻撃をなんとか受け流す。
「ぅうゥゥッ」
苦しそうな声がシグンの口から漏れ出る。
首から頭部に向けて青紫色の魔力の脈動が流れるのが見えた。
その魔力がシグンの全身に流れていき──彼の肉体を、そして彼の魂をも捕らえたようだった。
ゆらりと立ち上がって剣を構えるシグン。
その気配はひりつくような殺気を放ち始め、ぞっとするほど危険な死の気配を漂わせていた。
彼をこんな姿に変貌させ、その魂をも支配している死霊の王は、蜥蜴亜人の軍勢に向かって行くらしい。
俺はどうやら死霊の王によって操られているシグンと、二十体を超える不死者の兵士たちを相手にしなければならないようだ。
「まさか、こんな形であんたと再戦する事になろうとはな」
そう言いつつ、彼に加えられた呪縛を解析する。──一縷の望みをもって。
「ガキィンッ」
離れた位置から一瞬で間合いを詰めてきたシグンの動きに、俺は魔剣の根本で相手の攻撃を受け止めた。
回避すべき危険な攻撃だったが、魔法に集中していた俺には、足を使って避ける余裕はなかったのだ。
「くっ──!」
手首をひねり、返す刃を下から斬り上げてシグンの手首を狙ったが、思ったとおり彼は斜め後ろに跳んでこちらの反撃を回避した。
魔法による解析が終わり、俺は失望を感じた。
彼は──シグンは完全に、あの鈍い光を放つ青い短槍によって、死を与えられていた。
ここに居るのは戦闘経験を有した死霊。つまり、幽鬼兵と変わらぬ存在へと変貌してしまったものが居るだけだった。
「……シグンッ!」
俺は失望を怒りに変え、それを闘志に結びつける。
ここまで来て、仲間と共に死に繋ぎ止められる訳にはいかない!
「「ォオオォオォッ‼」」
俺とシグンが同時に咆哮した。
どちらか一方が死に、どちらか一方が生き残る。そんな絶望的な戦いに身を投じる兵士のように。
周囲を取り囲む骸骨兵が押し寄せる前に俺とシグンは激突した。
連続して斬りつけた俺の攻撃を躱し、受け流すシグン。
彼の薙ぎ払ってくる大剣を回避し、隙を突くようにして反撃を返す。──だが届かない。
半歩の間が踏み込めない。
その半歩の踏み込みで、下手をするとこちらがやられる可能性が爆発的に跳ね上がってしまう。
(やるしかないか──!)
いざとなればこちらには魔法だってあるのだ。魔力はかつかつだったとしても、魔晶盾くらいは張れる。
彼から一歩離れつつ、俺は背後から迫って来ていた骸骨兵を斬りつけながら、今度はシグンの方に向き直り、彼が上段に構えている大剣の軌道を見切って横に回り込む。
しかし彼は俺の腕を掴むと、むりやり引き剥がして骸骨兵に俺の身体を投げつけた。
凄い力だった。籠手がなければ、腕に痣ができるくらいでは済まなかっただろう。
なんとか倒れずに地面に足をつくと、近くに居る骸骨を打ち倒す。
するとシグンは大剣をぐるりと回転させ、周囲に居た不死者の兵士たちを吹き飛ばした。
攻魔斬を周囲に向かって円形に放ったのだ。
弧を描いた斬撃に巻き込まれた骸骨が粉砕され、その一撃で十体もの骸骨兵がその場に崩れ去る。
──彼の意識はまだ、かろうじて残されていたようだ。あるいは彼が死の力に抵抗し、俺との戦いを最期のものとする為に抗っているようだ。
「ぅぐぁァァア……!」
シグンは呻いた。
呻きながら俺に向かおうとする骸骨兵を薙ぎ倒していく。
「レっ、レギィいぃぃ──ッ! おッ、オレを────こっ、ころセぇえぇェエッ!」
振り向いた彼は、まるで呪わしい相手に言葉をかけるみたいに「自分を殺してくれ」と叫んだ。凄まじい殺気を放ちながら、自分を殺せと。
その言葉を最後に、彼は血走った目をしながら猛然と、こちらに斬りかかってきた。その荒ぶる攻撃は重く、鋭く。かつて経験した彼の繰り出す技とは違い、それらは洗練さに欠けていたが、恐ろしいまでの速度と威力を持って俺に打ちつけられた。
