不死者の戦場
幽世の重なる狭間──闇の領域から、俺の体は放り出された。
魔素に満ちていた危険な領域から外に出た俺は、硬い地面の上に落とされ、つんのめりながら両足を地につけた。
そこは周囲に細い幹の樹木が数本生える場所。
周囲の湿地よりも一段高い場所にある地面だった。
──いきなりだ。
いきなり戦えと言われて運び出されてしまった俺。
拒否できないのは分かっていた。
あの三つ首の巨大な魔犬は「戦場」だと言っていた。
なんの覚悟もできないまま突然に、兵士となって戦えと言われたのである。
臆病者なら逃げ出すだろうが、俺は前進するしかできないのを理解していた。
「シグン……」
湿地帯の上空は曇っていた。
冷たい風が吹き、湿気を含んだ泥臭い風が鼻をくすぐる。
周囲に探知魔法を掛けて調べ、なにやら激しい戦いが起きている場所を見つけた。
距離はそれほど遠くはないが近くもない。
俺はそちらに向かいながら自分の腕力を回復させたり、魔力回復薬などを確認した。
腰帯に取り付けた物入れの中身を確認し、背負っていた背嚢を影の倉庫にしまうと、今度は影の倉庫の中にある物をいつでも取り出せるよう準備しておく。
クーゼからもらった籠手と胸当てを装備し、脛当てもしっかりと身につけると、先を急ぐ事にした。
足を取られる湿地帯の地面は軟らかく、場所によっては靴を飲み込まれそうになる。
素早く移動しつつ、いざとなれば”フィアイエの靴”を使い、ぬかるんだ地面に足を取られないようにしようと考えた。
水面に浮く魔法ならこの場所でも効果を発揮するだろう。
段々と魔犬の言っていた言葉が真実だと感じられてきた。
遠くから聞こえてくるのは怒号と剣戟の鋭い音と、乾いた──そして時に鈍い音。
たまに爆発音や雷鳴に似た音も聞こえてくる。
前方にある木々の列が並ぶ向こうから、激しい戦いの音が聞こえてきた。
男たちの怒号──中には女の叫び声もあったかもしれない──それに混じって不気味な唸り声や、不死者のものと思われる叫び声が聞こえてきた。
戦場から聞こえる雄叫び。
そして謎のわめき声。
それは生者と死者の戦い。
生と死の戦い。
──だとしたら、生者に勝ち目はないだろう。
死は生にはならず、生は戦いで命を落とせば、死の列に加わってしまうのだから。
魔神が誘う戦場。
この戦いには俺に剣の技を教えた戦士も加わっているはずだ。
あの男をむざむざと無為に死なせる訳にはいかない。そうした想いが俺の中に沸き立っている。
「ゆくぞ……!」
木々の間を抜けると、灰色の空の下で戦う者たちの姿がはっきりと見えてきた。
彼らは湿地帯の外れにある、黒い地面の上で戦っている。
多くの死の軍勢に囲まれた彼ら。
冒険者たちはどうやらいくつかの部隊に分かれて行動していたようで、ある場所にはすでに全滅した部隊の冒険者が打ち倒されていた。
魔眼を使って生き残っている者たちを確認すると、遠くで戦うシグンの姿を確認できた。
「生きていたか……!」
だが彼は危険のただ中に居た。
冒険者の仲間たちはすでに多くが傷つき倒れ、彼の周囲には七から九人くらいの者しか立っていられない状況にあるようだ。
敵はゆうに二百近い数の不死者の軍勢。
それに取り囲まれ今なお攻め立てられているのだ。
しかもその周囲にはさらに多くの不死者の兵隊がおり、ときおりそいつらから弓矢が放たれていた。
俺はシグンを救うべく駆け出す。
自身に肉体強化や防御魔法を掛け、いつでも相手の攻撃に反撃できるよう備えておく。
一刻の猶予もない。躊躇えばシグンは間違いなく死ぬ。
湿地帯の奥地にある硬い地面のある場所に向け駆け出すと、シグンたちから遠く離れた場所に居る不死者の群れに気づかれた。
ぼろぼろに朽ちた革の胸当てや革鎧を着た骸骨の兵士たち。
枯れた古木みたいな色をしたそいつらは弓矢を持っていて、俺に向けて立て続けに矢を放ってきた。
「ちぃっ!」
魔剣を振るい矢を叩き落とす。
さらにその弓兵を守る槍兵がこちらに向かって来た。七体は居るだろうか。骨の手足でありながら、機敏な動きでこちらに迫って来る。──しかもかなり統率の取れた動きで。
(こいつら……! 指揮している者が居るな?)
指揮と言っても、指示を出しているという意味ではなく、むしろ操っている、といった意味だ。
弓兵が次の矢を準備している間に槍兵が整列し、俺を正面から貫こうと迫る。
その背後から弓兵が俺に向けて矢を射ろうと構えた。
「『業炎』!」
離れた位置に密集している弓兵の足下から炎が噴き上がる。
かなり広範囲に向けて魔法が放たれ、一気に奴らを焼き尽くした。
炎に包まれた骸骨弓兵の手から、燃えた矢があらぬ方向に飛んで行った。
そして接近した俺に向かって、槍兵が槍を突き出して攻撃してきたが、俺はその攻撃を魔剣で打ち払うと、体勢を崩した不死者から次々に腕や首を刎ねていく。
一瞬で五体の槍兵を打ち倒し、俺は残りの槍兵を無視してさらに進撃していく。
「来たれ! 魔素と灰燼より立ち上がり、その身を岩とし我が敵を討て!『灰岩戦士』‼」
一瞬立ち止まり、周囲の地面に魔法の力を撃ち込む。
魔力の波に反応した魔素を取り込み、ずるずると不気味な音を立てて岩の鎧を着た戦士が三体立ち上がった。
それは金属質の刃を持つ鉱石の剣を手にし、残っていた槍兵を倒すと、さらに多くの敵に向かって突撃して行く。
続けて俺は影の中から幽鬼兵を喚び出した。
英霊ガゼルバロークに暗殺者オルダーナ。そして鎖の狂戦士バンタロン。
三人の幽鬼兵が影の中から現れ、それぞれが死の軍勢に向かって行った。
左右から大量の骸骨兵がこちらに向かって突っ込んで来ると、左の軍勢にバンタロンが、右の軍勢にガゼルバロークが立ち向かって行く。
薙ぎ払われた鎖が、横薙ぎにされた大剣が、骸骨兵を一遍に弾き飛ばす。
ところが弾き飛ばされ、ばらばらになった骸骨の体が暗い光に包まれると、再び立ち上がってくるのだった。
「なんだっ⁉」
こいつら……やはりただの不死者の群れじゃない!
正面に居る骸骨兵に突撃したオルダーナが短剣で次々に斬りつけ、旋風のように敵に襲いかかっても、倒された骸骨はすぐに立ち上がってきた。
しかも大盾を持った骸骨兵がガゼルやバンタロンの前に立ち塞がり、幽鬼兵の強烈な攻撃を盾で防ぎ始めたのだ。
骸骨兵は赤黒い光に包まれ、魔法によって強化されているのが分かった。何者かがこいつらを操り、復活させ、強化しているのは明白だった。
(──どこだ、どこに居る⁉)
俺はオルダーナの横から敵の群れに突撃し、魔剣で骸骨兵を斬りつけて倒す。
──するとどうだ。
俺の攻撃で倒された骸骨は復活する事ができないようだった。
「そうか! 魔剣の”死霊喰らい”の効果か!」
死王の魔剣に宿る死霊の魂を喰らう力が発揮され、不死者の力を奪っているのだ。
すると今度は、周囲に巨大な力の発動が現れた。
荒れ果てた大地と湿地帯の一部を包み込むほどの大きな力。──それは結界のようだ。
結界の中に俺たちは閉じ込められてしまった。すると幽鬼兵が次々にその場にしゃがみ込んだり倒れたりして、そのまま地面に沈むみたいに影の中へと消えていってしまう。
「まさか、こちらの力を封じる結界か⁉」
灰岩戦士はまだ戦い続けているところを見ると、どうやら敵は強力な幽鬼兵だけを退ける結界を張ったようだ。もしかするとこの結界は不死者を操る敵の死霊術によるもので、こちらの”死”に関わる力だけを封じ込めたのかもしれない。
「くそっ‼」
強力な手札を封じられ、俺は焦りを感じ、剣を振りかぶってきた骸骨兵を叩き斬った。
俺とシグンの間にはまだ無数の骸骨兵が存在し、しかもまだ次々と不死者の兵隊が新たに召喚されているのだ。
骸骨どもは怨念めいた唸り声を発し、おぅおぅおぅ、んぉ──ぅんぉ──ぅ、といった耳障りな音を立てている。
どうも強力な力を持つ個体が、そうした音を立てているらしい。
シグンたちの居る場所の近くで暗紫色の光が地面から沸き立つと、そこから武装した骸骨兵が十数体出現し、冒険者たちに向かって雪崩れ込んで行く。
そしてまた冒険者の一人が打ち倒された。戦士らしい金属鎧と兜を身に着けた男が大きな音を立てて地面に倒れ込み、動かなくなった。
彼らも全身全霊で敵を迎え撃っていたが、敵の攻撃は止まるところを知らない。
この不死者の軍勢を生み出している存在は、無限の魔力でも有しているのかと思うほどだった。
次々に不死者を生み出し、さらに魔法で強化するという、並の魔法使いや死霊術師には到底できない業だった。
「シグン!」
俺は敵を斬りつけながら叫んだが、その声は聞こえなかったようだ。
多くは物言わぬ死霊の軍勢だが、奴らの行進は騒々しい物音を立て、身に着けた甲冑などの立てる音が、がちゃがちゃと騒がしいほどになってきた。
そこに激しい戦闘音も混じり、よほど近づかないと俺の声はシグンの元まで届かないだろうと思われた。
赤黒い極光気を纏う骸骨兵たちが俺の進行を食い止めるみたいに集まり、立ち塞がる。
「どけェッ‼」
裂帛の気合いと共に業魔斬を撃ち、正面の骸骨の重戦士を吹き飛ばす。
大柄な骸骨の兵士が鋼鉄の鎧ごと叩き斬られ、業魔斬の衝撃に巻き込まれた骸骨兵たちが、折り重なるように倒れてゆく。
すると冒険者の数人が援軍の存在に気づいたらしい。
この恐るべき状況に叩き落とされた冒険者たちは死力を尽くし、なんとか踏み止まっていたが──また一人、戦士が崩れ落ちた。
容赦なく倒れた男に止めを刺す骸骨兵。
剣や槍を手にした無感情な敵が彼ら生者を攻め立て、彼らを自らの軍隊に迎え入れようとしているかのように。
そして倒れた冒険者らもついには不死者として蘇り、仲間であった者に襲いかかり始めたのだ。
「おのれ!」
そんな怒りの声が進む方向から聞こえてきた。
破滅的な戦況の中で彼らは懸命に戦っていたが、俺が彼らの近くまで辿り着く頃には、彼らは残り三名にまで数を減らしていたのである……