「ぐっ……‼」
剛力による連続攻撃をなんとか受け止め、彼の体を押し返すと、大きな唸り声を上げながら突進してくる。
シグンの魂を憎悪で満たす死の力。それは生者には分からない苦痛や苦悩に満ちていて、まるで今まで世界に産まれ、死んで逝った多くの者たちの絶望を、彼が一身に背負っているかのようだ。
「シグゥぅう──んンッッ‼」
こちらもその激情に呑まれまいと全力で闘志をもって応える。
身体を筋力で制御し、心を闘志で制するように。
交差する烈しい生と死の戦い。
俺と幽鬼シグンの力と技がぶつかり合う。
この戦いでシグンを勝たせる訳にはいかなかった。
幽鬼となったシグンが勝っても、彼に得られるものなどなにもないのだから。
剣と剣が火花を散らす剣戟が続いたが、シグンの攻撃を後方に跳びながら受け止めると、俺は剣圧によって弾き飛ばされ、間合いが大きく開いた。
空中で一回転し、足を上手く使って着地する。
一呼吸深い息を吸い込むと、俺とシグンは同時に気の収束に入った。
ただし、シグンの体内に巡るのは瘴気。そして魔素そのものだった。
死の力によって活動しているシグンは周辺にある魔素を体内に取り込み、生命力と関係する”気”とは逆の力を使って、攻魔斬と同じような攻撃を繰り出すつもりなのだ。
それは彼が──命を持たない存在になった事を意味していた。
(完全に人ならざるものになってしまったな)
もはや彼を救う術はない。
俺は覚悟を決めるよりも先に、この強敵を排除する為に全力を尽くさなければならないと悟った。
シグンだったものは、離れた間合いから必殺の一撃を繰り出し、剣から撃ち出された剣圧と魔素の力で破壊するつもりだろう。
こちらもそれに応戦する。真っ向からの力比べ。
シグンには”死”によって新たに得た力が直接的に彼から放たれるが、こちらは体内の気を陰質へと変え、陰の気の力に魔素を引き寄せなければならないのだが──
(気の力では押し負ける……!)
俺はそれを直感的に理解した。
その瞬間、死を予感した俺の中から魔神の力が動くのを感じた。
俺は直感的にその判断に従った。生命を司る気の力ではなく、魔神の魔力を魔剣に収束させ、それを破壊の力として──撃ち出す!
「「オォオオオオオォッ‼」」
背中側に回した剣を迷いなく振り抜く。身体全体の筋力を駆使し、体重も乗せた全力の一撃を解放する。
二人の間に魔力と魔素。そして剣圧の力が加わって強大な爆発を引き起こした。
双方の力が振り下ろされた武器から放たれ、刃の形をした斬撃と、圧倒的な破壊の力が前方に撃ち出される。
斬撃と斬撃がぶつかり合い、砕け、それぞれが放った破壊の力が周辺に飛散した。
それは空気を引き裂き、大地をえぐり、周辺の骸骨兵を完膚なきまでに打ち砕いた。
無数の衝撃が小さな刃や飛礫となって俺の体を打った。魔晶盾で防ぎきれなかったものが俺に傷をつける。
地面をえぐるほどの力が土埃を立て、数歩前に居るシグンの姿が見えるまで時間がかかった。
「さ、さすがだ────」
かろうじて踏み止まっていたシグンの体は傾き、その場に膝をつくようにして前のめりに倒れ込みそうになる。
俺は素早く彼に駆け寄り、崩れ落ちそうな彼を抱き止める。
シグンの左腕は折れ、右腕は手首から先が消失し、胸から腹部にかけて深い裂傷が走っている。
ごぼっと喀血したシグンの背を支え、彼の顔を覗き込む。
「シグン……」
「すさまじい──いちげきだっ……た」
その目は充血していたが、死霊の王による呪縛から一時的に解放されたようだ。
彼の魂は死霊の王に未だ支配され、二度目の死を迎えても解放される事はないだろう。──つまりこのままでは、常人の死とは異なる運命を辿るのだ。
「さ、さいごのあいてが──おまえに、なるとは──な……」
ふふふ……
彼はそんな風に力なく笑った。
俺は彼を地面に横たえ、周囲を見回す。
俺に迫って来ていた不死者の兵士たちは、激突した二つの攻魔斬の衝撃で、すべて倒されていた。
「残念だ。死霊の王にこんな力があるとは」
生きている者を不死者へと変化させる呪い。
死霊の王はそうして魂を束縛し、自らの兵士として強い人間を支配下に置こうとするのだろうか。
「このままではお前は死霊の王に魂を束縛されたまま、死の領域を彷徨うかもしれない。──だが、俺がそれを断ち切ってやる」
俺は魔剣の柄を強く握る。
「……そうか。そうだ、な。──やって、くれ……レギ。おまえの──手で……」
シグンはそう言って目を閉じた。
彼には直感的に分かっているのだ。多くの死を目撃し、自らの手でも多くの死を与えてきた彼には。
────俺は魔剣で、シグンの心臓を貫いた。
苦痛をこれ以上与えぬように、魔剣の力でもって彼の死を漱ぐ。そうして死導者の力により、彼の魂を本来あるべき死の領域へと導く為に……
魔剣が彼に本当の死を与えると、彼の青白く変化した皮膚が本来の肌の色へと戻っていった。
シグンは死霊の王の呪縛から解放され、幽世にある幽鬼の領域に囚われる事はなくなったのだ。
死の呪縛が解けなければあの場所で彷徨い続け、いつかは完全に幽鬼となり果てるところであった。
「さらばだシグン。──安らかに眠れ」
彼の剣を拾って胸の上に預けてやると、俺はその場を離れた。
死霊の王は大勢の不死者の兵士を引き連れて、蜥蜴亜人の群れと戦闘を繰り広げている。こちらに背を向け、俺やシグンの事は忘れているように見える。
(奴を滅ぼしてやる)
そして奴の力を奪う。そう決意しながら血の付いた刃を布切れで拭った時に、違和感に気づいた。
「また刃の色が変わっている……?」
不死者の兵士たちを斬りまくった時に、黒に近い紫色に変色していたのに。それが今は白銀色の刀身に変わっていたのだ。
「シグンの魂を解放した影響か? 魔剣に取り込まれはしなかったはずだが」
シグンの中に入り込んだ死の力を魔剣が吸収した所為かもしれない。思えばこの魔剣も、謎の多い武器であるのだ。
「……まあそれはあとで調べるとしよう」
そう呟くと蜥蜴亜人の群れと不死者の軍勢の戦いに目を向ける。
死霊の王はやはり、俺が生き残っている事にすら気づいていない様子だ。
奴の周囲には数体の不死者の護衛がついているだけだった。
こちらを狙って来る不死者が居なくなったので、ゆっくりと回復薬などを口にできた。強壮薬も服用し連戦の疲労を忘れさせる。
(あとが怖そうだ)
いや、精神も肉体も強化された今の俺なら問題はないだろう。
この窮地を脱するには、死霊の王の討伐が不可欠だ。
奴が展開した結界には幽鬼兵や霊獣の召喚を妨害するだけでなく、転移に関係する魔法も封じられているからだ。
それに、もし奴を無事討伐したとしても、その後の事もある。蜥蜴亜人たちが生き残った俺を見逃すとは思えない。
死霊の王さえ倒せば、張られた結界も効力を失い、幽鬼兵を喚び出せるようになる。
「魔力が足りるかな……」
不安の種はいくつもある。
魔力回復薬は即座に効果が発揮されるものではない。
死霊の王との戦闘では極力魔力の消費を抑えたいところだが……
「まあ、やるしかないな」
シグンの敵討ちの意味もある。
ここでおめおめと敗北し、死の淵で彼と再会する訳にはいかない。
俺は四肢に力が宿るか確認し、その場で数度飛び跳ねたりしながら緊張を解そうと試みる。
「いくぞ」
俺は呼吸を整えながら死霊の王へ接近し、ある程度まで近づくと、そこから一気に駆け出していった。




